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閑話『誕生日』



 学年末テスト、二日目。一日目にあった家庭科のテストの採点の進まなさに半分絶望しつつ、その日のテスト監督も無事に終えた。



 金曜日だったため、土日をはさんでテストはあと二日。


 不正行為はないと信じてるけど、やっぱりテスト監督っていうのは緊張する。ときには疑いたくもないのに疑わなきゃいけないし。たいてい特に大したことないし。



 帰りの会が終わった直後、白石先生が早く帰って勉強しなさいと促している中、教室の隅の方、私のいる近くでわいわいと女子たちが盛り上がっている。


 その中にはのぞみと恵美、それから光に桜子がいた。



 「のぞみちゃんの誕生日って今日なの?!」


 えーっと驚いている女子たちに、困惑するのぞみ。桜子は自慢げに、そうなんだよと訴えている。



 ふいに黒板を見ると、二月十六日とあって、たしかに今日は私の誕生日であることを思い出した。


 誕生日なんて別に知っている人はいないしと、すっかり忘れていた。今じゃ私の誕生日を知ってる人もいくらかいるけど。



 「先生、今日坂月さんの誕生日だつて!」


 私が近くにいることに気づいた生徒が、ばっとこちらを向いて私に話を振ってくる。


 知ってる、ということは言わずに、私はちょっと驚いた素振りを見せる。



 「そうなんですね。おめでとうございます」


 白々しくそう言った私を見て、のぞみはぷっと噴き出す。


 「いまさら。先生も誕生日じゃん、おめでと」


 前に話したことあるじゃん、といった感じのノリで、さらっと私も誕生日であることを暴露するのぞみ。



 のぞみを囲んでいた生徒たちが、今度は私を取り囲む。



 「え、先生誕生日なの?!」

 「なんで言わないのー」

 「おめでとうございます先生!」


 驚く声に、ちょっと拗ねたような声、それからお祝いをする声。あちらこちらから声をかけられて、返す言葉に困る。


 わたわたとしていると、後ろでのぞみがくすくすと笑っていた。



 それから、生徒たちにお祝いされて、白石先生にも祝われて、やっと人が帰り始めた頃に、のぞみがそっとハンカチを手渡してきた。


 「これ、あげる」


 受け取ったハンカチをまじまじと見ると、そこには筆記体のローマ字で私の名前が刺繍されている。坂月のぞみではなく、坂本美希という今の私の名前が。



 私は驚いてのぞみを見た。名前のことを言おうと思っても声を出さなかったのは、周りにまだわずかに人がいるからだった。



 のぞみはニコリと笑みを浮かべる。



 「わたしには、未来とかよくわかんない。でも、一つ言えることがある」


 ピンッと人差し指を立てて、のぞみは笑顔のまま、でも真剣な表情で訴えかけるように私を見つめる。それからこそっと耳打ちする。



 「わたしにとって先生は、やっぱり未来の自分なんかじゃなくて、坂本美希先生。わたしは坂本先生のことを、先生として尊敬してる」


 未来の自分だからじゃない、そうなりたくないわけじゃない、そうじゃなくて。のぞみが続けた言葉が、あまり頭に入ってこない。



 のぞみが、私のことを、尊敬してるって言ってくれた。逃げた私とは違って、向き合って戦ったのぞみが、私なんかのことを。


 なによりも、私のことを先生として尊敬してくれてるということが、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。


 私は、先生なんかにはなれないと思っていた。誰かに尊敬されたり慕われるなんてもっと不可能だと。だから、学校などに先生として就職はしなかった。


 だから、強制的とはいえ先生になった今の私に、そう言ってくれたのがたまらなく嬉しかった。



 「ありがとう、ございます。その、私、なにも用意してないんですけど」


 申し訳なくてそう言うと、のぞみはとんでもないと首を横に振る。


 「先生が生徒を贔屓しちゃだめでしょ。わたしが、先生の中にその名前を残してほしくて渡したものだから、気にしないで」



 私の中に、この名前を。それは、いつか私がもとの世界に戻ることを見据えた上での言葉だった。



 向こうの私が生きていて、向こうの世界に戻ったら、私は二度とこの名前で呼ばれることはない。なにか残すものがなければ、この名前もきっと忘れてしまう。


 たった一年でも、夢でも、幻でも、ここで過ごした日々は大切なもので、私にいろいろなことを思い出させてくれた。


 一度は諦めた夢も、見失っていた決意もなにもかも、思い出させてくれた。私に後悔を、罪を思い出させてくれた。その上で、心を軽くしてくれた。


 それを忘れないためにも、私はこの名前を私の中に残していかなきゃいけない。



 のぞみはきっと、私の助言や行動へのお礼のつもりだろうけど、お礼を言いたいのはやっぱり私のほう。だから、この名前を忘れない。



 「大丈夫です。きっと、ずっと、残っていくので」


 だからこれは受け取りますと、ハンカチをポケットにしまった。トンッとそのポケットを軽くたたくと、のぞみは満足そうに笑う。



 きっと、私の時間は止まったまま。だけど、私自身は確実に歩み出している。


 今思えば、私に対するメッセージのような名前だ。美しいのぞみと書いて、美希という名前は、私がいつか抱いていたのぞみを肯定してくれてるみたいだ。


 そののぞみを捨てない限り、私はきっとこの名前も忘れない。見失いそうになったときも、この一年の出来事を思い出す。


 だからあともう少しの間に私にできることを、やりとげたい。



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