第8話 楽園の魔王
横座りでありながら、堂々とした騎乗を見せる魔女の弟子の、驚くほど華奢な腰に両手を回してつかまっている男、という絵面は百年の恋も醒める類のものなのではないか。そんなどうでも良いことを思いながら、ハルはふと思いついて言った。
「食料のお礼に呼び名を考えてみようかと思うんですが」
「――はい?」
色彩を視る、どころか顔色を見るまでも無く、はっきりと不機嫌さが伝わる声だった。その素直すぎる態度に苦笑――と言っても他人の目には一切の苦味が見つけられないのだが――しつつ、続けて言う。
「いえ、『嬢』という呼び名は親しいひとから呼ばれてこそ価値のあるものだと思うので。知り合って間もない私がそう呼ぶのも何か違うかな、と」
「……一理あるかもしれませんね。ですが、陛下はいったいどんな名前をつけるつもりなのでしょう?」
期待できるとは到底思えない、という言葉が聞こえてきそうだった。
「純銀、というのはどうでしょう。純度99.9%以上の銀を示す言葉で、貴女の色彩にも似つかわしいと思うのですが」
本名のサルビアから文字を抜き出した、ということは敢えて言わなかった。嫌いな名前だ、ということだったので。
「……悪くは、ありません」
少し複雑な感情の色が視えたものの、結果としてそう彼女は言ったので、その名を使うことになった。
名前の後に「さん」をつけるかつけないかで更に一悶着あった――結局押し切られたのはサラの方だ――ものの、以降の旅は問題無く続き……出発から約一週間の後、三人は魔女が築いた楽園へと至る。より正確に言うならば、最奥にその地を宿す森に、だが。森の名が不入の森なのは皮肉でも冗談でも無く、文字通り入ることができない森だからだ。
奥へ奥へと進んでいるつもりでも、気が付けば森から出ている。其処はそういう場所だった。近隣の住民は「魔境だから」と納得しているらしいが、さすがにそんなモノが自然発生するはずもなく、この森には魔法が用いられている。
緑の色彩、ということがハルにもわかったが、それ以上のことはわからなかった。どのような理屈でそのような効果を導いているのかはさっぱりだ。
火の色彩なら見慣れていたが、緑はここまで複雑な術式だと簡単には読み解けない。問答無用で消し飛ばすことなら可能だろうが。
魔女の教えによって魔法を使う心理的抵抗が取り払われた分、質の面では僅かに劣化している。単純な力比べならば、確実にハルが勝つ。
そんなことをする必要は無いけれど。
「なんとか間に合いました。此処で夜を待ちます」
術式の境界線すら曖昧な森に僅かばかり分け入って、肩越しに振り向いたサラが言う。その言葉で、日が昇っても休まずに駆け続けた理由をハルは察した。
「定められた時にのみ開かれる森、ということですか」
「――大きく間違ってはいません。正しくは時が来ればわかります」
サラの言葉はいつもと変わらずそっけなかったが、少し機嫌が良くなっているのがハルの眼には視えた。ようやく故郷にたどり着いたからか、仕えるべき王の察しの良さがお気に召したのかはわからないが。
――期待が大きすぎるのは正直しんどいんですが……
「ゆっくり休んでおいた方が良いよ。今夜はお祭りで、きっと眠れないから」
目だけで笑って、シグルヴェインが言う。温厚な性格に反して表情の変化に乏しいのを、ハルは最初身体的な特徴かと思ったのだが、実際は努力の成果らしい。鋭い牙が生えているので、口元にも笑みを浮かべると他者を怯えさせることが多かったために、なるべく口は引き結んでいるようにしたのだそうだ。
「――お祭り、ですか。この時期に何かありましたっけ?」
刻銘式には少々時季外れだし、あれはそもそも七彩教会の行事なので取り入れられているのかすら……と、ハルが首をひねっていると、サラが呆れた声を出した。
「貴方を、歓迎する祭りですよ。陛下」
――本当、期待が大きすぎるのはしんどいんですが。
それを言葉に出さないだけの分別はハルにもあった。
時が来ればわかる、とサラは言った。
なるほど、これは確かに、とハルは納得していた。
「月光花、ですか」
月夜にだけ花開き、満月の夜には月と同じ色の輝きを放つその花は、地上に零れ落ちた月の欠片だという伝説があった。それが森の中に点々と、道しるべのように灯っている。いや、実際に道しるべなのだろう。
……などと、ハルが思っていると。
サラは暗がりに向けて歩き始めた。怪訝に思い、眼を凝らしたハルは、其処に闇を視た。あらゆる光を吸い込み、暗がりで黒く輝く花を。新月草の名で呼ばれるその花は、比喩ではなく光を喰う。明かりを近づければ、そこに闇を見て取ることができるが、遠目ではよほど眼が良く無ければ、存在を見つけることすら不可能だ。
――あぁ、これは性格が悪い。
満月の夜にのみ開かれる森に、満月の夜にだけ光を放つ花が咲いているのに、そちらは欺瞞で、そうでなくても見つけにくい新月草が本命という二段構えとは。
「行きますよ、陛下」
いつの間にか絶影に騎乗していたサラが、手を差し伸べるでも無く、振り返って言った。顔を向けるようになっただけ進歩、なのだろうか。
シグルヴェインの手を借りてその後ろに乗ったハルは、いつも通り彼女の細い腰に腕を回して……手の甲に、ひんやりとした感触が触れた。
「……サラさん?」
「陛下はまだ、同胞として登録されていないので。私が直接肌に触れていなければ攻撃対象となります」
なんと敵味方識別型の攻性防壁まで完備されているそうだ。三段階目もあったとは、素直に驚きだったし、鉄壁の護りと言って良いレベルのものだが、それでも突破する方法は皆無では無い――実際ハルはその方法をひとつ思いついていた――ので、過信は禁物だろう。
普段は閉ざされているその森の走破はあっという間だった。
たどるべき道しるべがなんであるのかさえ伝えてしまいえば、精獣である絶影は真昼の平原を駆けるような速度で森の中を走り、シグルヴェインには若干の息切れをさせながらも、楽園にたどり着く。
絶影が「着いた、降りろ」とばかりに吸着を解いたのにも気づかずに、ハルはぽかんとそれを見上げた。
『歓迎、魔王様!』
と、ところどころに目やら尻尾やら翼やらが意匠された、なんというか、丸っこくて可愛らしい字体で描かれた横断幕を。
呆然と見上げて、見上げすぎて、バランスを崩したハルは、とっさにサラの体にしがみつき……
「ひゃん!」
今まで聞いたこともない、というか想像もつかないような悲鳴に慌てて手を放し、当然の結果として落馬した。受け身などとれるはずもないハルは、背中を強かに打って悶絶する。掌に感じた柔らかな感触など、一瞬で飛んで行っていた。
「陛下!?」
「ちょっと魔王君!?」
心配そうに声をかけられたハルは、どうにか手を上げて無事を伝える。
「――って、魔王、君……?」
呆然と、或いは愕然と見上げれば、暖かな橙色の髪を三つ編みにした女性の顔が目の前にあって、反射的に身を引き……今度は頭を打った。ハルが声にならない悲鳴を上げていると、サラの呆れた声が降って来る。
「まったく、何をやっているんですか」
言いつつ、ハルにとっては初対面の女性の肩を引いてどかし、ハル自身はシグルヴェインの手を借りて立ち上がる。一瞬と呼ぶには少し長い時間目が合ったサラの鋭い眼差しが「忘れなさい」と言っている気がした。
「魔王君大丈夫? ケガしてない? わたし治療得意だよ?」
と言って身を乗り出す女性を、摑んだままの肩を押さえて止めているサラは、なんというか、手慣れた感じがした。
「怪我はありませんか、陛下。彼女のことは気にしないでください。押し付けがましい善意が若干ウザいところがある以外、特に害はありませんので」
「嬢がウザいとか言った!」
「えぇ、こういう言葉を選らばなければ伝わらないと学習したので」
涙目で振り向く女性……女性? とサラのやり取りを見ていると、第一印象の落ち着いた大人の女性、というイメージが瓦解して、女の子と呼ぶべきだろうか、などと考えるハルの思考は、一種の現実逃避だったのかもしれない。
なんというか、山積みにされたツッコミどころに、どこから手を付けて良いのかがわからなくなっていた。とりあえず、と。ハルは横断幕を指差す。
「なんです? あのファンシーなの」
「可愛いでしょ? わたしが書いたんだよ、魔王君♪」
と、何やら得意げに胸を張る橙色の彼女。
ハルは夜中なのに何故か明るい空を仰いだ。
ひとつだけ。正直な感想を言うのならば。
「――私が知ってる魔王と違う……」
――なんだろう、この、力の抜ける感じは。
なんというか、死に際の魔女の様子から、もっと切迫した何かがあるように感じていたのだが……はっきり言って、ハルがこの間まで暮らしていた村と大差ない平和さだ。無彩色を隠す必要が無い分、あそこ以上かもしれない。
ふと気が付くと、絶影の姿は何処にも無かった。
別れも告げずに消えてしまうあたり、実にシディの侍獣という感じがして、ハルは少しだけ笑った。涙が出ることは、なかった。
サラはウチの銀髪キャラ定番の名前だったりします。
そしてオレンジさん(ちゃん?)初登場。とりあえず楽園の住人一人目です。なんか想定してたより幼い感じになりました。
ようやくこっちサイドもまたユルい感じに戻ります。旅の間は堅物、無口、ハルの三拍子そろってましたからねぇ。会話が弾まない弾まない。
ここで黒曜の話を挟もうかとも思ったんですが、キリが悪いので歓迎会まで先にやります。
次回「泣き虫な魔王」(仮)
えっと……魔王って、なんだっけ? ま、まぁ最近は魔王様もハンバーガーショップでバイトする時代ですし!




