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第十三話『忘れた恋心』①



 日曜日は基本的に、部活は休みだった。そういうお休みの日は家でまったり過ごしていることが多かった。


 趣味もなければやることもない。以前のように満足いくまで眠っていた。


 けど、さすがにそれだけではつまらなかったから、たまに本を読んだり、その日だけ頑張ってちょっと豪華な料理をしてみたりしていた。



 のぞみの話してから一番最初の日曜日、その日は近所のコンビニへ、発売したばかりのお菓子を求めて買い物に出ていた。


 抹茶ティラミス、みたいなやつだったはず。前から気になって目をつけていたのだ。



 買い物を済ませた帰り道、もう家のすぐ近くまで来ていたときだった。



 「あ、坂本先生、こんにちは」


 あまり驚く様子もなく、へらっとした声で話しかけられる。そちらを向くまでもなく、それが誰の声であるかわかった。



 振り返ると、そこにいたのはのぞみだった。



 もう二十何年も付き合ってきた自分の声を間違えるわけがない。少しは変わっているけれど、それでもそれはよく聞き慣れた私の声だ。



 「こんにちは、坂月さん。偶然ですね」


 ほんとに偶然かと疑いたくなるが、あまり疑うのはよろしくない。


 私は足を止めて、のぞみに微笑みかけた。



 「そうだね。先生は買い物?」

 「そうですね、買い物です。坂月さんは?」


 なにを買ったとか、どこへ行ったのかは黙って買い物とだけ伝える。


 のぞみはひょいっと持っていたビニル袋を見せる。


 「職場体験先の下見とついでに買い物」

 「そうだったんですね。あ、私は急ぐので」


 適当に話に切りをつけて帰ろうとする。といっても、すぐそこにマンションがあるんだけど。



 そうやってくるっと背を向けて歩き出すと、すぐ後ろを追いかけてくる足音が聞こえた。ちらっと振り返ると、のぞみが当たり前のように私のあとをつけている。



 「あの、」


 声をかけると、のぞみはキョトンとして首を傾げる。


 「あ、ばれた? 先生の家、そのへんでしょ? だからちょっとお話でも」


 ほら、と袋の中に入った、缶のブラックコーヒーを見せながら、のぞみはいくつか並んだマンションの一つを指さす。



 のぞみが指さしたのは間違いなく、私の住んでいるマンションだった。



 驚いて一瞬表情が変わったのに気づいたのか、のぞみは「あのマンションなんだ」と驚いている。それから、ほらほらとコーヒーのアピールをしてくる。



 もう、住んでるところがバレたならいいや。帰ってくれそうにないし、少しくらい話に付き合おう。


 なんだかんだ言っても私自身のことだから、こういうときには簡単には帰らないだろう。



 「まあ、少しならいいですけど……。マンションの下でですよ。というか、私のこと探しに来てません?」


 缶コーヒーが二つある時点で、私のことを探しに来ているようなそんな雰囲気を感じる。のぞみの職場体験の場所は確かにこの近くではあるけれど、それでも、行きも帰りもわざわざこのへんまで来る必要はない。


 私の問いに、のぞみはちょっと驚いた顔をしてから、そっと目をそらした。



 「探しに来たというか、このへんかなーって適当に歩いてたら偶然、ね」


 偶然だから、と念を押して、のぞみはマンションのすぐ近くまで歩いていく。私もすぐ横に並んで、マンションの駐車場付近にある花壇に腰掛ける。


 私の隣にのぞみが座って、袋の中にあった缶コーヒーの片方を差し出してくる。


 「はい、コーヒー」

 「ありがとうございます」


 私はそれを受け取って、缶の口を開けて飲み始める。のぞみと同じタイミングで開いたのには、さすがに笑いそうになった。



 通りがかる人もそんなにいないけれど、私たちを見た人はなんて思うだろうか。家族、とかかな。


 私がそんなことを考えているときに、のぞみが不意に私のほうを見る。



 「号室、当てたげる。ずばり、三〇一、じゃない?」


 突然言い出したその号室が、まさに私が住んでいる部屋で間違いなかったので、えっ、と小さな声を出してしまった。多分、驚いた表情もしている。


 急なことだったから、素の反応をしてしまった。



 のぞみは満足そうにニコリと笑みを浮かべる。


 「わ、正解だ。先生って思ってることが顔に出やすいよね」


 楽しそうにけたけたと笑っているのにムッとして、私はふいっとそっぽを向いて言い返す。



 「昔からですよ。顔に出してないつもりで」

 「うわっ、まじか」


 のぞみはぺたぺたと自分の顔を触りながら、そうかな、と不思議そうな表情を浮かべる。


 残念ながら、その疑問に思っているのも思いっきり顔に出ている。ポーカーフェイスなんて口ばかりだ。


 他人から見たらわかりにくいだけ。仲がいい人から見たらきっとわかりやすかったと思う。



 私の思ったとおりの反応をしてくれたのぞみに、今度は私がくすくすと笑った。


 のぞみはもう、と頬を膨らましてから、同じように楽しそうに笑う。それから、いいこと思いついたというように私を見る。



 「……なんか、姉妹みたいだね。一人っ子だから、こういうの嬉しい。だからさ、たまには遊びに来ていい?」

 「だめです。あくまで先生と生徒ですから。それに、姉妹どころか同一人物、ですよ」


 のぞみのお願いをばっさりと断る。もうすでに手遅れな気がするが、家にまで招き入れるのはさすがに贔屓がすぎる。それがたとえ、自分相手だとしても。



 姉妹みたいだとしても、同一人物で、今は先生と生徒という関係。今日のところは偶然会ったから話してたで通ったとして、家に入れるのは確実にアウト。


 私のはっきりとした言葉に、のぞみは少し困ったように笑って、それから小さく首を横に振った。



 「お姉ちゃんだよ。じゃあ、また遊びに来るね」


 いつの間に飲み終わっていたのか、空の缶をもって立ち上がると、それだけ言って私に背を向けて去っていく。


 私はその背中にひらひらと手を振って、残りのコーヒーを飲み干してから家に戻った。



 というか、また遊びに来るとか言ってたような。また、来るつもりなのか。


 呆れてるはずなのに、頬が緩む。なんだか笑いそうになる。


 ちょっと強引なのに嫌な気がしないところは、私とは違う彼女自身の魅力なのかもしれない。




 それからしばらくして、職場体験も無事に終わった頃、私は校長先生からあれこれ書類を受け取っていた。


 「他県に引っ越されるそうで、異動をご希望ならどうぞ」


 渡されたのはその、私が引っ越すとされている県の中学校の資料だった。



 どうやら話を聞けば、私は他県に引っ越すことになっているらしく、この学校には学期末までしかいないことになってるらしい。それで、異動の手続きやらあれこれあるのだが、私が自分でやることになっているとか。



 とりあえず、引っ越しの件は認めておいた。多分、私の期限だろう。この過去にいれるのが、学期末までということだろう。



 手続きを自分でやるというのは、向こうに行ってから職を探すことになっているらしくて、自分の目で確かめてから勤めたいという希望があったらしい。それは確かなので、それについても認めておいた。


 ただ、その場合仕事をしない期間ができてしまうため、資料を渡していいところがあればこちらから手続きすると、そう言ってくれているのだ。



 なかなか優遇されてるような感じだけど、知らないところでここまで話が進んでいるのなら、私はこれ以上口を出さないほうがいいはず。


 学期末までだろうなと薄々感じていたから、少しは驚いたけどそこまでショックは受けなかった。



 いよいよ、私がこの先どうなるのか、という疑問が浮かんできた。



 それと同時に、職場体験中も感じた、凛月と大翔に対するもやもや感についても解決したい。ちなみに、個人相手なら別にもやもやもしなかった。




 その日の放課後、部活が終わってもまだ少し残っていた碧に、声をかけた。



 「長谷川くん、独り言いいですか」

 「いやまあ、ひとり言って宣言するものじゃない気がするんですけど、いいですよ」


 みんなに遅れて片付けを始めた碧に話しかけた私に、碧はその手を止めないまま、そう返した。


 確かに独り言は宣言するものじゃないけど、話した内容について深く悩まれても困る。ただ、一人でもやもやしてないで、誰かに話したかった。



 「あのですね、瀬山くんと凛月さんって、職場体験でもすごく仲が良かったんですよ。で、それを見てもやっとするし、坂月さんの顔が思い浮かぶんです。二人が幼なじみだから、あの二人だとなんとなく違和感があるのかな、と思ってるんですけど、なんなんでしょうね」


 ほんとにくだらない独り言だし、碧からしてみればそんなん知るかって話だ。しかも独り言というわりには、最後に碧に意見を求めてしまっている。


 なんだかなぁ、とつぶやいた私に、碧は片付けをする手を止めてこちらを向いた。



 「恋とかですか?」


 さらっと告げた碧の言葉に、思わず咳き込んだ。


 なにか言い返すために深呼吸をして息を整える。



 「さすがに、それはないです」



 相手は幼なじみの大翔。しかも今見ているのは十歳も年下の中学生。関わりだって多いわけじゃない。


 しかも思い浮かぶのはのぞみの顔だ。私が凛月に嫉妬しているわけじゃない。



 ばっさりと否定した私に、碧はちょっと困ったような顔をして、それから、少しだけ言いにくそうにしてから口を開いた。




 「……先生自身じゃなくてもさ、坂月 のぞみのほうが大翔のこと好きだったり」

 「……えっ」


 それって、どういうこと。そう聞く前に、碧は続ける。


 「“自分自身”だから伝わること、みたいな」


 確信をつく一言。それは、私が坂月のぞみであると知っていることを示した言葉。



 どうして、いつ、なにから知ったの。いろんな疑問が駆け巡って、息が詰まりそうになる。



 「あの、それ、どこで……」


 私が坂月のぞみだと、未来から来たと知ったのはどうしてか、そう聞きたくてなんとか言葉を紡いだ。



 あまりに短い言葉だったけれど、碧には十分伝わったらしい。


 「教室に戻ったときに鞄があったから、誰のかと思ってアルバムの中身を見たんです。すぐに先生のだって気づいて、先生のことも知って、鞄の中にしまっておきました。でも、そのあと廊下で坂月とすれ違ったから、多分彼女も知ってると思う」



 やっぱり、という素直な感想がよぎった。私のことを知ったと考えられるのは、あのときだけだった。


 のぞみしかいなかったから、のぞみだけだと思っていたけど、碧も見ていたなんて。すぐに察して、すぐにしまったみたいだから、おそらくのぞみは碧がアルバムを読んでいた、もしくは持っていたところに遭遇してないのだろう。だから、あのとき碧の名前は出てこなかった。


 でも、碧はこっそりアルバムを見ていて、私のことを知ったまま、今までと変わらずに接してくれていた。



 「あのとき、ですか」


 だから、あのときから知っていたなんていささか信じられなくて、私は確認するように聞き返した。



 碧はコクンと頷く。


 「うん。でも、知れてよかったです。おかげで腑に落ちたので」

 「腑に落ちた?」


 碧の言葉に私は首を傾げた。なにが腑に落ちたというのか。



 私が躊躇なく聞き返すと、碧は言いにくそうにうつむいてから、今度はしっかりと私を見る。


 「こう、本人に言うことじゃないかもしれないですけど、僕、坂月のこと好きだったんです。でも、今は先生のことが気になってたりして」


 はっきりと、そう告げられる。のぞみが好きだったと、私のことが気になっていると。



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