第35話 不可能に挑む子どもたち
ハルの指示に従った施術で、姉の容体が目に見えて安定して、アルは安堵の息をついた。ハルも同じく一息ついていて、危険な状態は脱したのだと理解できた。
「とりあえず持ち直しはしましたが、緋衣草が術を解けば元の状態に逆戻りです。自然回復までこの状態を維持なんてできませんから、一気にやりますよ」
気を緩めすぎないように、とハルが告げたところで、第一陣では最後の一人となるアンバーが、マーガレットの母に連れて来られた。彼女にも変わらず、ハルはねぎらいの言葉をかけて、アンバーへと向き直る。
「良いタイミングです。琥珀、貴方に手伝ってほしいことがあります」
「こは、く……? てゆーか、ウィル兄……」眉根を寄せたアンバーが、言いかけるのを遮り、ハルが重ねて言う。
「風の便り、という術を知っていますね? あれを貴方に使ってほしいんです」
「は……?」と、声を漏らしたのは神父だったが、今回ばかりは、この場に居るほぼ全員が同じ思いだっただろう。確かにその術を、この場に居る子どもたちはハルに教わって知っている。風に乗せて、離れた場所に声を届ける術だ。
知ってはいる。けれど、少なくともこの村で扱える者はいない。
「えっと、あの……オレが?」
金無垢の髪を指で梳き、アンバーは戸惑いを口にする。
「はい。風は貴方の色ですから」
「え、でも、風に色は無いって……」
アンバーの視線がさまよう先を目で追って。不必要に綺麗に笑ったハルの顔が、また貴方ですか、とでも言っているようにアルには見えた。
「頭の固い大人が決めた常識なんて棄ててしまえばいい。あんなものはただのたわごとです」笑顔でばっさり斬り捨てて、ハルはアンバーの髪をくくっていた紐を解く「風はそんな物にはとらわれない。どんな者にもとらえられない。つまらない『当たり前』を押し付けられる前は、貴方には確かに視えていたはずです。目を閉じて。思い出してください。貴方の瞳に映る風は、何色をしていますか?」
ハルの言葉は、まるで託宣のように響いて。この村の教会で行われてきたどんな儀式よりも、神聖で不可侵なものに思われた。自分の時も、傍から見ていればこんなふうだったのかな、とアルはぼんやりと思った。
「…………青。薄い、透き通るような、でもキラキラ光っても見える、青」
目を閉じて、口許にはあるかなしかの笑みを刻んで。陶然と呟く少年の髪が、鮮やかに色づいていく。無垢と呼ばれる金色から、透明感のある青へ。
「……あり得、ない…………」
魂が抜けたように呟く神父の気持ちも、わからないではない。金無垢の髪が色づくところなど、アルは一度も見たことが無いし、まして誰かの言葉でそれが起こるなど、話に聞いたことすらない。見回せば、シディですら驚いた顔をしていた。
「おはようございます、『煌のそよ風』。気分はどうです?」
ただ一人、ハルだけが当然の様子でアンバーに言い、
「おは、よ……? んー……? うん。ホントに、目が覚めたみたいな……って、うわ! なにこれ!?」
しかけていた返事は、色づいた髪を見た驚きに呑み込まれる。
「貴方の魂の色ですよ。風には色彩が無い、なんて決めつけの所為で今まで眠っていた、貴方だけの色彩です」
「……そっか。へへ、そっか」
少し前まで金無垢であった少年は、見ている者まで幸せな気持ちにするような表情で笑ったのだった。
「さて。では早速、この村で貴方にしか使えない術を使ってみますか」
「うん! やるやる! どうしたら良い!?」
勢い込んで頷く様子は子犬のようで、つまりはいつもアンバーだ。
「まずは俯瞰……目を閉じて、高く、高く、風に乗って意識が昇っていくイメージを。村全体を見渡すくらいなら簡単なはずです。知り合いが何処に居るかも、なんとなくわかるはずなので、精霊術教室の皆が居る場所を探してください」
「……うん。だいたいわかった」
「では次に、その皆に言葉を届けます。そうですね……イメージとしては、風に運ばれるタンポポの綿毛、なんかが良いでしょうか」
「――うん。たぶん、できる」
目を閉じたままで応答するその様子は、先程とは打って変わって、神懸かりの神子のようであった。
「ではアル、此処へ来て、届ける言葉を」
呼ばれるまま近寄ったものの、アルはそこで動きを止める。
「えっ、と……どうしたら?」
「此処に来てもらう皆が其処に居ると思って、青琥珀に向かって話してください」
頷き、アルは言葉を紡ぐ。病魔に憑かれた姉を助ける手伝いをしてほしい、と。確かに口にした、のだが。
「……なんか、声変じゃなかったか?」
普段聞く自分の声と違って聞こえたことを訊いたのだが、
「すごくキレイ!」
ハルがそれに答えるよりも先に、興奮したマーガレットが駆け寄って来た。アンバーに飛びつくような勢いで両手を握り、ぴょんぴょん飛び跳ねながら、「すごい」と「キレイ」を繰り返す。アンバーが語った通りに、キラキラと光る風が通り抜けたのを言っているのだが、それを見ていないアルには、この時点では何のことだかわならなかった。
マーガレットの勢いにバランスを崩したのか、ぐらりと揺れたアンバーの背をアルが支えて……
違和感が、あった。
「――アンバー?」
「……あれ? なに、これ……? 力、入らない……」
「目覚めてすぐに、大量の霊力を使ったせいですね。意識ははっきりしていても、体が巧く動かないのでしょう? 無理をさせてすみません。隣がアルの部屋なので、そこのベッドで休んでいてください」
「オマエが言うの違くねぇか!? いや、ベッド貸すぐらい良いんだけどさ……」
どこか釈然としない思いでぼやけば、はいはい、とマーガレットが手を挙げた。
「じゃあ、わたしが付き添う……あ。」
その「あ。」が意味するところは、ちらりと流された視線を見れば一目瞭然だったが、しかしハルは頷いて言った。
「そうですね。それでは、青琥珀をお願いします」
「……こっちは、手伝わなくて良いの?」
いろいろあったので、罪悪感を感じているのだろう、マーガレットは先程までのはしゃぎようが嘘のようにしおれている。
「それほどひどくはなくとも、貴女は火傷をしているでしょう? 傷を負った状態で、慣れない霊力を使うのはやめておいた方が良いです。それよりは、頑張った青琥珀を労わってあげてください。
安心してください、こっちは大丈夫です。貴女が大好きだと言ってくれた精霊術教室の皆は、こう見えて結構凄いんですよ?」
冗談めかして、ハルは左の眉を跳ね上げて見せる。
「うん。わかった。わたしもヴィオラお姉ちゃんにちゃんと謝りたいから……だから、頑張ってね、先生」
寄り添い合い、隣の部屋へと向かう二人の十歳児を見送って。
「――先生ときましたか……」ハルは何とも言えない表情を浮かべるのだった。
ちなみにマーガレットの母も二人に付き添った。過保護と言うかなんと言うか。
「そうそう、さっきのアルの声は、この場に居る人には聞こえていませんよ?」小首を傾げたハルが、だいぶ時間が開いてしまった問いに答えた「青琥珀が声を届けた皆にだけ聞こえています。アル自身に聞こえたのは、耳を塞いで喋っても自分の声は聞こえるのと同じ理屈ですね」
良くはわからなかったが、そういう術なのか、とアルは納得しておいた。
「さて。それでは少し時間ができたことですし、後回しにしていた説明をしておきましょう。まず、病魔についてですが、力の弱い魔霊で、弱った心にしか憑りつけません。ただ、憑いた人間とかなり強く結びつくので、単純な治療術をかけると、病魔にまで力を与えてしまいます。これが菫の今の状態ですね。
力を増した病魔は、まっとうな方法では祓えませんし、放置すれば一日ともたずに死に至ります――なので、まっとうではない方法を取ります。アル、君の炎で病魔だけを燃やす、という方法を」
「バカな! 弟に姉を殺させる気か!?」
神父サマがご丁寧に叫んでくれたが、その危険性はわざわざ――火の扱いの難しさは、それこそ子どもでも知っているのだから――言われるまでも無いことで。言わなくても良いことを言った神父の顔を、シディが剣の柄で容赦なく殴り飛ばした。いや、ハルが指くらいなら斬って良いと言ったことを考えれば、これでも『容赦』はした方なのかもしれない。
「本当に貴方は余計なことしか言わないのですね。無能は黙って見ていてください。有能なウチの息子が、不可能を可能にするところを」
これ以上の発言は許可しないとばかりに、神父の口にナイフを突っ込んで。それでもにっこりと笑って見せるシディは、間違いなくハルの父親だ。
「今呼んでいる皆には、少しでも菫の容体が安定するように、それぞれの色彩に相応しい術を使ってもらうつもりです。緑翡翠と山法師には一旦休憩してもらって、病魔を祓った後の治癒術をお願いします」
そして何事も無かったかのように説明を続けるハルは、間違いなくシディの息子でもある。
ハルの説明が終わるのを待っていたかのようなタイミングで、息を切らして駈け込んで来たのはルビアだ。彼女はハルと目を合わせると、開口一番、
「綺麗……」うっとりと呟いた。力が抜けたのはアルだけではないだろう。
「蒼緋衣?」ハルが小首を傾げるのに、
「蒼……?」一瞬不思議そうに首をひねったものの、「あぁ、そういうことですか。なるほど……」と、即座に理解したらしい。ジェディやフォエミナと違い、意味まで正しく理解している様子に、コイツの頭の良さも普通じゃないな、とアルなどは思う。
「それで、私は何をすれば良いのでしょう?」
「貴女の色彩は空の色です。優しく、全てを包み込む色彩――それは悪意を寄せ付けない色でもあります。なので、蒼緋衣の役割は保険です。アルの炎で菫が傷つくことのないように、場を聖別してください」
「――それはまた、随分と無茶を思いついたものですね。らしくないと言うべきか、いっそらしいと言うべきか……」
あれだけの説明で、ルビアはハルのやろうとしていることがわかったらしい。無茶と言いながらも、不可能とは思っていそうにないあたりは、ルビアらしいと言うべきか。まぁ、そこに関してはアルも同じなのだが。
「無茶をしないとどうにもならない状況にされてしまったので」
ちらり、と流れたハルの視線を辿ったルビアは、心の底からの軽蔑をその視線に宿して、ハルが呑み込んだであろう言葉を口にした。
「またあのヒトですか」可愛い顔して意外と黒いルビアである。
「はい。またあのひとです」
笑顔で同意するハルもたいがいだが。
長くなったので一旦切ります。なんと3話でも終わりませんでした。
ちょ、誰ですか、今「知ってた」とか言ったヒト!
いやほら、大トリのアル君をはしょるわけにもいかないですし……ね?
そうそう、アンバー君の銘にある「煌」は「きら」と読んでください。「煌めき」だとどこぞの妖怪退治人が浮かんでしまうので二文字削りました。
次こそこのエピソードの(たぶん)ラスト。せっかくなので視点を移し……あー、暫く出番のなかったルビアちゃんが仲間に入りたそうにこちらを見ているので、彼女に任せます。
次回「オリジナル・フレイム」(次こそエピソードがまとまることに)ご期待ください。




