第45話 生命の取捨選択
「あまり無茶な条件は聞けませんよ」
条件が四つあると言った父に、ハルは苦笑して言った。
「今から君がやろうとしていること、それ以上の無茶なんてありませんよ。本当なら問答無用で止めたいところなんですよ?」
が、泣きそうな顔で笑われてしまっては、それ以上何も言えない。
シディは一同をぐるりと見回して言った。
「まずはこの場にいる全員への条件。直接治療に当たるのは、私とウィル、アル君に加えて、ウィルが必要だと判断した者だけです。それ以外の者は全員部屋……いや、念のために家の外まで出ていてもらいます。これから行うのは、誰にも見せられない類の切り札なので」
一体どんな条件を出されるものかと、気が気ではなかったのだろう。シディが告げた一つ目の条件に、あからさまな安堵が広がった。治療を行うにしても直前までは離れられない、緋衣草と滄翡翠の二人だけを残して家から出る。深紫菫の父も多少の戸惑いはあったようだが、治療を行う方向で話が進んでいるからか、さほど抵抗なく外へ出た。寒さが厳しくなってきてはいるが、まだ陽もあるので耐え難いほどではない。
むしろ、続けてシディが発した条件の方が、吹き抜ける風よりもよほど冷たく、聞く者の心を凍てつかせた。
「二つ目はアル君への条件です。もしも中を覗き見ようとする者が居れば――確実に殺せ」
「――父さん!」
ただ一人、ハルだけが声を上げた。声を、荒げた。
これほど強い声で父に反発するのは、ハルには初めてのことではないだろうか。けれど、それでも、シディ=ブラウニングは揺るがない。かぶりを振り、意見を曲げる気が無いと告げる。
「ここは譲れません。ウィルの命を危険にさらしておきながら、自身の手を汚すのを厭うような」
「――来い、紅蓮。」
シディの言葉を最後まで待つことなく、アルは紅蓮を呼び寄せた。開けた玄関扉にもたれかかり、自身の侍獣に命じる。
「ここの扉を閉めた後、呼ばれる前に入ろうとするヤツがいたら……焼き殺せ」
最後の一言の前には、僅かばかり間があった。
「アル……」
ハルは友人の名を呼ぶが、そこから先が続かない。小才子の限界ということか、肝心な時に言うべき言葉を見つけられない。
「そんな顔すんなって。お前に命懸けろってんだ、これくらい当たり前だ」
にっ、と力強く笑うアルには、一切の屈託というものが感じられない。
「ま、アル君はそう言いますよね」
と、父が息子と同じ言葉を用いてアルを称賛するが、13の少年に殺しを命じた当人が言うのには、何か釈然としないものを感じるハルだった。
「というか、そもそも」軽く腕を組み、シディに若干不満げな視線を向けたのは蒼緋衣だ「命の危険をおしてまで治療に当たるウィル君が見るなと言うなら、盗み見ようとするヒトなんていませんよ――少なくとも、ウチの精霊術教室の中には」
最後に、視線を今回の元凶二人に流し、一刺しするのも忘れないあたり、実に彼女らしい。
「また何かしでかさないように、縛って転がしときます?」
などと付け加えたのが、冗談か本気かわからなくて、ハルは一旦流すことにした。視線で父を促せば、シディは一瞬面白がるような表情を見せたものの、話を先に進めた。
「残る二つは当事者二人への条件です」
「えっ、あたし?」
元凶の二人だと思ったのだろう、視線を向けられた深紫菫は、自身を指差して涙に濡れた目を瞬いた。確かに、責任の所在で言えば彼女は関係無いが、状況はもう、そういう問題ではなくなっている。
「ろくでもない父を持ったことには同情しますが、貴女が救いたい人物のために、息子の命を危険にさらす以上、貴女にも相応の覚悟を示してもらいます」
12歳の少女に向けるにしては厳しすぎる言葉だとハルは思ったものだが、深紫菫は覚悟の定まった顔で頷く。
「何でもする、って言ったよ」
シディは満足気に頷くと、問題を起こした二人に視線を転じた。
「ふと思ったんですが、大人より子どもの方が立派じゃないですかね、この村?」
アルや蒼緋衣が「オマエが言うな」とでも言いたそうな目を向けているのには気付かなかったのか、無視したのか。
「二つの内一つは、単純に金銭的な問題ですので、一応家長であろう貴方に訊きます。治療に必須の資材は、貴方ごときが一生かけても支払えない金額です。どうしますか?」
「あたしの一生もかける」
言葉に詰まった父に代わって、娘が即答していた。それはもう、一瞬の迷いすらもなく。これでは子どもの方が立派だと言われても否定できない。
「それでもまだ足りませんよ?」シディが更に言い募れば、
「だったらあたしの子どもの一生も追加するわ」深紫菫は即座に返す。
「子どもは親の所有物ではありませんけど?」少し不快そうなシディに、
「知ってる。だから、あたしの総てを懸けて説得する」
迷わず、揺るがず、深紫菫は自分にできる全てをやると胸を張る。本当に、母のことが大切なのだろう。ともすれば、自分自身よりもずっと。それはまるで、ハルに対する父を見るようで。
「……まぁ、良いでしょう。その覚悟に免じて、この話はここまでにしましょう」
「あ、待ってください。お金なら半分は神父様が出してくださるそうですよ?」
白々しいまでに丁寧な口調で蒼緋衣に話を振られた神父は、驚愕に目を見開いていて、とても納得しているようには見えなかった。
「あれだけ命は尊いものだと説いていたんです、自分の所為で死の淵にある人物を救うためなら、どれほどの金額であっても惜しくは無いに違いありません」
彼女も相当腹を立てていたのだろう、完全に逃げ道を残していない。シディとはまた方向性こそ違うものの、この子もなかなかに容赦が無い。
子どもたちの視線の圧力に負けて、神父は否定する機会を完全に失った。
「では最後の一つです」
それに関してはハルにも想像がついた。というか、アルへの条件以外はおおよそ予想通りであり、未だ挙げられていないということは、最後の一つは……
「おなかの子どもは、諦めてください」
――と、いうことになる。
空気の重苦しさは、アルへの条件が告げられた時の比ではなかった。誰も言葉を発せない、疑問符を表す単音ですらも聞こえない、完全なる静寂がそこには在った。ただ、シディの声のみが響く静寂が。
「聞こえませんでしたか? それとも承服できませんか?」
納得できないのなら、話はこれまでです。そう言って歩き出す父に、今度はハルの方が従う形になる。
「待っ……!」「何故だ!?」
娘は止めようと手を伸ばし、父は理不尽の理由を問うた。
――愚かにも、問うてしまった。
「貴方のせいです。ただでさえ不安定な妊婦を、貴方が更に危険な状態にした。現状取り得る唯一の手段に、脆弱な胎児は耐えきれない」
愚者を慮ることなど、シディ=ブラウニングがするはずもないのに。
「そんな……」
泣きそうな、縋るような深紫菫の目は、ハルへと向けられていた。けれどハルにも、現実を変える力などは無い。
「どちらも救おうとした場合、母体も危険にさらすことになります。私も、確実に救える一人を救うのをお勧めしますよ」それが、現時点での現実だ。
「ど、どのくらい危険なんだ?」乞うように手を伸ばす男への答えは、
「知りませんよ、そんなの」という、ぞんざいなものだ。
男は怒りに顔を赤く染めるが、さすがに学んだらしく、摑みかかってくることはしなかった。娘の方の視線が責めるようなものであれば、ハルはそれだけで終わらせただろう。
けれど今にも溢れそうな涙を浮かべたその目には、純粋な疑問だけがあって。それに折れる形で、説明を補足した。
「ことは体力ではなく、魂の問題です。全く知らないひとの心の在り様なんてわかりませんよ。そうでなくても、余計な混ぜ魔のせいで視難いのに」
「それで、どうします? 確実に救える一人か、危険を冒してでも両方か。それとも、どちらも選ばず諦めるか」シディは言葉にしなかったが、これは最後通牒だ。返答がなければこのまま帰るつもりだろう。
「――女房を、」「両方よ」父娘の意見は真逆だった。
「オマエっ!」容易く激昂し、拳を振り上げた男に、
「暴力は」一単語の時点で既に出ていた結果に、ハルは肩を竦めて残りを告げた「安易に振るわない方が良いですよ?」赤と黒、二本の刃を突き付けられた男に。
「――両方よ」と、深紫菫は繰り返した「ママなら、自分の命を懸けてでも、子どもを守りたいと思うはず。それに……同じように命を懸けるアンタに、人殺し前提の治療なんてさせらんないよ」
この意見に、シディが「なるほど」と呟く。けれどハルには安易に頷けることでは無かった。
「――後悔、するかもしれませんよ」
「しないよ。あたしの知ってるママは、これを選ぶって信じてるから」
瞳には涙をたたえたままだが、深紫菫はそう言って微笑んだ。
「ヴィオラ!」野生動物の威嚇のような男の怒鳴り声は、誰の胸にも響かない。
愚行を繰り返す、吠えるだけしか能の無い父親の方と、立派に覚悟を示した娘とでは、どちらを信じるかなど、考えるまでもない。
「決まりですね。治療に参加しない皆さんは此処で祈っていてください」
ハルが決定を告げると、フォエミナが苦笑して言った。
「神頼み、なんてらしくないね」
「え? 祈りには効果ありますよ。知らないんですか?」
「マジか!?」
「そのあたりは次の授業で、ですかね。とりあえず気休めではないので、皆さん真剣に祈ってくださいね」
「さて。残念ながら条件が呑まれてしまった以上、準備をしましょうか」ぱん、とシディが手を打ち鳴らす「ウィル、私とアル君以外に、誰の手が要ります?」
答えてハルは言う「誰も」と。
「他に信頼できるひとは居ません」
拒絶と言っていい言葉に、シディは困ったような笑いを浮かべ、アルは何故か彼が痛みを感じているように表情を歪めた。それ以外の者は視界の外であったため、どのような表情を浮かべてたのか、ハルにはわからない。ただ聞こえたざわめきが、彼に対する不満と不信を伝えたのみだ。
「そっか。」先のハルよりも軽い口調で。言ったのは蒼緋衣だ「なら、しょうがないですね。私たちはあの二人を見張っておけば良いですか?」
考えをまとめるのに、暫しの間が必要だった。彼女の変わらぬ態度に戸惑ったわけではない、はずだ。
「……いえ、貴女には他に頼みたいことがあります。メレ石で良いので、紫系と橙系の石をありったけの色彩で用意してください。消費するわけではないので、使ったら返します。これはできるだけ急ぎでお願いします。
それと、治療後は極度の消耗が予想されます。他の皆さんは緑系の色彩の人を全員此処へ集めてください。誰が何処へ行くのかは……蒼緋衣に割り振ってもらって良いですか?」
「はい。ウィル先生」蒼緋衣は、それはそれは嬉しそうな笑顔を見せた。
「……貴女まで先生は勘弁してください」
返す言葉に間があったのは、今度こそ、間違いなく戸惑いのためだ。
「では、私たちは私たちの準備をするとしましょう。アル君もこちらへ。助けるのであれば急いだ方が良いでしょうから、絶影の威で跳びます」
シディが声をかけ、アルがその背をもたれていた扉から離すと……ばたん! と大きな音を立ててその扉は閉まった。閉めた後で入ろうとする者がいたら云々と、紅蓮に命じたその扉が。
これどうするの? とばかりに赤い仔犬が首をひねっている。
「……えっ、と…………」
紅蓮を見、次いで閉じた扉を見たアルが頬を引きつらせた。
クスクスと、最初に笑い声を漏らしたのは深紫菫だった。そして失笑は、全ての子どもたちに伝染していく。
「いやはや、何とも締まらないねぇ」笑い混じりにフォエミナが言えば、
「本当に。でも、」蒼緋衣も同意し、ハルに視線で促し、
「ですね。私たちはこれで良い」頷いてハルがまとめた。
そして、他の者たちも口々に言葉を重ねる。
「バカな大人どもには何もさせなけりゃ良い」「効果があるなら、全員で真剣に祈りゃ良い」「深紫菫が信じた母さんを信じて」「勿論、我らが先生のことも信じて?」「全員が自分の役割をはたして」「誰も殺さず」「誰も死なせず」「大団円といこうぜ、皆!」
最後の一人が叫んで突き出した拳に、全員が――ハルを除いた全員が拳を打ち合わせ、ついでにハルもアルに腕を引かれて、その儀式のようなものに強引に参加させられた。
その半強制にげんなりとした表情を隠しもせずに、ハルは改めて思った。
――私たちは、これで良い。
話をまとめるのに、思った以上に苦労しました。まとまったと思いたい。
いやぁ、ルビアちゃんとかシディパパとかが、ノリノリで犯人を虐めるもんで。
ていうか「小才子」って「こさいし」って読むんですね。ずっと「しょうさいし」だと思ってました。
次はちょっとルビアちゃんに補足をしてもらうつもりです。
閑話「信頼にはまだ足りないのなら」短い(予定)なので、なるべく早く上げます。




