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第十二話『私と“わたし”』②



 「どうして、自殺なんて……」


 その反応は予想できた。そりゃ、自分が十年後に自殺してるなんて、普通に信じられない。


 私も恵美が自殺したと聞いたとき、今ののぞみと同じような反応をした。自分がまさか同じ末路をたどるなんて、思いもしなかった。



 ゆっくり、深呼吸をする。頭をよぎるのは、悲惨な光景。罵声も、暴力も、しっかりと覚えてるそれを、なるべく思い出さないように記憶の隅に追いやる。



 「……簡潔に言うと、生きる意味を見失ったから、です」


 死ぬ瞬間は何も考えていなかった。けどそこまで自分を追い詰めたのは、私を生きている意味だった仕事と、それを失ったこと。


 「イジメを見てみぬふりした自分を変えたくて、教師の道を目指しました。でも、自信をなくして、教員免許をとったあとは、一般の企業に就職しました」

 「自信を、なくした?」


 なにが原因か、そう問いかけるようにのぞみは尋ねた。


 私は小さく頷いてから、それに答える。



 「六木さんと同じ目に遭ってる人を助けたかった。でと、実習をして生徒と関わって、私には無理だと思ってしまったんです。それに、成人式のとき、六木さんが自殺していたと聞いて、私のしていることが、なにも意味がない気がして」

 「……恵美ちゃんが、自殺って」

 「私の生きた時間では、六木さんはイジメに耐えかねて高校一年生の冬に自殺しました。私が、あのとき、見てみぬふりなんてしなければ、もしかして……。そう、後悔しました。教師なって同じ境遇の人を救うなんて言い訳でしかなかった、自分の心を軽くしたいだけだった。でも、もうそれだけじゃ軽くならないことに気づいてしまったんです。私の、教師になりたいという夢は、その程度だったんです」



 もちろん、教育実習が一番大きな理由だった。それでも、就職したら、本当に先生になれたらなにか変わるかもしれないと思っていた。


 それが、誰かのためにと理由をつけて、結局自分のためだったことに、恵美の死を聞いたとき気づいてしまった。そしてそれがもうすでに、自分のためにならないことにも。



 だから、逃げた。せめて自分が少しでも傷つかなくても済むほうへと。それが、間違っているのとは思わない。だけど私は、恵美を見捨てた時点で間違えていた。



 「就職したのは、ブラック企業でした。休みなく働いても生活がギリギリできるかできないかくらいの給料、パワハラなんて日常茶飯事で、私はイジメも受けていました。毎日がただ、苦しかった。でも逃げ場もないから、仕事をするために毎日を生きて、必死に生きていました」


 仕事のために生きていた。死にたいと思っても、仕事に行かなきゃと踏みとどまった。その仕事が、さらに私を追い詰めること、わかっていたのに。


 「でも、精神状態が危うくなって、それが体調にも表れ始めて、仕事をやめざるを得なくなりました。生きる目的が、失われたんです。自分を守るために仕事をやめたのに、それによって私は生きる意味を失って、気づいたら手首を切って自殺を図っていました」


 私は自分の左手首をギュッとつかんだ。もう痛くないはずなのに、ズキッと痛んだ気がした。



 のぞみは眉を下げて、少しだけ泣きそうな顔をする。それから少し悩んだあと、ゆっくりと口を開いた。


 「わかり、ました。先生がわたしだということも、先生がここに来たわけも。先生は、ここに来たのは自分の意思じゃなくても、未来を変えるためにわたしに助言をしてくれた。恵美ちゃんを救うために、わたしを変えるために」


 そうですよね、と確認するのぞみに、私はコクンと頷く。



 「そうです。私は、これが変えられるチャンスなら、もう二度と二人を死なせたくないんです。私の生きていた未来が変わらずとも、せめて目の前にいる二人だけでも」


 しっかりとのぞみを見て、はっきりと告げる。


 私の時間はきっと変わらないけど、せめて目の前にいるまだ変われる二人の未来を変えたかった。私自身を、変えたかった。


 「そう、なんだ」


 のぞみはゆっくりと視線をそらして、小さく何度も頷いた。


 私もなにも言えずに、頷くことしかできなかった。



 「……頭、こんがらがってるけど、でも知りたかった先生のことはわかったから、わたしはそろそろ帰るね。今聞いたことは、誰にも言わないから。その、話してくれて、ありがとう、ございます」


 ペコリと頭を下げて、のぞみは荷物を持って足早に教室を出ていく。



 引き留めようかと思ったけれど、私もこれ以上話すことはない。混乱している気持ちもわかるし、これ以上なにか言ってもむしろ困らせるだけ。


 私はなにも言えずにのぞみを見送って、それからのぞみがおいていったアルバムを鞄をしまって、教室を出た。



 アルバムは、その日神社に行って供養を頼んだ。もちろん、どうしてこんなものをと聞かれそうになったけど、アルバムに書かれた年を見てなにも言ってこなかった。


 不思議なことにも慣れていると言わんばかりに、快く供養を引き受けてくれた。下手なことを聞かれてもうまく答えられる自信はなかったし、すんなり引き受けてくれたのは助かった。




 翌日、学校に行くまではよかったけれど、いざ教室に行こうとしたときに変な緊張感がおそってきた。


 今更ながら、あれこれと全部のぞみに話してしまったことを、後悔する。全部素直に話してしまってよかったのだろうか。


 ただ、過ぎたことはどうしようもないし、もう開き直るしかないかな。



 覚悟を決めて、教室へと向かう。教室に入る直前に、のぞみとばったり出会った。


 緊張で手が震える。うまく言葉が出てこなくなる。


 たまに物語で見る、私は未来のあなたですって言ってくる人、あんなこと言ってよく主人公と自然と話せるよね。なんだかんだ言っても頭のおかしい人と思われてるかもしれないし、拒絶されるかもしれないのに。


 私には、無理だ。のぞみの私を見つめる目に、ドキドキと心臓がうるさくなる。


 こわばった表情の私に、のぞみはふっと笑みをこぼした。



 「先生、おはよう。緊張しすぎ」

 「へ、あ、おはようございます……」


 緊張しないなんて無理でしょ、と言いたい気持ちを抑えながら、私は慌てて挨拶を返した。


 それに対して、のぞみはさらにくすくすと笑い始める。



 「昨日のことなら大丈夫だよ。無理やりにでも整理つけるから。それでね、一つ考えたの」


 のぞみは周りを見渡して、まだ近くに人がいないことを確認してから、そっと私に近づき、耳打ちするように小さな声でささやいた。


 「わたしはわたし、先生は先生だよ。だから、昨日聞いたのは、先生の過去のお話。わたしとは、違うもの。そう思うことにしたの」


 ニコッと笑いかけてくるのぞみに、私の緊張も自然とやわらぐ。



 そう、そっか。そうだよね。それが一番最善かもしれない。それに、確かに私とのぞみは同じ人だけど、今ではのぞみは本来とそれた道を進んでいる。まったく、同じとは言えない。


 なるほど、と納得した言葉をつぶやく。だけどそれ以上言葉が出てこなくて目をそらすと、のぞみがはっとしたような声を上げた。



 「そうそう、それよりさ、わたしの家の近くに新しい和菓子屋ができたの、知ってる?」

 「え、あ、あのお店……!」


 思わず食い気味に大きな声が出てしまって、あ、と口を押さえた。のぞみはそれそれ、と笑っている。


 「あのお店、もう開店したんですか?」

 「そうだよ、おととい。忘れてたの?」

 「まあ、覚えてなかったです……」


 確かに家の近くに和菓子屋ができたことは覚えてるけど、さすがに開店日までは覚えていない。よく通っていたから余計に、いつ開店したとかどうでもよかった。


 年を追うごとに通う日も少なくなっていった。社会人になってからは一切行ってなかったかな。


 仕事に行く頃には開いてないし、帰る頃には閉まってる。たまにあった休みの日は、足りない睡眠を補うように死んだように眠り続けていた。そんなんだからもちろん趣味もないし、好きな物も食べられてない。ほんとにただ仕事のために生きていた。



 久しぶりに、好きなものを思う存分食べたい気もする。



 「あのお店のお菓子、美味しいよね」

 「そうですね。暇を見つけて買いに行きます」

 「じゃあ今度、先生のおすすめ教えてね」


 それじゃあ、とのぞみは先に教室に入っていく。


 おすすめを教えてって、好みはどうせ変わんないのに。まあ、いろいろ食べてその中でも好きなものはあれこれあったし、それを今度教えてあげようかな。


 また、あのお店、行かないと。いろいろと一段落したんだから、もう少し自分に甘くしてもいいよね。



 のぞみのあとを追いかけるようにして、私は教室の中へ入る。のぞみは先に来ていた恵美に話しかけ、なにやら楽しそうに笑っている。


 教室に入ってきた生徒たちに挨拶をしながら、不意に教室後ろの黒板に目を移す。予定がずらりと並んでいる。



 「あっ……」

 「どうかしました?」


 小さく声をあげると、すぐ近くにいた白石先生が声をかけてくる。私は慌てて、大したことじゃないですけど、と前置きをおいた。


 「今日、そういえば職場体験の説明があったなと思いまして」

 「あー、そういえばそうでしたね。でも、坂本先生も一緒に話を聞いててくれれば大丈夫ですので」


 心配しないでください、と白石先生がニコリと微笑む。


 確かに、白石先生の言うとおり私は話を聞いているだけ。説明は別の先生が主となってやってくれる。



 私の担当するのは福祉・保育系統で、見回りに行くときに主の先生と手分けをするわけで、説明の段階では私にやることはない。


 だからまあ、身構えるまでもないんだけど、ただ誰が一緒にいるのか気になった。少なくとも、のぞみはいないのは確かだ。


 誰か、いたはずなんだけど。



 思い出そうと考えてみたが、結局その問いの答えが明らかになったのは、職場体験の説明がある一時間目になってから。



 「お、山内も同じとこなんだ。よろしくなー」

 「あ、瀬山くん、よろしくねー」


 ニコニコと交わされる目の前の会話。話しているのは凛月と大翔。


 それもまさか、二人とも私が見回りやらなんやら、この先担当していく施設の一つに行くとは。偶然とは思えない。



 二人とも人見知りをしないタイプだからか、わいわいと話に盛り上がっている。さすがに授業が始まったら少し静かになったけれど。


 それでも、同じ施設の人どうしで自己紹介をすることになったとき、ある程度自己紹介が終わってからは楽しそうに話している。時々周りの、同じ施設に行く子を巻き込みながら、ほんとに楽しそうに。



 「瀬山くん、クラスメートの名前はさすがに覚えてるんですね」


 そう大翔に声をかけてみると、大翔は自慢げにピースをする。


 「そりゃそろそろ一年は経つし、クラスメートの名前はさすがにね! 下の名前は知らないけど」

 「えっ、さすがに知っててよー。凛月だよ。り、つ、き!」

 「そんな名前だったっけ?」

 「そんな名前だよ。ひどいなぁ」


 凛月と大翔はまた二人で話を始める。微笑ましいはずなのに、なんだろう、なんだかもやもやする。


 頭の中に思い浮かんだのは、のぞみの姿だった。どうして彼女の姿が浮かんだのかはわからなくて、余計にもやもやした。


 二人の姿を眺めながら、なんとも言えないもやもや感に私はただ首を傾げていた。



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