第57話 その先に、死が待つのだとしても
翌日の朝に戻ったシディの決断は、やはりと言うべきか、村を出ることだった。
妥当な判断である。村中にハルの無彩色が知られたのみならず、派手に精霊の火を打ち上げたのだ、この村以外でもアレを見た者はいるだろうし、遠からず、調査隊が派遣されるであろう。
帰って来た、その日の内に荷物をまとめ、親子二人は馬上の人となっている。また少し背が伸びたハルは、もう父の前ではなく後ろに乗っている。
遠巻きにしている村の大人たちは願ったり、という様子で、見送りに来た子どもたちは……ハルにとっては意外なことに、戸惑いが恐怖に勝ってきている様子だった。彼らのことをみくびっていた、のかもしれない。
そして。真っ向からその判断に反対している者が、一人だけ。それが誰であるのかは、敢えて語るまでもあるまい。
「君はとても善良で、気高い人間です。けれど、誰もが君のように在れるわけではない。ウィルの色彩を知って、それでも友達になれるのは君くらいですよ」
奇しくも、と言うべきだろうか。息子と同じようなことを、父も言った。
「そんなことない! みんなただびっくりしただけだ! 少なくとも、姉さんやルビア、フォエミナはわかってくれる!」
――どうしてだろう。アルが言うと、本当にそうなる気がしてしまう。そんな奇蹟を、夢見てしまいそうになる。
「それでも、此処に居ては、いずれウィルは殺されます。自称聖なる炎が、私の息子を焼きに来る。
知られてしまった以上、生き延びるには居を移すしかないんですよ」
「そんなの! そん、なの……!」
アルは言葉を続けられない。理解できてしまったのだろう。シディの考えが正しいのかどうか、命を懸けてまで確かめることはできないと。
「君は実に賢くなりましたね」
聞きようによっては、皮肉にも取れる言葉だったが、シディは穏やかに微笑んでいて、心からの称賛であることは確かだ。けれど、とハルは思う。
――それなら、私は愚かになったのだろうか。
父の背に額を押し当てて。ハルは自分でも愚かだとわかっていることを言う。
「父さん。私は、此処に居たいです」
「……後悔、しますよ」苦り切った声だった。
「はい」
「わかっていて、それでも?」
「――それでも。一人ぼっちは、もう嫌です」
――此処を出て、生き延びたところで、其処には友達は居ないから。いずれ狩られる身の上ならば、終焉まで、此処に。
肩越しに振り向いた父の、困ったような笑顔の意味を、この時のハルは理解することができなかった。
「一つだけ、条件があります」ハルではなくアルに、シディは言う「きっと遠からず、騎士を自称する輩がウィルを殺しに来ます。その時が来たら、」
「わかってる。必ず、護る」
言葉尻を奪ったつもりらしいアルに、ブラウニングの親子はきょとんと顔を見合わせた。そろって視線をアルへと戻し、
「いいえ逆です」父が言い、
「えぇ、逆ですね」息子も言う。
「アル君。その時が来たら、君は絶対にウィルを助けようとしないこと。それが守れないのなら、私は無理やりにでも息子を連れて行きます」
「なんで、そんな……」アルが悔しそうに唇を噛む。
「たった一人の友達の人生を、自分のせいで歪めてしまった――そんな想い、大事な息子にはさせられません。それに、何を犠牲にしてでもウィルを護るというのは、父親である私の役目です。
こうなっては仕方ない、魔女と契約してでもウィルが生き残れる道を探すとしましょう」
「――魔女……?」
繰り返したのはアルだが、それはハルも初めて聞く、不吉な響きだ。
「えぇ。こう見えて顔は広い方でして。そういう知り合いもいるんです。とんぼ返りになりますが、今から会いに行ってきます」
それから実に一か月近く、シディ=ブラウニングが戻ることは無かった。
約ひと月。ハルはほとんどの時間を家の中で過ごした。色彩の無い髪を見せて、他人を怯えさせるのは本意では無かったからだ。その点、家が村はずれにあったのは好都合だった。
それでも時折、好奇心の強い子どもが遠巻きに見に来て居たが。ハルはそれに気づいていないふりをしている。反応すれば確実に怖がらせてしまうだろうから。
外に出るのは、水を汲みに行く時と、森へ食料の追加を調達に行く時くらい。すぐ傍らに在った不入の森が枯れてしまい、涸れてしまったので、少し遠くまで足を延ばさなければならなかったが。
冬でも枯れない森が在った場所は、今は草一本生えない荒地となっている。生き物が存在しない、という点だけが以前と変わっていない。
精霊術教室は、当然ながら閉鎖だ。ほぼ全員が残念に思っていると、ハルはアルから聞かされていた。だから、というわけでもないのだが、ハルは暇に飽かして一冊の本を書いていた。まだ教えていない、精霊に関する知識を、基礎的なものから順番に。蒼緋衣ならば、適切にかみ砕いて教えてくれるだろう。そんなふうに考えることこそ、ハルもまた、あの場所に心を残している証拠かもしれなかったが。
アルは毎日会いに来た。毎日のように、ではない。本当に、一日も欠かすことなく、アルはハルの家を訪れた。突然居なくなることを恐れているようでもあり、残された時間を惜しんでいるようでもあった。
話す内容は、中身の無い、くだらないことばかりだった。この二人で真面目に精霊術の話をするのも違うだろう、そう言ったのは、ハルだったか、アルだったか。あと一人居れば、そういう話も悪くなかったかもしれないが。
無彩色のハルが村に受け入れられるように、アルが奔走していることにもまた、ハルは気付かないふりをしておいた。内心でもう少し巧く隠してくれと苦笑しつつも。まっすぐすぎるこの友人は、ハルとは違って隠し事がへたくそだ。
あの日以降、ハルがアル以外で会ったのは一人だけだ。
「……どうして笑っているんです?」
きっと怯えさせることになるだろう。そう思いながらも、必要だからとアルに頼んで呼び出してもらった彼女の様子に、ハルは驚きを禁じ得ない。まぁ、それを表情に出すほど素直な性格はしていないのだが。
「やっと呼んでくれたから。で、あたしは何すれば良い?」
深い紫色の髪をツインテールにした彼女に、ハルは確かに貸しがあったけれど。自分の髪色的に聞き入れてもらえるかは五分、頼み事の内容でどうにか説得しようと思っていただけに拍子抜けではあった。想像以上に義理堅い子だったらしい。
ともあれ、話が早いのは助かると、ハルは頼み事を口にした。夢すら無い深い眠りの色彩をした、深紫菫にしか頼めないことを。
内容を聞いて、悔しそうに唇を噛むその姿は、ハルのために戦うなと言われたアルのそれと良く似ていた。
「……わかった。やるよ。それがアンタの望みなら」
そう言って、深紫菫は一輪の花を差し出した。正確に言えば、菫の花を模して作った飾り物を。意味が変わっちゃったけど、と彼女が泣きそうな顔で笑うものだから、ハルはその作り物の花を受け取っていた。
――そういう意味の献花なら、受けてしまっていいだろう。葬送の花が一輪も無いというのも、寂しいものではあるし。
でも、と深紫菫は去り際に小さく付け加えた。
「恩返しは、アンタを守ることでしたかった」
そして猶予は尽きる。
次回「表舞台の裏側で」
それは、舞台に上がらないことを選択した、彼ら彼女らの物語。




