第二話『白石先生と、私』①
*
『光、桜子、久しぶり』
手を振ると、彼女たちも笑って手を振ってくれた。そうして、私の方へと駆け寄ってきてくれる。
ニコニコと笑い、久しぶりとか、懐かしいねとか言ってはしゃぐ二人をよそに、私はもう一度周りを見回してから、彼女たちに尋ねた。
『六木さんは、やっぱり中学の方には来なかったんだね』
率直に問えば、光が大きく目を見開いて、ぱっと桜子の方を見た。桜子も光の方を見て、ふるふると首を横に振っている。二人とも、時間をかけておめかししたのが台無しになるくらいに、驚いている。
そんなに変なことを言っただろうか。ただ、成人式後の同窓会のようなものに、イジメられっ子だったあの子は来てないよねと、イジメっ子に会いに来たくないかと、そう言いたかっただけ。せっかくの成人式だし、久々に少し話でもしたかったと、そう言いたかっただけ。
話をしないにしろ、顔を合わせるくらい…。
『のぞみ、聞いてないの……?』
桜子が、おそるおそる問いかけてくる。本当におそるおそる、壊れ物に触れるように慎重に。
『え、聞いてないって、何の話?』
話が読めなくて、私は首を傾げる。なんのことかと少し考えては見たけれど、考えてもわかる気はせず、私は素直にそう聞き返した。
桜子が、光の方に助けを求めるような視線を向けた。それに気付いた光が、嫌そうに顔を歪めて、仕方ないとため息をついた。
『六木さん、亡くなったんだって』
ガツンと、鈍器で頭を殴られたような感覚がした。視界が揺れて、目の前がチカチカとして目眩がして、立っているのもやっとのようで。
にわかには信じられない話に、私は『は?』と聞き返す。
光は、本当に知らなかったんだ、と驚いて、それから話を続けた。
『六木さん、高校一年生の冬に自殺したんだって』
高校一年生なんて、もう、四年も前なのに、私はそんなこと、何も聞いていない。噂すら、それをにおわす話すら聞いたことがない。
『なんで、自殺なんか……』
戸惑う私をよそに、光はさらに続ける。
『山内さんと、同じ学校、しかも同じクラスだったらしいよ。中三のときもさ、六木さんに対するイジメ、山内さんと違うクラスになっておさまったとはいえ、完全になくなったわけじゃなかったじゃん』
確かに、光の言うとおりであった。
中二のときに酷くなっていったイジメは、中三になり二人のクラスが離れたことで一時おさまりはした。私は、そのままイジメがなくなってくれれば、と思っていた。
だけど、まさか凛月ちゃんと同じ学校だったなんて。それについてはまったく知らなくて、なにも話を聞かないしてっきりなくなったものだと思っていた。
そうか、だから、おさまったはずのイジメが再発して、誰も止めなくて。耐えきれなくなった六木さんが自殺して。中一からイジメられ始めたみたいで、随分と長いことイジメられていたのに、彼女は誰にも助けてもらえないまま。
酷くなったという中学二年生、私は、イジメのことを知っていたのに、助けられなかった。
違う、言い訳だ、自分のために助けなかったんだ。
押し寄せてきた罪悪感に、目眩がますますひどくなる。息苦しささえ覚えて、私は落ち着けと胸に手を当てた。トクトクと心臓が大きく脈打つのが分かる。目の前が、暗くなっていく。
まだ二人が何か話しているけれど、その声はどんどんと遠のいていく。そのうち、視界が徐々に暗くなっていって、私の意識は闇へと沈んだ。
*
ゆっくりと目を開く。
パチパチといくらかまばたきをすると、なんの変哲もない天井が私を見下ろしているのが見えた。
起き上がって時計を見ると、もうすでに朝の五時だった。普段もこのくらいの時間に起きて、なるべく早く準備をして7時前には家を出ていた。
早く準備をしなくてはと重い体で立ち上がろうとしたとき、ズキッと左の手首に痛みが走りハッとした。
そうだ、私はもう仕事をやめたのだから、どこにも行く必要なんてないんだ。
それにしても、随分と、変な夢を見ていたものだ。
昔の学校で、白石先生に会って、過去の自分にも会って。で、まるで本当の先生のように、家に帰ってきてからも授業の計画をまとめて、一番はじめの授業で使う自己紹介用紙の構図を大まかに考えて。それからキリがついてからシャワーを浴びて眠りについて。
そのあと、成人式のときの夢を見たんだ。夢の中で夢を見るなんて、変な感じだけど。
とりあえず立ち上がり、ふらふらと自分の机へと向かう。
それから、その上にある散らばった書類を見て、私は驚きのあまり息を呑んだ。昨日、“夢の中”で作成したはずの書類があったのだ。
眠って目が覚めれば、あの非現実的な世界から出られると思ったのに。確かにあれは夢と片付けるには何もかもが鮮明で、痛みだってあったしあまりにリアルだったけれど。でも、まさか、こんなことって。
慌てて鞄にしまったままのはずの免許証を出した。免許証の名前は“坂本美希”。他の書類にも坂本美希の名前が並んでいる。
認めざるを得ないのか。今自分の置かれている立場を理解して受け入れていくしかないのか。
改めて自分の部屋を見回して、ふと机の引き出しに手をかけた。開けてみると、カランと音がして深い緑色の筒が覗いた。筒の中に入っているのはおそらく卒業証書だ。
それから、大きな卒業アルバムが三冊、並べてしまわれている。ここにしまっていたのは、小学校と、中学校と、それから高校のアルバムのはず。
ひとまず、中学のアルバムを出して広げてみた。
私が持っていたアルバムとなんら変わりない、ここでいう“来年”の卒業生の載っている、ただのアルバム。
とりあえずアルバムをしまい、私はもう一度確認するのために携帯の電源をつけた。
表示された日付は201×年の始業式の翌日。連絡先には、昨日せっかくだからと言われ登録した白石先生の名前が載っていた。
「……七時半から八時までに学校に行くんだっけ」
ここから車で行くから、七時に家を出れば間に合うだろう。最悪七時半に出てもギリギリ間に合うくらいだ。
テキパキと準備をこなし、とにかく学校へと向かう準備をする。スーツを着て、髪を後ろで一つに束ねて。鏡で自分の姿を確認する。
鏡に映る私は、やっぱり今年で二十四になる、まだあの企業に就職して一年の新人、坂月 のぞみ、なのに。
未だ夢だと言い聞かせる自分を無視して、これは現実なんだと言い聞かせて。
「あ、おはようございまーす!先生、早いですね!」
学校について職員室に入る前に、野球部のユニフォームに身を包んだ生徒が声をかけてきた。
二年三組の、瀬山 大翔だ。
大翔は運動が苦手ながらも野球部で一生懸命に頑張っている、坂月 のぞみの、幼稚園時代からの幼馴染。家が近くて仲が良かったけれど、高校受験をきっかけにあまり話さなくなった。
高校二年生になって、一切話さなくなったのは、大翔の行った地元の高校で起きた、六木さんの、六木 恵美の自殺が原因だと、私は成人してやっと知ることとなった。
高校生活を謳歌していた私は、大翔と疎遠になったことも何も気にしなかったから、まったく気付かなかった。
大翔は、元気でいい奴なんだけど、周りに疎くて、恵美に対するイジメも、凛月がからかっただけだと言うとそれを信じた。恵美も凛月の手前イジメられてるなんて言えなかったから、大翔は気付けなくて。
それが、多分、悔しかったはずだ。
「おはようございます。瀬山くんは朝練ですか?」
手に持っているものが手提げ一つなのを見て、不思議に思いながら声をかけた。朝練はとっくに始まってるし、もしかして忘れ物だろうか。
考えていると、大翔は少し驚いた顔をして、こくこくと頷いた。
「朝練なんだけど、制服忘れたから取りに帰ってたんだ。それより、先生、もう俺の名前覚えたの?」
昨日直接話してないのに、と目をキラキラさせながら問いかけてくる。
覚えたというか、覚えていたというか。
「まあ、そうですね」
「はやっ?! 俺まだ先生の名前覚えてないよ?!」
……まあ、そうだろうな。大翔は本当に人の名前を覚えるのが苦手だから。
一年生のとき、三ヶ月経つ頃までなかなか担任の名前を呼べていなかった。教科担任なんてさらにひどく、半年経った頃にやっと覚えたと私に報告してきた。
「坂本 美希です」
「坂本先生! 覚えた! ちゃんと覚えたからね!」
大丈夫だと意気込む彼に、嘘だろと心の中で突っ込みながら、私はそうですかと返事をした。
「あ、大翔! 帰ってきてたなら早く練習に戻れよー!」
向こうの方から、誰かがひらひらと手を振りながら大翔に声をかけた。
大翔と同じ部活で仲の良い豊永 秀太だ。たまに大翔もまじえて話すくらいだったから、どんな人だったかあまり覚えてないけど。
「今戻ろうと思ってたとこー! じゃあ、坂本先生、またあとで!」
じゃあね、と手を降るので私も手を振ろうとすると、その手にハイタッチをしてきた。キョトンとする私をよそに、大翔は軽く手を振ったのち、秀太の方へとかけていった。
相変わらず元気なやつだと、半分感心し、半分呆れた。
とりあえず、靴を履き替えて職員室に入る。
「おはようございます…」
恐る恐る声をかけると、近くにいた先生たちから挨拶が返ってくる。
私を指導し教育してくれた先生方から、ほとんど同じ立場で挨拶を交わすのは、なんだか変な感じだ。生徒に対してはいつもタメ口だった先生にまで、敬語を使われるのだから。
なんだか落ち着かないまま、席の方へと向かうと、私に気付いた白石先生がぱあっと顔を明るくした。
「坂本先生、おはようございます!」
まだいない先生も少なくないのに、やはり白石先生は来るのが早い。
朝練のある部活動の顧問ではないのに、もうすでに教室に向かう準備は万端らしい。
「あ、初回授業の計画表、書けました? 困ったこととかあれば相談にのりますよ!」
どんとこい、と胸を張る白石先生に、近くにいた小出先生がふっと噴き出す。今来たばかりなのか、肩に提げていた鞄を、自分の机に置く。
私と白石先生は、不思議に思いキョトンとして小出先生を見た。
「白石先生、あの顔はもう書けちゃってる顔ですよ」
私を見ながら、クスクスと楽しそうに笑う。決して嫌味な笑みじゃなくて、若干尊敬を込められたような、そんな感じ。
……それは私の思い過ごしかな。
小出先生の言葉に、白石先生は心底驚いた顔をして、パッと私の方を見直す。
「もう書けたんですか?!」
驚く白石先生に、私は自分の鞄からその書類を取り出す。
「はい、一応…」
書類を白石先生に手渡すと、白石先生は素早く書類を受け取り中を確認した。ぱらぱらとめくり、まじまじと内容を確認する。
白石先生がとても真剣な顔で確認するのを見ながら、私は小さく深呼吸をした。
自分で考えた授業計画を人に見られるのは、すごく緊張する。これでいいのかと、だんだんと不安になる。喉が、渇く。心臓の音が速く、うるさくなっていく。白石先生の姿に、怪訝な顔をした“上司”の姿が重なって、息を呑んだ。
一通り見終わった白石先生は、パッと私に書類を押し返すと、ふわり、と微笑んでみせた。
「全体的にまとまってて、いいと思います! またあとでじっくり読ませてもらいますね!」
……いいと、思う……?
呆然とする私をよそに、白石先生は「では、お先に!」と言って職員室をあとにした。
私、今、私の考えた計画を、いいと思って、認めてもらえた……?
『だから違うと言ってるだろ?! こんなものしか書けないのか! せめてもっとマシなのを書け!』
遠くに“上司”の声が聞こえて、乾いた音と同時にピリッと頬が一瞬痛んだ気がした。




