第十五話『終わりと、』②
学校について、今日は話があるから指定の時間に職員室にいるようにと、校長先生からの説明があった。白石先生も小出先生もどうしたんだろうね、と話していて、白石先生はそのまま教室に向かってしまった。
時間までには、白石先生も職員室に戻ってきて、他の先生も集まりいつにない賑わいを見せていた。
「みなさん、おはようございます」
校長先生が、挨拶をする。スッと職員室内が静かになって、ばらばらと挨拶が返される。私も一緒になって、挨拶を返す。
ごほん、と咳払いした校長先生が、寂しそうな笑みを浮かべた。
「話というのがですね、急ではありますが、終業式に離任式をやりますので、その報告です。それと、その日に離任される先生を先に紹介しておきたくてですね」
校長先生が、ちらっと私を見た。なんとなく察して、勢いのまま席を立ち上がる。
注目が集まって、その離任する先生が私であることを察した他の先生方が、表情を曇らせた。それは、寂しそうにも見えた。
「今年から来てくれていた坂本美希先生。急遽他県に引っ越すことになったらしく、一度退職することになりました。人事異動などではなく、他県に引っ越されるため、離任式を終業式に行うことにしました」
校長先生に説明され、ぺこりと頭を下げた。そのままそっと席に座ると、周りからの視線がちくちくと刺さった。
校長先生はそれで話を切り上げてしまい、解散の声をかけた。私は教室に向かう白石先生のあとを追いかけて、足早に職員室をあとにした。
「……先生、」
白石先生が、私に声をかける。私はキョトンとして首を傾げた。
「あともう少し、よろしくお願いします。ほんとに少ししかありませんが、思い出たくさん作りましょうね!」
「……はい!」
明るく笑った白石先生に、私はつられるように返事をした。その直後、白石先生がほんの少し悲しそうな顔をして、胸が締め付けられた。
言ってもよいのかわからず黙っていたことが申し訳なくなる。知っていれば、白石先生はきっとなにか企画を考えてくれたかもしれない。今は、その時間すらないことを悔やんでいるかもしれない。
教室に入る直前、白石先生は深呼吸をして、いつもの明るい笑みを浮かべてから扉を開けた。
ふいに、思った。いつも笑顔だった白石先生は、その笑顔の向こうでなにを思っていたんだろうと。悲しそうな笑顔は、成人式の日に見た一度きり。でも、私が知らないだけで、きっと私の担任をしてたときだって、いろんなことに悩んで、いろんなことを考えてきたはずだ。
イジメのこと、なんとなくなにかを感じ取ってる発言をしたこともあった。白石先生はその上で、その笑顔の裏になにを隠していたんだろう。
私は、知ろうともしなかったな。
白石先生のあとを追って教室に入る。みんなの顔を見て泣きそうになったのをなんとかこらえて、頑張って笑顔をつくった。
それからはあっという間で。凛月と夏子、そしてのぞみと恵美、光と桜子がそれぞれ楽しそうにしているのを眺めて微笑ましく思っているうちに、最後の日はきてしまった。
思い出をたくさん作ると言っても、いつもと変わりなく何気ない日々が流れていった。ただそれが、確かに私の思い出となっていく。
終業式は、それを思い出して、まだなにともお別れなんてしてないのに、それだけでなんだか悲しくなった。
泣きそうなのを必死にこらえていると、白石先生がちょっぴり困った顔をしながら宥めてくれた。そのおかげでなんとか泣かずに、涙を飲み込むことができた。
白石先生が朝の連絡を済ませ、生徒が並んで体育館へ向かう。どこか明るいのぞみの横顔を見るたびに、つくづく彼女は私と同じようで違う人物であることを実感する。
以前、のぞみは私と自分の関係を姉妹みたいだと言った。物語のように未来の自分が現れているのに、同一人物なのに、その私を姉だと言った。今なら、私もまったく同じ意見である。
前から同じようで違うと思っていた。でもどこかでそれは私の過去と、のぞみの今が変わったから、同じ時を別の生き方で進んだからだと思っていた。もしかしたら、根本的に、のぞみと私はなにかが違って、でも同じだったのかもしれない。
もし、私がのぞみだったら、私が後悔しないようにと助言したあの日、恵美を助けるためイジメを止めに行くことができただろうか。あそこで、勇気を出して止めに入れていただろうか。はっきり言って、わからない。
でも、多分、彼女なら、私の目の前にいるこの坂月のぞみなら、きっとこの先ももう大丈夫。
安堵した息をつくと、ますます、ここにとどまる理由がなくなったことがわかって悲しくなった。
体育館の隅から、終業式の校長先生の長話を聞く。こっくりこっくりと眠りそうになっている人がよくわかる位置から、体育館の中を見渡した。
すっかり見慣れてしまった、見慣れるはずのなかった景色。この先、似たような景色を見ることができるか、できないかはわからないけど、とにかく見納めておこうと、私は体育館の中をぐるりと見渡していた。
校長先生が話を終えて礼をして、ポケットに紙があることをしっかりと確認した。今日話すことを書いた紙は、ちゃんとポケットの中におさまっている。
「では続いて、臨時で離任式を行います」
ざわっ、と少し騒がしくなる。離任式については先生が教室で話したはずだから、おそらく聞いてなかった人たちだろう。
教頭先生にこちらへと合図されて動き出すと、生徒たちの視線が私へと集まってきた。緊張が走ってドキドキと心臓がうるさくなっていく。
「では今回離任される先生について、校長先生から紹介していただきます」
教頭先生の言葉で、壇上に上がった私について校長先生が説明してくれる。それから挨拶をするように促され、校長先生の立ち去った演台の前に立つ。
いよいよ、最後のときが来たのかと嫌でも実感させられる。
「えっと、話すことをまとめてきたんですけど、いざここに立つとなかなかどう話したらいいかわかんなくなりますね」
演台の上に紙を広げながら、書かれてもいないことをぽつりとこぼす。
当たり障りのない言葉から始めようと意識して、空振った感じが否めない。けれど、ちらほらと笑いそうな人を見つけて、私も思わず笑みを浮かべた。
それから、こほんと咳払いをして、箇条書きにされた文を見下ろした。
「思い出話をしたいとこですが、一年しかいなかったし、関わりのなかった人もいるでしょうから、みなさんに向けたお話を少ししたいと思います。……みなさんは、人生において、ちょっと不思議な体験をしたことはありませんか?」
よく離任式で聞く、長々としたそれなのに面白い思い出話ができる自信はなかった。話にだいぶ偏りがでてしまうし、面白くできる自信がない。それならきっとはじめから、伝えたいことを伝えるだけにすればいいと思ったのだ。
不思議な体験について問えば、こそこそと周りと話し出す生徒がよく目立った。きょとんとして首を傾げる人も、ないなと首を横に振る人も、わずかに共感するように頷く人もいた。
私はそれには構わず、話を続ける。
「私はあります。不思議な経験も、不思議な縁に巡り合わせたことも。私にとってそれは、ただ不思議な縁というわけではなく、自分を変えるチャンスでもありました」
不思議な経験というのも、不思議な縁というのも、すべてこの世界でのことである。タイムスリップなんてしたこと、自分自身に出会ったこと、そしてそれらが自分を変えるチャンスであったこと。
たった一年の出来事のはずなのに、はじめから思い出してみると実に長く感じられる。あっという間で、でも色濃く長い思い出が、頭の中を流れていく。
「みなさんにも、きっとそういった縁に巡り合わせることが、今の自分を変えるチャンスがあると思います。どうか、なにもしないままでいるのではなく、そのチャンスを掴んでください」
運命を変えるために動き出すことが決められた運命だったとしても、やらないよりはやったほうがいい。なにもしないよりは、動き出したほうがいい。
どちらのほうがもしものときに後悔をしないかと問われるとわかりかねるけど、それでも私は、目の前にチャンスがあるのなら手を伸ばすべきだと思う。
動かなかったが故の後悔は、今後の人生において足枷となって、また動けなくなっていく。動こうともしなくなってしまう。
「私は、そのチャンスをちゃんとつかめたかはわかりませんが、でも、少なくとも今を全力で生きていきたいと思えました。その少し前までは、生きているのすら辛かったんです。暗い話になるので、これについては詳しくは触れませんが。ただ、チャンスに手を伸ばして、掴もうとして、掴んで、生きたいと思えるようになりました。だから、チャンスを逃さないでほしい」
すべて、本音だ。隠すべき話しは隠したけれど、それでも生きようと思えたことは確かだ。
この先、自分のいる未来へ戻るか、死んでいて成仏するかはわからない。けれどこうして息をしている今だけでも、精一杯生きていたいと、そう思うのだ。
私でもそういうふうに、変われたのだから、できるだけみんなにもチャンスを逃さないでほしかった。
ひと呼吸おいて、伝えたかった最後の言葉の余韻に浸る。それから深呼吸をして、さらに話を続ける。
生徒たちの視線が、気づけば一身に降り注いでいた。
「……最後に一つ、伝えておきたいことがあります。ここにいらっしゃる先生方には、必ずあなたを助けてくれる人がいます。だから、一人じゃどうしようもないときは、先生方を頼ってください。これは綺麗事ではなく本当のことです。本当に、味方だから」
私は、知らなかったけれど。私は、気づかなかったけれど。自分の時間を割いてまで、生徒のために尽くしてくれる先生がちゃんといる。
頼りすぎもだめだけど、どうかせめていつまでも自分で抱え込むことがないように。
あの頃の私に、言ってあげたい。この先ずっと後悔するくらいなら、白石先生に自分が見たことをそのまま話せばいいと。
先生なんてどうせ、イジメを解決できないはずだと、イジメの事実を知っても隠蔽でもするはずだと、勝手に決めつけていた。でも、そうじゃない先生たちがいることを知った。私も、そうなりたいと思った。
これだけの言葉でどれだけの人に伝わったかはわからないけれど、言いたいことを言えてすっきりとした。ちゃんとまとめてきてよかったと思った。
「短い間でしたが、本当にお世話になりました。また、会う日まで」
また会う日がきっと訪れないだろうということはわかっていた。けれど、そう言わずにはいられなかった。
またいつか、会えたなら、どこかで会うことができたなら。そう思う気持ちがおさえられない。
涙がこぼれそうなのをこらえて、最後に一つ深々と頭を下げる。感謝の気持ちを込めて、ただただ頭を下げた。
顔を上げる。用意されていた椅子のほうへ戻る。
その後、花束の贈呈があって、予想外にも恵美が登壇してきた。
「先生たちに頼み込んで、どうしてもやりたいという山内さんに変わってもらったんです」
不思議な顔をしていた私に、恵美はそう言って笑ってみせた。
成長したでしょ、と笑うのは、凛月に対して恐れず自分の気持ちを伝えたことに関してか。恵美が笑顔だということは、揉めることもなく解決して、恵美は凛月にその役を譲ってもらえたのだろう。
「先生は私の恩人ですから」
思わず、涙がこぼれそうになった。なんとかこらえようとしたけどこらえきれなくて、ぽろりと涙が落ちる。
教頭先生の声かけで恵美から花束を渡され、それを受け取ると、いよいよ涙がこらえきれなくなる。恵美はそんな私を慰めるようにそっと抱きしめて、ぽんぽんと背中を優しくさすってくれた。
そのあと、恵美が降壇して、私も少しあとから降壇した。そのまま体育館にとどまることなく、生徒たちからの拍手の中、校長先生に案内され職員室のほうへと戻った。
校長先生が花びらがこぼれてもいいように、私の机に新聞紙を敷いてくれた。コツコツと私物を持ち帰りすっかり殺風景になった机の上に、受け取った花束をおいた。
生徒たちが教室に戻ってから、白石先生と一緒に教室に戻った。それからまず挨拶をと、白石先生に無茶振りされた。
でもよくよく考えれば、クラスのみんなには一年しっかりお世話になったわけだから、挨拶をするのは当たり前だ。
「坂本先生からみなさんに、一言お願いします」
ふふっと笑った白石先生にこくんと頷いて、私は教卓の前に立った。
「……えっと、改めて一年間ありがとうございました。当たり障りのないことしか言えませんが、でも逆にみなさんと過ごした日は、言葉にできないくらい楽しくて幸せでした。ほんとにありがとうございました!」
はっきりと、明るい声でそう言った。もう花をもらうときに泣いたから、さすがにここでは泣かないと決めていた。
拍手は、いつか聞いたときよりもずっと大きくて、それは別れを惜しむようにも聞こえた。どうしてか、ちょっと泣きそうな人までいて、それにもらい泣きしそうになった。




