第十四話『もう一人の決意』①
三年生を送る会の、学年での全体練習。散々クラスで練習した成果が見えて嬉しくなる。
あのときは面倒なだけだったのに、今は一緒にやりたくて仕方ない。
あのときもう少し真面目にやっていればよかったと、全力でやっていればよかったと、意味のない後悔を感じた。
きれいな歌声が体育館に響く。みんな輝いて見えるけど、二年三組の生徒たちが一段と輝いて見えた。副担任だからだろ、と言われたらそれまでなんだけど。
合唱が終わって、生徒たちが息をつく。彼らがほっとしているのもつかの間、音楽の先生からのダメ出しが入る。
今のでも十分いいと思うんだけど、というのは素人の感想でしかないのだろう。
ダメ出しを受けやり直しを食らうと、生徒たちは互いに顔を見合わせて嫌そうな顔をしている。いつになったら解放されるのかと、問いかけてくるようだ。
やり直しで歌い始めた歌も十分すぎるくらいに心に響くようなのに、先生はもう一度と声をかける。
どこがダメなのか私でもわからない。でも先生が指摘したところを直していくたび、歌は少しずつよくなっていく気がする。
結局一時間まるまる歌の練習で終えて、あと一時間は舞台への出入りなどの練習、余った時間でまた歌の練習をしていた。
「もー、一時間も立ち続けてたから足が痛い! 歌もどうせ変わんないのにぐだぐだと何回も歌わされて」
体育館から教室までの帰り、目の前を歩く女子生徒が、隣にいた友人に対して愚痴をこぼしていた。
友人は私に気づいて「先生いるよ」と耳打ちするけど、彼女は気にせず、むしろ私のほうを向いて「先生もそう思いません?」と共感を求めてくる。
私は共感まではできなくて、ちょっと苦笑いをした。
「歌は、少しずつよくなってましたよ。私は最初からすごいなあと思って聞いてましたけど、最後のほうはもっとすごかったです」
語彙力がなくてうまく言えないけれど、素直な気持ちをぶつけた。
二人はそうかな、と首を傾げたあと、そうかもしれないと笑っていた。
「先生、褒めるのうまいですねー」
「でも二時間も体育館で練習は疲れます!」
わいわいと話す二人を見てくすくすと笑うと、二人ともちょっと呆れたような顔をする。
たしかに二時間も練習っていうのは疲れる。けど、褒めるのがうまいというのは違って、あれはただの本音。褒める褒めないを抜きにしての、私の感想。
だから自信をもってくれていいのに、と思うけれど、私が向こう側だったときもこんな感じだった。褒められてもおだて上手な先生、としか思わなかった。どうせやる気を出させるために持ち上げてるんでしょと、皮肉にそんなことを思っていた。
実際、私みたいにただ本当に感想を述べただけかもしれなかったな。少し、あの頃のひねくれていた自分を恥じた。
教室に戻ってから、凛月が駆け寄ってくる。
「先生、歌、どうだった?」
目をキラキラとさせながら、純粋に私の感想を求めてる。
「すごく、よかったです。正直、それ以上の感想が思い浮かばないくらい」
語彙力なくてごめんなさい、と謝ると、凛月はコテンと首を傾げた。近くにいた夏子に語彙力の意味を問いかける。
夏子もざっくり、多分こんな感じ程度の説明をすると、凛月は納得したような顔をする。それから、ぱっと私のほうを向いた。
「それだけ良かったってことだよね! あたしも、すごく楽しく歌えたの!」
楽しく歌えた歌がちゃんと評価されて、相当嬉しかったみたいで、凛月は近くで私の感想を聞いた夏子にも、その喜びを語る。そのときにこそっと聞こえた、あんなに楽しく歌えたの初めてって言葉。それに、ズキッと胸が痛む。
どんな理由があれどイジメは絶対にいけない。どれも、人をイジメていい理由にはならない。
だけど、もしその理由が、イジメられてる側とは他にあって、それがイジメる側の心を蝕んでいるのだとしたら、それを取り除かない限り、彼女はどこかで同じ過ちを繰り返すのではないだろうか。
その原因を、完全に取り除くことはできなくても、なにか、少しでも力になりたい。手を差し伸べることが、できればいいのに。
「坂本先生、どうかした?」
凛月はキョトンとして、私に声をかけてまた首を傾げた。
どうやらぼーっとしてしまっていたようで、凛月は悩みがあるのではと心配そうな顔を浮かべている。
私は凛月に大丈夫だと、ふるふると首を横に振った。それから、凛月の目をまっすぐ見る。
「私じゃなくて、凛月さんは、なにか悩みとか、ないですか?」
どう聞けばいいかわからなくて直球に聞くと、凛月は「悩み、」と私の言葉を復唱する。
言うべきか言わないべきか悩んでいるように見える。ここで、私が強制することもできないし、断られたわけでもないのに話を切るのも申し訳ない。
「あの、ですねね。以前話したときに、言っていいのかわからないですけど、お母さんのこととか」
「あっ、そういえば、そっか。今のお母さんみたいって、言ったっけ」
凛月はハッとしたように、手のひらで口をおさえて言った。忘れてた、と笑う凛月は無邪気だけど、その笑顔にどこか陰りを見せる。
多分私があのとき聞いたあれは、凛月も無意識にこぼしていた本音だろう。私が特に触れなかったから、凛月も言ったことすら忘れてしまっていたのだろう。
それでも凛月は少し考えてから、よし、と決意したようにつぶやいた。
「悩みではない、かな。話だけ聞いてほしい。放課後、教室でいいから!」
いいですかと首を傾げる凛月に、私は首を縦に振る。私から悩みを聞いたのだ、断る理由などない。
「放課後ですね。教室、空けてもらえるようにしておきます」
ニコリと微笑むと、凛月もニコッと笑みを浮かべて、ありがとうと返してくれる。お礼も、謝罪も、凛月はもう当たり前のようにしてくれる。
それがなんだか嬉しく感じられる。
当事者じゃないからか。いくら私が凛月のことを好きではなかったとしても、それは自分と同い年であった凛月であって、教師という立場に立って見る凛月は、やっぱり違って見えるからか。
あくまで部外者だったから、凛月のほんの小さな変化に気づいて嬉しいと思えるのかもしれない。のぞみの立場にいたら、どうだろう。凛月のこと、多分見ようともしなかっただろう。のぞみにとって凛月は、一度とはいえ自分をイジメた相手なのだから。
そう考えると、今普通に凛月とクラスメートとして接しているのぞみは、特に恵美は、すごいなと、純粋に尊敬してしまう。
白石先生から許可をもらい、教室で他の生徒が帰るのを待ちながら、私はそんなことを考えていた。生徒が帰ってしまってから、凛月はガタガタと机を二つ向かい合わせにセッティングする。
「坂本先生、早く話そ!」
ほらほら、と片方の机をバンバンとたたく凛月に、私は頷いて笑いかける。そして凛月がたたいていたほうに座る。
凛月はそれを見てから、私の目の前に座った。
わざわざ向かい合わせにする必要はあったのか。礼儀を正して真正面で話をするのは、さすがに緊張する。
「あ、先生、緊張してるでしょ」
「……バレました?」
ビシッと指摘した凛月に素直に返すと、凛月はバレるよーと楽しそうに笑っている。一通り笑い終えた凛月は、改めて私のほうを向き直す。
私も姿勢を正して、凛月と見つめ合う。
「あのね、単刀直入に言うとね、あたし、もう少し自分で頑張ってみる」
じっと私を見つめる目は真剣だった。頑張るというよりは、もうすでに頑張っているような。
「自分で、ですか?」
私は前に凛月と話したときのことを思い出す。おどおどしていて、話しかけても反応が悪い恵美を、今のお母さんみたいと言った凛月を。どちらかというと、話しかけても反応が悪いのが、今のお母さん、なのだろう。
家庭訪問のとき、おどおどしている雰囲気は感じられなかったし。なんて、第一印象だけで決めつけちゃだめだよな。
凛月は私の問いにコクンと頷く。
「話しかけても反応が悪いから、挨拶だけにしてみたの。いつも無駄に話しかけてて、先生にもそんな感じだったでしょ? 先生はたまに困った顔するし、お母さんももしかして困ってるのかなって」
成長してもなお顔に出やすいらしい私が、凛月に話しかけられ抱きつかれで困ったときもあることがバレているらしい。まあ、たしかにあまり話しかけられすぎると困るには困るし。
「だから、挨拶だけにして、最低限話さなきゃいけないことだけ話してみたの。そしたら、その少ない回数の会話での反応がね、前よりも冷たくなくなったの」
嬉しそうに話す凛月を見ると、今までどれほど冷たくあしらわれていたのか想像できてしまう。前よりも冷たくなくなった、それだけでそんなにも嬉しそうな顔をする。
でも、私にとってはたったそれだけの変化でも、凛月にとっては大きくて、もう少し頑張ろうと思えるなら、私は大きく口出すべきではないのだろう。
はじめから、凛月は相談したいとは言わず、話だけ聞いてと言っていたわけだし、これ以上問い詰めるまでもなく、おそらくこれが凛月の本音だろう。
「今度は辛くなっても一人で溜め込まない。夏子ちゃんに相談する!」
「そうですね。誰かに相談してもらえれば、きっと気が楽になりますから」
私に相談して、とは言えなかった。きっと凛月が相談したいと思う頃には私はいない。だから、無責任になにかあったら私になんて言えない。
それに、先生なんて高校に入ればあまり関わりがなくなるけど、友達は高校に入ってからも付き合いがある人はある。だから、今のうちに本音を話せる友達がいたほうがきっといい。
「そう! 気持ちが楽になるの。それに夏子ちゃんって、真剣な話のときはすごく真剣に聞いてくれるの。あのね、この前もね……」
ここからは、話を切り替えて凛月の身の回りの話になる。特に夏子の話は目をキラキラとさせながら、楽しそうに話していた。




