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第十五話『終わりと、』①



 ホワイトデー前の日曜日、暇があるうちにお返しのお菓子を買ってこようと、適当な服を着て家を出る。適当な服といっても、人前には出れるような着やすいワンピース。昔よりはちゃんとしている。


 近くにスーパーがあったはずだし、たまにはのんびり歩いていこうかと、最低限の荷物だけ持ってエントランスまで降りた。




 そこに、当たり前のように立っていたのは、のぞみだった。私に気づくと、のぞみはひらひらと手を振りながら近づいてくる。



 「坂月さん、どうしてここに?」


 驚いて問いかけると、のぞみはニッと笑みを浮かべる。


 「遊びに来たの。わたしなら、ホワイトデーに渡すお菓子は、今日買いに行くかなと思って」



 つまり、私が今日出かけるだろうと予想して来たわけだ。ほんとに今日行くかもわからなかったのに。


 だけど、ほんとに私は今日買いに行こうとしていたわけで、ただの予想というよりは、本人だからわかるというたちの悪い勘のように感じる。



 「そのとおり、今から買いに行きます」

 「やっぱり。じゃあ、ついてく」


 ついてくるな、というオーラを出して歩き出したつもりだったのに、のぞみは気にせず私の隣に並ぶ。それが当たり前のように。


 帰ってください、と口に出しても、のぞみは一向に帰ろうとしない。なんとなくわかりきっていたことだが、むしろ潔い。


 仕方なくもうなにか言うのをやめて、のぞみのことは気にせずスーパーのほうへと歩いていく。



 スーパーについてから、ホワイトデーのチョコやクッキーの置かれたコーナーを回る。ホワイトデーらしく白い包装のクッキーが、なんだか白石先生っぽい気がして手に取る。


 今日は白石先生の分だけ買っていく予定だ。碧や凛月の分は、食べ物とは別に考えている。



 私が一つを手にとって悩むのを横で見ていたのぞみが、ふいに口を出す。



 「それは白石先生の分とか?」

 「よくわかりましたね」

 「なんとなく、勘だよ」


 ピタリと当てたのに対して驚くと、のぞみはケタケタと笑いながらそう答えた。



 白くてふわふわと可愛らしいデザインの包装紙に、可愛らしい形のクッキー。それから、私がバレンタインデーに誰にチョコをもらったのかと消去法で考えれば、それが白石先生への物だと簡単にわかるかもしれない。



 やはりそれにしようと決めて、ついでになにかしら買うものがないかと店内を歩き回る。


 適当な場所で立ち止まり品物を見ていた私に、のぞみは意を決した様子で口を開く。




 「先生、わたしね、教師になろうと思うの」


 思わず、商品に伸ばした手を止めた。驚いて、ちょっと慌ててのぞみを見る。


 のぞみは私のほうを見ないまま、ちょっと視線を落として、どこかを見つめながら言葉を続ける。



 「坂本先生とか、白石先生とか、いろんな先生を見ていて考えた。反対はしないでね。もう決めたことだから」



 私が、自分の歩んできた人生は大変だからすすめない、と言うのをわかっていたかのように、反対するなと念を押したのぞみ。



 私も別に反対するつもりはなかったんだけど、思わずコクコクと頷いた。決めたことと言うのなら、教師として応援する他にない。


 ただ、一つだけ。


 「大変、ですよ」

 「うん、でも、きっと大丈夫」



 それ相応に大変な思いはしたからこそ、それだけは伝えておきたかった。教師になるのも、なってからも、大変だと思うことは尽きない。それだけは、知っていてほしい。


 それでいて、私のように途中で諦めないでほしいとも願ってしまう。



 のぞみははっきりと断言はしなかったけれど、大丈夫だという言葉を使った。あなたとは違うと一線置かれているようで、信じてほしいとも言われているようだ。


 たしかに、私とのぞみは違う。今を乗り越えたのぞみなら、この先もきっと乗り越えていける。



 私がそうですか、と笑うと、のぞみはコクっと頷いてから私のほうを向いた。



 「先生は、今年で終わりかな? もう、会えないね」


 私をまっすぐと見る目。驚いてのぞみを見つめるけど、その目はブレずに私を捉えている。


 「そう、ですね。坂月さんは、わかってるんですね」


 誤魔化そうか迷ったけれど、それが意味がない気がして、私は素直に認めることにした。


 のぞみは私の言葉に、コクンと頷いた。それから私を見て、ニコリと優しく笑いかける。



 「そりゃ、ちゃんと後悔していた過去を変えることができたんだもん。先生がいつまでもここに留まってる理由はない」



 のぞみの、言うとおりだ。私はずっと、イジメを見てみぬふりをした過去を悔やんでいた。後悔していた。その過去を変えられて、のぞみは恵美に手を差し伸べた。



 私がここに留まりたい理由に、私が自殺を図る以前のものはない。ただ、のぞみたちと離れたくないと、ここに来てからそう思ってしまったから、留まりたいと願うだけ。



 ……ああ、あんなにかえりたがっていたのに、今さらこの場所に留まりたくなってしまった。


 でも、私は本来ここにいるべき存在じゃない。この時間に、二十四歳の坂月のぞみは、坂本美希という名の教師は存在しない。私は、かえらなきゃいけない。


 改めて考えると本当に寂しくなって、胸がギュッと締め付けられるようだった。



 ちらっとのぞみを横目で見ると、のぞみは品物をまじまじと眺めていた。一人感傷に浸っていたことがちょっとだけ恥ずかしくなって、私も同じように品物を眺めた。


 ふいにのぞみが、ハッと口元に手を当てて、それから私のほうを向いた。



 「あ、そうだ、生徒にもなにかもらったんじゃないの? なにを返すの?」


 これは勘が鋭いというか、はたまたもらったことを知っていたのか。碧と大翔は仲良しで、大翔とのぞみが幼なじみなら、のぞみに話がいっていてもおかしくない。凛月からもらったことは知らないとして。


 私は少し考える素振りをしてから答える。



 「……手紙に、しようかなと。そう思ってもう用意はしてるんです」


 手紙なら、以前もらったお返しだのなんだの言えばいいかなと思った。他の物と違って、贔屓だなんだと言われにくいかと思った。


 それで、手紙はちゃんと書いて用意していた。渡すのも、もう直接渡せばいいと思っていた。



 それにはのぞみも納得したらしく、たしかにと呟いた。その次に、いいこと思いついたと呟く。


 「わたしから渡しておこうか? そのほうがいいでしょ」

 「お願いします」



 のぞみの言うとおり、教師である私からよりも生徒同士ののぞみから渡してもらったほうがいい。


 なんでのぞみから渡すのか聞かれても、彼女ならなにかしら言い訳してくれるはず。言い訳は、わりと得意なほうだから。



 そう考えて、私はのぞみの提案を素直に受け入れた。のぞみも任せて、と胸をトンッと叩いた。



 「誰に渡せばいい?」

 「長谷川くんと、凛月さんです」

 「げっ、凛月ちゃんか」


 凛月の名前を出したときの反応は予想できた。なにしろこの頃の私は凛月が苦手、いや嫌いだったから。


 だから気持ちはわかるし、そこを無理に渡せというわけにもいかない。


 「……無理なら、自分で渡します」


 大丈夫です、と言うと、のぞみはふるふると首を横に振った。



 「無理でもダメでもないよ。ただちょっと、久しぶりに話すからさ」


 目をそらしたまま、のぞみはえへへと笑った。どこか緊張した笑みだ。



 だけど、私はのぞみに手紙を託すことにした。



 帰り道、歩きながら適当な話をする。それから、家についてから手紙を持ってきて、のぞみに渡した。




 ホワイトデー当日、のぞみからこっそり手紙を渡したという報告を受けた。二人からも、お礼を言われた。


 改めて、手紙なんて渡したのがちょっと恥ずかしくなったりした。けど、喜んでもらえたならよかったかな。



 「あ、白石先生」


 放課後、席に座った白石先生に、慌てて声をかけた。


 このあとどこか別の場所に行ってしまうかもしれないしと、バレンタインデーのお返しを持ってすぐそばによる。



 白石先生は私のほうを見て、ふと首を傾げた。


 「これ、先月のお返しです」


 小さな紙袋に入れたそれを白石先生に押し付けると、白石先生は反射的にそれを受け取った。それからそっと中身を見てわっと声を上げる。


 目をキラキラとさせて、ゆっくりと口角があがるのを見て、喜んでもらえたかな、と私も笑みを浮かべる。



 「ありがとうございます! クッキー好きなので嬉しいです」


 にっこりと笑みを浮かべる白石先生。優しい笑みにこちらまで笑顔になる。



 どういたしまして、と笑うと、白石先生はさらに眩しい笑顔を浮かべた。私とは比べ物にならないくらい、明るくて優しい笑顔を浮かべていた。


 私は、そんな白石先生の笑顔が大好きだった。先生のことは信用してなかったあのときも、白石先生の笑顔は好きだった。



 「坂本先生、」


 ニコニコと笑い合っていた私たちの間に入るように、校長先生が遠慮気味に私の名前を呼んだ。


 そちらを向けば校長先生がこっちに来いという仕草をするので、私は白石先生に一言断ってから校長先生についていった。職員室を出て、ほとんど人通りのない廊下で、校長先生が振り返る。



 「すみません、お話されていたのに」

 「あ、いえ、大丈夫です。あの、それで、なにか……?」


 大して気にしていないのに謝られ、慌てて言葉を詰まらせた。


 「ああ。離任式についてで、坂本先生は他県に引っ越されますし、終業式に行おうかと思いまして。そのため、離任式でなにか生徒に挨拶をしてほしくてですね」


 離任式、挨拶。並べられた言葉に、じわりと実感がわいてくる。


 他県に引っ越して一度退職する先生が、終業式に離任式をしていたかは覚えていない。けど、そこは特別なのかな。



 「今日、考えて、きます」


 答えた声が震えた。それは、きっと、その事実を受け入れたくないと思ってしまっているからだろう。



 よろしくお願いします、と軽く頭を下げて職員室に戻っていく校長先生を見送りながら、私はうつむいて唇を噛み締めた。



 いよいよ、終わりが近づいてきた。それをひしひしと感じて、胸をぎゅっと締めつける気持ちが喉元までせり上がってくる。こぼれ落ちそうなのをなんとかこらえて、息とともに飲みこんだ。


 わかっていた。あるべき場所に帰らなくてはならないことなんて、とっくの昔から。それでも、たった一年でもともに過ごしてした生徒と別れるのが、優しい先生方と別れるのが、今は辛くてたまらない。


 過去に未練があるからではなく。彼らが自分が知っている人たちだからというわけではなく。ただ、先生として、生徒と、同僚と別れるのが悲しいのだ。もう二度と会えないというのが、悲しいのだ。



 たとえ未来に戻れたとしても、未来の彼らと、この一年私の生徒だった彼らは、同じ人ででも違う人物だ。だから、この先が私が会いたいと願っても、私が会いたい彼らとは会えない。


 ぐちゃぐちゃになりかけた気持ちをなんとか整えて、私も職員室に戻った。



 なんの話をしていたのかと問う白石先生に、適当に誤魔化すのすら辛かった。




 家に帰ってから、淡々と持ち帰った仕事を終わらせ、紙に文章を書き留めていく。何を伝えたいのか、そのまま書かなくても、ある程度はまとめておいたほうがいい。


 シャーペンを持ってさらさらと当たり障りのない文が書かれていく紙に、ぽたりと雫が落ちてシミをつくる。気づけば、涙が頬を伝っていた。



 泣いているのか、と気づいてからはもう止まらなくて、涙がぽろぽろとまぶたから溢れていく。こらえようにもこらえきれず、嗚咽もこぼれ始める。


 なんとか話したいことを書き出した紙は、涙のせいで文字が滲んでいた。



 翌朝になって見れば、濡れたところはかわいていて文字を読むことができた。あとは、どれから話すか、また話す内容を削っていくだけだ。ある程度話す内容を決めておけば、あとはなんとか話すことができるはず。



 深呼吸をして、泣きたい気持ちを抑え込んで、学校に行く準備を整えて家を出た。



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