第48話 愛すべき日常?
「……今なんて?」
言葉も無いウィルに代わって、というわけでもないだろうが、アルが訊いた。訊かれた方は熱っぽい目をウィルに向けるばかりでそれには答えなかったが。
「貴女は何を言っているんですか?」
重ねてルビアも言ってみたが、無反応。はぁ、とため息をつき『ご主人様』に手ぶりで示す。どうぞ、と。ウィルのげんなりした顔、という中々にレアなものが見られたので、ワリとルビアは満足だった。
「いったいどういうことです?」
ため息にも似た声色でウィルムハルトが訊くと、ようやく深紫菫からの反応があった。熱に浮かされたような目で、言うのは。
「あたしは借金のカタにご主人様のものになったのよね……です、よね?」
あぁ。確かに、条件その三はそういう解釈もできるか、などとルビアは妙な感心をしたが、当事者はたまったものではないらしく、言質を与えてしまった父にじっとりと湿った視線を向けている。
深紫菫の父――名前を覚える気はルビアにはない――が元の態度に戻ってウィルを睨みつけていたが、これはこっちの方がむしろ安心できる。
「いやぁ、この子もなかなか打たれ強いというか、転んでもただは起きないというか」シディはこの曲解は予想外、と楽し気に笑っていた。
ウィルは頭を抱えていたが、直前までの深刻さが消えていたのは――それを成したのは、ルビアからすればそれだけで評価に値することだった。深紫菫の父に彼が言ったことは、全て文句のつけようのない正論ではあったが……あんなのは、ウィルムハルト=ブラウニングには似合わない。
勝手な押し付けかもしれないとはわかっていたが、ああいうのは自分の役割だ、とルビアは思う。正論で徹底的に追い詰めるルビアを、当事者のウィルが呆れ顔、もしくはどうでも良さそうな態度で止めるのだ。そちらの方が、自分たちの精霊術教室には相応しい。
……などと、呑気に考えていると。
「さっきあたしの子どもって言ったけど、その子の父親がご主人様じゃいけない理由は無いよね……ですよね?」
話がとんでもない方向へ飛躍していた。娘はやらんぞ! と、どこかで聞いたセリフを叫ぶ父親に、いやもう既に、と反論する娘。とりあえずルビアは父親の方を応援しておいた。今回ばかりは。
「そういう話は大人になってから」「――大人になったら良いの!?」
ウィルが思い切り墓穴を掘っていた。もう、何が何やら。
そう言えば、結婚は人生の墓場、なんて言葉があったなー、とルビアは現実逃避気味に思考を遊ばせた。
「あ。でも胸はもうルビアより大きいよ?」
――オーケー。こいつは敵だ。
「黙りなさい12歳児」
少しばかり、言葉が乱れるのをルビアは自分自身に許した。お上品にキャットファイトはできない。年齢的に猫と言うよりも仔猫かもしれないが。
「何よ、発育不良の15歳児」
「発育は人並みです! だいたい誰が『児』ですか!」
「アンタよ、ぺたん娘」
「少しは膨らんで……って、そうじゃない!」
危うく胸元に手をやるところだったルビアである。
「明らかあたしより小さいよね?」ふふん、と12歳児は胸を張るが、
「明らかなほどの差はないでしょう!?」
彼女のそれは平坦ではないだけで、特に大きいわけではない。
「いやぁ、年齢差も含めると大差だと思うなー」
うぐ。と、ルビアは言葉に詰まり、
「――まだこれから育つもん!」苦し紛れの叫びを上げた。
「……どっちも黙れ」
絞り出すようなウィルの声に『はい』と仔猫二匹の声が重なる。
「まったく、そういう話は男の子の居ない場所でしてください。秘すれば花と云うでしょう……自分で魅力を投げ棄ててどうするんです」
『そんな、魅力的だ』「なんて……」「とか……」
異口同音、再び。語尾には若干の個性が出た。「言ってねーだろ」と、アルが呆れたように呟いているが、ルビアに言わせれば読解力不足である。魅力を投げ棄てるな、ということは、逆説的に魅力があるという意味になる……と、二人の恋愛脳は考えていた。ほぼ全員から向けられる、生温い視線も気にせずに。
「深紫菫」ため息混じりにウィルに呼ばれ、
「はい!」対照的に元気な返事が返る「なになに? やっぱり気になる? 見たい? 触りたい?」
自慢――なのだろう、きっと――の胸を突き出すように迫られたウィルは、ぞんざいにわしづかみにして押しやった。
――顔面を。
およそ女の子に対する扱いではなかったが、それだけげんなりしているということだろう。普通なら死んでいたひとを助けたところでもあるし、心身ともに疲れていないわけがないのだ。
「私は。そういう冗談は嫌いです」
わりと本気で怒ってる、とルビアには気付けたが。
「本気だったんだけど……」
と、少女は態度を改めることなく唇を尖らす。その程度のあざとさでたじろぐようなウィルではない。もしそうならルビアもここまで苦労していないし、もしそうなら、そもそも興味を持ってもいなかっただろう。
ウィルムハルト=ブラウニングは、それはそれは綺麗に微笑んだ。
「さすがはそのヒトの娘ですね、はっきり言わないとわからないですか。
――不快だからやめろ」
「は、はい……」
――なんで罵倒されてほのかに嬉しそうなんだろうか、あの子は。
とはいえルビアも、ある部分では気持ちがわかるのである、困ったことに。彼の強い言葉には、まるで魔力でもこもっているかのように、抗しがたいものがあるのだ。たいていの命令なら従ってしまいたくなる。それも喜びと共に。
「父さんが言ったのは借金を返済するように、ということだけです。おかしな曲解をしてこちらが望んでもいないことを押し付けないように」
「……でも、あたしはアルみたいに強くないし、ルビアみたいに頭も良くないから、何でもするつもりなのに、何もできなくて……」
あぁ、そういうことか、と。ルビアは理解できてしまった。この子はウィルに何を差し出しても返しきれないと言い切れる恩義を感じていて、必死にできることを探そうとしていたのだ。それが理解できてしまっては、もう、倒すべき敵だとは思えない。恋敵、ではあるかもしれないが。
まぁ、先程の類の暴走はもうウィルがさせないだろうから、そのあたりはルビアとしても安心できる。
けれど……
深紫菫に対して、ルビアと同じ理解に至ったのか、ウィルの表情が崩れた。完全で完璧で隙の無い微笑から、
「さっきの今で、もう忘れたんですか? 魂の色彩に優劣は無い。アルなんかは特別希少ではありますが、それでも彼は火であって、火でしかない。特化しすぎているので、水は全く扱えず、傷を癒す力も無い。
貴女の家族を護ったのは、貴女の眠りの威です。そこは誇って良いですよ?」
僅かに苦笑めいた、しょうがないヤツだ、とでも言うような、暖かさを含んだ呆れの表情に。
――ずるい! そんな表情、私もまだ向けてもらえてないのに!
やはり倒すべき敵か、などと前言――『言』ではないが、思ったことを撤回したくなるルビアだった。
「えっ……? でも、ご主人様が助けてくれたんじゃあ……?」
深紫菫は理解できない、といった表情だ。
「私たち三人がしたのは、病魔を瞬殺することです。それに巻き込まないように、二人を深く深く眠らせて、魂的に隔離したのは他でもない、貴女ですよ、深紫菫」
少女の両目からぽろぽろと涙がこぼれる。確実に悲しみによるものではない涙が。同じヴィオラで、同じ紫の色彩の、自分よりずっと優秀な人物が身近にいた彼女は、こんなふうに自分を肯定してもらえたことなど無かったのではあるまいか。
「どちらかというと何もできないのは私ですよね。アルとは逆の意味で物珍しい色彩をしていて、まともに使える精霊術なんて無いんですから」などと、皆の先生は自虐的な発言をするものの。
「二回も奇蹟起こしたヤツが何言ってんだろうね?」やれやれ、とフォエミナがかぶりを振り、
「仮に直接的にできることが無いとしても、間接的にならできないことが無いレベルじゃないですか」ルビアが正直な感想を重ねれば、
「お前が言ってんのってアレだよな、天才剣士が素手じゃ何も斬れないから自分は無能だって言うようなモン」アルがアルらしい、けれど実にわかり易いたとえを披露し、
「少なくとも、この精霊術教室じゃ、ウィル君が何もできないなんて、誰も思ってない」滄翡翠は生真面目た言葉をかけて、
「センセーあってこそのわたしでもあるし?」サリィがそれをまぜっかえす。
「うん、先生はすごい!」「ウィル兄ちゃんすげー!」
……最後の10歳児二人は何もわかっていなさそうではあったが。
教え子たちの絶賛に、ウィルは肩を竦めるだけで応じた。
「ともあれ、貴女の力が必要な時は声をかけますよ。差し当たり、さっきも言ったように、あの父親の手綱をしっかり握っておいてください。もしも暴力に訴えるようなら……こちらは武力に訴えるとしましょう」
彼が視線を向けた先はアルではなく、自身の父親だった。
次やらかしたら容赦なく斬り捨てる(物理的に)つまり、そういう意味だろう。
「それから。ご主人様はやめること。あと、言葉遣いもいろいろと無理があるので、元に戻してください」
「――わかったよ。アンタがそう言うなら。じゃあせめてウィル様で」
「わかってないしせめての意味がわからない。却下です」
「先生、なら良い? 他にも何人かそう呼んでるし」
「……仕方ないですね」
以降、彼女からはウィルムハルト先生などと大仰に呼ばれるようになり、彼は安易に許可したことを後悔することとなるのだが、それはまた、別の話だ。
魅力は投げ捨てるもの。
それを捨てるなんてとんでもない!
というボケは本編では入れられませんでした。
次はハル君が授業でやるって言っちゃったので、お祈りに関する授業から始めます。




