第26話 在りし日の刻銘式
不入の森には輝煌があふれている。常人であれば、霊光酔いを起こす濃度の精霊が此処に満ちている。言われてみれば、刻銘式を行うのにこれ以上の場所は無いだろう。熾紅の銘を刻むのに、ハルは火山が最適と考えたが、此処は下手な火山以上の環境だった。
純度の高い色彩の刻銘式は、かつてはこういった魔境で行われていたのかもしれないな、とハルは思った。
「さて、まずは火の精霊を集めてもらえますか?」
精霊に満ちているとは言っても、此処は森であり、火の精霊はそこまで濃くはない。そのまま始めるよりは、と考えたハルの提案であったが、
「――どうやって?」アルに胡乱な目を向けられる結果となる。
「願えば良いんですよ。ただ、そうあるように、と。アルの意思に応えない火の精霊なんていませんよ」
簡単に言うけどな、とぼやきつつ、アルは右手をそっと差し出し、目を閉じて集中を始める。はたして、ハルの言った通りに、炎の色彩の精霊たちが応える。
「あぁ……」ハルの口から感嘆の吐息が漏れ出した。
それは、この世ならざるこの森にあって猶幻想的な光景。赤と朱と紅と。火の色、炎の色、焔の色に熾の色。種々様々な単一色が、真昼の蛍火のように集まって来る。
差し出されたアルの右掌の上で、揺らぐ球形を作り出す。その色はだんだんとアルの髪の色、熾紅へと近づいて行き……
「そんなところでしょう」完全に一致したところで、ハルが止める「暫く其処に居るように願ってください」
これ以上集めることもアルであれば可能だったし、暴走させることも無いだろうが、集めるのも戻すのも無駄な手間がかかるだけである。
「さて。では、そこに跪いてください」
言われるままに片膝をついたアルが、祭りの日の式を真似てだろうか、言われてもいないのに首を垂れた。儀式の形式としてはこれで正しいのではあるが。
アルが呼び集めた、揺らぐ火の精霊を間に挟み、ハルはその正面に立つ。
「汝、アルマンディン=ゲンティアン=グレンに、我、ウィルムハルト=オブシディアン=エキザカム=ブラウニングが刻む」
手を伸ばし、ハルは熾紅の髪に触れる。
「其は原初の火、あらゆる炎の原点、この世界に在りし総ての焔の源にして、至高の熾。太古此処に在り、現在は何処にも無くなった火の在るべき姿」
離した手を、これより原点の炎と名付けられることになる、アルの色彩の精霊に向けてかざす。
「己が魂の色彩を自覚し、再び誕生した汝に祝福を」
そこで一度言葉を切り、軽く両手を広げて、銘を告げる。
『熾紅』
瞬間、アルが熾紅の輝煌を纏ったように視えて、ハルは目を瞬く。
――いや、今のはむしろ『纏った』ではなく『放った』?
アル自身、何かを感じたのか、目を開けて自分の両手を見遣っている。
――と。
アルとハル、二人はほぼ同時に気付いた。アルが集めた精霊、たった今『熾紅』と名付けられた色のそれが、風に揺れる炎のように――風の無い不入の森で――大きく揺らめいている。
言葉も無く見つめる二人の前で、それは蠢き、形を変えて……やがて、実在するとある生き物に似た姿で安定する。アルの赤毛と同じ色彩を持つ誕生したての精獣は、小さな体でてってってっ、とアルに駆け寄り、くるぶしのあたりにその身をこすりつけた。
「……子犬?」
呆然と呟くアルは、いきなり懐かれて戸惑っている様子だが、それも当然だろう。精獣の誕生など、あちこちを旅したハルですら初めて見たし、彼が本で得た知識の中にも無かったのだから。
ぼう、と炎が燃えるような声で子犬が鳴いた。
「狼かもしれないですけど、今の状態では良くわからないですね」
成体でも区別が難しいくらいなのに、両掌に乗る程のサイズでは、なんとも。ハルがしゃがみ込み、小首を傾げてそう言えば、赤い子犬(狼?)も同じ方向に首を傾げ、バランスを崩して転がった。
「とりあえず、名前を付けてあげてはどうですか?」ハルが言い、
「オレが?」本気でわかっていない様子のアルが返す。
「だって、アルの侍獣ですから」
「は? いや、は?」言葉を失くしたアルに、ハルは続ける。
「アルが集めた君の魂と同じ色彩の精霊が、銘が刻まれるのに連動して容を得てしまったのがこの子です。狙ってやったわけではないのですが……この子は君と共に成長する、君の侍獣ですよ」
はあ、と力が抜けたように座り込み、胡坐をかいたアルの足に、赤い子犬がよじよじと登ろうとしてはずり落ちるのを繰り返している。見かねたアルが抱え上げ、乗せてやると、ぼう、と満足げに鳴いて、アルの掌に鼻先をこすりつけた。
「名前ねぇ……」
子犬を見下ろし、アルが首をひねれば、子犬も懲りずに真似をして、アルの足の間でこてんと転がっている。
「オレそーゆーの苦手なんだけど、ハルがつけるんじゃダメなのか?」
アルが困ったように見上げて来るが、これに対する答えは決まっている。
「あ。それはダメです。名付けがそのまま主従の契約なので」
左右に首を振りながらうんうん唸っているアルに合わせて、子犬もこてんこてん転げまわっていたが、4、5回で飽きたらしく、そこからはおとなしくなった。
存分に悩んだ挙句出てきたのは、「……紅蓮?」という半疑問形の呟きだった。
まぁ、確かに、愛らしい子犬につけるには少々勇ましい響きではあるが。
「良いんじゃないですか? その子は成長しますから、いずれその名に見合った姿になりますよ。逆に今の姿に寄せて名付けてしまうと、後々似合わなくなっていくと思いますよ」
ハルの言葉に、アルは安心したように笑った。
「――そっか。」両手で子犬を抱き上げて「『紅蓮』。オマエの名前だ」
今度は自信を持って告げると、紅蓮と名付けられた子犬は、ぼう、と満足げに一声鳴いたのだった。
「なんかさ、」右手にじゃれつく紅蓮を適当に遊ばせながらアルが言う「もう村中の刻銘式、ハルがやった方が良いんじゃね?」
ハルはため息とともに答える。
「まぁ、知識的にはそうだと、私も思います。あの枯れ草色の神父様では、才能を潰していくばかりだと、先週の再誕式で確信しましたから」
「姉さんの銘もおかしかった?」
アルから冗談めかすような空気が消えていた。というか、ハルの返答いかんによっては、教会に怒鳴り込みそうな雰囲気だ。
「いえ、そちらの方は比較的妥当なものだと思いますよ。まぁ、私なら『紫』ではなく『安らぎ』とか『穏やか』といった言葉を選んだでしょうが。『穏やかな夜』とか。というかアル、お姉さんのこと好き過ぎでしょ」
「は、はぁ!? 家族なんだから、こんくらい普通だろ!?」
「普通、ですかねぇ?」正直に首を傾げると、
「ふ、つ、う、だ!」断言された。
「とにかく、姉さんの銘もハルが、」
「いやそれは無理でしょう」アルが言いかけたのを遮って言い切る「此処を平然と歩けるのはアルくらいですし……何より、私の色彩で納得する人はいませんよ」
これにアルは何か言いたそうな顔をしたが、言葉を見つけられなかったのか、悔しそうに口を噤んだ。それに免じて、というわけでもないが、ハルは助言だけはしておいた。
「まぁ、先週のあれは、今日やったのよりも酷い『刻銘式もどき』ですから、より相応しい銘を伝えるだけでも意味はありますよ」
「わかった、伝えとく。
……つか、他の連中の色も、やっぱおかしいのか?」
アルが不快そうに顔を歪めた。
「……そうですねぇ。先週のお祭りで一緒だった人たちなら、蒼緋衣は水ではなくて空の蒼、滄翡翠は単に水ではなく流水の色、緑翡翠は新緑の色で、山法師なら芽吹きの色、といったところでしょうか。
赤が全て火にされるように、青が全て水にされるのだとしたら、蒼緋衣が一番乖離が大きくなるでしょうね」
アルは悪戯を思いついたように、にっと笑う。
「じゃあさ、来年のルビアの誕生日プレゼントに銘を考えてやれよ」
「――あぁ、それはいいかもしれませんね」
笑みを交わす二人は、まだ知らない。
再度彼女の誕生日を祝う――そんな未来には、辿り着けないのだということを。
アル君のシスコン疑惑。公式設定とも言う。ちょっとそのケがある、って程度ですが。
それはそれとして。もうちょっと先の出番を予定していた本作のもふもふ要員、紅蓮がここで登場です。鳴き声が可愛くないかもですが、ここくらいは火の精霊っぽくしとかないと、ただのわんこになってしまうので。
ほのぼのと思わせておいて、最後の最後で爆弾を投下したりもしましたが……
滅びを描き出すパズルのピースが揃いつつあります。終わりへと向かう時の中で、彼らはどのような想いを通わせるのか。
などとシリアスかましておいて、次はルビアちゃんちの閑話『バラスンの母娘』です。




