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第三話『思い出す決意』①



 罪悪感、劣等感。プラスの感情は簡単にマイナスに変わるくせに、マイナスの感情は全然プラスに変わってくれない。



 『先生なんて、名前だけ。みんな一緒だよ』


 もう随分と聞き慣れたその声が、ニヤニヤと笑いながら私に語りかけてくる。私の胸のうちを知るはずのない彼女が、語りかけてくる。


 私は、そんな彼女の胸のうちを知ってしまっている。知ってしまっているからこそ、悔しくてたまらない。




 ……白石先生は、何も知らなかった。


 生徒のことを必死に知ろうとしていたけれど、知らないことのほうが多かった。


 知らないせいで、先生は後悔して、後悔して。どれだけ、自分を責めたんだろう。自分のせいでと、どれほどの責任を感じたのだろう。



 事が起こったのは白石先生が担任を持った年から二年後で、先生が直接関係しているわけではない。


 けれどきっと先生は、あの時、自分が気付いて止めれていたらと思ったはずだ。そういう、顔をしていた。ひどく後悔をした、悲しそうな顔を。


 思い出すだけでのしかかる罪悪感が、何日も、私を苛む。





 「……学校、行かなきゃ」


 なんとか自分を奮い立たせて、憂鬱な気分のまま学校に向かった。



 数日前から普通の授業が始まった。その際に、私は剣道部の顧問を任されることになった。


 剣道部にはもともともう一人顧問がいたから、私はほとんど名前だけ。部員が多いから、名前だけでももう一人いたほうがいいだろう、ということらしく任されることになった。


 ただ、朝練もなければ顧問一人でも十分やっていけてるものだから、私はちょこっと顔を出す程度だった。





 職員室、白石先生と軽く話して、小出先生に挨拶をして、先に教室に向かった白石先生のあとを追うように教室へ向かう。



 階段の踊り場、窓から見えた運動場の隅。


 堂々と咲き誇っていた桜は、いつの間にやらかなり散っていて、青々とした葉をつけている。木の下には、薄く敷かれた白い花びらの絨毯ができていた。花びらが重なり合って、ところどそろほのかにピンク色に染まっている。



 それを眺めていると、突如近くでパタッとスリッパで歩く音がした。




 「あ、坂本先生、おはようございます」



 私をまっすぐと見て、ニッと笑みを浮かべるのは、中学生の頃にあまり関わったことのなかった長谷川 碧だった。


 下の方から歩いてきて、踊り場にさしかかったところで足を止めている。



 本当にまったくといいほど関わったことがないから、どんな人なのかは分からない。今でさえ、こんな自然に笑う子なんだなと、少し意外に思っている。




 なにしろ中学時代は、私の中で碧に対して不思議な人というイメージが定着していて、話しかけにくい、あまり笑わないような印象があったからだ。




 「おはようございます、長谷川くん」


 名前をつけると、やはり大翔と同じようにキョトンとした。


 でもそれから、ははっと小さく笑う。



 「人の名前覚えるの早いんですね」


 ……ああ、違和感。


 クスクスと笑う碧に、どうしようもない違和感を覚える。



 多分、同い年という理由で、用事があって話しかけるときも、お互いまったく敬語など使わなかったから。だから、こう、敬語で話されるとすごい違和感がある。


 思い返せば碧は先生に対しては敬語を使う人だし、もうこれには慣れるしかないだろうな。



 「……っと、人の名前を覚えるのは得意なんです」


 碧の言葉に、当たり障りのない返事をする。



 嘘は言っていない、はず。得意だと胸を張れるほどてはないかもしれないが、でも人の名前を覚えるのは苦手じゃないし、それなりに覚えられる。


 碧は「さすが」と笑いながら、私の近くまで歩いてくる。


 それを見て私も教室の方へと歩き出すと、その後に続いて碧も階段をのぼり出す。



 相手は生徒だけれど、私のクラスメートでもあるから、無言は気まずかった。それに先生として、無言を貫くのはあまり良くないかもしれない。なにか話すべきなのだろう。



 ……あ、そういえば、普通はこっちの階段は使わないはず、だよね。


 普通は昇降口の真隣にある階段からのぼってくるから、職員室、保健室横の階段は使わないはずだ。



 「あの、長谷川くんは職員室に用事が……?」


 いつの間にやらほとんど真横を歩いていた碧に、恐る恐るといった感じで話しかける。


 碧は少しだけ目を丸くしてから、すぐにニコッと笑みを浮かべた。



 「格技場の鍵を返しに行ってきたんです。水月先生に頼んで、自主練させてもらってるんです」


 自主練、ということは朝練のない部活に所属しているのだろう。朝から自主練だなんて精が出るな、と感心してハッとした。



 「……あれ? 水月先生、ということは長谷川くんってもしかして……」


 チラッと碧を見ると、やっと気付いたか、という顔をしてニコッと笑ってみせる。



 「僕、一応剣道部の部長候補、なんですけどね」


 今度はニヤッと意地悪な顔をした碧に、ついムッとした。顔に出ていたのか、碧はますます楽しそうにクスクスと笑う。


 ……そっか、碧って剣道部の部長だったっけ。


 本当に関わりがなかったし、剣道部にも関心がなかったから忘れていたというか。クラスにも、剣道部は数人しかいないし。



 「覚えてなくて、すみません」


 素直に謝ると、碧はケタケタと笑いながら首を横に振った。


 「謝られると調子狂っちゃいます」


 冗談ですよ、という碧は相変わらず楽しそうで、本当に冗談なんだなと安心した。



 剣道部二年生の名前くらいは覚えないと、いつか怒られそうだ。今はまだ相手が碧だからよかったけど、自分の部活にいるクラスの子がわからないのは、さすがに怒られる。


 ……でも、仕事に空きがある時、余裕がある時に来ればいいって言われてるし。本当に忙しくて、空いてない日に行くとその後が大変だし。


 先生って、大変な仕事だ。




 「あ、坂本先生と長谷川! おはよ!」


 階段を登りきったところで、教室のある方からタカタカと誰かが走ってくる。声やシルエットから察するにそれは大翔で、相変わらず馬鹿でかい声だと頬が緩む。




 「瀬山くん、おはようございます」

 「はよー」


 そのまま大翔に笑いかける隣で、碧が間の抜けた声を出す。



 「ほら! ちゃんと先生の名前覚えたでしょ!」

 「あー、お前人の名前覚えるの苦手だもんな」

 「うるせー。長谷川の名前はわりとすぐ覚えただろ?」

 「読めねーっとかなんとか文句ばっかりだったけど、確かにかなり早く覚えてくれたね」



 私の隣で、私と同じくらいの背丈の男子が仲良さげに話している。



 意外だった。幼馴染としてかなり近くにいた大翔が、碧とそんなに仲良かったなんて。


 知ってるクラスのはずなのに、改めて見ると知らないことばかりだ。近くにいた人のことも、自分に近い話も、知ってるふりをしていただけかもしれない。


 知らないことばかり。知ろうとしなかったことばかり。



 「あ、瀬山くんはそんなに急いでどこに?」


 ふと気になって声をかけると、わいわいと楽しそうに話していたのをぴたっとやめて、ハッとして私の方を見た。


 「部室の鍵! 返し忘れてたから返しに行ってくる!」


 じゃあ、と元気よく軽く手を振りさっさと職員室の方へと走っていく。


 相変わらず、元気なやつだ。



 「うるさいやつ」


 ふっと鼻で笑って、碧は教室の方へ歩いていく。


 ……また、意外な一面。



 今度は私が碧の後を追いかけるようにして歩く。



 教室にはちらほらと人がいて、教室に入ってきた私に遠くから挨拶をしてくれた。せめて声は聞こえるように挨拶し返したけれど、さすがに学生の元気には負けてしまう。



 中学生は思った以上に子供で、幼くて、元気いっぱいで。当時は、中学生は十分大人だって、そんなことを思っていたけれど、こうしてみるとまだまだ子供だ。


 社会にもまだ染まりきれてなくて、性格だってまだどうにか直せる段階で。思ったよりもずっとずっと、子供なんだ。





 「坂本せんせ!」


 感傷に浸っていた私の背を、誰かがパシッと遠慮なく叩いてくる。


 力加減を知らないところやその聞き慣れた声から、無意識のうちに身構える。



 「ああ、山内さん、おはようございます」


 するすると緊張が解けていくのを感じながら、ニッと笑いかける凛月に挨拶をする。


 「先生、おはよう!」


 凛月は挨拶だけすると、満足げに席の方へと歩いていった。


 どうやら随分と気に入られているらしい。といっても、凛月からしたら、無愛想な私と仲良くなって優越感を得たいとか、そういった理由でのお気に入り、だろう。


 きっと、凛月はそういう人だから。



 そこまで思いかけて、少しだけ、ハッとした。


 ……本当に、そうだろうか?


 私は凛月の罪を知っているけれど、悪いところをたくさん知っているけれど、でも、それは。私は凛月の良いところは知らなかったし、イジメをした理由にも興味はなかった。きっと、知らないこともあるはずだ。そのはずなのに、決めつけていた。




 教室の中を見回してみる。見覚えのある光景が目に映る。


 それはよく見覚えがあって、しっかりと記憶に刻まれていて、今でも鮮明に思い出せる光景にそっくりだ。


 “私”は教室の端の方で、桜子と光と話している。私は、周りによく目を向けていたのだろうか。


 まだ二年生になったばかり、一年は始まったばかり。初めて、恵美と同じクラスになったばかりで、イジメられてることを知るのももっとあとで。



 視界の端に恵美が映り込む。一人で本を読みながら、時折凛月の方を気にしているようだった。


 この頃からもうすでに、恵美は“サイン”を出していた。だけど私は気付かなかった。誰も気付こうとはしなかった。


 目に映るものばかりを真実と信じて、そのために都合の悪いことは見てみぬふりをした。




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