第16話 商人と赤の剣士
旅先で路銀を稼ぐ、という発想自体がスピネルには無かった。メアリーに関しては言うまでも無いだろう。
なのでルビアの提案には、盲を啓かれたかのようだった。
だからこそ、スピネルの警戒心は増した。
自分たちとさして変わらぬ年齢でありながら既に侍獣持ちで、戦闘能力の底知れないアルと、同じく大差無い年齢だというのに、商売に関して手慣れ過ぎているルビア。どちらか一方でも尋常ではないというのに、才能が見事に噛み合った二人が一緒に居るというのが一番おかしい。
そんな二人とたまたま出逢う、などという幸運があり得るだろうか?
考えすぎかもしれないとは、スピネル自身も思いはする。けれどメアリーが二人を信頼しきっているふうだから、スピネルとしては必要以上に警戒せざるを得ないのである。
――彼女の命は、僕のそれよりも価値があるのだから。
そんなことを口にすれば、メアリーはきっと本気で怒るだろうが。そんな彼女だからこそ、命を懸けて護るに値する、とスピネルは想っている。
一日野宿をして、次の街に着いたのは夕暮れ時だったので、とりあえず宿を確保する。野宿、とは言っても、メアリーとルビア、あとついでに暖房役の紅蓮は馬車の中で眠ったのだが。幸せな暖かさだったと、メアリーはふやけた顔で語った。
スピネルとアルが外だったのは性別の問題というだけでなく、単純に馬車の中で身を横たえるにはスペース的に二人が限界だったのと、一応外を警戒するためだ。
毛布にくるまってもまだ少々肌寒い季節だが、アルが少しも堪えていない様子で、スピネルはまた劣等感が刺激されるのを自覚した。
スピネルの赤は炎としては半端な色彩で、家族からは早々に見切りをつけられていた。大成することは無いだろう、と。剣の腕を磨いたのは、正直半ば以上が意地だった。そして残りの半ば以下の想いは……本人には絶対に言わないが、メアリーを護るためだ。
親類縁者が揃って諦めたスピネルという存在を、唯一メアリーだけが見限ることがなかったから。そんなコイツの剣になるのも悪くないと思った。
それでも一人で護り抜くのは難しかったから、アルとルビアに出逢えたのは僥倖だと言えた。警戒しなければと思いつつも、警戒しきれていないのはスピネルの善良さだろう。本人にその自覚は無かったが。
明けて翌日、まずは石屋を巡るところから始める。此処アンバー・シティは中の下程度の規模の街で、大都市とまでは言えなないものの、サルビア・タウンとは比べるべくもなく、石屋も複数あった。その場所をルビアが昨日の内に調べていたと聞かされて、スピネルはまた驚かされることになったのだが。
ルビアとアルの服に関しては、今回のところはメアリーとスピネルのものを貸すことになった。
着替えを終えたルビアが、次の街で少なくとも自分の分は必ず仕立てると、妙に真剣な表情で言ったことに、スピネルは首を傾げたりするのだが。
回った石屋は全部で3店舗。火と水の石にやや偏っている旅人向けの店と、品質は良いが割高な貴族向けと思しき店に、品ぞろえは悪いものの価格設定が最も良心的な店だ。
ルビアが最初の商談相手に選んだのは二つ目の、貴族向けの店だった。彼女が販売するのは、石そのものの品質は並程度だが、見事な精霊文字が刻印された精石。最初に提示された金額に対して、ルビアは。
「最初の店に行きましょう、メアリー。此処のヒトは致命的に眼が悪いようです」
空恐ろしくなるような辛辣な言葉を吐き、躊躇なく刻印石を片付けた。
反射的に、だろう、商談相手はルビアの手を摑んで……頬を平手で打たれた。
「気安く触れるな」
底冷えのする声は、いっそメアリーよりも貴族然としていた。
「あのような相手を舐め切った金額を提示する相手に売る石はありません」
より高い地位にあると思われる男が止めようとするが、
「どきなさい」
ルビアはあくまでも高慢に言い放つ。
「この店のやり方は良くわかりました。はっきり言いましょうか? 話にならない。どうせ貴方は下の者の所為にでもするつもりなのでしょう? 下の者の教育は上の者の責任です。つまりこの店は、その程度だということですね」
とても綺麗に笑って。ルビアは相手を全否定してみせた。
ここまでの流れが、全て予定通りだと、食料品を買い出しに行った先で聞かされて。いったい何のために、とスピネルは訊いた。
「あの店がロクでもないのは価格設定を見た時点でわかっていたので、パフォーマンスに利用させてもらいました。本命は最初に行った旅人向けの店です」
こうして石の売却を一旦中断して、他に必要なものから先に揃えているのは、噂が広まるのを待っているからだと言う。
「ごろつきでも雇って襲って来てくれれば、更に良いパフォーマンスになるんですが……さすがにそれは高望みでしょうか」
澄ました顔で物騒なことを言う。戦う力など無いように見えるこの子が、実は一番怖いような気がしてきたスピネルだ。
それはそれとして、
「……高望みって、そういう意味でしたっけ?」
「絶対違うと思う……」
苦り切った表情のスピネルのぼやきに、応じたのはアルだった。
「ねぇルビアぁ、こんなやり方ばっかりしてると、そのウチ痛い目見るよ?」
メアリーがそんな苦言を呈する。身分を考えると完全に立場が逆……というか、言動で痛い目を見そう、というのであれば、メアリーも人のことは言えない。
「嫌ですねぇ、ちゃんと相手は選んでますよ? この街は昼過ぎには出発する予定なので、強引なやり口が尾を引くことはありませんから。大店の支店、というわけでもなかったので、別の街にまで影響は無いでしょう」
「こえぇよ、お前」
彼女とより付き合いの長いアルが、スピネルが口にはしなかったことを言った。
などと呑気なんだか殺伐としているんだか良くわからない会話を交わしつつ、アルとルビアの監修の下、改めて旅支度を整える。
以前買い込んだ薪は非常用としてそのまま積んでおくとして、水は各自水筒一本分を、途中の川で何度か汲んで用いる。精石は穢れを嫌うから、水が痛まないように、ひとつ水筒に沈めておくことは旅の常識なのだそうだ。精石は実は何色でも構わないのだが、水と相性の悪い色彩だと精石の方が劣化してしまうので、水の色彩が用いられるのだという。
飲み水用に用意した樽は処分した。価格交渉で張り切ったのが誰であるのかは、敢えて言うまでもないだろう。
スピネルにとって意外だったのは、ルビアが担当したのは日持ちする野菜の目利き――と、各種販売交渉――だけで、それ以外の物品の購入はアルの主導で行われたことだ。
「まぁ、家業の差だな」
正直に疑問を口にしたスピネルへの、アルの返答がそれだ。
「アル君の両親は行商人ですから」言葉足らずをルビアが補う「私も多少の知識はあるんですが、実際旅をするとなると欠けている部分も多いので。ちなみに私の両親……というか、父は刻印師です。優秀な職人ではあるのですが、職人でしかなく、母は金銭に関してはおおざっぱな人だったので、自然と商取引は私の担当になっていました。12の頃からやっています」
父が加工した石が安く買いたたかれるのが我慢できなくて、などと言って笑うルビアに。スピネルはどんな表情を浮かべたものか決めかねた。なるほど、それで商売慣れしていたのか、と納得すべきなのか、
「そんな12歳が居てたまるか!」
そう、アルのように素直にツッコミを入れるべきなのか。
「居るじゃないですか。此処に。」
「いやいやいや、あり得ねーだろ、12歳でそれは」
「それ。ウィル君にも同じこと言えます?」
「あ。」
「ね?」
「あー、うん。確かにアイツなら、言葉覚えた時点でそれくらいやりそうだわ」
「いやホント何者なんですか、ウィル!?」
メアリーが何度か言ったセリフを、今回ばかりはスピネルも叫ぶのだった。
そして本命の……ルビアが言うところの本命の石屋へと移動する。店構えや内装は先の店と比べれば見劣りするが、扱っている商品の品質に限って言えば、それほど大きな違いは無い。価格設定はあちらが適正価格の2割増しだったのに対して、こちらは1割増しといったところ。そこから価格交渉を行うことを考えれば、どちらもさほど問題のある設定ではない。
刻印石を売りたい、とルビアが石をひとつ取り出すと、やせぎすの店主は深々とため息をつき、「アンタがそうか」と言った。
「はい? なんのことでしょうか?」
「とぼけんなよ。あんだけの騒ぎ起こしといて。噂になんのも計算の内だろ? ったく、直後じゃなくわざわざ時間空けてから来やがって」
忌々し気に吐き捨てて、店主はがしがしと頭をかく。
「500だ」同じ口調で店主が言う「元の石がこの程度の品質じゃあ、それ以上は出せん。気に入らないなら他を当たりな」
驚きを顔に出したのはメアリーとアルだけだったが。
「……それはまた、随分と高値をつけていただけたものですね……」
ルビアの言葉にも隠し切れない驚愕がにじんでいた。
「下手な値段をつけるな、なんて脅しから入る相手とまともな価格交渉ができるか。こっちは最初から最終価格だ。売るのか売らないのか、さっさと決めて、さっさと出てってくれ。アンタらは正直、厄のタネだ」
しっしっ、と。野良犬でも追い払うように手を払う男は、正直商売人としてどうなのだろう。と、スピネルは思ったのだが、どうやらルビアは意見を異にするようで、店主に対して頭を下げた。
「時間短縮のためと思って、かえって迂遠な方法を取ってしまったようですね。失礼をお詫びします。最初から此処へ話を持って来るべきでした。代わりと言ってはなんですが、加工用の精石は提示価格のままで購入させていただきますね」
ルビアの言葉に、店主の目の色が変わる。
「ちょっと待て。コイツを加工したのは……お嬢ちゃんか?」
一同を順に見遣って、最後にルビアで視線を固定する。
「本当にびっくりです。どうしてわかったんです?」
「アンタが一番得意げだったからだ。アンタがコレの刻印師だってんなら、厄のタネってのは取り消す。どうだお嬢ちゃん、ウチの専属にならねぇか?」
とんでもない話が飛び出した。
「それはダメ! 私が先約!」
慌ててルビアに抱き着くメアリー。まるで仲の良い姉妹のようだ。
……どちらが姉かはとりあえず措いておくとして。
「せっかくのお話ですが、旅の途中ですので。今ある分は全部お売りしますよ」
メアリーを抱き着かせたまま、やんわりと、けれどはっきりと断るルビア。
「ふむ……出発を少し遅らせるのもダメか? その間に精石の加工を頼みたいんだが。こんな腕の良い刻印師をあっさり逃がすなんて、バカのやることだ」
「あはは……良いのは道具、かもしれませんよ?」
珍しくルビアは少し気まずそうだった。
スピネルは知らないことだが、実際道具がまっとうではないのだ。なんとなくズルをしている気分になって、ルビアが気まずくなるのも無理からぬことである。
「だとしても、この字を刻んだのは嬢ちゃんなんだろ? 卑下するこたぁないと思うがね。んで、どうだ?」
「そうですねぇ、一日くらいなら良いかと思いますが……メアリー?」
「うん? 私は大丈夫だよ。最初に言った通り、急ぐ旅じゃないから」
と、そこで二人の視線がスピネルに向く。
「良いのではないですか? 資金調達は大事です」
ルビアが示した一日で加工可能な石の数の多さに、店主がやはり専属契約をと願い出て、メアリーがルビアから離れなくなった以外は平和に話が進んだ。この店の石を直接加工するということで経費が削減され、双方にとって利のある価格設定ができたようだ。
「――ところで、そっちの兄ちゃんの意見は聞かなくて良かったのか?」
と、最後に店主が訊いて、
「頭使うのはルビアの担当だから」
件のそっちの兄ちゃんは、すがすがしいまでの思考放棄を宣言するのだった。
Q.この二人の知識と戦闘力おかしくね?
A.だいたいハル君のせい。
残りはその親父のせいです。ルビアちゃんの方は彼女の両親もそれに含まれるかもしれません。
商売の話はもうちょこっとだけ続くんじゃよ。