閑話 わがまま
変わり者、もしくは狂人と別れ、家に帰ると父が食事の支度をしていた。
「ただいま、父さん」
「はい、お帰りなさい。もうすぐできますから、少し待っていてくださいね」
思わず謝りそうになった私は、どうにか「はい」とだけ返した。
私が肉も魚も食べられない偏食なので、我が家の献立はいつも野菜だけを用いた料理だ。食事の度に父に迷惑をかけていることを再認識するが、私が謝ると父はかえって悲しそうな顔になるので、謝罪はなるべく呑み込むようにしていた。
「おや?」
肩越しに私を一瞥した父が左の眉をぴくりと動かす。
「なんだか嬉しそうですね。何か良いことでもありましたか?」
問いに対する私の答えは、いささか歯切れの悪いものとなった。
「――良いこと、なのでしょうか? 森で変わった人に遇いました」
「――見られた、のですか?」
すっ、と。父の声から温度が失われたのがわかった。
何を、と問い返すことはしない。父の様子を恐れたわけでなく、私たち親子にとってそれは言うまでもないことだからだ。森というのが不入の森で、見られたというのが本来の髪色だということは。
付け加えるのなら、父は見た相手にも思い至っていることだろう。
私たち以外であの森に立ち入ることができるとしたら、それは彼以外にはいないであろうから。
「見られはしましたが、言葉の通じる相手が怪物なものかと叱られました」
「なるほど。それは確かに変わり者だ」
笑みを含んだ声とともに、僅かに肩が竦められる。
「友達に、なれそうですか?」
そう、なれると良いけれど。
「どうでしょう。言うならば人喰い龍と人ですから、私と彼は」
お気に入りの物語の言葉を引用すれば、
「では、頑張って世界を騙さないといけませんね」
父がそれに合わせてくれて、二人で少しだけ笑った。
「えぇと、それで、ですね、父さん」
言いにくさに体を小さくする私に、父は「はい」とだけ答える。
「明日も、逢う約束をしまして……」
どうしても言葉は重くなる。
不入の森はあらゆる穢れを拒絶する。それはつまり、
「あぁ、それなら追加の髪染めが必要ですね」
――そういう、ことではあるのだが。
「でも、あれを手に入れるのは大変だって……」
また、迷惑をかけてしまうのに。
「君が久しぶりに言ってくれたわがままです。多少の苦労なんて、なんでもないですよ」
スープ鍋をテーブルに運びながら父が言う。その口許に、笑みさえ浮かべて。
「子どもなんですから、君はもう少しわがままで良いんですよ?」
「父さんは私に甘すぎます」
こんな色に生まれついてしまったのに、という言葉は呑み込んだ。それは両親に対する不満とも取れてしまう言葉だったから。
「良いんですよ」
そう言って、父は私のみぞおちあたりに手を伸ばす。薄手のシャツの下には、細い鎖で吊るされた小さな指輪がある。紅姫竜胆が意匠され、黒曜石が象嵌されたそれは、亡くなった母の結婚指輪らしい。
「私の甘さは、二人分なんですから」
短いですが、とりあえず今日はここまで。
若干引っ張りすぎてる感があるので、次でいろいろ明らかにします。