エピローグ 訣別のとき
行ってしまった。きっともう、彼には会えないのだろう。
ルビア、と。彼は初めてそう呼んでくれたけれど。結局最後まで、ハル君、と呼ぶことができなかった。
今まで恋というものを、ただただ甘いものだと考えていた。でも実際は。苦くて、辛くて、酸っぱくて。それでも、こんなにも愛おしい。
あぁ。私は、今日、彼に恋をしたのだ。始まった瞬間に終わった、もしくは終わった瞬間に始まってしまった私の初恋。
今までのそれは、ただのごっこ遊びでしかなかった。
この場で授業をする時に、彼がいつも背にしていた樹にもたれかかり、後片付けの様子をぼんやりと見遣る。異臭を放つ黒焦げの死体が、教会の霊廟へと運び込まれていく。逃げ出した一人は帰ってこなかったから、いずれ応援を連れて来るはずで、遺体はその時に引き渡すのだろう。
紅蓮を連れたアルの姿が遠くに見える頃、私は決別したはずの両親と対峙していた。遠からず家を出よう。彼を怪物扱いした父と、和解できるとは思えない。
「まったく貴女は。騎士様の前で教会批判など、愚かにも程があります。間違いを認め、発言を取り消さないのならば、貴女とは親子の縁を切ります。家に帰って来ることも許しません」
話が聞こえる距離になっていたのだろう、アルが驚愕し、足を止めるのが見えた。なにも本人よりびっくりしなくても。
私としては、拒絶される、という可能性は勿論考えていた。けれど、それは父に、であって、想いを認めてくれていた母にでは……
「あぁ。」納得の吐息が漏れる。
母がこんなことを言うはずがないと思った途端、理解できた。
ウィルだって、あんなことを言うはずがない。というか、あの『芝居がかった』言動で気づくべきだった。まるでいつかの舞台のようだったのだから。
当然のこととして、彼が言った言葉に嘘は一切無いだろう。けれど、純然たる事実を語るだけで、彼は一切自分の想いを語ろうとはしなかった。
ならば、最後の最後で、自分を『ルビア』と呼んでくれたウィルの真意は。
「――あぁ。なんて、バカなんだろう」
彼のことが好きだと嘯きならが、彼を信じることができなかった自分もそうだが、それ以上に、ウィルムハルトだ。
「自分を殺す人間を赦すのは聖人の役割、ですか」
聖人がそう定義されるのならば、彼は紛れもなく聖人ではないか。彼は、ウィルムハルトは、あの神父ですら殺されないように振る舞ったのだから。
「まだわかりませんか」
まっすぐに、目を見て。母が『ようやくわかったのか』と問う。
「はい。そのような常識、わかりたくもありません」
私は『やっと理解できました』と答えた。
「気まぐれに命を救ったからといって、認められるわけでもないだろうに」
父の言うそれは、命を救ったのならば、認めないわけにはいかない、という意味、だろうか。投げ棄てるように渡された革袋の中身は……精石、か。
「それを持ってどこへなりと行けばいい。もう、親でも子でもないんだから」
……両目に涙をためていては、本心がバレバレですよ、父様。
家を出る前のあのやり取りは、どこまで本気か試されていた、ということなのだろう。あぁ、このひとも、自慢の父だ。
このひとたちは、こう言っているのだ。自分たちのことは気にせずに、自分自身の想いに従って生きなさい、と。
教会を敵に回すのなら、それも構わない、と。
「ではこれでお別れです。父様、母様、今まで本当にありがとうございました」
深く、深く、頭を下げる。ケンカ別れということにするのだから、抱擁を交わすこともできないけれど。それでも、心からの感謝を。
「さ、行きましょうか、アル君。ウィル君のところへ。此処で何があったかは、道中で説明しますよ。その上で付き合い切れないと思ったら貴方だけ帰れば良い。見送りだと思って、少し付き合ってください」
「わかりやすく説明してくれよ」
やれやれとばかりに肩を竦めるアルとなら、楽しい旅になりそうだ。そんな晴れがましい出発にケチをつけるのが、神父の神父たるところである。
肩を摑み、軽率なことをするな、などと言うのだ。軽挙妄動で、騎士団をこの村に招き入れた神父が。当然、私は。全力でその頬をひっぱたいた。
「その薄汚れた手で私に触らないでもらえますか、この人殺し」控えめに言って最低な男に、断罪を「私の大好きな人を殺そうとした貴方を、私は絶対に赦さない。わかっているんですか? あの魔女が死んだのは間違いなく貴方のせいですよ」
その魔女の死体は、鬼人が回収していったので此処には無いが。
「さて、改めてお伺い致します」いつかの舞台のように、胸に手を当てて「彼はこうなることをわかっていました。わかった上で、私たちを暴走する侍獣から助けてくれた彼の、どこが怪物だと言うのでしょう?
それにあの魔女は、自分の命を棄ててまで同族を救いました。
それで? 色彩だけを理由に命の恩人に死を押し付けようとしたあなた方とあの魔女、いったい、どちらが怪物だと言うのですか? 人間を自称する怪物の皆々様、私はあなた方を心から軽蔑いたします」
神父だけでなく、彼を見殺しにしようとした、村の全ての大人たちに。彼を真似た満面の笑みで告げて……最後の言葉は、神父へ。
「羞恥心をお持ちでないあなたに、せめて相応しい死が訪れますよう、心よりお祈り申し上げることを、別れの挨拶に代えさせていただきます」
ウィルが何度か言ったように、わかり易く現代語訳するならば――恥知らずはせいぜい惨めに死ね、という意味合いのことを告げる。
「そんくらいにしとけって、ルビア。そーゆーの、たぶんハルは望んでないから」
「えぇ、彼はきっとそうでしょう。でも私は、神父を自称するこのヒトの死を、」
「――だから。オマエがそういうこと言うのを、アイツはきっと望まない」
こんなふうに言われては、それ以上続けることができない。
「ズルイなぁ……」アルの方が、自分よりもずっと彼のことを理解している。それがこんなにも悔しい。
「最後の言葉『だけ』は取り消します。ウィル君が優しくて良かったですね、人殺しの神父様」それでも、これぐらいは言わせてもらおう。
今まで物語で読んだどんな英雄よりも、彼の行為は英雄的だ。まだまだ先の方が長いはずの人生だが、彼より素敵な男の子に出逢えるとはとても思えない。
わかっていて助けた。そして、わかっていて残った。ただ一人の友達と離れて、一人ぼっちになりたくない、と。
寂しがり屋の英雄に、教えてあげないと。
それでも、今でも貴方のことが大好きな女の子が、此処に一人いますよ、って。
最後に彼は『ルビア』と呼んでくれたのだ。たった一人の友達以外、かたくなに愛称で呼ぶことをしなかった彼が。蒼緋衣? あれは愛称というより、略称だ。ならば、少なくとも、友達だとは認めてくれたということだろう。
そうだ、まだ何も、終わってなんていない。私の初恋は、始まったばかりだ。
とりあえず、さしあたっての目標は、彼をハル君と呼ばせてもらうこと、かな?
彼と彼女と彼は。こうして、子供であることをやめた。
第二章「楽園の魔王」(仮)お楽しみに。
語りたいことめっちゃあるんで、活動報告上げます(笑)




