第10話 ナキムシな魔王
龍と嘘つきとナキムシな魔王。
それが、今から演じられる物語らしい。『龍と嘘つきと』から始まるタイトルは、ハルのお気に入りの物語である、人喰い龍と嘘つきハーリーのシリーズであり、『ナキムシな魔王』という副題は、ハルがまだ知らないものだ。
そこは純粋に楽しみなのだが、そのタイトルには皮肉なものを感じていた。
――どこぞの『魔王君』は、実の父が死んでも泣かなかったというのに。
大半が演者として舞台に上がるので、カレンとルナ以外のユートピアの住人はカーテンコールの時にまとめて紹介するとのことだった。
ことここへ至って、ハルはようやく、自分がもてなされる立場なのだと理解する。せっかくの厚意に水を差すのも悪いので、魔女の死をいつ伝えるのかは、サラたちに任せることにした。
最初に舞台に立ったのはサラであり、彼女の演じる役は――サラ、だった。
実は『サラ』というのは人喰い龍と嘘つきハーリーのメインヒロインの名前でもあったりするのだ。純銀云々は物語の中で語られることはないが……ハルの命名に彼女が微妙な反応だった理由が今わかった。
他の登場人物は皆ハルの知らないひとたちで、演技に関して言えば――自画自賛になるが――いつぞやの再誕祭の余興にハルたちがやったものの方がずっと上だった。ハーリーの役など、代わりに舞台に立ちたいと思ったほどである。
だから演者たちには悪いとは思うものの、ハルの思考は半ば過去に遡っていた。
この物語の第一話を、ハル自身が演じた日のことを、想う。アルが居て、ルビアが居て。父もまだ……生きて、いて。
幸せだった頃の――それが幸せだとわかっていなかった頃のことを。
あの時はハルとルビアの二人で、即興の朗読劇を演ったのだ。
――あぁ、そうだ、あれはルビアの誕生祝いの席だった。
旅芸人になるのはどうか、などと言い出したのはアル……いや、アレはフォエミナの発言に彼が乗った形だったか。
『見栄えのするハルとルビアが看板俳優で、オレは脇役兼護衛役、旅に憧れてるヤツらを連れて大陸中を巡る――そんな将来はどうよ?』
あの時ハルが頷いていれば、そんな未来もあり得たのだろうか。
それは、なんて幸せな未来予想図だろう。
その未来を。選ばなくて良かったと、ハルは心から思った。そうなっていれば、大切な友人たちを、友人になれたかもしれないひとたちを、致命的なレベルで、ハルの問題に巻き込んでしまっていたから。
最初から選択の余地が無かった此処の住人たちと違って、彼と彼女には、命を危険にさらす必要など無いのだから。
けれど、とハルは想う。夢に想う、それくらいは許してほしい、と。
一座の名前は……熾紅では物々しいから、もう一人の友人の色彩から取って、天宮の蒼とでも名付けようか。あぁ、そういえばこの色名も伝えられないまま終わってしまった。本当なら、次の彼女の誕生日に贈るはずだったのだが。
元色? 七彩教会に真っ向からケンカを売る名前なので論外だ。
無駄に美人な自分と、整った容姿のルビアが看板俳優で、アクションシーンが多い役どころはアルが、いや、父に頼むのも良いかもしれない。演技力に難があるようならば、声だけは滄翡翠に当ててもらえば良い。美術担当の緑翡翠が何かと自分に絡んできて、フォエミナがそれをたしなめたりする。深紫菫が居れば、不必要にハルの世話を焼こうとして、ルビアとは些細なことで仲良くケンカをするのだ。
……どうして、そんな未来を選ぶことができないのだろう。
そう、想ってしまった自分に失笑する。理由なんてわかり切っている。
――もう、シディ=ブラウニングが何処にも居ないからだ。
――ウィルムハルト=ブラウニングに、色彩が無いからだ。
世界がそれを許さないと、理解はできているのに、どうしても憧れてしまう。
あまりに輝かしい未来に。眩しすぎて、とても直視できないような、夢に。
「舞台はどうだった? 魔王クン……?」
カレンやルナとも違ったイントネーションで呼ばれて、視線を向けたものの、物思いにふけっていたせいか、うまく焦点が合わない。声をかけてきた相手が、何故か戸惑っているのが視えて……
「あーっ! まおー君、泣いてる!」
ルナの声に驚いたハルが自分の頬に手をやると、確かにその指先が濡れた。
そうか、私は泣いているのか。と、初めてのことに戸惑うハルはひとごとのように思い……安堵した。
誰かを想って泣けるのならば、まだ、自分は人間なのだろう。
人喰いという赦されざる罪を犯しても、心は未だ、怪物に成り果ててはいない。
――いいや、それも違う。
自分自身をどうしようもなく怪物だと思い込んでいたハルを、このどうしようもなく愚かな子どもを……アルが。ルビアが。
お前は人間だと言ってくれた大切な友人たちが、怪物ではない、人間にしてくれたのだと。引き戻してくれたのだと、理解して。ハルは微笑んだ。
アルも決して、それを作り笑いだなどとは言わないであろう、そんな表情で。楽園の魔王は、泣きながら笑った。
「もぉ、ナキムシだなぁ、まおー君は」
などと言って、あやすように頭を撫でてくるルナに戸惑っていると、今度は横合いから抱きしめられた。父とはまるで違う、柔らかい感触にハルは戸惑う。
どうにも、魔境に居ると周囲が眩しすぎるので眼が利かなくなって、こういう不意打ちを受けてしまう。
「なんて顔で笑ってるのよ、魔王君」
声でそれをカレンだと理解して、問うのは。
「そんなひどい顔してますか?」
「逆よ。綺麗過ぎる。泣きながらそんな透き通った表情で笑われたら、切なくてこっちが泣きそうになる。際限無く、甘やかしたくなっちゃう」
文字通り至近に感じる声は、その発言内容も含めて、なんともくすぐったい。
「あぁ、それは良くないですね。たぶん私、甘やかされるとダメになるタイプだと思うので」
冗談めかして言うものの、まだ暫く、涙は止まってくれそうになかった。
ナキムシな魔王というのはお気に召さないらしく、サラはとても不機嫌な色彩を見せていたが、泣くこと自体が初めての経験であるハルには、涙の止め方などはわからない。
「よしよし、ルナはまおー君の味方だからねー」
そう言って頭を撫でるルナは、きっと魔女からそのようにあやされたことがあるのだろう。彼女の銀は、無彩色の類似として世界から拒絶される色彩だから。絶対的な味方がいるということは、確かな安心感を与えてくれたのだろう。
ならば、ウィルムハルト=ブラウニングは幸せ者だ。
絶対的な味方が、既に二人も居るのだから。彼と彼女の身の安全のために、拒絶して見せてしまったけれど。もう二度と、逢うことは無いだろうけれど……それでも、アルとルビアは、いつまでも大切な友人だ。
もっと一緒にいたかったな、と。ハルは正直に想った。
そして自分の今の状況――年上、と言っても大きく年が離れているわけではないお姉さんに抱きしめられて、明らかに年下の女の子に頭を撫でられているという図が頭に浮かぶと、涙は一瞬で止まったのだった。
「そこまで泣くような話だったかな?」と、先ほど舞台の感想を訊いた声が問いかける。白にほんのわずかに赤を差したような不思議な色合いの髪の女の子だ。ハルやサラと同様に、まっすぐな髪を結ぶことも編むこともせずに流している。
「ボクはサクラ。サクラ=アレキサンドライト=ミリクトンだよ、魔王クン」
……女の、子? ハルは思わず小首を傾げる。声も、見た目も、服装も確かに女の子なのだが、口調は完全に少年のそれだった。そして声と見た目に関しては、ハルは他人をとやかく言えた義理ではない。
「あぁ、いえ。少し、昔のことを思い出してしまって……」
サクラ、という珍しい響きの名前は、失地式だろうが、ハルの知らない花で……けれど、その名は確かに知っていた。
「――ミリクトン先生!?」
がしっ、と。ハルは彼女(?)の手を両手で握りしめていた。
「あ、うん……いや、『先生』なんて呼ばれるほどのものじゃあ……」
「大好きです!」
「ふぁっ!?」サクラの声が裏返る。
「ミリクトン先生の物語が、本当に大好きなんです!」
「あ、あー、物語、ねー……」
「すっとファンでした! 会えて嬉しいです!」
「あ、うん。ちょ、近い……」
そのあとすぐ。サラの手で引きはがされたハルは、お説教を受けることになる。
そのお説教の中で、彼女が確かに女の子だと、ハルは知るのだ。
「あぁ、そうか。この口調のせいでカン違いさせちゃったのかな? ごめんね。主人公の口調であれこれ考えている内に、素の口調と混ざっちゃって」
――いえ。憧れの作家さんに出逢えて我を忘れていただけです。
という正直な返答は、サラのお説教を長引かせるだけだと理解できたので、呑み込んでおくことにしたハルだった。
ハル君が過去と、あり得たかもしれない未来を想う、それだけの話でした。
アルと、ルビアとの関係が、まだ何も終わっていないことをこの時の彼は知りません。
この日の物語はこれでだいたい終わりです。
シンキャラガ カクテイシナクテ ニゲタンジャナイヨ
次は一部の皆さまお待ちかねのシディ父さん回です。
次回「無刃の黒曜」お楽しみに。




