第2話 失望の旅路
魔女の弟子たる彼女は、自分の名前が嫌いだった。
ありふれた、花の名前――銀でも白でもないその花の名は、他の皆とは違って、魔女が付けたものではなかった。生みの親にも名付ける程度の愛情は在ったということなのだから、大事にしなさい、などと養い親に言われても、彼女の側にはそんな連中に対する愛情などわきはしなかった。
むしろ自らの手で殺そうという子――赤ん坊を捨てるというのはそういうことだ――に名前を付ける、その神経が彼女には理解できない。余計な名前を押し付けて、尊敬する師にして敬愛する養い親から与えられるはずだった名前を奪った男親と女親に対して湧いてくる感情など、憎しみくらいがせいぜいだった。
そもそも、である。色彩を理由に実の子を捨てた夫婦と、時に危険を冒してまで同胞の保護に努める魔女と。どちらが尊敬に値するかなど、考えるまでも無い。
名前を呼ばれる度に不機嫌になる彼女を、魔女は呆れ交じりに「嬢」と呼んだ。以来、それが彼女の名前代わりになっている。
名を貰えなかった少女は、魔女の弟子、という立場に拘った。魔女から与えられた魔王の側近という役割が、彼女の拠って立つところだった。楽園がいずれ迎えるという、魔と貶められた同胞たちの王にして救い手、その人物を支える者としての教育を受けてきた彼女は、偉大な魔女が後を託す者は、それは素晴らしい人物なのだろうと信じて疑わなかった。
こんな、自分の命すら他人に委ねるような腑抜けだとは思わなかった。
「こんなっ、こんなヒトのためにっ……!」
――あの、偉大な魔女は死んだというのか。
へらへらと笑う、その横っ面をはたこうと振り上げた手は、彼女の古くからの友人によって止められた。
「嬢」と、シグが口に出して言ったのはそれだけだった。そのたしなめるような口調が、子ども扱いされているようでカッとなる。
「シグはこんなヒトが私たちの王に相応しいとでも!?」
「陛下は家族を喪ったばかりだよ」
「家族なら私たちだってっ……」
「嬢!」叱りつける声が、言いかけた言葉を遮った「陛下は、たったひとりの家族を喪ったんだ。ボクたちは彼の命を救った味方でも、まだ仲間と呼べるほどに親しくはないでしょ?」
どこまでも正論だった。というか、普段気弱なシグが声を荒げるのは、戦いの時でなければ、近しい者が間違ったことを言った時だけだ。彼は自身が異形であるせいか、正しさにはこだわりを持っている。
無彩色の王は容姿や言動のせいで大人びて見えるが、実際はもっと幼いのだと、彼女は魔女に聞かされて知っていた。まさに今日、天涯孤独となった13やそこらの子どもに、王らしい振る舞いを求めるのは酷だろう。そう、理解はできても、魔女の弟子から苛立ちが消えることは無かった。
期待が大きすぎたせいもあるのだろうが……
「その『陛下』っていうの、どうにかなりません? ウィルで良いですよ?」
そいつが軽薄な態度で神経を逆撫でしてくるせいも間違いなくある。
「うん、そこは『命の対価』の内だと思って諦めて、陛下」
まるでニックネームのような気軽さで呼ぶのは良いのか、と頭を抱えたくなる魔女の弟子だった。
魔女の遺体の埋葬を終えて、出発の段になってまた彼女を呆れさせる問題が発生した。この先は黒馬の精獣が行ったことのない場所なので転移は使えず、そもそもこれ以上の消耗はさけるべきだということで、普通の馬として役割を果たしてもらう、という予定だったのだが。
「あの、私、乗れませんよ、馬。」
魔王(予定)は、軽く手など上げてそう言った。
ため息をこらえるのは不可能だった。こんなのに仕えるのか、と思いつつ、魔女の弟子は精獣に軽く触れて問う。
「私が前で構いませんか?」
早く乗れ、とばかりに軽く首を振って応じる黒馬の方が、ストイックで相性が良い気がしつつ、後ろにスペースを開けて横座りする。
いっそのこと堂々とまたがってやろうか、などと思わないでもなかったが、さすがにはしたないので自重しておいた魔女の弟子である。いずれ仕える王に会うのだからと、ドレスになど着替えたのは失敗だったとつくづく思う。そんな価値のある相手では無かった、と。
未来の魔王は後ろにまたがるのにすらもたついて、最終的にはシグに持ち上げてもらっていた。締まらないことこの上ない。
シグは徒歩……というか、並走する形になる。
「これでも並の馬より早いし、長く走れるよ」
と、自信満々に言った――言ってしまったシグは、
「ごめんなさい精獣の本気についていくのは無理です手加減してください」
その日の夜には半泣きで並ではない馬に謝ることになるのだが。
問題は食事の時にも起こる。
彼女が簡易食の摂り方の見本を見せると、何故かその男は血相を変えた。
「――今、何を食ったっ……!」
「世界に満ちる力を吸収しただけですが? 何をそんなに取り乱しているのかわかりかねます。まっとうな食事とは言えませんが、一週間程度であれば特に問題は無いですので、目的地まではこれでしのぎます。貴方も純色なのですから、できるはずですよ」
食料は傷むし、かさばるので、用意していなかった。ついでに言うと、彼女もシグも料理は専門外だ。
「……なるほど、そういうことですか」
何が心の琴線に触れたのかは不明だが、その男は世の男どもが虜になりそうな、無駄に綺麗な笑顔を見せたのだった。
直後に同じ簡易食を摂り、思い切り吐いていたので、百年の恋もあっけなく醒めたことだろうが。いや、口から摂る食事ではないので、えずくだけで何かを吐き出したわけではないのだが。
最初は呆れと共に無視していた彼女だったが、二日過ぎ、三日が経って、彼が目に見えてやつれ出すと、さすがに見かねて食料の調達に出た。ちょうど近くに小さな町があった、というのもある。
眠る王(認めたくはないが)をシグに任せ、彼女は快諾してくれた黒馬の精獣と共に町を目指す。人目を避けるため、移動は専ら夜で、眠るのが昼間だったのも幸いした。精獣、鬼人、純色という一行にとって、夜の闇は何の障害にもならない。
無論、町は濁色の町なので、髪を隠す必要はあったが。外套のフードを目深にかぶれば問題ないだろうと考えていた。貨幣の持ち合わせは無いが、それは精石で代用できる。
彼女は。それがどれほど目立つ行為か自覚していなかった。
立派な黒馬――精獣と見抜ける者はそういない――に乗って、顔を隠した若い女が、高価な精石で買い物をするのだ、あまりよろしくはない連中に目をつけられるのも当然と言えた。
……だが、まぁ、だからといって。チンピラやごろつきの類にどうにかできるような彼女では無く。雷光鬼と恐れられる威を存分に揮って、町の一隅を綺麗にすることとなる。
それはもう、なんの盛り上がりも無く、容易に。
悪党たちにとって、彼女を獲物に選んだことは不幸でしかなかった。
……では、彼女にとっては?
時間かかったわりに短めです。いやぁ、新キャラとかみ合わないかみ合わない。
ハル君のダメな部分を許容してくれていたアル君とルビアちゃんは、なんだかんだで優しかったんだなぁ、と。この子はそういう意味では優しくないですね。
次回「悪食」
あと少しでアル君ルビアちゃんサイドもやりますので、もうちょっとだけこのギスギスに耐えてください。あと、こっちサイドも目的地に着けば雰囲気も緩和されるはずなので。




