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第十話『許されない罪』②



 腰を折り深々と頭を下げた凛月。うまく言えなくて、あの、その、としどろもどろに言葉をつなごうとする。


 恵美は急かすことなく、真剣な目で凛月を見つめて次の言葉を待った。



 「今までひどいことして、ほんとにごめんなさい。許してもらえないとわかってるけど、謝る以外に思いつかなくて」


 それ以外にできることが、と凛月は付け足す。精一杯の謝罪、声が震えている。だけどそれを感じさせないようにと小さく深呼吸をしながら言葉を紡ぐのは、泣きたいのは恵美のほうだと、そう思ったからか。


 恵美はしばらくじっとしていて、それからゆっくりと口を開いた。




 「……じゃあ、私と同じ目に遭って」

 「えっ」


 意を決した様子で口を開いた恵美が放った言葉に、凛月は戸惑ったような声を出した。


 恵美の目はいかにも真剣で、だからこそヒヤリと冷や汗が背中を伝う。恨み辛みが、歪みなく真っ直ぐに向けられて、凛月も先ほどよりこわばった顔をしている。なにも言えずに、ギュッと手を握りしめて恵美の次の言葉を待った。


 私もなにも口出すことはできなくて、恵美と凛月を視線だけ動かし交互に見ながら、どこか懐かしいとすら感じるある人たちへの恨み辛みを噛み締めた。



 私では、こんなにもはっきり伝えられない。その言葉がたとえ世間一般から見て褒められたことではないとしても、私は自分の思いを素直に打ち明けた恵美を尊敬した。


 それも、ただ一言の中に込めて。



 恵美はしばらくじっと凛月を見つめたあと、ほんの少し表情を緩ませてちょっと視線をそらした。



 「うそだよ。だって、それでもきっと私の気分は晴れないし、どんなに謝ってくれても、この先も許せないよ」


 今度は柔らかい口調で、自分の思いを告げる。考えていることを、嘘偽りなく。


 でも、先ほどの一言が脅しなんかじゃないことをわかっていたから、私と凛月は表情を変えずに聞いていた。



 「だから……、だけど、ずっと恨みを抱えていたくはない。許せなくても、恨みっぱなしは嫌だから、……嫌だけど……、」



 凛月と話す機会を設けたいと伝えた時点で、恵美は恵美なりにいろいろと考えていたみたいだ。


 いろいろと悩んで、悩んで。許せないけど、いつまでも恨んで囚われたままなのも、自分が前に進めないからもちろん嫌で。それで。


 「この機会だから、はっきり言うけど! 絶対に許さないから、私にしたこと、絶対に忘れないで! 私はもうなにもしないけど、一応謝ってくれたから、仕返しとかはしないけど、自分がしたことはいつか、返ってくるから、……絶対、返ってくるから」


 念を押すように、恵美はそう言った。もうなにもしないと、謝ってくれたからと、遠回しに凛月を許したことになる。


 もうこれ以上咎めないと、そう言ってるようなものだから。



 凛月もそれには気づいていて、でも絶対に許さないという言葉も噛み締めて、大きく頷く。


 「……うん」


 それ以上、なにも言わなかった。言えなかったといったほうが正しいかもしれない。



 言いたいことを言い切ったのか、恵美はわずかに目に涙をためていた。ホッと安心しきったような表情を浮かべた。




 「……もう、なにも言うことがなければ、解散しましょうか」


 二人を、特に恵美を見ながら私はそう提案した。ここでなにか言うことがあるとすれば、恵美のほうだろうから。


 だけど恵美はしっかりと首を縦に振った。解散してもいいという合図だろう。


 凛月も俯いたまま何度か首を縦に振っていた。



 凛月は荷物を持って、先に相談室を出た。出ていく直前に一度振り返って、恵美に一つ礼をしてから。


 恵美はそんな凛月の様子に、荷物を持つ手に少しキュッと力を込めた。そのすぐあとに、大きく息を吐いた。緊張の糸を解くように、ゆっくりと。



 「あ、あの、坂本先生、」


 くるっと私のほうを向いた恵美が、深々と頭を下げる。


 「ありがとうございました。言いたいことも言えてスッキリしました! これからが怖いけど、私には、のぞみちゃんもいるし、もう、大丈夫です」


 多分、と付け足した恵美の笑顔はどこか不安そうで、大丈夫という言葉が強がりでしかないことを悟った。それでもただの強がりで終わらないように、恵美は前を向く。


 堂々と、私を見つめる目は、私が知ってる恵美とはまったく違うものだった。弱々しい瞳とは違っていた。




 もし、もしも、あのとき私が同じように恵美のそばにいたなら、恵美に手を差し伸べていたら、恵美はもしかしたらこんなふうに、強い瞳をしてくれたのだろうか。


 悔やんでも悔やんでも戻ってこない過去を、またいつものように悔やんだ。



 恵美は私に一礼すると、相談室を出て行った。私は恵美が出ていったのを見送ったあと、ゆっくりと息を吐き出した。




 ……未来が、変わった。この先恵美たちがどうなっていくのかはわからないけれど、でもこれで少なくとも過去で恵美が自殺した原因は取り除けた。


 なんだろう、やりきった感。過去に来て、どうしても帰れなくて、これが神様のくれたチャンスならって走り出したけど、一段落終えて走る目標がなくなった気がする。


 たしかにこの先も大切で、私がやりだしたことなんだから、凛月と恵美の観察はしっかりしないといけないだろうし、なにかしらあったときは仲を取り持ったりとか。


 だけど、一段落して、凛月が謝ってくれて、恵美も許さないとはいえ謝罪を受け入れて、すごく安心した。


 これぞ俗に言う燃え尽き症候群ってやつ、なのかな。そこまで重篤なものじゃないけれど。



 「坂本先生っ!」


 恵美が閉めていったはずの扉がバンッと開いて、思わず肩を震わせた。


 扉を開けると同時に中に入ってきたのは白石先生だった。白石先生は立ちすくむ私を見ると、ふわりと優しい笑みを浮かべた。


 「お疲れ様です。さっき、六木さんがお礼を言いに来てくれました。私はほとんど何もしてませんけど……」

 「いえ、そんな、白石先生の協力があってのことでしたので」


 少し寂しそうな目をした白石先生に慌てて言葉を紡ぐと、先生はふるふると首を横に振った。それから、ありがとうございますと私に頭を下げる。


 突然のことにどうしたらいいのかわからず戸惑う私をよそに、白石先生はパッと顔を上げると、私に笑いかける。



 「でも、これからも大変ですから。これからのことは任せてください」


 先輩として、と付け足した白石先生はどこか頼りなくて、でも頼りになりそうな雰囲気もあって。私はお願いしますという代わりに笑い返した。





 翌週から、合唱コンクールの朝練習が始まった。朝の十分程度の学習時間を合唱に回す。


 音楽の授業時間に一度のぞいたときはそう良いとは言えない雰囲気だったけど、そのときよりかは良い雰囲気だったと思う。ぴりっとした痛い空気を感じない。


 お互い気にはしてるけど、必要以上に関わらない感じ。それがいいのか悪いのか、はっきりとは言えないけど。



 はじめはそれこそ、自信なさげにぼそぼそと小さく口を開けていた恵美も、今はある程度堂々と歌えるようになっている。


 恵美のすぐ隣にはのぞみがいて、練習の合間に目を合わせて笑いそうになっている。凛月もそれを見て、ちょっと寂しそうな、だけど安心したような表情を浮かべていた。



 凛月は逆に恵美への謝罪以来は少し自信なさそうにしていたけれど、夏子の存在があったこともあり、次第に普段通りに戻っていった。


 すべてがすべて今までどおりとはいかないけれど。



 「センセーっ! 聞いて聞いて! あたし夏子ちゃんに褒められたー!」


 やったー、と無邪気に笑う凛月。今まで腰に頭突きするように突っ込んできていた行動は、今では腕に絡みついてくるくらいになっている。


 そのままブンブンと振り回してきそうな元気さが、やっぱり凛月らしいと思った。



 凛月には、あの日の翌日改めてお礼を言われた。それから、謝罪も。

れですべてが丸く収まったかというと、そうとも言い切れないのかもしれないけれど、でも表面上は丸く収まったと思う。




 翌々週には、合唱コンクールを迎えた。十一月になった、一番はじめの週のことだった。



 「どうしよ、ドキドキする……」


 結果発表のとき、隣に座っていた子が呟いた言葉に、私の心臓もドキッと跳ねた。


 指揮者をしてくれた子。まとまりのないクラスを、委員長と結託してまとめようとしてくれた子。


 明らかにお互いがお互いを避け合っていた凛月と恵美を気遣ってくれた。二人の間の空気が変わってから、安心したような顔をしていた。



 ……私は、知らなかった。あの二人の関係が、二人の間を流れていた空気感が、また別の人を悩ませて追い込んでいたこと。悩ましいのは、辛いのは、私だけだと考えていた。


 周りが見えてるふりをして、全然周りに目を向けられていなくて、結局自分のことばかりだった。それが間違っているわけじゃないけれど、でも少しでも周りに目を向けられていたら、あのときの私は、一歩を踏み出せたのかな。



 「二年生の結果を発表をします。……優良賞、三組、……」


 ワッとすぐ周りから湧き上がった歓声で、涙がこみ上げてきそうになった。それが賞を取れた感動からか、と言われたら断言はできない。目標としていた優勝には届かなかったわけだし。


 だけれど、未だにふわふわと実感のわかなかった、『変化していく未来』が目の前に見えた気がした。過去には、賞なんて取れなかったから。それはある意味、証明だった。



 表彰を経てコンクールが終わり、会場の外に出た生徒たちが喜び合っていた。誰構わず、同じクラスであればそれでよいと感動を分かち合う中に、凛月と恵美がいた。


 ばったりと目の前に立った二人は一瞬動きを止めて、恵美のほうから、ハイタッチを求めた。凛月はそっと手を添えて、こらえきれなかった涙を流していた。


 喜びよりもきっと、罪悪感。罪悪感よりも、恵美への感謝。


 小さな声で恵美に向かって「ありがとう」と呟いた凛月に、恵美はただ笑うだけだった。困ったような笑顔はどことなく陰りを見せて、許さないと言った恵美の真っ直ぐな目を思い出させる。



 それでも、これで、イジメの件は終わりを告げた。私ののぞみも叶えられた。


 これで私も、“わたし”も、変われたかな。私はもう一度、教師の道を選んだ理由を、意思を、取り戻せたかな。


 いつか、恵美のように苦しんでいる人がいたとして、今度は絶対に手を差し伸べたいと、後悔しないように助けてあげたいと、そう思った私の願いは少し叶えられたかな。



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