第九話『立ち向かえ』②
凛月の取り巻きたちは三人ほどで、みんな別のクラスのため、白石先生は授業で関わりがある生徒を、あとの二人は部活で関わりがある小出先生と郷平先生が呼び出してくれるらしい。そのため、昼放課ではなく、帰りの連絡の際にそれぞれ別の教室に呼び出してくれるそう。
「すみません、私が提案したのに頼りっきりで……」
そう言えば白石先生は、
「いえいえ! 私のほうが先輩で生徒のことに詳しいですから、これくらいは任せてください!」
そう言って胸を張ってみせた。これを考えてくれただけでも本当にありがたいんです、と私が渡した書類を抱いた白石先生に、私はありがとうございます、と笑みをこぼした。
誰かの役に立てた、ありがたいと言ってもらえた。認められることは、素直に嬉しかった。それが誰かの役に立てたかもしれないということは、さらに嬉しかった。
だから、私自身も役に立たないと。
放課後、帰りの会のあとすぐに相談室の扉の鍵を開けておく。
少しして、凛月が楽しそうに駆け足でやってきた。私の言葉を信じて、相談に乗る気でいる凛月に、ズキリと胸が痛んだ。
……ごめんね、きっと私は今からあなたを責めることに、傷付けることになるかもしれない。
どうぞ、と、窓側の席に凛月を座らせて、私は扉側の席に腰掛けた。わざわざ凛月に、扉から近い席ではなく遠い席に座らせたのか、理由は一つ。そんなことはないと信じるけど、凛月が逃げ出しそうになっても部屋から出さないようにするため。
「先生、それで、聞きたいことって?」
なんでも言って、と自慢げに笑ってみせた凛月に、私はかすかに苦笑いを浮かべた。うまく笑えていない自信がある。私の笑顔はきっと、引きつっている。
深呼吸をして、まっすぐと凛月を見つめた。
「山内さん……、凛月さん、私が聞きたいのは、六木さんとのことです」
「六木さんとの、こと…?」
凛月の声が震えた。笑顔が引きつっていく。触れてはいけない場所に、触れてしまった私に、その視線がだんだんと冷たくなっていく。
「あたし、六木さんと、そんな仲良くないし、話さないし、関わんないし、」
たどたどしく言葉を紡いで、役に立てると思えないけど、と付け足した。両手を胸の高さでひらひらと振って、小さく拒否をしているみたいだ。それについては、答えたくないと。
私はまっすぐと凛月を見つめたまま、軽く深呼吸をしてから口を開く。
「……何度も、見てるんです。何度も、何度も。きっと、凛月さんのしたことは、あれだけじゃないはずです」
凛月はぎゅっと唇をかんで、ゆっくりとおろし行き場をなくした手を、そっと机の上においた。机においた手で拳を作って、そろそろと視線を下に向ける。
「……何度も、見てるんだ。わかってて、聞いてるんだよね」
「……、はい」
凛月はきっと、イジメてることを知っててイジメてるかと聞いているのだと、そう解釈したのだろう。私がちゃんと知った上で、わざと凛月を責めて、凛月の口から言わせようとしてると。
そのとおりなんだけど、それでも今の私が凛月の目にどれだけ意地悪な大人に見えているのか気になった。
凛月は、私のこと、どう思っているのだろう。
声を震わせて静かにそっか、と呟いた凛月は、いつも私に見せる無邪気な笑顔とは打って変わって、悔しそうな表情でうつむいていた。
「あたしは、確かに、恵美ちゃんにいろいろした、けど、イジメというほどのことは、してない」
凛月はイジメだとは認めなかった。認めたら不利になるからかと思ったけど、なんだか心の底から言ってるような気もしてしまう。
でも、私がイジメと言葉にしたわけじゃないのに、凛月の口からイジメの言葉が出たのは進展かな。
「やられてる側がイジメだと感じたらイジメです。……それに、具体的になにをしたのか聞いていない以上、イジメかそうじゃないか、判断するのは難しいです」
「見てたなら、あたしのしたこと知ってるじゃん」
「凛月さんの口から、聞きたいんです」
まっすぐと見つめると、一度目があって、そっと視線をそらされた。
できるなら、凛月の口から聞きたかった。私の見たままの解釈と、違っている可能性だってないわけじゃない。
それに、自分で口にすることは、それを認めるということにもなるし。私が見てないことも、あるわけだし。
凛月はますます唇をかみしめた。じんわりと血が滲んでいる。慌ててティッシュを差し出そうとしたけど、凛月がそっと口を開いて、私は手を止めた。
「放課後に、突き飛ばしたりした。軽くたたいたり、ちょっと文句を言ったり、ノートを取り上げたり、あと、なにしたかな……。恵美ちゃん、なんにも言わないから、覚えてないや」
たたいたのは、本当に軽くだろうか。文句というのは、ただの悪口ではないだろうか。ノートを取り上げたあと、なにかしたり、隠したりしたのだろうか。
いろんな疑問がよぎってくるけれど、ちゃんと凛月は話してくれたから、一気に質問攻めすることはできない。こうじゃないのか、と思うことはあっても、今は、凛月の言葉をそのまま信じることしかできない。
「そっか。でも、覚えられないくらい、いろんなことをしたんですよね。どうして、ですか?」
覚えられないくらいたくさんのことを、凛月はどうしてしてきたのか。なにが、凛月にそうさせたのか。私がずっと、気になってたことだ。
だけど凛月はまた唇をかたく結んで、すぐに答えてはくれなかった。
……凛月のしたことは、理由があるからと許されることではないけれど、なにか理由があったなら、知りたかった。私にどうにかできることではなくても、話すだけで少しは楽になってもらえるかもしれないから。
少しの間沈黙が流れて、先に私が口を開いた。
「凛月さんは、普段私にとても明るく話しかけてくれますよね」
私がそう言うと、凛月は少し驚いた顔をして首を傾げたけれど、私は構わず続けた。
「明るくて、無邪気で、私と話してくれてるときの笑顔は嘘偽りのないものだと、そう信じてます。だからこそ、そんな凛月さんが、どうしてこんなことをしたのか、知りたいんです」
ただそれだけなんです、と付け足す。
凛月はゆっくりと私のほうを見て、それから、再び視線を落としていった。ぱちぱちといくらかまばたきをしたその瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ始める。
「だって、ムカついたから」
ぽつり、とこぼす。
「恵美ちゃん、おどおどしてて、話しかけても反応悪くって、それで、ムカついて……」
凛月はぽつりぽつりと話を続ける。
イジメた理由というのは、よくありがちなものだった。相手の反応が気に入らなくて、というのはよく聞く、気がする。
でも、はじめに話しかけたとき、凛月はどういうつもりで、どんな気持ちで話しかけたのだろう。なんて、声をかけたのだろう。
どんな理由があれど、彼女の行為は許されることではないけれど。
「今の、お母さん、みたい……」
消え入る声で呟かれたその言葉は、それでもやけに鮮明に私の耳に届いた。
凛月のイジメの原因は、その家庭環境にもあったのか。
残念ながら、私が恵美でも、だからといって凛月を快く許すことなんてできないはずだ。どんな複雑な家庭環境で、それに同情の余地があったとしても、それでも、それでも凛月のことはきっと許せない。
ただ、凛月にも抱えているものがあるのだと、今は教師である私が受け止めてあげることはできるから。凛月のお母さんの話は、あとで聞こう。
私は凛月を見据えたまま、ふわりと微笑みかけた。
「凛月さん、私はあなたの優しいところも素敵なところも知ってます。だけど、イジメはそれを全部自ら否定するものです。あなたは、あなた自身を、誰かをいじめることにより否定している。できれば、あなたのことを認めてあげてほしいんです。肯定してあげて。本当に優しい人になってください」
イジメが自らを否定する行為かどうかは、私の勝手な価値観でしかないけれど、でも優しいと思っていた人がイジメをしていたら、その優しさを不気味に思うでしょう。
私の見た優しさが本物だとしても、本物には思えなくなってしまう。だからイジメは、自分の中の優しさも善意もすべて否定すること、だと思う。
「六木さんを傷付けたこと、一生忘れないでください。あなたのしたことは、罰せられるべき罪なんですから」
イジメられたほうは、その傷を一生背負っていくことになる。自ら命を絶つまで追い詰められることだってある。それなら、イジメっ子も、罪悪感という形で苦しみを背負っていくべきだと思う。
それが、対等だと、私はそう思うのだ。
「先生は、あたしが優しいとか、本気で思ってるの? 優しかったら、イジメなんて、」
凛月は涙を拭って、私を睨むような鋭い目で見た。
「じゃあ、私に抱きついたり笑いかけてくれたのは嫌々ですか? 楽しそうにしてたのは演技ですか? 私のことが好きだなんて、全部嘘、でしたか?」
「そんなことない、嘘じゃない、けど……っ」
「私も、嘘じゃないと思ってます。でも、イジメは、それを嘘だと思わせるんです。イジメっ子という最低なレッテルを、あなたは自分で、自分に貼ってるんです」
言い終えてから、ちょっと言い過ぎたかな、と思った。かつての知り合いを相手どると、自分が教師という立場であることをとりおり忘れそうになる。
それに、これだけ凛月を責め立てるのは、かつて恵美を見捨てた自分を棚に上げてるみたいで、なんか嫌だ。凛月が最低なら、私も十分最低だった。凛月に向けた言葉が、自分に返ってくるみたいだ。
私は、結局、成人式の日に恵美の死を聞くまで、いや、自分が死ぬまで自分を認めることはできなかったんだ。
誰にも言えなかった、自分の罪。私は、自分のしたことに向き合えてなかった。イジメを見てみぬふりしたことをどこか正当化して、反省したみたいに教師の道を目指したのに、結局自分の弱さから逃げたんだから。
「……先生、あたし、どうしたらいい?」
凛月がぽつりと呟く。不安がひしひしと伝わってくる。そして、向き合おうとしていることも。
「謝ったってきっと許してもらえない。それに、一方的に酷いことばかりしてきた人が、ころっと態度変えて謝るのって、恵美ちゃんからしたら、どうなんだろ……」
凛月がなんともいえない顔で、不安に震えた声でそう言った。
謝りたいという気持ちはあるのだろう。だけどそれを拒否されるかもしれない不安と、恵美の負担になるかもしれないという罪悪感が、凛月を足止めしている。
恵美からしたらそりゃあ、簡単に許せたものではないだろう。
「私は六木さんじゃないから、絶対にこう、とは言えませんが……。でも、もしも私がその立場なら、口では許すと言っても、きっとずっと許せないと思います。それこそ、一生」
私が、恵美の立場だったら。イジメてきた彼女たちが、ある日ころっと態度を変えて謝ってきたら。
そりゃあ、許すと口にすると思う。もういいよ、と。だけど彼女たちの顔を見るたびにきっと思い出す。彼女たちにされたこと、全部、全部。
でも、謝られなかった今よりはきっと、まだ穏やかな気持ちでいられたかな。頭の中で思い浮かべた彼女たちの顔をぐちゃぐちゃに塗りつぶしたくなるほどの嫌悪感は、薄れていたのかな。
「……謝罪は、許してもらうためのものじゃないと思います。どうしたらいいかわからなければ考えてください。答えは、私もわかりませんから」
わかったら、教えてください。そう付け足せば、凛月は怪訝な顔をした。でも、そうだよね、と自分に言い聞かせるようにつぶやいて、大きく頷いた。
「がんばって、考える」
凛月が強くしっかりとした声でそう言って、私は微笑んで頷いた。それから凛月が落ち着くまでそばにいて、泣き止んだ頃に凛月は進路相談室を出て帰っていった。
それを見送ってから、職員室に戻ると、もうすでに戻ってきていた白石先生と、それから小出先生、郷平先生が私を待っていた。
「すみません、遅くなってしまって」
ちょうど会話をしていた三人のもとに駆け寄ると、小出先生がニコッと笑いかける。
「大丈夫ですよ〜。私たちも終わったばかりですし」
ねっ、と小出先生があとの二人に同意を求めると、白石先生はそうですねと笑って、郷平はまあねと頷く。待たせてしまったことが申し訳なかったけど、その対応に私は安心して胸をなでおろした。
それから四人で、生徒との話し合いの結果を伝え合った。
あっさりイジメを認めた子もいれば、認めるまでに時間がかかった子もいるらしい。ただ、最終的には、それぞれから謝りたいという言葉が聞かれたとか。
でも、すぐに謝るにも恵美の心の準備ができてないだろうし、さっと謝ったらそれで終わってしまいそうで。だから、反省する期間、をもうけた。謝りたいと言ったら、すぐ謝るんじゃなくて、何が悪かったのか、どう悪かったのか考えて、悩んで、まず謝る権利を得るところから。
それを伝えて、一週間ほどの期間を空けたいと思っていた。
先生方は私の案に沿って他の三人に伝えてくれたらしく、三人はしっかり考えることを受け入れたらしい。凛月はどうしたらいいかわからないと言っていたから、その一週間はどうしたらいいか考えてもらうことにした、と先生方には報告した。
自分で考えたのに、自分が一番そのとおりにできなくて、何か言われることは覚悟していた。だけど、誰も私に何も言わなくて、それでいいと思う、と言ってくれた。ただそれが、嬉しかった。
その後謝るときは別室で、白石先生と私がつくことに決定して、解散することとなった。
職員室に戻ってからは部活にも一応顔を出して、それから終わっていない仕事に手をつける。終わらなかった分は持ち帰ることにして、職員室を出て、家路についた。
鍵を開けて、ドアノブを回して、家の中に入って、靴を脱いだ瞬間に、ふっと緊張の糸が解けた。同時に、何にそこまで気を張っていたのかわからないけど、ぽろぽろと涙がこぼれた。
ふらふらと歩いていって、リビングの床に寝転がる。
凛月を傷つけないように、でも恵美を助けたくて、のぞみにも変わってほしくて。ちょっと、欲張りすぎていたのかもしれない。あれこれやろうとするから、失敗できなくなって、ひどく緊張していたんだ、きっと。
……ああ、でも、ここまでなんとかなってよかった。
天井を見上げてゆっくり深呼吸をしてごしごしと涙を拭った。
多分、肝心なのはこれからだから、まだ気を抜いちゃダメだ。でもあまり気を張りすぎて自分がダメにならないように、適度に気を抜いていかないとね。




