第三話『思い出す決意』②
遅くなりました。
すでに話は書けているので、これからはちゃんと週一でおやすみでした投稿していきたいと思います。
ジッと見すぎていたのか、不意に彼女がこちらを向いた。私自身に見つめられるのはなんだか気まずいと私が視線をそらす前に、彼女は知らぬふりをした。
確実に目があったのに、目があっていないふり。パチパチと何度かまばたきをしてから、彼女はスッと横目で私を見た。
やっぱり、目があっていた。私が何か考え込んでいることを見抜いていた。けれど、気づかないふりをした。
『後悔、してる?』
そう問いかけてくるのは私自身だ。聞き慣れた私の声が、私に直接語りかけてくる。
後悔なんてもう、数え切れないほどした。同じことに対しても、違うことに対しても、何度も後悔した。
凛月のイジメを見てみぬふりしたのは私だ。見なかったことにしたのは私だ。
今でなくても、いつか、この先、私はこの目で、確かにイジメを目撃したのに。止めるどころか、邪魔するどころか、見てみぬふりをして気付かぬふりをした。
知らぬふりをしてるのは私だけじゃない。みんなきっと気付いてて、それでも知らぬふりをしている。
それを、後悔していた。
三年生になって、二人とはクラスが別れて、勇気を出せなかった悔しさは、いつか虚しさに変わっていった。ずっと、後悔をしていたはずなのに。
どうしたらいいのか、分からなくて。
「……い、坂本先生!」
トンっと肩を叩かれてハッとする。慌ててそちらを見ると、白石先生がまったく、と言いたげな顔をしていた。
「えと……、なんでしょうか」
恐る恐る問いかけると、白石先生はますます頬をふくらませる。
その隣で、碧がクスクスと笑っていた。
「長谷川くんが何か用事があるみたいなんですけど、坂本先生ってば、呼んでるのにも気付かず上の空、なんですから」
まったくもーっと腰に手を当てて怒る白石先生の隣で、碧がまあまあとなだめる。
「そんな、用事というほどの用事でもないですから」
でもわざわざありがとうございますと白石先生にお礼を言ってから、碧は私に本を差し出した。
キョトンとしたまま、その本を受け取る。表紙からして、どうやら剣道についての本らしい。
「先生、剣道のこと知らないだろうし、たまたま持ってたから、貸します。返すのはいつでもいいので」
それだけです、と言った碧に、私はキョトンとしたまま首を傾げた。
「え、いいんですか……?」
見たところ図書館においてある本ではないようだし、完全に碧の私物である。それを借りてしまうのは、なんだか悪い気がした。
だけど碧はそんなこと全然気にしない様子で、「どうぞどうぞ」と笑っている。
「あ、ありがとうございます……。お借りします」
碧の言っていたとおり、私は確かに剣道については詳しくないどころか知らないことばかり。だから、この本は本当にありがたかった。
問題は読む時間があるか、なんだけど。まあ、ちょっとした空き時間に少しずつ読んでいこう。
受け取った本を大事に抱きかかえると、碧は満足げに笑ってみせる。
どうやら用事というのはそれだけだったらしく、用が済んだからかさっさと自分の席の方に戻っていった。
大翔が碧に話しかけているのが見える。
それを見ると、やっぱり、私は周りに目を向けられていなかっただけだと気づかされる。大翔も碧も、あんなに堂々と仲良さげにしていたのに、仲良いなんて知らなかった、なんて。大してちゃんと周りを見ていなかったくせに、私は何を知った気になっていたのか。
「あ、本をもらったんですか?」
私が抱えてるものを見て、白石先生が声をかけてくる。というより、碧とのやり取りを見ていて、だろうが。
「借りただけ、ですけど。剣道についての本を……」
そう言って本をチラッと見せると、白石先生は「顧問ですもんね」と笑いかけてきた。
それから少しだけしてチャイムが鳴った。それを合図に朝の会を始めて、その後授業が始まるまでの間に、本は自分の鞄にしまった。
そのあと、授業までの時間やちょっとした空き時間に本を読み始めた。
私は、二年生の七クラス、一年生だけは八クラスでその半分を受け持つわけだから、合わせて十一クラスを受け持つ。週に一時間ずつとはいえ、授業が全くない日はない。それぞれ一時間、二時間、多いときは三時間入っていたりする。
それに、普通教科担当で忙しい白石先生の代わりにクラスの仕事をこなしたりもする。まだ新人ということで任されるものも多くないけれど、決して少ないとは言い切れない量だ。
それに、新人だし人前で話すのが決して得意というわけではないし、授業の計画を練らないといけない。
そう考えると、意外と忙しい。だけど、その隙間の時間に、なんとか本を読み進めることにした。
授業の準備をして、授業をやって、クラスのこともやって、本を読んで。そんな一日はあっという間に過ぎ去って、気付けば放課後になっていて。
帰りの会の後、職員室に戻り軽く明日の準備を済ませ、部活に顔を出そうと思った時だった。
「あ、私、出席簿を教室に置いてきたかも……。坂本先生、見ませんでした?」
白石先生が、不意に私に話を振ってきた。
しかしながら、私は出席簿は持っていないし、教室にあったかも知らない。てっきり白石先生が持ってくると思っていたから確認はしていなかった。
「見てませんが……。教室にないか、確認してきますね」
私が席を立つと、白石先生はふるふると首を横に振る。
「大丈夫ですよ! 私が確認してきますから!」
そうは言うけれど、軽くとはいえ明日の準備を済ませた私とは違い、白石先生はまだ全然終わっていない様子だ。それに、白石先生ばかりに頼って確認を怠った私も悪い。
「ちゃんと見てなかった私も悪いですし、部活に行くのが少し遅くなるだけでなんの問題もないですから」
私がそう説得すると、渋々ではあったが、白石先生は「ではお願いします」と言ってくれた。
職員室を出て教室へと向かう。早く取りに行こうと、教室に向かう足を早める。
トントンと軽い足取りで階段を登りきって、教室の扉に手をかけたときだった。
「……ほんっと、ムカつく!」
聞き覚えのある声、大嫌いな声に体が硬直した。私が恐れていた声の主がその先にいるために、扉を開ける手がうまく動かない。
冷や汗が背中を伝っていく。どうしようと焦るばかりで、体が動いてくれない。
ガタッと誰かが机にぶつかった。その音でハッとして、私は思い切り扉を開けた。
ガラッと大きな音がして、中にいた人たちがハッとしてこちらを見た。
そこには、転んだように座り込む恵美と、それを囲む凛月たちがいた。
私の姿を見て、凛月が目を見開く。取り巻きたちも、どうしようと焦りお互いに顔を見合わせる。
……そっか、今の私は“先生”だから、みんな私に見つかって焦ってるんだ。
小さく深呼吸をして気持ちを落ち着ける。
「どうか、しましたか?」
私はあくまでも、“凛月が恵美を突き飛ばした”場面を目撃はしていない。だから逃げる、というわけじゃなくて、だからそうだと決めつけることはできない。
もし恵美の口からそうだと言われたら、凛月が認めたら、私は行動を起こすことができる。
……そうだ、私は、だから先生になったのだから。だから先生になりたいと、思ったのだから。でももし誤魔化されたら……?
無言が続いた数秒間が数時間にも感じられた。
そっと、凛月が口を開く。
「あのね、ちょっと話をしててね、それで、恵美ちゃんが机に足を引っかけちゃって」
一生懸命に、言い訳をする。私とは目を合わせずに、おどおどと話す凛月の言葉に、周りもそうなの、と賛同する。
「ね、恵美ちゃん?」
凛月が恵美に話を振る。
恵美の肩がビクッと小さく震えて、それから恐る恐る頷いた。肩の震えも恐る恐る頷くのも、はっきりと分かるほどじゃないけれど、私にはよく分かった。
きっと、つい最近までそちら側の人間だったから。
でも、この空気、私が下手に指摘して凛月を刺激するのはよくない気がする。私はギュッと拳を握りしめた。
「そう、ですか……。それじゃあ、私は出席簿を取りに来ただけなので」
教室の中に入り、教卓の上においてあった出席簿を手にする。それから凛月の方を見ると、凛月は小さく目を見開いてから、さっと目をそらし取り巻きの方を見た。
「あ、あたし、そろそろ帰らないと」
白々しくそう言って、近くにほかられていた鞄を持つ。凛月に合わせて、他の取り巻きもしぶしぶ荷物を持った。
そのまま、そそくさと教室を出て行く。
それを見送ってから、私は恵美へと手を伸ばした。躊躇いながらも、なんとか、手を伸ばした。
けれど、恵美がその手を掴むことはなく、私の方を見ることもなく。
「六木さん、大丈夫ですか?」
私の問いに、ギュッと唇を噛み締めてから、ゆっくりと口を開く。
「大丈夫、です」
声は震えていた、チラッと見えた目には涙をためていた。
私の手は掴まずに、そろそろと立ち上がる。顔を下に向けたまま、自分の荷物を持つ。
……息が、苦しい。このまま、何も言わずに、いるわけには、いかない。
「ねえ、六木さん、さっきなんだけど……」
恵美の肩がピクッと震える。バッと振り返って、私の方を見る。怯えた目で、何かを訴えかけるように。
「大丈夫ですから…っ! 深入りしてこないでください!」
決して大きな声というわけではないけれど、強く強く私を突き放す声と言葉。目にいっぱいの涙をためて、説得力のない言葉で私を突き放した彼女は、教室を飛び出してそのまま帰っていく。
見たことのある表情、聞き覚えのある言葉。ギュッと胸が締め付けられる。
『ほんとに、大丈夫ですから、余計なことをしないでください…!』
私の声が、頭の中で、恵美と同じ言葉を告げる。頭に響く金切り声に、誰かが悲しそうな顔をする。
……ああ、こんな気持ちだったんだ。手を差し伸べた方は、あの表情に隠されていたのは、こんな切ない気持ちだったんだ。
突き放されて気付く、こちら側の気持ち。どんなに善意だと言い張っても、誰かを助けたいという気持ちは自分のため、自分のエゴにすぎない。
だから、その思いを拒絶されたとき、踏みにじられたとき、そんな態度をするならもうどうにでもなってしまえ、なんて思う自分が現れる。
『坂月さんって、とことんサイテー』
『せっかく××が助けようとしたのに、突き放したんだってー』
あの時、彼女が何も言えなかったのは、それを肯定するように涙を流したのは。
私は、先生という立場の人間としてどうすればいいのだろう。生徒の言葉を信じ、疑い、生徒を平等に見なければならない先生という立場で。恵美の言葉から、凛月の言葉から、私は何を考え、どう動けばいいのだろう。
見た真実だけを頼りに、正しく動くためにはどうしたら……。
……違う、そうじゃない。思い出せ、思い出すんだ。“坂月 のぞみ”が、どうして教師の道を選んだのか。中学校の教師になりたいと思ったのか、その道に進むことを決意したのか。
教育学生であるうちに徐々に失ってしまった決意を、思い出すんだ。
私は、きっと、ここでくじけちゃいけない。