第47話 愚行の代償
「――消えろ」
たった一言命じるだけで、ひとに寄生してようやく存在できる脆弱な精霊は、ひとたまりもなく黒く散る。ハルはそれを知っていた。
知っていて、そう命じ、一瞬で虚空に溶けて消える死体を目にして。
力が、抜けた。
ベッドに縋って、どうにか倒れることだけは避けたものの、膝はがくがく震え、そう長くはもちそうに……と、思ったところで、いきなり体が軽くなるのをハルは感じた。
「ハル!? おい、ハル!」
耳元で聞こえているはずなのに、随分遠く感じるその声の主が誰なのかだけは、今のハルにもわかった。自分の体が彼に支えられていることも、また。
軽く手を上げる、ただそれだけのことにひどく苦労しながらも、必死に口を動かして、言葉を紡ぐ。治療、早く。と、たった二つの言葉を。ここまでやって、どちらか一方でも死なせてしまっては目も当てられない。
不足が過ぎる言葉で伝わったのか、そもそも声になっていたのかどうか。どちらもわからないまま、自分の身がどこかへ運ばれるのを感じて……そこで一度、ハルの意識は途切れる。
意識が戻った時、最初に見えたものは。
「……なんて顔してるんですか」
まるで迷子の子どもが、心細さに泣きそうになっているような、そんな顔をした友人だった。ハルが言葉を発したことで安堵を、そしてすぐに発言内容に不満を、忙しくその表情に浮かべたアルがハルの顔面をわしづかみにする。
「うっせこのバカ。心配させんな」
摑んだだけで力を入れたり揺さぶったりはしないあたりに、粗雑な友人の優しさを感じて、ハルの口元にはやや場違いな笑みが浮かぶ。
「私はどれくらい気絶してました? 治療は?」
アルの手をどかしはしたものの、すぐに身を起こしたりはせずに訊く。どのみち自分にできることがもうないことは、ハルにもわかっていた。
「時間はほとんど経ってない。そうだな……お前が深紫菫に色の説明してた程度の時間か? 治療の方はシディさんが人を入れたから……ま、ルビアが巧く仕切ってんだろ。
――で! んで! お前のそれはどういうことだよ!? なんともないんじゃなかったのかよ!?」
食いつくように顔を寄せてくるアルだが、それでもまず質問に答えるあたり、態度に似合わず真面目である。
「あー、ダメージとか、消耗とか、そういうのは一切無いんで、そこは安心してください。これは精霊の死体を見てちょっと……」
「――ちょっと?」
半端なところで言葉を切ってしまったハルに、アルが焦れて問いを重ねる。
「……ちょっと、なんなんでしょう?」
「いや、オレが訊いてんだけど」
「なんでしょう、何か、思い出しかけたような……?」
「あー、いい。思い出すな。また気ぃ失われちゃたまらん」
「えっ?」予想外の言葉に、ハルは2、3度瞬きをする。
「顔色。また悪くなってんぞ? ちょい寝てろ」
「いや、別に眠いわけでも疲れたわけでも無いんですが」
「じゃあ横になってる間に質問だ。その髪の色は? どしたよ?」
声を潜めて、訊かれたハルは自身の前髪を一房つまんだ。完全に全ての色彩が抜け落ちた、無彩色のそれを。そういえばこうなることは言っていなかったな、と思いつつ、友人を横目に見る。
「これも人払いの理由のひとつですね。さっきのアレに耐えられずに消滅したんですよ。いつもの森で悠長にはがしてくる余裕なんて無かったですしね」
指示語がやたらと多いのは、誰かがうっかり漏れ聞いてしまわぬように。ここまでいろいろと徹底しておいて、たったひとつの想定外でバレてしまったのでは、あまりに間抜け過ぎる。
ハルはゆっくり身を起こし、右手を友人に向けて伸ばした。
「予備、父さんから預かっているんでしょう?」
「お、おぉ。もう良いのか?」
体はなんともない、ともう一度繰り返したハルは、受け取った小瓶の中身を頭にぶちまけた。染料はともかく、この粘液状の精獣はこれで最後……の、はずである。用心深いシディがあとひとつくらい予備を用意していてもハルは驚かないが。
「そういや、治療に使うモノが高くつくって、それのことか?」
「はい。そこそこ優秀なヒトが、十数年ほど必死で働いてどうにか稼げる程度の金額だそうですよ」
「……ちなみにこの村換算だと?」
なるべくぼかして言ったハルに、怖いもの見たさ的な感情からか、アルがもう少し具体的なたとえを要求する。
「三代遊んで暮らしても余裕でおつりが出ますね」
「おぅ。あの二人、売り払ってもまるで足りねぇな」
アルの言う二人とは、父娘ではなく、父の方と神父の二人だろう。教室の一員を、冗談でも売るなどと言う性格ではない。それを言うなら、そもそも誰かを売るなどという冗談を言う人物ではないのだが……同じ愚行を繰り返したのが、よほど腹に据えかねたのだろう。
ハルは肩を竦めて「大した値はつかないでしょうしね」と答えておいた。自分から話を振ったアルの「うわぁ」という顔が大いに不満だった。
「どうやら、向こうも落ち着いたようですね」
隣の部屋の様子を視たハルが言い、アルと共にそちらに移動する。休んでいた部屋の前で見張りをしてくれていた紅蓮を抱き上げて撫でてやり、緑色過多な――呼んだのはハルだが――隣室へ。
「ウィル君!?」
真っ先に気付いて駆け寄って来た蒼緋衣の表情が、起きた時に見たアルのそれとあまりにそっくりで、悪いとは思いつつも笑みがこぼれた。
駆け寄り、ハルの両肩へと伸ばされた手が、触れる直前に、反発する磁石のような勢いで盛大に弾かれた。あまりの勢いにバランスを崩し、何やらじたばたもがき始める美少女(おとなしくしていれば)の両肩に、ハルの方が両手を乗せて支えてやる。紅蓮をアルに返していなければ、ハルでは支えきれなかったかもしれない。今のハルでは、特に。
「ご心配どーも」小首を傾げ、微笑みかける「自分を心配してくれたひとが、ちょっと体に触れたくらいで怒ったりしませんよ?」
クスクスと笑うハルを、何故か父と友人が呆れた目で見ていた。
蒼緋衣が真っ赤になっているのに気づき、ハルは肩に乗せたままになっていた両手を離す。
何故か名残惜しそうな目で見られた。
――どうしろと。
そちらはひとまず措いて、遮蔽物無しに改めて患者を視る。
「うん。どうやらこちらも安定したようですね。もう大丈夫だとは思いますが……緋衣草、念のために暫く経過観察に通ってもらえますか?」
「それはもちろんオッケーだけど……センセーは?」
「私はもう要らないですよ。体の状態を診るのは私よりも……あぁ、そうそう、既に神父様よりも貴女の方が優れていますから」
と、今回の元凶の一人に視線を向ける。
「形式上とはいえ、一度しでかしたヒトを主としたのが失敗でした。貴方は今後一切自分の判断で治療を行わないでください。これからは緋衣草の助手として行動することを、村中に知らしめてもらいます」
「ちょおっ!」と、奇声を発したのは当事者の優秀な方だ「いや、さすがにムリだって! 治療のことなんて、ロクに知らないんだから!」
「知識と経験は『助手』が提供してくれますよ」
「いや、それでも……」
否定的なのは当人だけではなく、此処へ呼んだ大人たちも、若すぎる治癒術師を不安げに見ている。まだわからないのか、とハルはため息をつきたい気分だった。説得のため自重したが。
「前回、この判断をためらった結果がコレですよ。
身も蓋もない言い方をしてしまうと、教室のメンバーであれば誰がやっても神父様よりはマシなんですよ。余計なことをしない、という一点だけで。色彩的に貴女が一番適任だから、貴女に頼んでいるんです」
「いやいやさっきまで頼んでなかったよね!?」
「――あぁ、そう言えば。では言い直します。一番適任の貴女に頼むんです、と」
「頼まれたって一人じゃ無ぅ理ぃ!」もはや悲鳴だった。
「確かに、いざという時のために男手はあった方が良いかもしれませんね。持ち回りという手もありますが、その場合私は除外してくださいね。荒事に関しては、男手に数えられないレベルなので。人選は任せます」
「……そういうことなら、まぁ……」
二度目ということもあってか、神父自身は何も言わなかったが、比較的温厚な緑の色彩の者達ですら、子どもというだけで大人より劣っていると決めてかかる。ハルは徒労感を感じた。
ともあれ神父の方を押さえておけば、さすがに三度目は起こらないだろうし、もう一人の元凶の相手をするには、今のハルは少々疲弊していた。後日、深紫菫を通して反省を促そう――というか、父親のことは娘に任せてしまおうと決めて、立ち去ろうと、した時だった。
問題の男が駈け込んで来たのは。
誰が入れたのか、と考えて、全員がこちらへ来たので止める者が居なくなっただけだと気づく。そもそも此処はその男の家である。
「……助かった、のか……?」
呆然と呟く男とこれ以上関わるのが嫌で、ハルは返答を他の誰かに委ねた。魔法などを使ったせいだろうか、とにかく今は精神的に疲れていたのだ。
今回……「も」と付けるべきか、ハルに代わって蒼緋衣が答えると、男はいったいどういう心境の変化か、足下に身を投げ出して、縋りつかんばかりの勢いで、ありがとうありがとうと繰り返してくる。
見ていない内にまた何かやらかしたのか、とハルが父を見ればそちらもまた驚きの表情でかぶりを振って応じた。
とりあえず感謝は本物らしい――が。
その態度はひどく、癇に障った。
「まず先に。謝罪の言葉が聞きたいですね」
いつになく乱暴に、ハルは男を振り払っていた。自分の中に正体不明の苛立ちがあり、今やっていることが八つ当たりに過ぎないと、ハルには自覚があった。
「貴方は自分が何をしたのか、正しく理解できていますか? わかっていないなら娘に頭を下げて教えを乞え。少なくとも彼女は学ぶ意思がある。それを持たない貴方に費やす言葉は浪費だ」
それでも、その男に振るう正論の刃を、止める理由がひとつも見当たらない。
「ありがとう――ありがとう? 私が貴方のために何かをしたような言い方をしないでもらいたい。
私は。貴方のためになど何もしない。一切の労力を割く気が無い。私の言葉を聞く気のない貴方の言葉が、私には届くなどと都合の良い期待をするな」
気が付くと、誰もが沈黙していた。アルですらも。
それでも、言い過ぎたとは思わなかった。思えなかった。
男からの謝罪は無いが、それはもう、ハルにはどうでもよかった。
「深紫菫。貴女の父です、貴女がしつけてください。
さしあたり、今回の事態――いえ、はっきり言いましょうか。『愚行』を正しく村中に理解させること、それを貴女たち父娘が責任を持ってやってください。
――次は助けない」
今回の件を他人事だとは思わせるな。そう命令して突き放すと、恐怖を感じたのだろう、深紫菫が潤んだ目を向けて来て、ようやくハルは言い過ぎたと思えた。
言ったことは取り消せないし、取り消すつもりも無かったが、それでも過失の無い彼女に対しては言葉くらいは選ぶべきだったと、今からかけるべき優しい言葉を探すハルに、深紫菫は微笑みをたたえて。
「――はい。ご主人様」
言った、その言葉は。ハルをして絶句させるに足るものだった。
なる早で更新(エピソードが終わるとは言っていない)
……どうしてこうなった……
次回、ルビアちゃんVS深紫菫です。まぁ、ある意味平穏。




