第3話 ウィルムハルトはかく微笑む
「おはようございます、アルマンディンさん」
翌日、教会前で顔を合わせたハルは、いつもと変わらぬ笑顔でそう言った。目が見えないフリをしているのは、瞳の金無垢と髪の作られた金色が、同じ金色にしてもあまりに違いすぎるからだという。
「お、おぉ……」
不入の森でのやり取りなど存在しなかったかのような態度に、アルは曖昧な返事しか返せない。
あの後。結局一緒に水浴びをして、想像以上の気持ち良さに驚いたり、しばらく浸かっていると肌がピリピリしてきて長時間の沐浴はアルには無理だったり(先に入っていたハルは平然としていた)といったことがあった後、ハルは森を出る前にこう言ったのだ。
「此処でのことは、他の人には内緒ですよ?」
立てた人差し指をそっと唇に当てるしぐさは、およそ男とは思えない。
「――髪の色のことなら安心しろって、誰にも言わねーよ」
気軽に返したアルに、
「いえ。此処で話した内容、その総てです。この場所のことも含めて」
予想もしていなかったことをハルは言った。
「――何で?」
アルには全く意味がわからない。
「あまりおおっぴらに出来ない内容が多いですからねぇ。嘘をつかずに他人を偽る方法、なんて、拡散しないに越したことはありませんよ」
「オレには教えたのに?」
ますますもってわからない。と、首を傾げるアルに、ハルは真顔でこう言った。
「アルは良いんですよ。悪用なんてするわけがないんですから」
その無条件の信頼がむずがゆく、「なんで言い切れるんだよ」などと悪態をついてしまう。
これにハルは気を悪くしたふうも無く、眩しそうに目を細めて応える。
「君の色彩は、そういう色です」
少しずつ変えていこうとしているのか、呼びかけが『貴方』から『君』になっていた。
「言って大丈夫なこともいろいろありますけど、あれはダメでこれはいいとするよりは、全部言わないことにしてしまった方がわかり易いかな、と。この森のことを隠すのは、万が一にも誰かに見られないように、ですね。平然と此処を散歩できるのは私たち以外には父さんくらいのものでしょうが、無理をすれば入れなくもない、という人は他にも数名居ますから」
そのようなやり取りがあったのだが、友達になった事実すらもハルは隠すつもりなのだろうか。と、アルはハルの取り澄ました顔を睨み付ける。
するとそれは奇しくも普段通りの二人の様子になった。
昨日に引き続き、精霊術でロウソクに火を灯す練習と、新しい内容として、空気の膜で覆うことで火を消す練習などがハル指導とジェイの見本で進められていくが、それらはアルの耳には入らない。
アルの意識は、昨日の森でのことを辿っていく。
明日もここに来るのかと問えば、ハルはかぶりを振って答えた。
「本当は此処に来られるのは週に一度だけなんですよ。基本的には安息日である紫の日、ですね」
今日は特別なんですよ、と微笑むハルに、アルが重ねて理由を問えば、ハルは懐から小瓶を取り出して振って見せた。
「これは私の髪染めとして使っているものなんですが、高価なのに加えて入手も困難らしく、今日は父さんに無理を言って追加を貰ったんです」
君に逢いたかったので、と言って微笑む様は、性別が異なれば恋に落ちていただろうと思われた。
「なんてーか、無駄に美人だよな、オマエ」
ため息交じりにアルが言えば、ハルは二度ほど瞬きをする間を置いて声を上げて笑い出した。
「あはは、いいね、それ。無駄に美人、か。赤ん坊のウィルより気に入った」
「いやそっちもマジで気に入ってたのかよ」
「私は嘘は吐きませんよ?」
肩を竦めてそう言って、小瓶の中身を頭にぶちまける。高価な髪染め、と言っていたワリに随分粗雑な扱いでアルが唖然としていると、くすんだ金色の液体はまるで生きているかのように蠢いて、ハルの腰にまで届く髪に色を付けていく。
「なんだこれ……?」
思わずアルが手を伸ばせば、
「あ、今不用意に触っちゃダメです」
ハルは一歩下がって言った。
「禿げますよ」
「んなっ……!」
驚愕のあまり、飛びのいた足がもつれて尻もちをつく。
そんなアルの様子に、ハルはクスクスと笑って自分の頭を指さした。
「こんな見た目でも精獣の一種でして。魂喰いの類で、今も私の髪を食べようとしているんですよ。まぁ、私の色彩は特殊なので食われることは無いのですが、それでも気持ちの良いものではないので、週に一度、洗い流すことを許してもらっています」
なんと本当に生きていたらしい。
「この小瓶は隔離術式が刻まれた精獣の避難場所で、高価で入手困難なのは染料の方ですね。精獣も念のために予備を用意してあるそうですが、こちらの価値は染料の比ではないですからね」
今の不入の森では、拠り所を持たない精獣は長く存在し続けることはできないのだとハルは語った。透明にし過ぎた、と。
「あ、全体を完全に覆ってしまえばよそに移ることは無いですから、触っても平気ですよ?」
そう言われても、進んで触れようとは思えない。事情を知れば、アルでなくともそう思うことだろう。
クスクスと、ハルが笑った。
アルがそんなことを考えている間に、授業は終わっていたようで、ハルがロウソク(今日は燃え尽きなかったらしい)と少し焦げ痕のついた台をしまっている。
「魚、獲りに行こうぜ」
隣に座っていたジェディの誘いに、アルは「あぁ……」と生返事を返す。
胸中にはもやもやがあった。どうにも、すっきりしない。ハルの態度が。
昨日の会話内容を考えれば、特別おかしなことではない、それはアルにもわかっている。
それでも、どうにもすっきりしないのだ。なにがどう、とは彼自身はっきり言えないが、
――こんなのはイヤだ。そう、感情が主張している。
今日は橙の日だから、黄、緑、青、藍、あと4日もあっちのハルとは話せない。
「アルム?」
怪訝そうにジェディが顔を覗き込んできた時、ちょうど片づけを終えたハルが立ち上がるのが見えた。
「ハル!」
空気など読まずに、アルはその名でハルを読んだ。
ひくり、と彼の頬がひきつる。
「はい。なんでしょうか、アルマンディンさん」
すぐにいつもの綺麗な微笑に戻るのは、流石と言うべきか、それとも……
「オマエも来いよ、魚獲り」
「アルム!?」と、ジェディが驚いているが、アルはこれを無視した。
「いえ、私は遠慮しておきます。魚、食べられないですし」
穏やかな物腰で、とても綺麗に微笑んで、ハルはやんわりと拒絶する。
「……めろよ」
声がかすれてまともな言葉にならなかったのは、持て余している感情のせいだろうか。
「はい?」
「オレの前でまで、作り笑いすんのやめろよ!」
完璧な微笑が、こわばった。瞬きを二つ、三つするほどの間を置いて、ハルは大きく息をつく。
「まったく。微笑は私を護る鎧のようなものなんですよ? それを剥ぎ取ろうっていうんですから、」と、そこで一旦言葉を切って、ハルは悪戯っぽく笑って見せた「オマエが代わりにちゃんと護ってよ、アル」
予定してた川遊びまで行けませんでした。
少々短めですが、キリが良いので一旦切ります。あんまり投稿日が空くのもなんですし。
ハル君は初めての友達に舞い上がってるだけです。断じてびーえらない。