第40話 商人の帰還
青金石の月。暦の上では冬が始まるその月に、旅暮らしのアルの両親は村に帰って来る。このあたりはそれほど雪深いというわけでもなかったが、まったく積もらないということもないので、かかる労力が利益に見合わないという理由から、春までは毎年この村で過ごす。
帰宅が何日目になるかは天候や商売の状況によってまちまちだったが、今年はたまたま月が替わって最初の日がそれだった。そしてその翌日、今週も不入の森を訪れてアルは言った。
「なんかウチの親がお礼したいってさ」
「――なんの?」
小難しい内容ぎっしり詰まった研究書――アルにわかるのは死神島について書かれていることくらいだ――から顔を上げ、ハルは小首を傾げた。
「姉さんの病魔の」
アルの端的な答えに、ハルはかぶりを振る。
「あれは精霊術教室の皆が頑張った結果ですよ」
「そう言うと思ったから、他の連中のトコには手土産持ってもう行った。んで、全員が口を揃えて、あれはハルの功績だ、ってさ」
先回りされたハルはぐぅの音も出ない様子で、アルはしてやったりと笑う。今日は珍しく勝てた。
「でさ、アイツらのトコには肉のおすそ分けをしたんだけど……」
「あぁ、私の偏食で困っている、と」
「お前、ヒトがせっかく言葉濁したのに……でもま、そゆこと。ハルは何もらったら嬉しい? 本とか?」
「いや。それはさすがにもらえないでしょう」苦笑するハルに、
「うん。それもたぶん言うと思ったから、贈る気満々だった父さんを止めといた。そんなわけでベタだけど、費用は全額ウチ持ちで、来週お茶会開くことになったから。お茶とお菓子は例によってルビアの担当。」
アルは得意げに笑って並べ立てた。
お菓子担当になったルビアは、一週間木苺のタルトを焼き続けて、また彼女の父をうんざりさせることになるのだが、それはアルの知るところではない。
「……完全に事後承諾ですよね、それ。君も随分良い性格になったものですね」
「友達の影響で、な」にやり、と笑ったアルは横目に友達を見遣る。
「困ったものですね、蒼緋衣にも」
「いやそっちかよ!?」
ついつい声を荒げてしまうアルは、性格の良さではこの友人には遠く及ばない。ついでにたぶん、ルビアにも。
それでもその三人で過ごす時間を、アルはなんとなくだが気に入りつつあった。いつか言った時は冗談でしかなかった、旅芸人になるという将来が、とても輝かしいものに思えるほどに。
そういえば、と、アルは先程気になったことを訊いてみた。
「それ」と、ハルの手元の本を指さし「授業じゃやんねーの?」
「これですか?」と、見せた表紙には『死神島考察』とある。
「ルビアのだっけ?」
「正確には彼女のお父さんの、ですが。これに関しては、もしやるとしても相当先の話ですね。実利実害どっちもないですから。他に教えることがなくなったら、取り上げるかもしれません」
「えっ、実害ねーの?」
驚きと共にアルが問えば、何故かハルも目を丸くした。
「……実害、あると思われてるんですか、此処じゃあ」
「え? いや、だって、悪い子は死神島に連れて行かれちまうぞー、って、子どもしつける時の決まり文句じゃね?」
「あぁ。なるほど……そう繋がるわけですか。とすると……うん、ある程度早めに教えておいた方が良さそうですね。また蒼緋衣とも相談して決めるとしましょう」
「ふぅん。なんだかんだ、ルビアのことは信頼してんだ」
微笑ましく思いつつ言えば、
「信じているかはともかく、思考能力は間違いなく頼りになりますね」
なかなか殺伐とした答えが返る。
「ルビア、大変だなー」
ハルの傍らに咲くサルビアの花に、アルは苦笑いを向けるのだった。
死神島の話は、中途半端に耳に入ると不安をかきたてることになるだろうとの配慮から、翌週のお茶会の席まで持ち越された。とはいえ、いきなり授業内容の話というのもなんなので、そのあたりの話は最後に軽くするとハルは言っていた。
あくまで今回のこれは、大切な家族の命を救ってもらったお礼である。ハル自身は何もしていないと言うが、あの時ハルが成し遂げたことをそこまで軽視する者は、当の本人くらいのものだ。改めて礼をするというのは、アル自身望むところでもあった。ハルのおかげで、姉を喪わずに済んだのだから。
そもそもハルが居なければ、神父もあそこまで軽率なことはしなかったのだろうが、それは誰にも――ひょっとしたら当の神父にすらもわからないことだ。
親子で招いた二人のブラウニングを、アルの両親が出迎える。これといって特徴のない二人だ。くすんだ赤髪の父は若干小柄小太りで、薄い紫髪の母は比較的長身でひょろっとしている。どちらも特徴と言える程に極端なものではなく、どちらかと言えば、といった程度のものだ。
けれど二人が並ぶとその対比こそが特徴となる。曲線と直線、小と大、太いのと細いの――互いが互いを際立たせ、何もかもが対照的で、なんとも凸凹な感じに。先に来たルビアも一瞬きょとんとしたものの、すぐに普通に挨拶をしていた。
ハルとシディもそれと同じ……かと思いきや。
「へぇ。思ったよりも手ごわそうですね」
二人、から母の方へ。すっと視線を流したシディがにこやかに言った。
「そう言う貴方は思った通り、怖そうね」
細めるまでもなく元から細い、いつも笑っているように見える目を、左側だけ僅かに大きく開いたアルの母、フリージアが韻を踏むように返す。
夫婦二人で行商などをしている以上、ある程度の戦闘能力は必要で、それを夫では無く妻の方が担当していると、シディは一目で見抜いたようだ。
「子どもたちは仲良くしているわけだし、親の方も友好的でありたいんだけど?」
フリージアが困ったように言えば、シディが肩を竦めて返す。
「お互い子を持つ親です、最優先は我が子となるでしょうが、無意味に敵対しようとは思っていませんよ?」
「そう願うわ。本当に。心から。」
いつになく切実な母の様子に、首をひねるばかりだったが、それはこちら側二人のやり取りだけでは終わらなかった。
アルの母とハルの父が言葉を交わす間、ハルの視線は一点に固定されていた。
「挨拶が遅れてしまいましたが、彼女はフリージア、私はジャスパーといいます。アルマンディンとヴィオラの母と父です」
ハルの視線にさらされながら、にこやかに微笑んで言う。アルはその笑顔が、ハルのそれとどこか似ていることに、今初めて気が付いた。
「赤い碧玉、ですか」
ありふれた石の名を、何故かハルが繰り返す。
「似合うでしょう?」
自慢にならないことを、不必要に得意げに言って、アルの父は胸を張る。
「えぇ。そういうところが、実に」
どちらもアルには意味不明のやり取りだったが、後に聞かされる真相は驚愕に足るものであった。
母から聞かされたのは、シディが初対面の相手に対してはひとまず敵という認識で動いているということ。アル程度ではわからなかったことだが、少しでも不穏な気配を見せようものなら、容赦無く斬り捨てられていただろう、と。生きた心地がしなかった、と母は語った。
母は随分怯えていたが、ハルの色彩を知るアルとしては、そこまでしているのか、とは思っても、それがやりすぎとまでは思えなかった。
そしてもう一方、翌週に不入の森でハルから教えてもらうことになるのは、ジャスパーという赤い石が、何故か古い名を碧玉といい、そのあたりを良く知る者には詐術士の玉石などと呼ばれているのだ、と。
それを知ったアルが思ったのは、なるほど、だった。確かに、あの食えない親父には似合いの名だと、息子は心から納得した。
そのあとハルは自分をウィル、父親をシディとだけ名乗って、お茶会が始まるのだが……大人たちは予想以上に大変だったのだな、とは、いろいろな事情を聞いた後でこそ思えるもので、この時のアルはただ呑気においしい紅茶とタルトを味わうばかりだった。
なんとか間に合った……風邪引いててギリギリでした。病魔話がフラグだったのか……?
そして安定の人斬り脳。殺気を浴び続けたアルママはお茶の味なんてわからなかったことでしょう。
フリージアの和名は浅黄水仙なんですが、異名である香雪蘭の方が綺麗なんでこっちを採用しようと思います。
ジャスパーのくだりは事実を元にした創作です。和名の碧玉と、現在は赤い石の方が一般的、というのは本当。
風邪がまだ治ってないんで、次も時間かかるかもです。




