第十五話『終わりと、』③
ホームルームもとっとと済ませたあと、白石先生が帰りまでの残り時間で、生徒たちと話すようにと言ってくれた。
周りを取り囲んだ人がすごく残念がっていて、どこに行くのかとかをいろいろ尋ねてくる人もいた。急な知らせに驚きを隠しきれない、といった様子である。
……ただ、二人を除いては。
「そんなことだろうと思った」
碧が寂しそうな笑みを浮かべながら、そんなことを言った。
碧は私がのぞみと同一人物であることを知っている。私がここに来た理由までは知らなくても、きっと長くはいられないことを悟っていたのだろう。
すぐそばで聞いていたのぞみが、キョトンとして首を傾げる。
「え、どうして?」
その問いに碧は困った表情を浮かべた。それから、のぞみになにやらこそこそと耳打ちをした。
碧との距離に、ちょっと、と照れるのぞみだったが、碧の話に小さく驚いた声を上げていた。そうして今度はのぞみからこそこそとなにか話し出す。
そんな二人はさておいて、凛月はやっと自分の番だと私の前に立った。いつものように抱きついてくることなく、まっすぐと私を見つめる。
「先生」
はっきりとした声で私を呼んで、にっこりと笑いかける。
「あたし、先生にいろいろ言いたいことがあるんだけど、きっとぐだぐだになっちゃうし、時間も限られてるし、他の子も待ってるから、一言でまとめて言うね」
凛月の瞳は揺らがず、じっと私を見つめている。以前の凛月とは違う、ただまっすぐな目。
私もつられるように笑顔を浮かべる。それから大きく頷いた。
「坂本先生、ごめんなさい。ありがとう。あたし、先生のこと大好き」
本当に簡潔な言葉。当たり障りのない言葉の羅列だけど、そこにあるいろんな思いを感じて私は思わず頷いた。
ごめんなさいは、イジメのことで悩ませたり迷惑をかけたと思って。ありがとうは自分を止めてくれて。
大好きという言葉に嘘はなかった。嫌われる覚悟でイジメを止めた。嫌われてなんぼだと思っていたのに、凛月は私を嫌いにはならなかった。
「私こそ、ありがとうございます」
それはなにに対してか、はっきりとはわからなかったけど、ただ思ったことを素直に口にした。
凛月はいっぱいに笑みを浮かべて、それから私のそばを離れた。
いろんな人といろんな話をして、最後にのぞみが「そういえば」と呟いた。
「もし戻れたら、家の引き出しを見てほしいの」
こそっと小さな声でそう言った。
どういうことかと首を傾げるも、のぞみは秘密だと言わんばかりに人差し指を唇にあてた。
「先生の家の机の引き出し、ね」
絶対だよ、と念を押したのぞみに、私ははいと言わざるを得なかった。
家の、ということは、実家の自分の部屋の引き出しではなく、一人暮らしの家の引き出しだろうか。
「わかりました」
とりあえず、返事をしておく。どうしてそう念を押すのかはわからないけれど。
家に帰ったら探してみようかな。でももし戻れたらって言ってたから、未来に戻ってから見るべきなのかな。だから、もし戻れたら、なんて言い方をしたのだろうか。
考えているうちに他の子が来て話をする。私はとりあえずそのことは頭の隅においやって、それから他の生徒ともいろいろと話をした。
感謝の気持ちを述べてくれる人が多かった。こんな私に、ありがとうと言ってくれる人がたくさんいた。
お世辞でもただ成り行きで言った台詞でもなんでもいい。ただその言葉が嬉しかった。
最後にみんな席に戻って、本当に最後のさようならをした。このクラスにいられるのは、こうしてみんなの顔を見られるのは最後なんだと、その光景を目に焼き付けて噛みしめる。
未来に戻れたとしても、このメンバー全員で集まることはもうできない。笑顔の恵美を見ながらそんなことを思って、泣きそうになった。
職員室に戻ってからは、やることを済ませてしまい、それから先生方に一度軽い挨拶をした。
職員室を出る間際、深々とお辞儀をした際にまた涙が流れ出して、小出先生に笑われた。そんな小出先生も、目に涙を浮かべていたけれど。
目をこすって涙をこらえて、霞む視界をなんとか見れるものにして、車で自宅へと向かった。
どうせやることもないからと、いち早く帰ってきてしまったことが、今さら悔しく思えた。もう少しのんびりしていけばよかったと、少し後悔する。
部屋に入るとどっと疲れが押し寄せてきた。なんだか眠気も感じて、倒れるように床に寝そべる。
いつか、こうしてふらふらと床に寝そべったことがあった気がする。あれは人生な絶望して、死に急いだときだったかな。一年前の出来事が遠い昔のように感じられる。
急な眠気が襲ってきて、ゆっくりとまぶたを閉じる。視界がぼやけてきて、体が動かなくなっていく。
ぼんやりとした視界の中、私は真っ白の天井を見上げて涙を流していた。
そうして、意識を手放した。
*
頭ががんがんと重たくて、左の手首がずきずきと痛んだ。そのせいで目が覚めたと言っても過言ではなく、私はゆっくりと目を開けた。
体は重たかったけど、なんとかピクリと指先が動く。それをきっかけに金縛りが溶けたみたいに、重たい体が動くようになった。
起き上がった流れで左手首を見ると、痛々しい深い傷がしっかりと刻まれていた。視界の隅には、床に広がる赤い血が見えた。
ふわあ、とのんきに一つあくびをしてから立ち上がり、私はふらふらとおぼつかない足取りで洗面台に向かった。
まず顔を洗って、左手首を軽く流す。鏡にはくまの酷い寝ぼけた顔が映っていた。髪はぼさぼさで、このままではとても人前には出れない。
流れ作業のように自然と左手首を自分で手当しながら、私はここしばらく見ていた夢のことを思い出した。
記憶に新しく鮮明に残されたそれを思い出すのは容易かった。少し思えばあれこれと勝手に蘇ってくる。
……あれは、夢ではなかった。
左手をかばいながら、軽くシャワーを浴びた。倒れる前に着ていたらしいスーツは今度クリーニングに持っていくことにして、私は記憶を確かにラフな大学時代の服に着替えた。外に出れる格好に整えたあと、私はふとのぞみの言葉を思い出した。
机の引き出し。いくつか候補がある中、とりあえず順番に開けてみる。しかしなにも見つからない。
どういうことかと疑問に思いながら、私は引き出しの中身をひっくり返しながら、中を確認した。乱雑にしたせいで、すぐに床に物が散らばる。片付けなければ、とやることが増える。
やがて、引き出しの奥のほうに、見覚えのない一通の手紙を見つけた。わずかに年季の入ったその手紙には、よく見覚えのある字で宛名が書かれている。
未来の私、坂本美希先生へ、と。
中身が気になったけれど、開けようとしたときにお腹がぐうと音を立てた。
冷蔵庫にはなにか入っていただろうか。せっかくだし、コンビニにでも行ってなにか買ってこようかな。少しなら、お金もあるはずだし。
くすくすと笑いながら財布を手にとって、ついでにスマホを手に持った。ふいに電源をつけてみると、自殺を図った日から一週間も経っていて、充電は残りわずかであった。
仕方ない、と充電器につないだところで、今度はスマホの画面が電話がかかってきたことを知らせた。
「もしもし、」
名前を見ずに反射的にとる。久々に声を出したためか、かすれて小さな声しか出なかった。
「のぞみ! やっと電話繋がった! もう、心配したんだから!」
電話の向こうで、懐かしい声がきゃあきゃあと騒いでいる。
「光……?」
名前を呼ぶと、電話越しでも大きく頷いているのがわかった。
珍しくハイテンションな光に、私は少し困惑を隠しきれない。
そんな私に構わず、光は話をし始める。
「一週間も音信不通で、しかも噂で電話かけた日に仕事を辞めたなんて聞いてさ。最近ののぞみの様子見てたら嫌な予感しちゃって。今もう電話つながっただけで安心しちゃって、涙出てきたんだけど」
どうしてくれるのよ、と強気で笑うのは、確かに光だ。私のことを心配してくれているのも、私のために不安になってしまっていたのも、光だ。
だんだんと光の声が震えてきたのがわかって、余計に申し訳なくなった。罪悪感が心に重くのしかかる。
「うん、ごめんね。ちょっと自分探ししてた」
あながち間違ってない答えに、光はなにそれとムスッとした声。変わってないその反応に、思わずくすっと笑みをこぼす。
「ああ、そうだ。中学の同窓会の話、聞いた? まだ確定はしてないんだけどさ、もうすぐやる予定らしい。山内さんは来ないみたいだけどね」
同窓会の話なんて、今初めて聞いた。
ふいに頭に思い浮かんだのは、私を先生として受け入れてくれたみんなだった。彼らと私の同級生では、同じ人のようで別人だけど、それでも今はみんなに合わせる顔がない。
まだ情けない私のまま、へらへらと会うわけにはいかない。凛月にも、恵美にも合わせる顔がない。もちろん、みんなにも。
「私も、不参加かな」
「えっ、なんで?」
純粋な疑問をぶつけてくる光。わずかな時間で必死に思考を巡らせ言い訳を考える。
「ほら、私、今無職で恥ずかしいからさ、せめて再就職してから顔出そうかなと思って、」
「あー、なるほどね」
なんとか言い訳すると、光は納得してくれた。それから少し考えてから、光が口を開く。
「なら私も不参加かなー。桜子と三人で会わない? それなら同窓会よりか気を遣わないでしょ」
「え、でも……」
「話、聞くから」
光や桜子とも会えないと思い言葉を濁すと、光はそれを遮るようにそう言った。
仕事を辞めた理由も、愚痴もまだ誰にも言ってない。それでも一度会ったとき、異様な様子に気をかけてくれた光と桜子。それを覚えてるから、話を聞くなんて言ってくれたのだろう。また私が一人溜め込まないように。
「そう、だね。会おう」
嬉しくてそう答えた。少しくらい、人を頼ったっていいだろう。
光は大体の日だけ伝えて、それから電話を切った。ホーム画面に戻ったスマホをしばらく眺めてから、私は充電器につながってることを改めて確認してから机においた。
それから家を出て鍵をかける。久々の外の、それも昼間の空気はとてもおいしい。
「んー、いい天気」
空を見上げてそんなことを呟いた。ぐっと伸びをしてからコンビニに向かって歩き出した。
ここから、私はまた変わらなきゃ。前に進まなきゃ。
いつか、恵美に顔を合わせられるように。凛月と面と向かって話せるように。白石先生に謝れるように。
これは、神様がくれたチャンスと一時の夢。その夢はこれからもきっと私の背中を押してくれる。私の自信につながる。
だから、前を向け。
私は今、私の生きるべき場所で生きているのだから、せいいっぱい、生きるんだ。もう二度と、取り返しのつかないことに後悔することがないように、それが足枷とならぬように。
これにて本編完結となります。
あと一つ、番外編を投稿してこのお話はおしまいです。
最後までお付き合いください。




