習作『どうして空は青いのか』
タイトルにもありますが習作です。
『』内には頂いたテーマを原文のまま引用しております。
僕がこの街に生まれて18年が経った。
そこは大きな山の麓にある村といった方が正しい様な小さな街。
小学校は1クラスしかないが、何故か中学校と公立高校が1つずつ存在している。四方を山と田んぼに囲まれたそのいで立ちは良く言えば風情があるとも言えるが、通っていた身としては唯々不便なだけであった。
そんな環境で12年の学生生活を過ごしてきた僕は、進学のためにとうとうこの街を出て行くことになった。
あれだけ不満を口にしていたのにいざ故郷を離れるとなるとなかなかどうして胸に込み上げるものがあり、いよいよ離郷を明日に控えた今日、僕はふと思い立ってこの小さな街を一度巡ってみることにした。
いつもはまだ床に着いている早朝、いつものランニングシューズを履いて家を出る。うっすらと明るくなっているが物音一つ聞こえない街に僕はまるで異世界に迷い込んだ様な心持ちになった。
家の前の坂を少し下った所にある一軒家。僕の中学入学と同時にその家にやってきたしば犬は、いつのまにか三匹の子犬を抱える大黒柱として立派に成長していた。そのまま道なりに舗装された道路を進むと個人経営の商店が数軒建ち並んでいる。肉、魚、野菜、雑貨、贅沢をしなければそこで日常生活をするのに必要な大体のものは揃えることが出来た。最近は受験勉強で来ることはなかったがどうやらここにパン屋が新しく加わったらしい。もう支度を始めているのか香ばしい香りが辺りを満たしている。
本来はこのまままっすぐ行くのが通学路ではあるが、今日は道を外れて脇のあぜ道を行くことにした。
小さな頃はよく横を流れる水路でザリガニを捕まえていたものだった。小さく残っていた雪も全て溶け、ところどころに春の報せがやって来ていた。
あぜ道をまっすぐ進むと石の階段が現れ、そこを登ると神社がある。何となく怖いイメージがあり、小学生の時以来近づいてすらいなかったが、今はもう怖さなど微塵もなく、寧ろ心が穏やかになって行く心地がした。境内は驚くほど綺麗にされており、毎日誰かが手入れをしているのだろう様子が見て取れた。
拝殿で少し遅めのお礼参りを済ませ、再びあぜ道へと戻る。だが来た道を戻るのも面白くないので、田んぼを挟んで二つ奥の道を行くことにした。
途中に一人のお爺さんとすれ違い、軽く挨拶を交わす。見たことはあるけど名前までは知らない、そんな人だった。
目的のあぜ道を前に立つと、その先には3年の苦楽を共にした学び舎が見えた。何となく悔しい気持ちになりながらも歩みを進めて行くと、ちょうど日の出の時間が来た様で、校舎の背後の山のそのまた後ろから大きな火の玉が顔を出した。いつも見ていた景色とは違う眺め。3つのオブジェクトが一直線に並ぶその光景は、なるほど風情があるものであった。
4、5分ほどゆっくりと歩いて高校へと辿り着くと、そのまま生徒の間だけで知られている防球ネットの裂け目からグラウンドへと侵入し、中央で大の字になって寝っ転がった。春休み中の閉校期間ということもあり開放感もひとしおだった。
たった1時間ほど歩いただけなのに随分と新鮮な体験をした気がする。18年も住んでいる街でまだ知らないことがあるなんて思ってもみなかった。改めて考えるとどれも取るに足らない様な当たり前の事ではあるが、そんな当たり前のことさえ知らずに愚痴を垂れていた自分が少し恥ずかしくなった。
物思いにふけってる間にも太陽は昇り続け、紺色の空はやがて一面の鮮やかな青へと塗り替えられる。こうして見上げる空の青さの理由も僕には分からなかった、というより知ろうとしていなかっただけかもしれない。受験勉強にたっぷり時間を使ったくせにこんなことも知らなかったとはお笑いだ。帰ったらネットで調べてみようか。図書館で本を借りるのも良いな。ついでにパン屋でパンでも買って帰ろう。
僕は予定にはなかったゴールデンウィークの帰省を心に決め、そうして進学前最後の1日が幕を開けたのであった。