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第八話『たすけて、』①



 野外学習が終わって、土日が明けた。


 土曜日は本来部活があるのだが、水月先生から野外学習明けだしゆっくり休むようにと言われ、家でのんびりとしていた。日曜日も休みだったから、授業の準備を整えつつも、三日間の疲れを取るべくしっかりと休んだ。



 月曜日、野外学習のために学校へ行くのが久しぶりだったからか、いつもより少しだけ早く起きてしまった。準備もてきぱきと済まし早めに終わってしまって、やることもないからと学校へ向かうことにした。



 職員室にはいつもと変わらないメンバーが揃っていて、ちょっと早いねと気付いた人は声をかけてくれる。私がそれに対して久しぶりだったのでと答えれば、先生たちは金曜日に来たじゃんと笑っていた。


 確かに、金曜日に生徒たちを帰してから、野外学習を担当した先生同士で反省会をするために一度職員室に訪れた。だから学校に来るのも職員室に来るのも久しぶりというわけではないんだけど、こうして朝から学校に来て授業の支度をするって言うのが久しぶりだったから。




 「あ、坂本先生、おはようございます。お早いですね」


 まだあれこれと準備を整えている白石先生に、私はペコッと頭を下げた。


 「おはようございます、白石先生」


 笑いかけると、白石先生も同じように笑い返してくれた。


 白石先生がまだ準備をしているところ、初めて見たかもしれない。いつもはもう準備が終わってしまっていて、教室に行く準備万端な状態で挨拶をしてくれた。こうやって準備をしながら声をかけられたことはなかったっけ。


 どうでもいいことなんだけど、いろいろ考えながらあれやこれやとせかせか動く白石先生を見て、そんなことを考えた。



 私が来るのもそんなに遅くないはずなのに、白石先生はもっと早くから来て、生徒のためにしっかりと準備をしている。昔の私は白石先生のこと、単純に甘くてゆるい先生だな、なんて思っていたけど、今は全然そんなことはない。生徒のために一生懸命な熱血教師、だと思う。



 「あ、そろそろ私、教室行きますね」


 準備をしている私に、白石先生は席を立ってからまたあとでと声をかけてくる。私が返事の代わりに会釈をすると、白石先生はふわりと笑って職員室を出ていった。



 「白石先生、いつも早いですよね」


 ふふっと笑う声にそちらを向けば、小出先生がクスクスと笑っていた。ちょっぴり羨ましそうな視線を向けるのは、きっと自分もクラスを持ちたかったからだろう。


 「そうですね」

 「基本、教室は生徒が開けに来ますし、わざわざ先に行って待ってる必要ないんですけどね」


 私の相槌に小出先生は白石先生の出ていった扉を見つめながらそう続けた。それからパッとこちらを見て、ねっと笑いかけてくる。


 何が言いたいのか、と私がキョトンとして首を傾げると、小出先生は笑顔を浮かべながらだから、と言葉を続ける。



 「坂本先生がいつも白石先生のことを尊敬の眼差しで見つめてますけど、無理する必要はないですからねって話です。自分のペースで生徒と関わってあげてくださいね!」


 ……自分のペースで、か。


 小出先生の言うとおり、白石先生のことは尊敬しているし、私もあんなふうにと思い始めていたけど、確かに無理して追いかける必要はないんだよね。


 「そう、ですね」


 それに、きっと焦りは相手に伝わってしまう。伝わった焦りは、相手の不安を煽る。



 本当は、土日の間も恵美とのぞみ、それから凛月のことが気になっていた。だから、今日になったらのぞみに話を聞いてみようと思っていた。けど、急いで問い詰めることもない。


 ただ、聞かなかったらのぞみは教えてくれない気もするし、一回だけ、声をかけてみようかな。



 そんなことを考えながら準備を整えて、席を立ち上がる。



 「おっ、もう行くんですか」


 不意に声をかけてきた小出先生に、私はニコッと笑いかけた。多分、先程の言葉から察するに、無理をしていないかと心配してくれたのだろう。



 「はい。……ちょっと、気になることがあって」


 言おうか迷ったけれど、気付けばポツリと口からそんな言葉がこぼれていた。すっと小出先生から目をそらして、ギュッと荷物を掴む手にほんの少し力を込めた。


 少し、なんのことかと首を傾げた小出先生だったが、私の様子を見て深く問い詰めることはせず、そうなんですね、と笑いかけてくれた。それから、背を向けて職員室を出て行こうとした私に、小出先生はあっと声を上げる。



 「坂本先生、相談ならいつでも乗りますからね!」


 待ってます、とトンッと張った胸を叩いて、得意げに笑ってみせる。



 『いつでも相談に乗ります』


 のぞみに言った自分の言葉を思い出した。小出先生みたいな頼もしさはきっと、なかったけれど。


 いいアドバイスが必ず返ってくるとは限らない。けど、けれど、話を聞いてくれる人がいるだけで、気持ちがふと軽くなる気がする。



 「ありがとう、ございます」


 小出先生の言葉を噛み締めながら、お礼を言って軽く頭を下げると、私は今度こそ職員室をあとにした。


 教室に行くと、いつもよりも早いせいか、まだ人が少なかった。だけどその中に、珍しくも早く登校しているのぞみがいて、私に気付いてすぐ駆け寄ってきた。



 「おはよ、先生」

 「おはようございます、坂月さん」


 気付けば彼女の名前、自分の名前を呼ぶことにもすっかり慣れてしまっていた。

 

 のぞみからは、野外学習のときに感じていた寂しそうな様子や既視感は今はもうほとんど感じられなかった。多分、土日を挟んだのが一番の原因だと思う。土日を挟んで、だいぶ落ち着いたのかと。


 それでもかすかに感じる、笑顔のぎこちなさと、のぞみの纏う雰囲気に対する既視感。


 ふと、頭の中に、少しやつれた虚ろな目をしている私自身の姿が思い浮かんだ。鏡越しに見た、窮屈なスーツをきっちりと着こなした私の姿。



 ……あ、そうか、そうだ、そういえば。あの時の私と、どこか重なるところがあるんだ。多分それが、私の感じている既視感、だろう。


 あれは、入社してしばらく経って、同じ部署の人からイジメを受け始めた頃だった。馬鹿な私はなんの勝算もなく、理不尽に怒られていた、簡単に言えばパワハラを受けていた同僚の肩を持って、パワハラだけでなく陰湿なイジメまで受けるようになってしまった。


 ……ああ、そんなことも、あったっけ。


 ここではパワハラの“パ”の字も感じられないから、一年と少し前のことがどこか遠い日のことのように思えた。


 のぞみに、どう、声をかけよう。あの時の私は、なんて言ってほしかったかな。もらえるなら、どんな言葉がほしかったかな。



 「あの、坂月さん」


 名前を呼ぶと、のぞみは不思議そうに首を傾げた。そんなのぞみに、あの頃の自分の姿が重なって見えた。


 「なにかあったら、いつでも話は聞きますので」


 なにを言えばいいか、パッとは思いつかなくて、ただ今の私に言えることを言った。


 のぞみはしばらくキョトンとしたあと、ふっと笑みをこぼした。


 「いきなりどうしたの。ちゃんと言うよ。……ただ、もう少し待ってて」


 その言葉で、なにかあったということは容易に察することができた。ただ、今は言いたくないのだろう。もしくは言える段階ではないのだろう。


 光が来たのを見たのぞみは、じゃあ、と小さく手を振って光のほうへと駆けていった。先程よりもやわらかくなった表情に、私は少しだけ安心して胸をなでおろした。


 少しでも気持ちが楽になってくれたならいいんだけど。のぞみの背中を眺めながら、そんなことを考えた。



 その日は、野外学習の直後とは思えないくらいにいつも通り時間が過ぎ去って、恵美と凛月に目立った進展もなく、のぞみにもなにもないまま終わった。


 イジメを止める方法については、考えても調べてもなかなか思いつかないけど、イジメをやめさせる方法についてはなんとか見つけることができた。私一人ではできないことだけど、教師としてイジメをやめさせるには、多分その方法が一番適切。


 いつかのために、その方法を紙にまとめていく。私一人でできないなら誰かに読んでもらって協力してもらう必要があるから。



 それから少し経って、体育大会ももうそこまで迫っていたある日の放課後だった。日が暮れた頃に、白石先生から教室の施錠を頼まれた。


 普段はたいてい白石先生が行ってくれるのだが、どうしても終わらせなきゃいけない分が終わらなくて、と言って頼まれた。申し訳なさそうにする白石先生に、むしろいつも私の分までやってくれてるのだからこれぐらい当然だと言っておいた。



 もう廊下にはほとんど人が残っていなくて、音楽室みたいに部活の人が使ってる場所じゃなきゃほとんど電気はついていなかった。自分のクラスももちろん電気はついていなくて、ただ忘れ物を取りに来た生徒がいるかもしれないからと、物音のしない教室を覗いた。



 一人だけ、教室に残っていた。窓際に立ち尽くして、一つだけ開いた窓の向こうを眺めている。


 薄暗いながらにも、その後ろ姿ははっきりと認識することができた。肩につくかつかないかギリギリの黒い髪、ふわりと癖のついた髪は毛先があちらこちらへ向いている。夏用の白いセーラー服の真っ白の襟には、たとえ薄暗い場所でもその髪の黒色がよく映える。


 なるべく足音を立てないように教室に入って、そっと彼女に近付いた。ちょっと後ろから顔をのぞき込めば、呆然として外を眺めていて、その瞳には何も映していなかった。



 濃く空に広がった夕焼けすら、映していない。つい最近にも、鏡越しにそんな虚ろな目を見たことがあった気がする。




 「六木さん」


 声を、かけた。


 一瞬肩を震わせ静止した恵美は、ゆっくりとこちらを向いた。スッと彩の戻った瞳が、まんまるに見開かれて、私の姿を映し出す。それからホッとしたような表情をして、私から目をそらした。


 「先生、ごめんなさい。すぐ帰ります」


 チラッと私の手にある教室の鍵に目をやってから、恵美は張りのない声でそう言った。力のこもっていない、よく言えばのんびりとした声で、恵美はぎこちなく笑ってみせた。


 前に比べれば少しは笑うようになったかもしれないけど、それはどれもぎこちない作り笑いだ。



 「あのね、六木さん」


 鞄を取りに行くべく窓から離れようとした恵美に声をかければ、恵美は足を止めてもう一度私のほうを向いた。不思議そうな顔をして、首を傾げている。


 私は鍵を掴む手にギュッと力を込めて、まっすぐと恵美を見つめ口を開いた。





 「……今、死にたいと思ってた?」


 なにも考えていない、あまりに直球な一言だった。だけど、咄嗟にこれ以上の言葉が思いつかなくて、考える前に声が出ていた。


 恵美は大きく目を見開いて、ぱちぱちとまばたきを繰り返した。だけど怪訝な顔をすることなく、私をただ不思議そうに見つめるばかりだった。


 「……っえ、あの、えっと、」


 戸惑ったような声を出して、視線をキョロキョロと泳がせる。否定をするわけでもなく、肯定するわけでもなく、言葉をつまらせた。



先週更新できなかったので、夜に第八話の後半を更新します

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