第十一話『冬休み』②
それから、その翌日も、その次の日も部活を終えて、私の年末年始休みがやってきた。といっても、家での仕事が少なからずあるのだけど。
ぐっと伸びをして、ゆっくりと睡眠をとる。のんびりまったり過ごしながら、暇な時間は仕事を進めていた。
こちらの世界にはもちろんのこと友達なんていないから、一人で過ごしていて、買い物にでも行かない限り外には出なかった。
だから、大晦日の夜、初詣のために夜中から外に出るのはなんだか気が進まなかった。どうせならこのまま家で過ごしてもいいかなと思ったけれど、なんとなく初詣には行くことにした。
のぞみと関わって、就職する前は毎年家族と一緒に初詣に行っていたことを思い出したから。去年は行けなかったから。
着物は実家にあるから、着るには借りなきゃいけない。けどまあ、わざわざそこまで気合を入れる必要はないかな。
大晦日。年越しそばとして、カップそばを買って食べた。そばを買ってきて作って、というのは手間だし、一人だと寂しいし。
朝方帰ってきた頃か、朝ごはんとして食べれるようなものも少し用意してから、あたたかい格好をして家を出た。
冬の外は予想以上に寒かった。だけど懐かしい気がするのは、もう遠い過去のように追いやっていた去年は、終電ギリギリに帰っていたからかな。
こんな寒い日にもこんな時間に帰って、へたしたらもう少し遅い時間かも。
マフラーに手袋、厚いコートで完全防備しているけれど、肌をつく寒さにぶるっと身を震わせた。
近所のよく行った神社は、一人暮らしを始めた自分の家から歩いて行くには遠かった。
けど、時間帯からか初詣に行くであろう少し人が見られて、真夜中だけど怖くはなかった。一年間の会社勤めで慣れてしまったっていうのが、一番大きいかもしれないけど。
神社にはもうすでに何人も人がいた。ここいらで一番大きい神社だったから、初詣のためにとわらわらと人が並んでいる。
年明け十五分前なのに、拝殿の前には行けないくらいに人が集まっていた。なんとか鳥居は超えたけれど、まだまだ先には行けそうにない。
油断したらそのまま人とぶつかりそうな列に並んで待っていたとき、案の定不意に誰かとぶつかった。
謝ろうとしてそちらを向くと、すぐ目の前に碧がいた。身長が変わらないため、ほんとに目の前に。むしろ今は前より伸びているし、すぐ隣に並んだからわかるけれど、自分よりも幾分か高い。
碧も同じように私のほうを向いて、すぐそばに私がいてわっと小さく声を上げた。
「こ、こんばんは。先生も初詣ですか?」
私は碧の言葉にコクコクと頷いた。
「毎年、年明けと同時にお参りしてたので。それで長谷川くんは、ご家族と?」
私が尋ねると、碧はふるふると首を横に振った。
少しあたりを見渡すけど、たしかに碧の家族っぽい人はいない。だからといって友人っぽい人もいない。
「僕のとこは両親いないから、社会人の姉と二人暮らしなんですよ。姉は休みに外に出たくないって寝てるので、僕が姉の分までお参りに来たんです」
年末年始の年越しの特番は起きてから一緒に見てるんです、と碧は喜々として語る。それだけで、お姉さんと仲がいいことが伝わってくる。
疲れてるお姉さんを気遣って一人で来たのだろうけど、だからといってこんな時間に中学生が一人でいるのは危ない。それがいくら、大晦日といっても。
「そうだったんですね。でも、一人は危ないと思うんですけど」
私がそう言うと、碧はうーんと首を傾げる。それからなにか思いついたようにはっとした。
「じゃあ、先生一緒に行きましょう。ちょうど姉も先生と同じくらいの年ですし、一人でいた生徒を保護してたってことで」
保護したなら家に帰すものだと思うのだけれど。
今すぐ帰したいところだけど、そうやって話しているうちに私たちの後ろにも人が並び始めてごちゃごちゃとしている。今ここで引き返せば逆に迷子になるしかえって危ない。
それに、いくら十歳も年下といえど、男子の力に敵うかわからない。中学の頃も人並みで、高校でも伸びなかった私の身体能力が、中学生男子で普段から運動をしているような碧に敵うかどうか。
私は仕方ないという意味で、小さくため息をついた。
「わかりました。お参りしたらそのまま、人の流れに乗ってすぐ帰りますからね」
あなたも、と念を押すと、碧はわかってると笑った。ほんとにわかっているのか。
携帯の電源をつけると、もうすでに年明け数分前。白石先生へのメールを開いて、あけましておめでとうの挨拶と、短いメッセージを打ち込む。
ちょうど打ち終わって、あとから送ろうと携帯をしまおうとしたとき、携帯の時計が十二時を示す。
同時に、神社の中心のほうから、なにかしら放送がかかる。人の声にかき消されてよく聞こえない。ただ、年明けの知らせかなんかを言ってるってことだけは、理解できた。
「あけましておめでとうございます」
碧に声をかけると、碧はニコッと笑みを浮かべる。
「おめでとうございます、先生」
年明け、一番始めに挨拶をしたのが碧って、なんか変な感じだ。それも碧と生徒と先生と関係というのが、余計にその違和感を際立たせる。
私はしまいかけた携帯の、メールの送信を押してからポケットにしまった。白石先生にメールで挨拶というのも、なんだか違和感がある。
人の波にのまれながら、とりあえず碧と離れないようにして、前に進んでいく。
ふいに服をつかまれる。碧とは逆の方向からで、びっくりしてそちらを見た。
そこにはあたたかそうな格好をしたのぞみがいて、人の流れで偶然にも私の後ろに来たようだった。
「先生、あけおめ。長谷川くんも。二人は偶然会った感じ?」
波をかき分けてそばまで来て、軽く挨拶をしてくる。
二人は、という言い方をするということは、のぞみは違うということか。どういうことだろうと考えて、そういえば中二のときは大翔も一緒にいたことを思い出す。
大翔とは家が近くて幼稚園も一緒だから、家族ぐるみで仲が良かったのだ。それこそ、高校に入るまでは。
三年生のときは受験やらなんやらで行けなかったけど、二年生のときは一緒に行ったんだっけ。
案の定、のぞみのうしろからひょいっと大翔が顔を出す。
「二人とも、おめでとうございます。私たちは偶然会った感じです。二人は?」
「わたしたちは、親も仲いいから一緒に来ただけ」
向こうに親いる、と指さしたほうを見ると、よく見慣れた顔が見つかった。
私の両親。この頃はまだ、母の髪が長かったんだっけ。十年後と大きくは変わらない、でもどこか違う二人が、のぞみと大翔を見守りながら、大翔の両親と楽しそうに話をしている。
大翔は手を挙げてぴょんぴょんと軽く跳ねて、ぼーっと考え事をし始めた私にアピールをする。
「坂本先生! あけおめです! あれ、碧もいんじゃん、あけおめ!」
「あけおめ、大翔。あと、坂月さんも。大翔は深夜なのに元気だね」
あとから碧に気づいた大翔に、碧はやや呆れたように言った。
大翔は元気というか、落ち着きがないというか。隣で見ているのぞみも、どこか呆れたような顔をしている。
客観的に見ると、私と大翔ってやっぱり他と比べると仲が良かったみたいだ。なんとなく、恥ずかしい。
わいわいと盛り上がる三人を眺めているうちに、賽銭箱の前までたどり着く。その頃にはのぞみたちは後ろに並んで、両親と大翔と話していた。
お参りをして、碧とはぐれないように気をつけながら、今度は神社の外へと引き返していく。
それに気づいたのぞみが、また学校でという意味を込めて手を振ってくれた。私も慌てて振り返す。
碧が私の服の裾を軽く掴んで、私は碧に気をつけながら、流れに乗って神社の外に出る。
「ほんとにすぐに出てきましたね。なんだかんだなにか見ていくかと」
神社の外の、人の少なくなったところで、碧は私の服を掴んでいた手を離してそう言った。
そうはいっても、この時間だと見るものもない気がするんだけど。
「なんか、思ったよりも生徒に会ったので。なるべく早く退散したいなと思いまして」
他の知り合いに会いたくないのも本音だし、生徒という立場である碧とあまり長いこと一緒にいるのもよろしくない。
私が言い訳すると、碧は納得してくれたようで、確かにとつぶやく。
「それじゃあ、帰りましょうか。早く帰って寝ないと」
もうすでに、十二時半を回っていて、私の眠気は限界まできていた。さっさと家に帰って寝てしまいたかった。
眠気を感じているのは碧も同じらしく、それもそうですね、とまったりとした声で言った。
「あ、そうだ。先生、こんな時間に女性が一人っていうのも危ないですし、途中まで送っていきます」
いいですか、と提案する碧だけど、私はふるふると首を横に振った。
「女一人より、子供一人のが危ないですから。長谷川くん、家まで送ります。たしか、結構近くでしたよね」
家庭訪問のときのことを思い出して、逆に提案をした。
碧は少しムスッとした表情をしたから、子供扱いしたのはよくなかったかな、と思った。けれど私からしてみれば碧は生徒で、子供であることには変わりない。
「僕は、大丈夫なんですけど」
「なにかあったときに、責任があるのは最後まで一緒にいた私ですから、私のためだと思ってください」
納得のいかなさそうな碧に、お願いします、と両手を合わせた。
碧はしばらく考えてから、しぶしぶ頷いた。
「そういうことなら、わかりました」
納得したのかしてないのか、碧はムッとした表情のまま。小さくぼそっとずるいとつぶやいた気がするけど、気のせいかな。
そのあとは適当な話をしながら碧を家まで送り、そのあと家に帰った。
その頃には夜中の一時になっていた。今からお風呂に入って寝る準備すれば二時になってしまう。久しぶりの夜ふかしだ。
眠い目をこすりながら、お風呂に入り、髪を乾かす間になんとなく手を伸ばしたのは、引き出しの中にしまっていた、中学の頃の卒業アルバムだった。
パラパラと適当にめくると、懐かしい人たちの顔が並んでいた。
ページをめくる手を止めたのは、恵美の顔写真を見つけたときだった。むりやり笑ったようなその顔は、とても幸せとはいえなかった。
他の人は皆明るい笑顔をしているのに、なんとなく引きつった笑顔。そう思うのは、恵美の自然な笑顔を見てしまったから、かもしれないけど。
私が最近よく見る笑顔とは違う、陰りを見せる寂しそうな表情。もう一枚めくると、三年生の頃の私が、満面の笑みとはいえない笑みを浮かべていた。
私も、恵美ほどではなくても、明るく清々しい笑顔とは言えない。なにかを、残してきたような顔。
そう、残してきた。後悔を、大きな後悔を一つ。
高校に上がっても、その後悔と自分の弱さへの嫌悪は消えなかった。強くなりたいと思った。心に張り付いた罪悪感を拭い取りたかった。
教師の道を選んだのは、そういうわけだったっけ。恵美と同じような目に遭ってる子を、教師として救うことで、自分の心を軽くしたかった。
結局、自信をなくして、免許だけとって教師にはならずに逃げて、ブラック企業なんかに押し潰されて、なにがしたかったのか。
夢でもいい。恵美を救えた。きっとこの世界に、この過去に、現実に、このアルバムはいらない。……多分、いらない。
この時間を生きてるのぞみなら、恵美なら、もっと自然に笑えるはずだ。
アルバムをとじて、机の上に置く。クリスマスイブ、私に会いに来てくれた二人を思い出しながら、私はベッドに寝転んで、ゆっくりと目を閉じた。




