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色彩の無い怪物は  作者: 深山 希
第一章 元色と熾紅
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第55話 喪失の魔境

 不入いらずの森で、不要いらずの森の話をしたその日、ハルはアルの家に来ていた。月一恒例、保護者不在の外泊日である。夕食を届けてくれた蒼緋衣はどこか挙動不審だったが、ハルが「今日は帰るんですか?」と訊くと、落ち着いた、というよりも疲れた顔になって、泊まるのは来月にします、と言った。


 彼女が帰った後、呆れ顔のアルから「お前鬼だな」などと不当かつ不本意な罵倒を受けたりしながら夕食を摂り、少し疲れたとアルが言うので、早々に床に就く。


「アル。あまり思いつめてはダメですよ?」

 旅暮らしに戻ったアルの両親の部屋へと向かう前に、ハルは友人にそう声をかけた。アルの両親が在宅の冬場はアルの部屋で眠ったハルだが、部屋が空いているのにわざわざ狭いベッドで一緒に寝る必要はない。


 軽く手を振って自室へと向かうアルと。もしも同じ部屋で眠っていれば、或いはその事態は避けられたのかもしれなかった。




 異変に気付いたのは真夜中過ぎだ。


 子どもが一人で眠るには大きすぎるベッドに身を起こし、眼を凝らす。方角は……いや、場所は、不入いらずの森。濃密に過ぎる精霊が……胎動している?

「紅蓮」

 口を突いたのは、アルの侍獣の名。今起こっているコレ・・は、紅蓮が生まれた時のそれとそっくりだった。


 規模が森全体に及ぶほどに大きく、色彩が赤一色だけでなく、あらゆる色彩いろが蠢いているという違いはあるが。


 ベッドを下り、部屋を出て、ノックもせずにアルの部屋へ飛び込む。

 アルは、ひどくうなされていた。


「アル! アル!!」

 乱暴に揺さぶって起こすと、目を開けたアルは呆然とハルの名を呼んだ。


「アル。紅蓮は何処にいますか?」

「えっ……あれ……? 紅蓮……?」

 その戸惑いこそが返答であった。侍獣じじゅうの所在が主にわからない状態。


 ――やはり、アレ・・は紅蓮か。でも、どうしていきなり……


「なぁ、ハル……オレ、イヤな夢、見た……」

 呆然と、それこそ夢現ゆめうつつていで、アルが呟く。


「――夢?」

「あぁ……森に、あの森に捨てられたオレが、捨てた連中を食い殺す……あれ? オレ、が……? でもアレ、でっかい紅蓮みたいな……」

「――っ!」

 息を呑む。アルの説明は要領を得なかったが、その断片はハルの思考の不足分を埋める欠片としては充分だった。


 不安定な精神、夢、無防備な状態、そして精神的に繋がった……侍獣。


 やはり何を言われても不要いらずの森の話などするべきでは無かった。今夜は眠る前に深紫菫の術を……いや、そこまでせずとも、この家にも眠りの術を扱える者はいたのだから、せめてアルの姉に術を使ってもらっていれば……と、過去ばかりに思考が向いていたハルを叱り飛ばすように、その声は、届いた。


『魔霊です! 発生場所は不入いらずの森の方角! 急ぎ教会まで避難を!』


「ルビア……?」

 呆然と呟いたアルの声を、ハルの笑い声がかき消した。


「凄いな、彼女は。この状況でもう動き出していて、しかもそれが最善手とは……控えめに言って最高ですね」

 はははっ、と声を上げてハルは笑う。これは負けていられない。なにしろハルは、そんな彼女の先生などをやっているのだから。


「アル……ってあれ? ウィル君も? さっきのって、いったい……?」

「風の便りです。異変に気付いた蒼緋衣が、アンバーさんと合流したんでしょう」

 起きて来たヴィオラにハルが答える。迷わずこの選択をした蒼緋衣は称賛に値する。もし迷っていたならこの早さはあり得ないし、時間的猶予がどれくらいあるかわからない現状では、避難誘導は遅くなっただけ危険が増す。それにここまで早く異変に気付けたということは、眼もしっかり鍛えていたのだろう。


「アル。まずヴィオラさんを教会近くまで送りますよ」


 ハルたちの最優先は、戦えない者の安全確保だ。小走りで向かう通り道にある家で、動き出していない者が居れば声をかけていく。


「ハル……? 紅蓮は……」

 自分のせいだと思っているのだろう、アルはあり得ないくらい弱々しい。火色の友人のこんなところ、見たくはなかったが、そもそも原因はハルにこそある。


 ――だから。


「私たちで止めます」

 迷わず、揺るがず、言い切った。

「今の状況をまとめておきましょう。

 私が不要いらずの森の話をしてしまったせいでアルが感じたやり場のない怒りや哀しみが、眠っている間に紅蓮に流れ込んでしまった。紅蓮は死者に呼ばれるように不入いらずの森へと向かい、其処に在る総ての精霊を呑み込もうとしています。元は紅蓮もあの場の一部だったので、親和性は高いでしょう。しかも精獣として意思を得ているので、核となり得る。

 今、アルとの繋がりが切れかけているのは、怒りに我を忘れつつあったところへ、大量の精霊を取り込むことまでして、暴走状態にあるからですが……アルが確たる意思を持ち、直接対峙すれば止められるはずです」


 走りながらではこれだけの量をしゃべれず、途中から歩いたので少々締まらなくなった感はあるが。


「……でも、オレまだ頭ん中ぐちゃぐちゃで。何が正しいか、わかんねぇよ……」


 ――その迷いこそが正しい。

 とは、口には出さなかったが。


 口減らしの類を、頭だけで考えて、必要悪だと簡単に納得してしまえる。ハルはむしろ、そんな自分こそが間違っていると理解していた。


 アルはいつだって、正しく怒り、正しく迷い、たとえ間違ったとしても、正しくやり直せるひとだ。その確信が、妄信と呼ばれるものだという自覚はハルには無い。ただ、この全肯定が今のアルに必要なものではないことだけはわかっていた。


「たとえ迷いが晴れていなくても、動くべき時には動けますよ、アルなら。

 大丈夫、私も一緒に行きますから」


 この言葉にアルは驚いた様子だった。先程ハルは『私たち』と言ったのだが。


「……それ、危なくねぇのか?」

「危なくなったら、アルが護ってくれるんでしょう?」

 あくまで気軽に肩を竦めてみせる。


 敢えてアルには言わなかったが、危険は無い。おそらく。

 ハルにとって精霊は、魔霊や魔獣をそこに含めたとしても、野生の獣よりも安全なものだ。そもそも不入の森を清めたのはハルなのである。


 だからこそ、この状況でも父が帰って来ていない。

 こと息子ハルの安全に関してなら、シディ=ブラウニングの過保護ぶりは偏執的だ。もし脅威となるっているのが人間ひとであったなら、今頃はもうハルの隣に……いや、あのひとなら、ハルが気付く前に一人残らず斬り捨てていたことだろう。


 まだ不安そうにしているアルに、ハルは穏やかな笑顔を向けた。

「言ったでしょう? 私はアルのためなら何でもしますよ?」


「ウィル君! アル君!」


 教会前で指揮を執っていたらしい蒼緋衣がハルたちに気付いて駆け寄って来る。明かりを確保するために焚かれた篝火は、アル以外の赤の手によるものか。

 本来こういう状況では神父様が村の代表として指示を出すものだが、あのヒトの使えなさはきっちり深紫菫の一家が喧伝してくれたようで、逸早いちはやく異常に気付いた蒼緋衣が場を取り仕切ることに異を唱える者は居ない様子だった。


「蒼緋衣、火は危険です。現在の異常事態の核は火なので、明かりは純粋な光に切り替えてください。シトリンさんを中心に同系色の人を集めれば、一晩くらいはもつはずです」と、言った相手は蒼緋衣だったのだが。


「おう、任しとけ!」と、教会の方から声が聞こえ、明かりが灯った。

「消火、しますね?」続いた声は滄翡翠だろう。先の声はシトリン、か。


「オレらの仲間は頼もしいな」

 赤が消え、光が黄色がかったものだけに即座に切り替わったのを見て、アルが笑う。少し調子が戻って来た様子だ。


「あ……あの、ごめん、なさい……」

 しゅん、としおれる蒼緋衣だが、

「謝ることなんて何も無いですよ。他は全て完璧なんですから」

 慰めでもなんでもなく、ハルはそう思っている。


「なんでも『控えめに言って最高』だってよ?」

 ハルの肩にポンと手を乗せて、アルが冗談めかして言う。


 えっ、と驚きの声を上げる蒼緋衣に、ハルは笑顔を向けた。

「貴女の行動は的確で、何より早かった。私とアルなんて、貴女の声で動き始めたくらいです。今回最も称賛されるべきは蒼緋衣、貴女です。それは些細な見落としひとつ程度でかすむものではありません」


 蒼緋衣が微笑みを返す。それは親に褒められた子どものような、とても無防備な笑顔だった。

「じゃあ、ご褒美に、今度お茶に付き合ってもらっても良いですか? お茶請けには木苺のタルトを用意するので」


「……それはどちらかと言わなくても、私へのご褒美になりませんか?」

 ハルは小首を傾げたが、

「あぁ。そーいやイロイロあったからか、ハルの誕生日って何もやってないな」

 アルが手を打ち、

「はい。リベンジです」

 蒼緋衣がきゅっ、と両拳を握る。


「なんで若干言葉選びが物騒なんだよ」

 アルが笑いながらツッコミを入れて、そんな場合では無いのに、日常が戻って来たような気がして、ハルは小さく笑った。


「では蒼緋衣、不入いらずの森へは私とアルで向かうので、此処は任せます」




 その頃不要いらずの森は、急速に終わりへと向かいつつあった。


 今まで止まっていた分の時間が一気に押し寄せて来るように、木々は葉を落とし、泉はれて、急加速で、森が死んで逝く。


 不変の森を永遠たらしめていた精霊、その全てを集束する核となった一体の精獣は、紅蓮と呼ばれていた頃とはかけ離れた姿に成っていた。成り、果てていた。

 四肢は太く、たくましく。その巨躯は、人を数人背に乗せられる程の大きさだ。

 顔つきも精悍さを増し、怒りに燃える――言葉通りに燃え盛るその姿を、犬と呼ぶ者はもう誰も居ないだろう。赤く、紅く、朱い、業火ごうかの狼が其処に居た。

 炎を存在の核としているが、ありとあらゆる精霊を取り込んだため、その体毛は無限の色に輝いていた。


 魔獣の傍で、枯れ木が、枯れ草が、一瞬で灰も残さずに燃え尽きる。それはさながら、此処で命を落とした者たちを、既に遺体すら遺されていない者たちを、改めて荼毘だびに付すかのようだった。


 無彩色の少年がこの場所で本を読む時には、いつも傍らに在った一輪の緋衣草サルビアが……今、枯れた。

不入いらずの森は喪われた。彼らはこれから何を失うのか。

次回「致命のことば」お楽しみに。

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