第34話 覚醒する魂
普通の病気と『病魔』の区別がつく、ということになっていたが、神父のそれは知覚ではなくただの経験則であった。この症状の病気はこの季節には流行らないから、おそらく病魔であろう、こんな症状の病気は知らないから、これは病魔に違いない、といったような、実にいい加減なものだ。今回のように、同じ症状の病が流行する時期に、似た症状の病魔に憑かれれば区別がつかない程度の。
それでも今まで問題なくやってこれたのは、神父が慎重だったからに他ならない。少しでもおかしいと思ったら、軽率な判断をせず、街から専門家を呼ぶようにしていた。今回不用意に治癒術を使ってしまったのは、焦りからだ。この色づいてすらいない子どもが、自分よりもよほど優秀なのではないかという、恐ろしい想像から来る、焦りを呑み込むことができていれば……と。
専門家、という単語にはっとなる。
「そうだ、街から専門の治癒術師を連れて来れば良い! シディ殿の侍獣ならば可能だろう!?」
顔を上げ、この場に残ったシディにすがるように言うのに、返されたのは呆れたため息であった。
「訊きますが、見ず知らずの人間にいきなり『空間転移をするのでついて来てくれ』と言われて、貴方ならおとなしくついて行きますか?」
「そ、れは……いや、それでも、私が一緒なら!」
「確かに、可能性はゼロではないでしょうね。けれどそれはゼロではない、というだけでしょう? 正体不明の精霊術に身を任せてくれる程、貴方を信頼してくれている治癒術師が居るのですか? いえ、それ以前に、この状態の彼女を救える程の腕を持つひとに心当たりが?」
アルマンディンが居る間は自重していたのであろう、重い事実がシディの口から語られる。息子のウィルムハルトが口にした『死に瀕している』という言葉は比喩でも誇張でもなく、厳然たる事実である。ヴィオラはまさに瀕死……というよりも、まだ生きていることが不思議なくらいだった。
「ちなみに私にそんな知り合いは……あー、居なくもなかったですが、あのヒトとはすぐに連絡が取れないので同じことですね」
さすがは元騎士、というべきであろうか、この黒髪の剣士には、極めて優秀な治癒術師の知り合いも居るらしい。
「あれ? そう言えばウィル、父さんは誰を呼んで来れば……?」
子どもたちが話している間は、黙って聞いているだけだったシディが自身を指さして問うのに、息子はかぶりを振って答えた。
「父さんには此処にいてもらわないと困ります。せっかくアルの火が命を繋いでいるのに、これ以上余計なことをされてはたまりませんから」
それを蔑むような視線、と感じたのは神父の思い込みだ。実際には、ウィルムハルトは普段通りに笑っていただけなのだから。
「それほど酷い状態の者を、本気で子どもたちに任せるつもりですか」
無理に決まっている、と対象を父の方に換えて訴えるが、
「数多ある不可能を、一つずつ可能に書き換えることを進歩と言うんですよ? それが人間と云う種の歩みなら……今この場で、一つの不可能が覆ることに、いったい何の不都合が?」
シディ=ブラウニングはそれが当然とばかりに嗤って見せた。
最初に戻って来たのはアルマンディンだった。全力で走って来たのだろう、ひどく息を荒げていた。連れられた赤髪の、赤髪だというのに満足に火を扱うことのできないサルビアが、寝台のヴィオラの様子に息を呑む。このような落ちこぼれが最重要だと言ったウィルムハルトの意図が、神父にはまるで理解できない。
「お疲れ様です。紅蓮が緑翡翠をちゃんと連れて来られそうなら、アルは暫く休んでいてください。君の出番は一番最後です」
言葉では応じず、アルマンディンはただ一つ頷いて、壁際の床に崩れ落ちるように座り込む。ウィルムハルトはそちらを見ることも無くサルビアに向き直った。
「緋衣草、菫を助けるためには貴女が最重要です。手を貸してください」
あだ名、だろうか、ウィルムハルトは不思議な響きの名でサルビアを呼ぶ。成人したばかりの少女は驚いたようにウィルムハルトを見返して、応じる。
「わたしにできることなら何でもする……けど、まともに火も使えないわたしにできることなんてあるの?」そっと目を伏せたサルビアに、
「火は使えなくて当たり前ですよ。貴女の色彩は火の赤では無いんですから」
驚きに目を見開いたのは、当の彼女と神父の二人だけだった。
「赤いものが火だけだと思っているひとの妄言は忘れてください。緋衣草、貴女の色彩は血の赤です」
「血……」呆然と呟くサルビアの表情はこわばっていた。
「それが自分の色彩だとは思えないようですね。それではまず、貴女の思う『血』のイメージを教えてください」
「えっと、なんだか怖い感じがする、かな……」
不安げに、赤い髪をいじりながらサルビアは答える。それはそうだろう、と神父は思う。戦う者でもない、ただの村娘の魂の色が血の色だなどと、この少年は何を言っているのか。それならばアルマンディンの方がまだしも似合うだろう、と。
「あぁ、そういうことですか。怖いのは体から流れ出す血、ですよね? 本来血というのは、体内を巡り、私たちを生かしている、いわば生命そのものです。『生命の雫』とでも言い換えれば怖くなくなりますか?」
「あぁ……うん、すごくしっくり来た。確かに、わたしの色は火じゃない」
晴れやかな笑顔で頷く少女に、神父は血の気の引く思いだった。
――この少年には、いったい、何が視えている?
「自覚できたようで良かった。では略式ですが貴女に銘を『生命の雫』と」
ウィルムハルトがサルビアの髪に触れ、ひどく気軽に告げたそれは、ほんの一瞬ではあったものの、少女の髪を確かに輝きで包んだ。
「まさか……」
漏れ出た声はかすれていた。魂の銘を得て、その髪が輝きを放つ――完全合致と呼ばれる現象は、その魂に真に相応しい銘が与えられた時にのみ起こるとされ、教会に七人居る最高位司祭が行う刻銘式ですら稀だという。それこそ、千人に一人のレベルだとか。最高位司祭が行う儀式でさえ、その程度の割合なのである。片田舎の村の神父程度では、生涯を費やして猶届かぬ領域だ。
多少知識がある程度の少年が、気軽に行えることではない。
「さて。まずは自分の体内にある血の流れに意識を向けてみてください」
だというのに、少年は自身の成した偉業になど気づかぬ様子で話を進めるのだ。
奇跡的な偶然だったのだろう、そう神父は自らに言い聞かせる。
「知覚できましたか? では次は菫の血流を感じ取ってみてください」
心臓のあたりに手を触れるとやりやすいですよ、と助言するウィルムハルトに、神父はそんなことまで知っているのかと呆れる思いだ。
「……すごく、弱い。それに不安定。こんな……」
同い年の友人の衰弱ぶりをはっきりと知覚して取り乱しそうになる少女の、空いている方の手をウィルムハルトが握って、言う。
「落ち着いてください、緋衣草。貴女が最初の一手ですが、彼女を救うのは教室の皆でやることです。貴女には、貴女にできることしか頼みません。けれどそれは、貴女にしかできないことでもあります」
とても綺麗な笑顔を向けられて、サルビアは頬を赤く染めた。つい、と視線を逸らして言うのは、
「……あー、うん。ルビアが入れ込むわけだねー」
「蒼緋衣がどうかしましたか?」小首を傾げて少年が問い、
「しかも無自覚かー」少女はため息をつくのだった。
「さて、落ち着いたようですので、まずはリズムを安定させてください。それから少しずつペースを速めていって、最終的には貴女自身のペースと同期させてください。それが一番維持しやすいはずです」
「はいはーい。あぁ、ウィル君?」
「はい?」
「手、もう良いよ? ルビアも来るんでしょ?」
仕返し、とばかりに悪戯っぽく笑うサルビアだったが、
「そんな顔ができるのなら、本当に大丈夫みたいですね」
そっけなく握った手を離されて、少々不満顔となる。
サルビアが術を使うと、蒼白だったヴィオラの顔が血の気を取り戻した。
……本当に、なんとかしてしまうのだろうか。それは喜ばしいことのはずなのに、神父の心は恐怖で満たされていた。自分の無能のツケを、こんな子どもが払ってしまうかもしれないということに。
次いで帰還したのは、フォエミナを連れたマーガレットだった。彼女をウィルムハルトがねぎらう間に、侍獣に先導された緑髪のジェイドも到着する。
「おい、こりゃいったい、どういうことだ」目つき鋭くジェイドが言い、
「なんとも、穏やかじゃないね」肩を竦めてフォエミナが零す。
「緑翡翠、山法師、二人の力が借りたい」
二人へと視線を向けたウィルムハルトに、一瞬浮かべた驚きは双方同じだったが、その先の返答に関しては、まさに対照的であった。
「あぁ、必要なだけ使ってくれていいよ」迷わず頷いたフォエミナと、
「はぁ? オマエが、オレの?」疑わし気な視線を返すジェイドと。
「私はアルの姉さんを助けたい。それにはどうしても二人の力が必要だ。今は、今だけは、何も訊かずに手伝ってほしい」
そう言って、ウィルムハルトは、先程アルマンディンがそうしたように、深々と頭を下げた。
その態度に、否定的な態度だったジェイドは舌打ちをした。
「何をすりゃいい? 言えよ」
「生命力、活力を象徴する緑の二人には、菫の生命活動を低下させる術を使ってもらいたい」
なっ、と言葉に詰まったのはしかし、フォエミナと神父の二人だけだった。術に集中しているサルビアは反応せず、アルマンディンとシディに至っては動揺すら無い。マーガレットはよくわかっていない様子だったが、ジェイドは。
「わかった。今すぐやりゃいいのか?」
先ほどまでの反発は何処へやったのか、即座に首肯していた。
「何をバカな! 彼女を殺す気か!?」
衰弱している人間を、さらに弱らせろなどと、正気の沙汰ではない。神父は悲鳴じみた叫びを上げるが、返されたのは失笑と、冷笑と、嘲笑であった。
「本当に殺すところだったひとが、何を言っているのでしょう?」
「できることが無ぇなら、せめて黙ってろよ」
「愚者は理解力の足りない貴方でしょうに」
ウィルムハルト、アルマンディン、シディが続けて嗤い、最後に付け加えたのはウィルムハルトだった。
「はっきり言わなければわかりませんか? 事態を悪化させることしかできない無能は引っ込んでいろ、って。これ以上邪魔をするようなら、父さん、指の一本くらいなら斬ってしまっても良いですよ?」
本気で言っているようにしか聞こえなくて、神父の顔が青ざめる。その様を、ウィルムハルトが嗤った。
「指の一本や二本で、ひとは死にませんよ」
オマエは死なせるところだったのだ、と確かに言われた気がした。
「それにしても、アンタの方が即答とはね。ウィルのこと、嫌ってたんじゃないのかい?」と、どこか面白がるようなフォエミナの問いに、
「キライだね」ジェイドがこれまた即答する「あのヤロウは、ムカつくくらいに頭が良くて、オレなんぞのことは視界に入ってるのかどうかも怪しいもんだ。
そんなアイツが、オレに頭まで下げたんだぞ? グダグダ文句なんて言わねぇよ。そもそもオレ程度の頭じゃ、アイツの考えはわかんなくて当然だしな」
悪態をつく少年は、けれど裏腹に、誇らしげな笑みを浮かべていた。
「オトコだねぇ」言ったフォエミナが男らしく笑う。
「バカにしてんのか?」
「いいや。ウチのヘタレ親父より、ずっとカッコイイよ、緑翡翠?」
ウィルムハルトが呼んだ名で、フォエミナがジェイドを呼ぶ。呼ばれた方は、ハッと笑って答えた。
「その呼び方は悪くねぇよな。ジェディよりも気に入った」
緑を魂の色として持つ二人の術がヴィオラの生命活動を弱め、しかし血流をサルビアが維持しているので、ヴィオラ自身の容体は悪化しない。
精霊術を用いた直接的な干渉で、ヴィオラと、それに繋がっている病魔を弱らせて、血流を維持する間接的な干渉で、ヴィオラ自身の生命活動を平常に保ったのだ。結果、彼女に憑いた病魔だけが弱まった形だ。
こんな治療法、神父には想像すらできなかった。
最初期の第0話とかを除けば、初の連日更新!(ドヤ顔)
それはそうと、今回の話もそうですが、エピソード自体めっちゃ長くなってます。まぁ、ウィルムハルト精霊術教室の見せ場なのでご容赦ください。
今回、というか、今エピソードのハル君はイケメンですよね(自画自賛)ちゃんとヒーローしてる気がします。
あと、誰かがツンデレツンデレゆーから、緑翡翠が本気でツンデレってます。
ちなみに、優秀な治癒術師の心当たり=遠見の魔女です。気付いた人もいたかもしれないですね。
次は視点をアル君に戻して「不可能に挑む子どもたち」です。次でまとめられるといーなー(遠い目)




