第4話 強引な誘いが招くもの
作り笑い。アルムのその言葉を聞いて、何を言っているんだろう、とルビアは思った。
あの綺麗な笑顔の、どこをどう見たら作り物に見えるのか、と。不自然さなどまるでない、完璧な、お手本のような笑顔だ。誰かに言ったことはないが、ルビアは実際に彼の笑顔をお手本にしていたくらいだ。
けれどその否定的な思いも、
「オマエが代わりにちゃんと護ってよ、アル」
そう言って笑ったウィルの表情で納得させられる。
「――こんなふうに、笑うんだ」
なるほど、確かにいつものは作り笑いだ。
綺麗なだけではないその笑顔は、ともすれば人形めいて見えていた、完璧すぎる彼を普通の人間に戻す。いや、『普通』と呼ぶにはそれでもまだ綺麗過ぎるが。
「ねぇ」と、気が付けばルビアは二人に声をかけていた。「私も一緒に行っていいかな――ハル君?」
「サルビア=アメシスト=バラスンさん」
いつも通りの、綺麗なだけの笑顔を向けられて、
「ルビア、で、いいですよ」
その笑顔を見本にした微笑を返す。
「皆の態度から察するに、貴女はとても愛らしい顔立ちをしているようですね」
ルビア、とは呼ばずに、美貌の少年は完璧な笑顔で言った。
これにルビアは曖昧に笑うことしかできない。相手の目が開いていないという以上に、自分よりもずっと美しい顔立ちの相手に言われては、もう。
「だから大抵のヒトは、貴女に許可なく愛称で呼ばれても、喜びこそすれ不快になど思わない。
――けれど、何事にも例外はあるのだと。早い内に理解しておいた方が良いと思いますよ?」
気安く呼ぶな――彼は、きっとそう言ったのだろう。
「――ごめん、なさい……」
「いえ。改めてもらえさえすれば、それで良いです」
それは真綿で首を締めるような、降り積もる花弁で窒息させるような、甘く、優しい拒絶だった。
「おいオマエ! ルビアは何も悪くないだろ!」
ハル――ウィルの肩を乱暴に突いたのはジェディだ。彼の言動、その全てに文句をつけずにはいられないのだろうかと思えるほど、ウィルを目の敵にしている印象を受ける。が、今回はどちらかと言えば点数稼ぎだろう。ルビアのことを思って、というよりも、ルビアを心配しているのだというポーズ。
ルビアとしては、この話題をもう続けたくはなかったので、それはむしろ逆効果なのだが。
両親のような大恋愛に憧れているルビアとしては、ジェディでは普通過ぎて対象外だ。
突き飛ばされ、よろめいたウィルのことはアルムが支えていた。
本当、仲睦まじいというか何というか。いつの間にこんなにも仲良くなったのだろうか。そんな二人の様子に、ジェディの機嫌が更に悪くなるのがわかった。
ちゃんと護ってくれたんですね、と背後に微笑みかけてから、ウィルはルビアたちに向けて言う。
「別に良い悪いの話をしているわけではないですよ。
大抵のことが許される、ということと、何をしても許される、ということは、まったく別物だという話です。私も似たような経験があるので、実体験からくる忠告、ですね」
彼の言っていることを、正しく理解できている子どもが、一体何人いることだろう。少なくとも文句を言った当人であるジェディはまるで理解できていない様子だし、アルムもおそらく同じだろう。
そしてルビアは。
忠告は忠告として受け取っておくことにしたが、それでもこの流れで彼にハルと呼んでいいか訊ねるだけの勇気はなかった。
「えぇと、アルム君のことは、アル君って呼んでも良いですか?」
ので、気になったもう一人にそう問いかける。
「お、おぉ。オレは別にそれでいーけど……でも、珍しいな、ルビアが川遊びに一緒に来たがるなんて」
「んー、急に仲良くなった二人のことが気になって」
覗き込むようにして問うのに、アルはびくりとしてウィルに視線を向ける。
気配でそれを察したのか、ウィルは大きくため息をついた。
「まぁ、ちょっと話す機会があって、相互理解が深まっただけですよ。
で、アル? 結局誰を連れていくつもりなんです?」
「え? それオレが決めんの?」と、アルが自身を指さして問えば、
「私を誘ったのはアルなんですから、少なくとも私が決めることではないですね」
ウィルは肩を竦めて応じる。
「あー、まぁ、来たいヤツは全員でいんじゃね?」
結果として。男の子は全員参加、女の子も家の手伝いがある2人以外は参加することになった。
魚獲り、というのは実質方便で、川遊びでただ遊んでいるだけではないという言い訳だ。実際食料を確保してもいるので、大人たちも黙認している。村の子どもたちにとってはごくありふれた遊び場ではあったが、これだけの人数が同時に、というのは珍しい。
いつも不参加のウィルとルビアがいることに興味を惹かれた、といったところだろうか。普段あまり大人数で行動することのないジェイも参加するようだ。
「あまり遅くならないようにね」
そう言って手を振ったのは、今年の再誕祭で成人となる教室最年長の一人、アルの姉であるヴィオラだ。ヴィオラもよくある名前で、村に8人もいるが、彼女の髪色が最も見事な菫色であることから、彼女がそのままヴィオラと呼ばれていた。緩く編んだ三つ編みを、肩から胸元に垂らしている。
「おぅ、晩メシの材料は期待しといてくれよな、姉さん」
ぐっと力こぶを作るように曲げた右腕を叩いてアルが応じる。両親が行商人で家を空けることが多いアルの家では、基本的に家事全般はヴィオラがこなしているので、彼女は今日も不参加だ。
「はいはい、一匹も獲れなくても他の材料で作るから、粘って遅くならないこと」
「へーい」
どこか粗暴な印象があったアルも、姉の前では形無しだ。ひょっとしたらヴィオラは、弟の印象を少しでも柔らかいものにするために、こういう態度をとっているのかもしれない。
「うっし、じゃあ皆で行くか」
そう声をかけて、アルはちらりとウィルを見る。
「そう心配しなくても、決まったからにはちゃんと行きますよ」肩を竦めてウィルが言えば、
「いやそっちじゃなくてよ」頭を抱えてアルが返す。
まるで分からない様子で首をひねるウィルに、見かねてルビアは補足した。
「その、大丈夫なんですか、その目で森に入って」
あまりに違和感なく日常生活をこなしているようだが、ウィルの両目は閉ざされたままだ。
「あぁ、なんだそんなことですか。もう一つの瞼は開いていますから、むしろ街中などと比べれば森の方が歩きやすいくらいですよ」
これになるほど、と納得した者とそうでない者とで、彼の授業をどれだけ真面目に聴いているのかがわかる。青髪の方のジェイド=ヴィオラは前者で、何かとウィルをバカにしている緑髪の方のジェイド=ヴィオラが後者だ。
色彩はどうあれ知識は確かなのだから、きちんと学べば良いのにとルビアは思うのだが。
ちなみに『もう一つの瞼が開く』とは、精霊の力である輝煌を知覚できるようになることを指す。大抵の場合は、金無垢の髪が色づくのと同時なのだが。
確かに、人工物の多い街よりも、森の方が輝煌だけを視て歩くには向いている。
「なので、王子様のエスコートは不要ですよ?」
人の悪い笑顔で、お姫様(男の子)はそう言った。
……友達をからかう時が一番生き生きしているというのは、人としてどうなんだろう。いや、本当に、この村のどの女の子よりも、お姫様が似合うのは彼だということには間違いはないのだが。
「オレの心配を返せこのバカヤロー」
げんなりと言われて、クスクスと、小鳥が囀るようにウィルは笑った。
向かった先は北の森――不入の森とは逆側の森だ。東や西でないのは、不入の森から魔霊が迷い出ることが稀にあった過去の名残である。シディ父子が越してきてからは東西も安全になっているはずだが、それでも子どもの遊び場は北と決められていた。
森での魚獲りは順調に進み、ほぼ全員が最低1匹ずつは捕まえたようだ。最多確保は意外なことにジェイで6匹、次いで5匹のアルだ。
そのことを隣に座るウィルに言えば、彼にとっては意外でも何でもなかったようで、平然と答えた。
「色彩的に当然の結果でしょう。これくらいの小さな川なら、流水の色であるジェイド=ヴィオラ=テミさんの独壇場ですよ。むしろ炎の色のアルがあれだけ獲っていることが驚きです。完全に身体能力だけでやってるの、彼くらいですよ」
後半は少々呆れ交じりではあったが。
「大きな川だと違うんですか?」小さく首を傾げてルビアが問うと、
「大河の色や、海の色はまた違いますからね。きっとここのようには巧く水を操れないはずですよ」
即座にウィルが答えて、なんだか精霊術教室の出張版といった様相だ。
「オマエら何しに来た……」
呆れた顔でアルが言う。『ほぼ全員』の例外2人、木陰の石に腰を下ろしたウィルとルビアに。
「一緒に来い、とは言われましたが、一緒にやれ、とは言われてませんので」
右に座ったウィルが右に首を傾げて言うので、
「同じく、一緒に行くとは言いましたけど、一緒にやるとは言ってませんから」
ルビアは左に首を傾げて言った。
「似た者同士か! 口調も一緒だし!」
アルは存外ツッコミ気質のようだ。これもルビアには新しい発見だった。
まぁウィルとは似ているわけではなく、今回はただ真似をしただけなのだが。口調のことなら、ルビアの生まれと、ウィルの育ちのせいというだけだろう。二人とも年齢の割に大人びた物言いではあるものの、大きな街ではそれほど異質な口調というわけでもない。
「まぁ、実際、スカートをたくし上げて川遊び、なんてことをしたら、はしたないと母様に叱られてしまいますから」と、苦笑してルビアが言えば、
「そんなん気にするの、この村じゃルビアくらいだぞ」アルが肩を竦める。
「うーん、男の子たちが全く気にしてくれない、というのは少し寂しいですね」
冗談めかしてスカートの裾を軽く揺らせば、慌てて目を逸らした少年が数名。
「良かったな、寂しい思いをせずに済んで。やっぱオマエら似てるわ」
ため息一つつき、アルはウィルへと向き直る。
「で、オマエは、ハル?」
「最初にも言いましたが、私は魚が食べられないですし、触れるのも苦手なので」
「じゃ何で来た……」
「半ば強引に連れて来たアルが、それを言うんですか?」
「う……あー、じゃ、魚獲りもひと段落したし、泳ぐか!」
「泳げませんよ、私」
即答されて、アルが言葉に詰まる。
「じゃ、じゃあ、水浴び! 暑いし、水浴びしよう!」
「ま、それくらいは付き合いますか」
やれやれ、と言わんばかりにため息をついて、躊躇なく服を脱ぎ捨てる。
それは肉体美とは程遠いものだった。肉付きの薄い、華奢な体躯は美しさよりもむしろ危うさを感じさせた。不用意に触れてしまえば壊れてしまいそうな、ガラス細工のように儚げな……
と、そこで彼の裸体を凝視していたことに気付き、ルビアは慌てて目を逸らす。これは母に言われるまでもなく、はしたない。
けれど、慰めにくらいはなるだろうか。逸らした視界のその先に、同じように慌てて目を逸らしている子が男女の区別なくいたということは。
しゃらり、と澄んだ金属音がして視線をやれば、ウィルが首飾りを外すところだった。あまり高価そうには見えないが、男の子が身に着ける物としては珍しかったので、印象に残った。
川の中、くるくると踊るように回るウィルに誰しもが目を奪われて、誰一人としてそのことに気付けなかった。
暫くして、水から上がったウィルが脱いだ服の傍らに腰掛ける。ゆっくりと体が乾くのを待って、服へと伸ばされた手がこわばった。なんだろう、とルビアはその手の先に目を向けて、
「――首飾り!」
思わず叫んで立ち上がっていた。
ウィルが睨むように険しい表情を向けて来るのを見て、失敗したことに気付くが、一度口に出した言葉を呑み込むことはできない。
「首飾りって……」
ウィルの背後でアルが呆然と言う。ウィルは小さな吐息とともに答えた。
「どうも失くなってしまったようですね」
ウィルの視線……というか、閉ざされた瞳の向く先を辿って。
あぁ、そういうことか、とルビアは思う。
「失くして平気なのか? 高いモノとか、大事な物だったり……」
こんな弱々しいアルは初めて見るな、とどうでも良い感慨をルビアは抱いた。
「大事な物……というか、本来の所有者は亡くなった母親なので」
こともなげに言ったウィルの言葉に、アルの顔が青ざめる。その声が聞こえたのだろう、他にも似たような顔色になっている者が。
「……それ、って、形見って、ことか?」
つっかえつっかえ訊いたアルとは対照的に、ウィルはやはり平然としていた。
「まぁ、そうなりますか」
「オレのせいだ……ごめん、ハル!」
泣きそうな顔で頭を下げたアルの声は、きっとここへ来ていた全ての子どもの耳に届いたことだろう。
何が長かったって、川に着くまでが長かった。
「ハル」呼びはアル専用。プロローグでわかる通り、ハルはアルだけしか友達とは思っていません。
ようやくがっつり女の子キャラが出てきました。苦戦しましたが、このシーンはどうしてもルビア視点でやりたかったのです。
可愛い顔してワリと肉食系なルビアちゃん。
無駄に美人で草食通り越して絶食系のハル君。
まだ恋愛とか良くわかっていない感じのアル君。
いやぁ、少なくとも三角形にはなりようがないですねー。
事件が起きましたが、当事者が一番落ち着いてます。この時のハル君の心情に関しては後でちゃんと触れるのでご安心を。