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第五話『少しずつ異なっていく』①



 あれでもない、これでもないと試行錯誤。使える時間が限られてしまってるから、余計に焦る気持ちがあった。


 もうすでに一ヶ月……、いや二ヶ月近く無駄に過ごしている。



 あれから、過去を変えたいと、変えようと決意してから、どうしたら変わるのかってことばかり考えていた。


 それで、考えついた結論は、今の私が動きすぎるのもよくないってこと。きっと、私だけが動いちゃ、過去の私は変われない。


 あの頃の私を信じて、私が動くように仕向けること。それから、凛月をしっかり反省させて、彼女自身を変えること。恵美に、前を向いてもらうこと。


 “イジメを止めて未来を変える”というのは、言葉にするのは随分簡単だけど、やろうと思うと気が遠くなりそうだ。


 なにからやればいいのかわからない。真っ白な紙の上に、自分でイチから計画を立てていかなきゃいけないのかと思うと、余計に頭が混乱する。


 でも、せっかくのチャンス、無駄にはできない。



 私がこの世界を変えたところで、私の世界は変わらないかもしれない。もしかしたら私はもうすでに死んでるかもしれない。


 それでも、それならなおさら。私自身を、恵美を、二度も死なせたくはない。




 そう思って、家で個人的にイジメを止める方法や教師の干渉の仕方について調べている。でもそうそうパッとくるものがあるわけじゃない。


 第一、ネットに成功しそうな事案が転がってたら、とっくにイジメなんてこの世からなくなってる。しかも繋がるのは、私が中二だった、この世界のネットワーク。ここに来たときには正直携帯どころじゃなくて気にしていなかったけど、持っていた携帯の機種ももちろん今いる過去のもの。


 この頃のってこんなに使いにくかったっけと、母の携帯を思い出してみる。



 ……でもやっぱ、十年も前の、ほんの一欠片の記憶はなかなか蘇ってこない。


 簡単な調べ方などになれてしまっていて、どうやって検索すればうまく調べられるのか、試行錯誤を繰り返している。使いにくさに、心の中で文句を言いながら、あれこれと検索をかけた。



 ちなみに話は変わるが、給料はそこそこ、だった。

 毎月親か誰か分からない人から送られてくる仕送りを除いても、ぎりぎり生活ができるくらい。仕送りの分を含めると、少しばかり生活に余裕があった。


 ……土曜日も部活の練習で休みはないし、それを考えると遊ぶ余裕はあまりないけど。


 でも、初めて勤めた会社がブラックで全然貰えなかった頃と比べたら、だいぶんと貰えてる。



 正直、とても嬉しい。だからその分、仕事も頑張らなきゃって、思える。


 結局はお金かって思われるかもしれないけれど、やりがいだけじゃ心は満たされないのだと身にしみて感じる。


 今は遊ぶ余裕はないと言っても、睡眠時間はそれなりに確保できるし、好きな物を食べに行ったり買い物に行く余裕は十分にある。


 時間とお金と、それからやりがい。バランスがよくないと崩れてしまうことが、改めてわかった気がした。




 窓を見れば、初夏のまばゆい光が差し込んできていて、思わず目を細めた。


 もうすぐ、六月になる。


 つい最近中間テストがみんなの元に返ってきたわけなのだが、中間には含まれていない家庭科の教師である私にテストのことを散々愚痴っていた。もうすでに期末テストの話もしていて、家庭科は優しくしてねなんて言っていたから、ちょっと難しくしてやろうかなんて思ったり。


 中間テスト前のテスト週間には家庭訪問もあったけれど、特に大したことなく終わった。ほんとうに、ある意味全く何事もなく。


 先生たちとの関係も、生徒たちとの関係も、なんとかなんとかうまくやれていて、毎日を楽しく過ごせている。何ヶ月か前の私からは想像しがたいことだ。


 きっと、その時の私に、仕事をやめたあと過去に行って楽しく仕事していると言っても、信じてはもらえないだろう。


 まだ二ヶ月なのに、幸せを感じられて充実している。……充実しているのだけど。


 先に言ったように、私が充実しているだけでは無駄である。



 私と凛月が大きく関わったのはこの一年。十二ヶ月しかない中の、二ヶ月も過ぎてしまったんだ。


 だけどちょうど、もうすぐ大きなイベントがある。中学二年生の、この年は九月に、野外学習という大きなイベントが。その野外学習に向けての一大イベントである班決めが、そろそろあるのである。


 来週の月曜日、学活の時間に行うらしい。詳しくは知らないんだけど、学年で同じ時間に決めるんだとかなんとか。進行は白石先生がやるし、私は適当に生徒たちを宥めて穏便に班決めができるようにしてください、だそうだ。



 記憶にある限り、穏便に……とはいかなかった。多分あれは宥めてどうにかなるレベルじゃないと思う。


 なかなかグループの人数的にうまくいかなくて、誰かが我慢しなくてはいけなくなって。その我慢を、教師である私が押し付けるわけにはいかない。


 私は実際我慢した側で、先生から宥めれるのは絶対、嫌だっただろうし。



 ……だけど一つだけ、私ができることなら口を出したいことがあって。


 それはもちろん、今まさに悩んでいる、凛月と恵美のこと。


 野外学習で、凛月と恵美は同じ班だった。


 女子三人、男子三人で組むこの野外学習の班。女子同士、男子同士で自由に組んだあと、くじ引きで女子と男子をくっつける、という方法をとった。その中で凛月は恵美と一緒がいいと言い、若干嫌そうな顔をする恵美は何も言えず、しぶしぶ同じ班になっていた。


 まだしっかりイジメを認識していた頃じゃなくて軽く流していたから、最近になって思い出したわけなのだが。この班決めから、イジメが酷くなった気がする。


 なんとなく、二人の間に何かがあると気付いたのがこの班決めの後だったから。そしてイジメを目撃して逃げたのも……。

 つまり、できることなら凛月と恵美を同じ班にしたくないわけである。ただ、うまく口出しもできるわけじゃない。


 結局いい案など思いつかないまま、あっという間に月曜日を迎えてしまった。



 班決めのある学活は一時間目。気持ちの重たいまま学校へと向かい、いつもどおり挨拶をしてから席につく。それから軽く身の回りを整えて、教室に行く準備をして。





 「……よしっ」


 小さく呟いてから、私は職員室を出て教室に向かった。いつもよりも少しだけ足取りが重たい。


 きっと、凛月は恵美の手を引く。私は呑気に、恵美は凛月のことあんまり好きじゃないのかな、なんて考えながら、他の友人と二人ペアを組んだ。


 女子は三人ペアを作るには一人足りないから、一組だけ二人ペアになってしまう。それが、私のところだった。できることなら、なんとかして恵美を私と組ませたいんだけど……。




 「あ、坂本先生」


 不意に声をかけられてパッと顔を上げる。もうすぐ教室というところで、その教室から出てきた誰かに声をかけられた。


 見ればすぐそこに“私”が立っていて一瞬焦ったけれど、すぐにそうだと思い出す。


 彼女は中学二年生だった頃の私。私であって私じゃない人。未だに急に現れると、少しだけ焦ってしまう。やっぱり、私自身であることには変わりないし。



 「おはようございます、坂月さん」


 自分で言ってて感じる違和感。自分で、自分に対して、自分の名前を呼ぶなんて。この上ない違和感を振り払って、私はなるべく自然な笑顔を作る。


 それに対して、彼女がふっと笑みを浮かべる。



 「なに、先生、また考え事?」


 彼女はクスクスと笑いながら問いかけてくる。


 「まあ、そんなところです」


 曖昧に答えれば、彼女はさすがなんて言ってまた笑う。どことなく作られた笑みは、きっと今の私そっくりだ。それを見れば見るほど、私って変わってないんだとつくづく思う。


 私は作り笑いがうまいほうだと思ってたけど、客観的に見るとなんとなく感じるその心のこもってなさ。それは、本人である私だからこそ気付くのかもしれないけど。


 彼女は少しだけ考える素振りをしたあと、小さくハッとしてみせる。



 「もしかして、今日の班決めのこと?」


 そう言った彼女の目がわずかに輝いていて、きっと光と桜子と同じ班になれると信じているのだろう。私もそうしてあげたい気持ちは少なからずある。


 だけど、過去のとおりならうまく班が作れなくて、光と席が近い子が光を自分の班にいれて、私と桜子は人数の都合上バラバラに別の班になる。過去のとおりじゃなくても、私は、今の私は、なるべく恵美と組んでほしいと思ってる。


 だから、彼女が彼女の望み通り、光と桜子と一緒になる可能性はないに等しい。



 「それもあります」


 目の前の彼女に申し訳なく思いながら、私はそう答えた。


 「もめると思ってる? 大丈夫だって」


 彼女は自信満々な笑みを浮かべる。


 大丈夫、なんて、自分はクラスを見れてるつもりで、不確かな確信をもって。



 「そう、ですよね」


 なるべく明るい声色で、なるべく明るい返事をする。


 一番の悩みは揉める揉めないじゃなくて、凛月と恵美のこと、なんだけど。できることなら揉めてくれたほうが助かるんだけど。


 私の返事に満足したのか、彼女はじゃあ、と話に区切りをつけてトイレの方へ歩いていった。私はそれを軽く見送ってから、さっさと教室へと入る。



 「先生! おはよう!」


 私が教室に入るなり、凛月が挨拶と同時に飛びつこうとする。けれどすぐ近くにいた夏子に首根っこを掴まれて阻止される。


 加減を知らない凛月に思い切り飛びつかれるのはなかなか辛いし、私は助かったと内心夏子にお礼を言った。



 「凛月ちゃん、頭突きはやめなさい」

 「頭突きじゃないよ〜。抱きつくだけだって」


 お母さんみたいに注意する夏子と、悪びれもなくふにゃりと笑う凛月。いつまでも甘えたな凛月の、お母さんみたいな、お姉さんみたいな、そんな感じだと思う。


 そういえば、凛月は人付き合いが浅いほうなのに、夏子とはかなり仲良くしてたっけ。取り巻きとは違って、夏子とは同じ立場にいる感じがするというか。夏子は凛月にとって特別、なのかな。


 きっと、凛月は夏子と違う班になることはないと思う。どうしても、どうやっても夏子と同じ班になろうとするだろう。みんな、凛月のわがままには強く反論しないし、多分それは大丈夫。


 ならなおさら、恵美と凛月をどうやって離そうか。



 恵美に声をかけるが一番か。でも私は恵美に警戒されているっぽい。


 ならさっき私に声をかけておくべきだったのかな。でも、彼女は大丈夫だって胸を張ってるし、言い出しにくかった。なら、凛月が恵美に声をかける前に、恵美に声をかけようか。多分、凛月はすぐに恵美を自分の班に入れようとは考えないはずだから。



 ……クラスを見れてるほうだと、把握してるほうだと、慢心していたあの頃の私を殴りたい。殴れるかもしれない今は、結局立場の都合上殴れないし。


 ともかく、私は全然、なんにも、知らなかったんだ。自分はわかってるんだと、そういう気になっていただけで。



 凛月がぎゅっと腰に抱きつく。飛びつかれなかったから痛くないし、むしろあたたかい。


 夏子にドヤ顔をする凛月は、私の知ってる凛月とは違う、純粋で可愛らしい女の子。これが、同級生と先生という立場として見えるものの違いなのか、それともあの頃の私が凛月を知らなかっただけか。


 凛月が、笑う。無邪気に笑っている。いつか、最後に見た凛月は、確か、泣いていたっけ。


 成人式の日、恵美の姿はなかったけれど、凛月の姿は見つけた。友人に話しかけられてもぱっとしなくて、どこか暗い表情を浮かべていた。笑うけれど、せっかく綺麗に化粧をしてるのに、笑顔に花が咲かなくて。ずっと、悲しそうな顔をしていて。


 それがどうしてか、私を含め周りが向けている視線のおかげで、そしてその時、その直前に聞いた話のおかげで、嫌でも気付かざるを得なかった。



 凛月のせいで恵美が自殺した。それはきっと、周りから散々責められたはずだ。数年経った今でも、責められ続けている。そしてこの先も、その罪が消えることはなく、きっとどこかに凛月を責める人がいる。


 こんな笑顔をもう見ることはないんだなと、他人事のように思っていた気がする。



 あの時の私は周りと何ら変わりなくて、凛月を責める視線の一つだった。


 恵美へのイジメがなければ、凛月はもっと幸せに笑っていたのだろうか。凛月はもっと楽しいことを見つけて、成人式でも、笑顔に花を咲かせていたのだろうか。


 イジメをした凛月が一番悪いけど、その事実に変わりはないけど、止めなかった周りも、恵美からしたらきっと、凛月となんら変わらない。恵美を見殺しにしたのは、凛月を幸せから遠ざけたのは、気付かなかった、気付いても手を差し伸べることをやめた私や、周りなら。


 私が変えるのは、私と恵美が死を回避する未来だけじゃない。凛月が幸せから遠ざかり泣くだけの未来でもある。


 初めから、変えたかったのは、私が死ぬ未来じゃないんだ。なにもかも見てみぬふりをして、すべて凛月のせいだと言い聞かせた、情けない、中学二年生の、そしてそれを再確認してもなお凛月のせいだと思ってしまった二十歳の、私自身。私自身を、変えたかったんだ。


 ……だから、私は。



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