第44話 譲れない一線
紫の髪をした昏睡状態の女性、その傍らで必死にその命を繋ぐサリィ――それは、いつか見た光景に酷似していて。アルは吐き気を覚えて、唇を噛んだ。
良く見れば、その女性の髪色はアルの姉ヴィオラよりもずっとずっと淡い色合いではあったが、それでも、この類似は酷い。部屋の隅でうなだれている神父までついて、もはや何かの嫌がらせではないかと思える程だ。
「……手伝って来て、良い?」
真っ先に問いかけた滄翡翠に、ハルは頷いて応じる。
「あたしらも」「前と同じで良いのか?」
フォエミナと、それに続いて緑翡翠も言うが、ハルの首は今度は横に振られた。
「いえ。妊婦を対象に全く同じでは、負担が大きすぎます。
なので緑翡翠、貴方一人で、前の半分くらいの力加減でお願いします」
「……フォエミナじゃなくて、オレなのか?」
緑翡翠が怪訝そうに問えば、ハルは一切の迷いなく返す。
「細かな力加減は貴方の方が上です」
手放しの称賛がくすぐったかったのだろう、なんとも言えない顔で、何も言わずに緑翡翠は手伝いに向かった。
「……さて。話をする時間くらいは稼げましたか。
――それで? 貴方は実際に死人が出ないと懲りないのでしょうか」
殊更に笑みを深めて視線を転じるハルに、まさか、とアルは思った。そんな、いくらなんでも、常識的に考えてあり得ないだろう、とアルも神父に視線を向けて。
「ちが、違う……! 私は反対したんだ、本当だ……!」
まるでそうすることで現実が否定できるとでも言うかのように、必死に否定の言葉を吐き、かぶりを振る男の姿を見た。とてもではないが『常識的に考える』ことができるようには見えない、情けない大人の姿を見た。
「……ごめん、センセ。わたしじゃ止められなかった」
滄翡翠の協力で少しは余裕ができたのか、サリィが詫びた。ここまでの流れで、もうほとんどの者が予想していた。そのいい年をした大人が、また同じ愚行を繰り返したのだと。
「まぁ、腕力では勝てませんよね」
ハルが先ほど摑まれた手首をさする。父親が最果てモードになるからマジでやめてくれ、と心から願うアルだった。今のところ自重しているようだが、アレはきっかけさえあれば迷わず抜く顔だ。
「話の通じない相手を無力化する方法こそ、最優先で教えておくべきでしたか。相当低い評価をしていたつもりだったんですが……それでもまだ買いかぶっていたようです。まさかここまでとは」
痛烈な皮肉だった。言った本人が何の含みも無く、本心を語っているであろうあたりが、特に。神父はまだ恥じ入るように目を伏せたが、深紫菫の父は腹立たしそうにハルを睨んだ。
その視線を遮るように、ルビアがハルの前に立つ。
「辛辣、とでも思いますか? いいえ、これが妥当な評価です」ハルとは違い、素直な軽蔑をその目に宿して「正しい対処法を教わっていながら、どうしてその通りにしなかったんですか?」吐き捨てるように、言った。
さすがに言葉に詰まった男に代わって、ハルが予測を口にする。
「色づいてもいない子どもに頼るのが恥だとでも思いましたか?」
まさにその通りの言葉で挑発されて、神父が愚行を繰り返したのだと、アルたちは後々になってからサリィに聞かされることとなる。
「それならどうぞ、最後まで大人だけで対処してください。今更呼ばれても手遅れですから」
それは。あまりにさらりと言われたので、誰もすぐには反応できなかった。
「――手お、く……?」
思わず、という感じで言葉を発した身内の深紫菫も、三音だけで言葉を失う。
「あの人はもう助かりません」
疑いようのないほどはっきり言われて、深紫菫は崩れ落ちた。教室の他の面々も、彼女ほどでないにしろ衝撃を受けた様子だ。勿論、アルも含めて。
このような事態になっても、ハルならまたなんとかしてくれるだろうと、無意識に身勝手な期待を押し付けていた。アルの姉ヴィオラが助かったことが、どれほど奇蹟的なことであったのかも忘れて。
「ちょっ、ま、待ってくれよ。じゃあなんで今治療をしてんだい?」
フォエミナの疑問は、考えてみれば当然のことだったが。
「最期の言葉くらいは交わしたいだろうと思いまして。これだけ回復すれば、起こしてからゆっくり食事を摂る程度の時間はもつでしょう」
どこまでも無慈悲な現実を、ハルは変わらぬ態度で突きつけた。
最期は家族水入らずでどうぞ、と笑顔で告げて、踵を返したハルに、迷わず続いたのはその父だけであった。その二人に対し、
「待て! ふざけるな!」
誰よりもふざけたことを言っている男が、自分のことを棚に上げてハルに手を伸ばす――が、あのシディ=ブラウニングが、目の前で息子に振るわれる暴力を黙って見過ごすはずも無く。
剣を振るったのは、アル以外の何人が視認できただろうか。
シディは斬りつけた相手の掌を空いている方の手で握りしめ、痛みにうずくまったところを更に踏み抜き、傷に土埃を塗り込むように踏みにじり、最後に顔面を蹴り飛ばした。
――うん、まぁ、どこも欠損させなかっただけ手加減したんだろう。
「父さん。やりすぎですよ」
大きく頷いたのは、当然ながらアルだけではなかった。ルビアが頷いていなかったように見えたのは……きっとアルの気のせいだろう。
「えー。ちゃんと殺さなかったのに?」
心から不満そうに言うのに、今度はルビアが……いや、きっと気のせいだ。アルが自分に言い聞かせていると、ハルがため息をつくのが聞こえた。
「アル、できれば次からは父さんより先に対応してもらえる? ウチの父さん、殺しさえしなければ手加減したって言い張るヒトなんで」
「いや、オレもあんま手加減得意じゃないんだけど」
「火柱でも上げればいいんですよ。野生動物でも火は怖がりますから」
シディの『手加減』がこたえたのだろう、もう摑みかかってくることはない。ただ怒りのこもった目で睨みつけて来るだけだ。涙と鼻血で酷い顔になっているが、その程度で態度を変えるハルではない。
「帰るので、そこをどいてもらえますか?」
その男が外へと続く扉の前にうずくまっているのは果たして偶然だろうか。控えめに言って激怒していたシディが、もう一撃加えるために狙ってやったのだとしても、驚くには値しない。
「何でだ! アルムの姉は助けたんだろう!?」
信じられないことを言う。なるほど、野生動物とは良く言ったものだと、アルは皮肉を感じた。言葉が通じない人間は、もはや人間扱いできない。
「アルの火が使えない理由も、私は説明しました。後で娘さんにでも訊いたらどうですか? 彼女は貴方と違って、私の話を真面目に聴いていましたから。
――熾紅を赤の他人に使ったところで、火葬の手間が省けるだけです」
更に一歩を踏んだハルの手を、へたり込んだままの深紫菫が摑んだ。いや、縋った、と言うべきだろうか。
「待って! お願い、お願いします! ママを助けて!」
「神父様がしでかしたことのせいでもう手遅れです。諦めてください」
「そんな……!」
ハルに断言され、深紫菫が泣き崩れる。
家族を想い、涙を流すその様が、とても他人事とは思えなくて。
「……ハル。何も、手は無ぇのか?」
アルは、恥知らずにも訊いていた。
とてもハルの顔は見られない。
少し時間を置いて。ハルがため息をつくのが聞こえた。
「……ひとつだけ、あるにはあります」
「――ウィル!」他の誰よりも、シディの怒声が早かった「その方法は、君の命を危険にさらすものだ。そんな価値があるとは到底思えない」
シディが睨み付けるのは、病床にある深紫菫の母だ。
「まぁ、原因を考えると、そう言いたくなるのもわかりますが」
ハルは元凶の男二人を醒めた目で見遣る。
「そ、そちらは確実に死ぬわけでは、」
「黙れ」元凶の片割れが言いかけた言葉を、シディは一刀両断に斬り捨てた「息子を見下し、この事態を招いておいて、その息子に命を懸けろと? 恥を知れ」
暴力的な正論に、男は言い返すことができない。アルもさすがに押し黙り、硬く拳を握りしめる。ただの感傷で、これ以上は……
「……どうしたら、ママを助けてもらえるの? 何でもします。だから……」
きゅっ、とハルのズボンを摑み、涙目で希うその姿に、アルは。
「――ハル」顔を上げ、友人と目を合わせた。
「――そうですよね。アルは、そう言いますよね」
ハルは。とても綺麗に、笑った。
「ウィル!」再度の叫び声は、まるで悲鳴のようだった。
「アルがそれを望んでいる。私の理由は、それだけで充分です」
まっすぐに、息子に視線を向けられた父は、奥歯を噛みしめて、絞り出すように言った。
「私からも三つ……いや、四つ条件を出します。それが聞き入れられない場合、原因を殺してでも止めます」
仇敵を見るような、その視線が向けられる先に居るのは、二人の男の愚行の所為で死に瀕している一人の女性だ。元騎士の本気を悟ったのだろう、深紫菫とその父は素直に頷いていた。
なんというか、後書きでボケる雰囲気じゃないですね。
本気であと二話かかる可能性が出て来てます。次のサブタイトルも決まってるんですが、どこまで話が進むかによって変わるので、ネタバレ防止のために伏せておきます。




