第22話 雪片花
昼食の入ったバスケットをカレンに持たされて、アニーの先導でユートピアを行く。朝食時にカレンからお弁当を受け取って、デート相手と丸一日過ごす、というのが本来予定されていた形式らしい。前回は中身が料理そのものだったのと、前々回は……まぁ、何もかもがイレギュラーだったので、いきなり最初の二回が例外となってしまったが。
ちなみに昼食は全員そろわなくて良いのは、だいたいサクラのせいらしい。筆がノッてくると家から出て来なくなるそうで、あくまで食事は全員そろってを主張するカレンと、そもそも一食くらいなら食事も要らないと言うサクラの双方が譲歩した結果、昼だけは無理に引っ張り出さない代わりにごはんはちゃんと食べることを約束させたのだとか。
……どこかで聞いたような話である。
「こっ、ここ、です……」
そう言ってアニーが足を止めた場所は、他と何がどう違うのか、ハルにはまるでわからなかった。特に綺麗な花が咲いているわけでもなければ、果実が実っているわけでもない。それなりに開けた場所ではあったが、初日に演劇を観せてもらった広場ほどではない。
ちなみに。此処へ着くまで会話は一切無かった。無理をしているようならば、此処で昼寝でもして時間を潰そうか。少なくとも、彼女が内向的な性格をしているのはわかったことだし。などと思いつつ、ハルは訊いた。
「此処はどういう場所なんですか?」
返答は言葉ではなく、歌声だった。前に聴いたものよりも、優しい感じの曲調だ。気のせいか、声の聞こえ方も前回と少し違っている気がする。ハルは目を閉じ、傍らの樹に背中を預けて、音の波に身を委ねた。
一曲が終わり、歌声の余韻が消えたところで、ハルは拍手で称賛を贈った。
「さすが、綺麗な歌声ですね。また聴けて嬉しいです」
はにかむようにうつむいて――目は前髪で隠れているので目を伏せてとは言えない――アニーは消え入りそうな声で「あ、ありがと……」と言った。
「いえ、こちらこそ良いものを聴かせてもらいました。
……それで、此処は歌の練習場所か何かでしょうか?」
近くに家が無い、誰かに聞かれる心配が無い場所、ということだろうか、とハルが問えば、アニーはかぶりを振って応じた。
「ちょ、ちょっと、違う……ここ、ユートピアで、一番……綺麗に、音が響く、場所……」
「あぁ、それで声の聞こえ方が前と少し違っていたんですね。なら此処は、」
言いかけたところで、アニーはばっとハルの手を取った。
「わ、わかる、の……!?」
顔を寄せられて、前髪越しに瞳の色が僅かに見える。それは左右で異なる色合いをしていた。右は凛とした青で、左は燃えるような赤だ。
「あー、いえ。なんとなく、ですが。耳にはそれほど自信が無いので」
「そ、それでも、わかるって、言ってくれたの、ウィルくんが初めて……」
ほわりと淡い笑みを浮かべたアニーが、小さく首を傾げて再度名を呼んだ。
「……ウィル、くん?」
「……あー、いや、此処へ来て、まともに名前呼ばれたの初めてで。なんかちょっと感動してました」
とぼけた発言がよほどツボにはまったのか、アニーは声を上げて笑う。
「感動、って……ウィルくん、ヘン……!」
「おかしいですかね?」
「うん。とっても、可笑しい」
問いかけたのとは違うニュアンスの答えが返って来て、つられるようにハルも笑った。この返答ひとつで、優しい、良い子だとわかる。
「さて、此処が野外音楽堂だということは、まだまだ聴かせてもらえると思って良いんでしょうか?」
腰を下ろして、ハルはアニーを見上げた。
「……良い、の、かな……? わたしだけが、楽しく歌って……」
「むしろ私が訊きたいところですね。貴女の歌を独占しても良いのか、って」
「今日、は、ウィルくんを、もてなすのが、わたしの、役割、だから……」
「では是非、お願いします」
それから何度か休憩を挟みつつ、ハルは昼までアニーの歌を聴いて過ごした。
昼食はサンドイッチと温かいスープだった。
「朝作ったのに温かいままって……魔法の無駄遣いですねぇ……」
カレンの色彩であれば可能だろうが、勿体ない、と思ってしまうハルだ。
「……おいしぃ、よ?」
こてり、と首を傾げてアニーが言う。だから無駄じゃ無い、と言いたいのだろうが、ハルとしてはあまり簡単に魔法と使って欲しくはないと思うのだ。
精霊と魔法に関しては、下手なことは言えないので口を噤むしかないのだが。
「訊いて良いですか? 他人と関わることが苦手そうなアニーさんが、順番を後回しにされるのを嫌がった理由を」
らしくない、と言い切れるほど彼女を知っているわけではないが、それでもハルには意外に思えたのだ。
「……えっと……せっかく、決めてくれた名前、だから……早く、知りたくて」
「銘だけ先に教えるというのは……あー、ごめんなさい、ダメだったんですね。
そんなに期待されると少し緊張しますね」
気に入らなければ別のものを考える、と前置きして、ハルは言った。
「貴女の色彩は歌声そのものだと思います。どこまでも綺麗に透き通っていて、けれど、不用意に触れたら壊れてしまいそうな危うさも感じる、硝子細工の歌声。
詠硝というのはどうでしょう?」
「アルモニカ……」
ハルはまた、地面に精霊文字を描いた。
「本で読んだだけなので、詳細は知らないのですが、楽器の名前だそうです。天使の声とも、悪魔の楽器とも呼ばれているようで……思いついた時は知りませんでしたが、貴女の瞳の色にも似合うと思いませんか?」
ハルがそう言うと、アニーは髪の上から両目を押さえた。
「あー……ひょっとして、悪いことを言いましたか?」
問いかけにアニーはかぶりを振るが、手は両目を隠したままだ。
「……ウィル、くんは……気持ち、悪く、無い……?」
「なんでですか? こんなに綺麗なのに」
「……キレ、イ……?」
アニーは両手を下ろしたが、彼女の目は前髪に隠れたままだ。そのために伸ばしたのだろうと、ハルはようやく気付いた。
「少なくとも私は、とても綺麗だと思います。氷蒼の右目と赤火の左目。悲しい歌も、楽しい歌も、どんな感情がそこに籠められていても歌いこなす、貴女の魂の色彩です」
「詠硝……」
ハルが書いた文字を、アニーの指がそっとなぞる。
「――気に入ってもらえましたか?」
彼女の口許に浮かんだ笑みで、ハルはそう判断した。
「うんっ、とっても。」
「それは良かった」
ハルが言うと、アニーも安心したのか、座ったままで口ずさむ次の歌は、とても穏やかで優しいものだった。
「……失礼かもしれませんけど、食後に聴くと、ちょっと眠くなりますね」
「あってる。これ……子守歌、みたいな、もの、だから……」
「そうでしたか。それにしても、いろんな歌を知ってるんですね」
「おばあちゃんに、教えてもらった。出かけて、帰って来るたびに、出先で聴いた、新しい歌を、お土産にしてくれて……
……あ。あの、その……もし、良かったら……えっと、その……」
歯切れ悪く言うアニーが、スカートの下で足をもぞもぞと動かす。
「じゃあ遠慮なく」
ハルは彼女の太ももに頭を乗せて横になった。
「はぅぅぅぅ」
顔を真っ赤にして、おかしな鳴き声を漏らすアニーに、ルビアの面影がかぶって見えて。もっとちゃんと見ておけば良かったな、とハルは思った。
「間違えましたか?」
「……あってる……あってる、けど……」
何故か恨めし気な視線をアニーの、左右で色彩の違う瞳を見て。
「やっぱり綺麗だ」ハルは正直な感想を漏らす「三位一体と言って、左右の瞳と髪で三つの色彩を持つ者は、最も調和が取れているとする考え方もあるようですよ」
その後。
ハルは本当に寝てしまい、アニーに起こせるはずもなく、夕食の時間に遅れてカレンからこっぴどく叱られることになるのだが……それはまた、別の話だ。
ウチのヘタレ娘が10日も使いやがったので、ここでまた蒼紅サイドに移ります。ちょっと時間が遡ったりすることもありますが、だいたいは時系列順にやってます。
次回「初めての××」(仮)
その一線は、超えてはならぬものか、それとも……




