8・魔獣がいました
ゲームの中の季節は夏なのでしょうか。
熱い風が草原を吹き抜けていきます。
私はあれからライオスさんのお薦めのテテとすぐに馴染んで、この町の周辺を走り回っています。
馬に乗るということは、お世話もするということです。
私は朝から晩までテテと過ごしているので当然です。
馬商人にはなりませんが。
「テテ、お疲れ様」
直接馬の肌に触れ、一方的に声をかけ続けていると、何だかテテの気持ちが分かった気がしてきます。
そして私はいつの間にか商品である馬の良し悪しを感じ取り、餌の牧草の調達まで自分で出来るようになっていました。
確かに現在の称号は裁縫人見習いなのですが、取引関係のスキルである商人レベルがガンガン上がっているみたいです。
「トミーさん、お帰りなさい」
「ただいま戻りました」
髭の商人は本気でここの仕事を手伝わないかと勧めてきますが、笑って断っています。
私の希望は「縫製師」です。
今は一人で縫製職人のお婆さんの依頼をこなして毎日を過ごしています。
といっても雑用なんですけどね。
「これ、注文書です」
お婆さんには近辺の富豪や偉い人たちから依頼がたくさん来ます。
その注文を書いた手紙を受け取ったり、仕上がり予定を知らせたりするのが私の仕事です。
「ありがとうよ、トミー」
町の住人ではなかなか会ってもらえない相手でも、私ならすぐに取り次いでもらえます。
『旅人』と呼ばれるプレイヤーには一目置いているらしく、優先的に処理してくれるのです。
「お前さんのお陰で仕事が捗るよ」
何にしても喜んでもらえるのはうれしいですね。
ニコリと微笑むと、何故かお婆さんの後ろにいたお針子の女性たちが頬を赤く染めます。
「こらあ。 お前たちはさっさと仕事しな」
「きゃああ」
彼女たちは慌てて他の部屋へ姿を消しました。
今日もフィンさんとライオスさんは素材の調達に出かけています。
早朝出かけて、夜遅くか、下手すると翌日に戻って来ることもあります。
「大変そうですね」
私が声をかけるとフィンさんは疲れた笑みを浮かべました。
「なあに、これも俺の仕事だ。 心配すんな」
「そうですよ、トミーさん」
町の外での採集なので、ライオスさんはフィンさんの護衛が仕事だそうです。
「この辺りは魔獣も多いんですよ」
ライオスさんは戦闘職の上位職らしいんですが、詳しいことは教えてもらえません。
「自分のスキルに関しちゃ、簡単に漏らさないほうがいい。
特に戦闘スキルはな」
生産職は何が出来るかで商売するので、ある程度は分かるのですが、戦闘職に関しては良く分かりません。
「相手に戦い方がバレちまったら先手を打たれるだろ」
フィンさんが今度はいやらしい笑みを浮かべます。
対人は読み合いというのが難しいのだそうで。
何の武器を使うのか、魔法や弓などの遠距離か、剣などの近距離なのか。
それを知ればある程度対策は出来ますからね。
「ま、俺たち『旅人』はあまり同じところに長く居ないからな」
手の内を知られないうちに移動するそうです。
フィンさんとライオスさんと三人で久しぶりに夕食を摂ります。
「どうだ。 少し慣れたか?」
「ええ、馬が良いので結構楽しいです」
動物とのふれあいは心が癒されますね。
そんな話をしていると、ライオスさんの雰囲気が少し変わった気がしました。
「トミーさん。 良かったら明日は一緒に行きませんか?」
お婆さんの依頼のほうは方向が同じなので、ついでに寄れば良いということです。
「俺たちはそろそろ出発の町に戻る。
トミーさんもお友達が待ってるんだろう?」
お婆さんの用事が済み次第、フィンさんたちは新たな困ってる人のために大きな町に戻るそうです。
私もいつまでもここにいるわけにはいかないでしょうね。
「え、ええ」
フレンドであるニージェさんとはずっとメッセージのやり取りはしています。
会いたいという気持ちはありますが、今はまだ仕事が優先というか、面白くなってきたところです。
「まあ、明日一日だけでいいので付き合ってください」
ライオスさんの良い声が聴けなくなるのは少しだけ寂しい気がします。
私は笑って頷きました。
「はい。 よろしくお願いします」
この三人で出かけるのはこれで最後かも知れませんから。
翌朝、まだ暗いうちに三人で馬に乗り、町を出ます。
「この草原のどこかに移動する森っていうのがあってな。
それを捕まえられるのは俺たち『旅人』しかいないんだ」
普通の住民では偶然出くわすしかないそうですが、私たちプレイヤーならそれを感知できるのだそうです。
「地図を持ってるでしょう?」
「はい、視界の隅に表示されています」
「そこに採集地帯として表示されるんですよ」
一度入ったことがあれば、近づくと表示されるようになるそうです。
ライオスさんの説明を聞きながら、移動する森を探します。
「出た、右だ」
フィンさんが馬の手綱を引いて方向を変え、移動速度を上げました。
私とライオスさんがその後を追います。
森が見えてきました。
一旦森に入り、木陰で馬を下ります。
「トミーさん。 ここは視界が良くないんで、常に周囲を警戒してください」
私はごくりと唾を飲み込んで、しっかりと頷きます。
「大丈夫。 俺がいますから」
緊張をほぐすようにライオスさんが笑って肩を叩いてくれました。
馬は賢いので呼べば戻って来るそうで、森から放して自由にしてやります。
フィンさんはすでに目標物しか頭にないみたいで森の奥へと入って行きました。
ライオスさんと私は周りを警戒しながら後を追います。
ガサガサと足元の草を払いながら、しばらく歩いているとフィンさんが立ち止まりました。
何やら荷物から1メートルほどの棒を取り出すと、目を閉じ息を整え、すっと目を開きます。
「ライオス、頼む」
「おう」
二人が同時に駆け出し、私は「えっ」とただオロオロするだけです。
(あ、いけない、警戒しなきゃ)
ハッと気づいて周りを見回します。
ギーン、ドガッ
どこかで大きな音がしました。
たぶん、その音の場所に二人がいるはずです。
ビクビクしながら足跡を追うと、やがて目の前に二人の姿が見えてきました。
ライオスさんが手に長剣を持っていて、その足元に大人の二倍くらいありそうな蜘蛛型の魔獣が倒れています。
その剣からはべっとりと魔獣の体液のような濃い緑色の液体が滴り落ちていました。
その横でフィンさんが大きな蜘蛛のお腹辺りを棒で突き、お尻から糸を採取しているところでした。
私はこのゲームの中で初めて魔獣を見ました。
深い森の匂いと魔獣の体液の匂い。
少し気分が悪くなりましたが、ここで蹲ったりするわけにはいきません。
「す、すごい」
自分よりも大きな化け物を、剣一つで倒すなんて。
滴を振り払った剣をライオスさんが鞘に納めました。
「あ、でも、ライオスさんっていつも魔術師みたいなローブを着てますよね」
今も裾がくるぶしぐらいまである長衣を着ています。
「まあな」
ニヤリと笑った顔はフィンさんよりずっとカッコいいです。
バッと上着の前を開くようにして腰帯に剣の鞘を挿します。
思ったより裾にいくつもスリットが入っていて驚きました。
「うわっ、どうなってるんですか、この服」
思わず駆け寄って見せてもらいます。
「おい!、お前ら、遊んでないで手伝え!」
淡々と作業していたフィンさんがそれを見てキレました。