第1話 折れた魔剣
魔女の弟子と鬼人を伴い、自身の家へと向かったハルは、そこであり得ない光景を見た。
一年足らずの期間であったが、毎日ただいまと言って扉を開いた家が、ハルとシディの家が、燃えていた。いや、正確を期すなら燃えつつあった、と言うべきか。まだ火の手は家全体には及んではいない。この程度なら滄翡翠の手を借りれば……と、浮かんだ思考に苦笑が漏れた。
もう、気軽に頼み事ができる関係ではない。
家の中に生きている者が居ないのは、ハルには既に視えていた。ハルの眼を欺くことは原理的に不可能だ。生あるものには精霊が宿るし、術式で稼働する何かであれば、なおさら精霊が不可欠なのだから。
この状況で父を案じる思考が欠片ほども浮かばないのは、あの父に万が一など起こり得るはずが無いという、確信に近い信頼があるからだ。
そう。ハルにとって父シディは絶対の強者であった。
けれど。
人間である以上は、無敵でも不死身でもないのだと。
わかって、いなかったのかもしれない。
風に吹かれて、閉まり切っていなかった扉が開く。その先に見えるものは、床に転がる大きな塊と、いくつかの棒状のナニカ、そして暖炉の中で燃えている、丸い、それは、ちょうど……ヒトの、頭くらいの、大きさで……
ばん!
と、大きな音を立てて、扉を閉めたのは、シグと呼ばれた鬼人だった。両手で魔女の亡骸を抱えているため、足を使うしかなく、乱暴な音を立てる結果となったのだろうと、何故か、そんなどうでもいい分析を、ハルはしていた。
「……大丈夫?」
思ったよりも幼い声で鬼人が訊いた。
ハルはそれにすぐ答えられなかった。
アレがシディならば、説明がつくのだ。
ハルの命の危機に、シディが現れなかった理由の説明が。父に敵う者が皆無である、などということはあり得なくて、仮に最強だとしても、倒す――いや、殺す手段は必ずあるはずで……
「父、さん……?」
恐る恐る、呼んでみた声に、応える者は、無かった。
――そうか、父は死んだのか。
そう、理解して。
想ったことに、吐き気がした。
反吐が出る、というやつだ。
悲しさは、在る。寂しいとも、思う。
けれど、何よりも強く感じたのは、安堵ではなかったか。
あぁ、これでもう、自分は死んでも良いのだと。
最も強く想ったのは、それではなかったか。
死にたい、などと思ったことがあるわけではないが、死ぬわけにはいかない、という思いは常に心にのしかかり、それを、息苦しいと、確かに思っていて。
「――はは、怪物とは、良く言ったものだ」
失笑が漏れる。
「――陛下?」
魔女の弟子にまで、怪訝そうな顔を向けられて、ハルは決断をする。
「――行きましょう。此処には、死体しかない。
火葬の準備は整っているようですし、村の人が弔ってくれるでしょう」
この発言は意外だったようで、二人は異口同音に良いのかと訊いた。シグの腕には魔女の躯があり、シディの屍だけを置いて行くことに後ろめたさがあるのだろ。
「命の恩を返すまでは、死ぬわけにはいきませんから。
貴方たち二人がどれほど強くとも、父を殺せるほどの者が居るのだとしたら、一刻も早く此処を離れなくては」
そう、言いはしたものの、その敵が自分たちの前に現れる可能性は極めて低いと、ハルは冷静に判断していた。今のハルには『理由』がある。魔法が使える状態のかいぶつが二人、そこに加えて鬼人も居ては、さすがに手は出せないだろう。
逆にこちら側から敵を探す、というのは不可能だ。ハルにはその種の技能は無い。行動を共にしている二人に――魔女の弟子の方は戦闘特化と視えるので、期待できるとしたら鬼人の方だろうが――それができたとしても、やるのは愚策だろう。どう考えても罠がある。
まず、なすべきは。自分に望まれていることの確認、だろう。
それもある程度落ち着ける場所に移動してからだろうが。
ハルの考えがまとまるのを待っていたかのようなタイミングで、黒馬の精獣が彼らの前に姿を見せた。
「――絶影。貴方はまだ居てくれたんですね」
主を喪った侍獣は、相応しい誰かと再契約をしない限りは、遠からず消滅する。猶予期間は主の力量によって様々だが、どれほど長くともひと月はもたない。
絶影がハル以外の二人を順番に見た。ハルだけではなく、二人もその視線の意味を理解したようで、即座に頷いて応える。
聞き慣れた、けれどもうすぐ聞けなくなる蹄の音と共に、三人は跳んだ。
跳躍先は、輝煌に満ちていた。
「魔境……?」
何処の、かはハルにはわからないが、濃密すぎる精霊に満たされたその森は、なるほどこの三人にとっては落ち着ける場所だった。
今一つ眼は利かなくなるが、それは敵にとっても同様であるし、何より精霊に満たされた此処でなら、普通の場所より遥かに多くの回数、魔法を行使できる。地の利はハルたちの側にあると言えた。
「おばあ様が貴方の父と商談を行った場所のひとつです」
魔女の弟子には、見知った場所でもあるらしい。それにいくつか候補があるならば、待ち伏せの可能性も低いだろう。さすがはシディ=ブラウニング――と、魔女も、だろうか――抜け目が無い。
ではまず話を、と思ったハルに先んじて、二人が魔女を此処に埋葬したい、と言った。楽園と名付けられた隠れ里、其処を離れて死んだ者の遺体は、付近の魔境に埋葬するのが彼らの流儀なのだと言う。集落へは遺髪だけを持ち帰るらしい。
此処は魔女たちの中継地点でもあったようで、彼女たちの荷物が置かれていた。鬼人が早速、シャベルを使って墓穴を掘り始める。魔女の弟子とハルは、お世辞にも適材とは言えないので、待機だ。
ちなみに不変の魔境に埋められた遺体は、長い時間をかけて精石へと変化するのだと、これはハルが読んだ文献にもあった。
ふと、気付く。今までハルが読んで来た精霊術関連の専門書、それらは亡き魔女によってもたらされたものではなかったか、と。どうやらハルは知らぬ内に、精霊術と魔法の英才教育を受けていたらしい。自身の眼で実証し、ものによっては書物のそれを発展させた理論もあるので、現在ハルが持ち得ている知識は、魔女との共同研究であるとも言えるかもしれない。
「魔女の弟子にして孫娘――貴女が、最もあの魔女に近しい者、という認識で間違いありませんか?」
弟子、の方を先に言ったのは、他ならない彼女自身がまずそれを名乗ったからだ。彼女にとって、最も重要なのはそこだろう、と。
いきなり何を、とでも思っているのだろう、魔女の弟子は怪訝そうに首肯する。そういえば口調も普段のそれに戻っているな、とハルは気付いたが、もう二人に言うことをきかせる必要もないので気にしないことにした。
「そうですか。なら、貴女ですね」
「はい?」魔女の弟子の眉根が寄る。
「私の、命の所有者です」
普段通りの笑顔で言うと、「は?」と今度はより短い音が返る。
「魔女の命と引き換えに、私は命を貰った。だから、私の命は最も魔女に近しい貴女のモノです。好きに使ってください」
――もう、生き続ける理由も無いのだから。
「……ふざけているのですか?」
不機嫌、というよりも、怒りを隠そうともしない彼女に、ハルは笑顔で答える。
「いいえ? どこまでも本気ですけれど」
「貴方はっ! 私が死ねと言えば死ぬとでも!?」
「はい。わかりました。いつ、どこで、どのように死ねば良いですか?」
即答に。本気だと悟ったのか、魔女の弟子は絶句する。
「命の対価には、命以外支払えない。私の命で釣り合うとも思えませんが、貴女の望みが私の死であるのなら、私に拒否権は無いでしょう。言えるのはせいぜい、あまり痛くしないでくださいね、ということくらいですよ」
どこまでも軽い調子で、ハルは肩を竦めてみせる。睨み付ける彼女の視線が、更に険しさを増した。固く握りしめた拳が震えている。
「こんなっ、こんなヒトのためにっ……!」
親の仇を見るような目だった。いや、ようなではなくそのままか。ハルは内心で苦笑する。
――本当に、どうしてこんな私のために命を棄てたのでしょうね。
それでもルビアに別れを告げることができたことには、心から感謝している。だからハルは、魔女の縁者たる彼女の指示には可能な限り従うつもりでいた。
能動的に何かをするには……『理由』が足りなかった。
――今は、まだ。
重い話が続きます。その上アル君もルビアちゃんもいないので、一切救いが無いです。
あの二人が居れば、ハル君の代わりに泣いたり、怒ったりしてくれたのでしょうが。
次話の候補は三つあります。
このままこの三人の続きを描く「旅路」(仮)
本作の良心、アル君とルビアちゃんに視点を移しての「出立」(仮)
まさかの教会サイドに視点が飛ぶ「無刃の黒曜」(これはたぶん確定)
順番はどうなるか未定ですが、どれも近いうちにお届けします。




