第16話 にぎやかな食卓
扉をノックする。ただそれだけのことに、ここまで緊張するのは初めてだ。
大丈夫。ルビアは自分に言い聞かせる。レシピをもらってからは、毎日家で練習を――日々アレンジを加えていったとはいえ、父にはうんざりされてまで――していたのだ、きっと気に入ってもらえるはず。ちなみに恋に生きた先達である母には手放しで応援されている。
二回、三回、深呼吸をして、「よしっ」と気合を入れて扉を叩く。
顔を出したのがヴィオラだったことに、多少の拍子抜けを感じながらも、
「こんばんは、にはまだ早いですかね。ヴィオラさん、今日はお世話になります」
挨拶はしっかり丁寧に。そのあたりは厳しくしつけられている。
が、何故かヴィオラにはため息で返された。
「ウィル君といいルビアちゃんといい、もうちょっと子どもらしくても良いとお姉さんは思うの」
唇を尖らせる彼女の態度こそ、少々子供っぽかったが。
「あー……ヴィオラさんって、世話焼くのが好きなんですね。ごめんなさい、たぶん期待には応えられないです――絶好のアピールチャンスなので」
ウィルとアルがもう家に居るかもしれないので、最後の一言だけは小声で言って、ルビアはぐっと拳を握った。
ヴィオラの目が好奇心に輝いた。恋バナが嫌いな女の子なんていない、ルビアはそう確信している。
「わかったわ。詳しい話は夜、私の部屋で、ね」
「了解です、ヴィオラ姉さん」
ガールズトークの約束を取り付けたところで、ルビアはヴィオラとともに夕食の準備に取り掛かるのだった。
気合を入れ過ぎたかもしれない。教会が鳴らす日暮れの鐘を耳にして、ルビアは背中に嫌な汗がにじむのを感じた。もう夕食の時間だが、鍋の中身はまだ煮込みの時間が足りない。
火は通っているのだし、このまま出してしまおうか……いや、やっぱり今できる一番美味しいのを食べてもらいたいし……いやでも、と鍋をかき回しながらぐるぐる同じところを回る思考を持て余していると、匂いにつられたらしいアルと、それに付き合ってという様子のウィルが部屋から出て来た。
……急にさっきの汗のにおいが心配になってきた。
とはいえこの状況でヴィオラに確認するわけにもいかず、せめてこれ以上おかしなにおいにならないように、必死に気持ちを落ち着ける。
「すげーイイ匂いだな」
「――っ!?」嬉しそうなアルの言葉に声を上げそうになった。
奥歯を噛み、どうにかそれを呑み込んだところへ、
「確かに、美味しそうな匂いですね」
ウィルの追撃が来て、がごん、とお玉を鍋にぶつけてしまう。
――鍋? あー、鍋。料理。美味しそう。了解。理解。
単語だけの思考が脳内を流れ、自分の勘違いに赤面しそうになるのをどうにかごまかそうと、口を開く。なんでも良いので、思いついたことを並べ立てていく。
「ごめんなさい、もう少し煮込みの時間がかかるんです。日暮れの鐘までには完成させるつもりだったんですが……」
「えー、でもコレ、もう食えそじゃね?」
鍋を覗き込んでくるアルに、ルビアはすぐに言葉を返せない。アルの言葉は確かにその通りであり、ルビア自身がほんの少し前に考えたことそのままだったからだ。既に食べられる状態にはなっている。
ただ……
「作ってる人がまだだ、って言うなら、まだなんですよ」アルの肩を引いて鍋から離したのはウィルだった「作り手には出来にこだわる権利がありますから。それを待つのは、食べさせてもらう私たちの礼儀ですよ?」
「うー、それ、お姉ちゃんのセリフ……」何故か不満げなヴィオラには、
「えーと……」さすがにウィルも困惑気味だ。
「そーいや鐘が鳴ったらメシ、ってのは街でも一緒なのか?」
空気を読んだのか思ったままを口にしただけか、アルが振り返ってウィルに訊く。
「村に比べると家庭ごとの誤差は大きいでしょうが、基本的にはそうですね。夜明けの鐘で起きだして朝食、正午の鐘で仕事の手を止めて昼食、日暮れの鐘で帰宅して夕食、です」
この村で生まれたルビアもなるほど、と頷いていると、アルが問いを重ねた。
「じゃあ、鐘の音が魔霊避けになるってのは、なんでだ? 音に色なんて無ぇよな?」
「……アル、私が何でも知っている、とか思ってませんか?」
じとりとした視線が目に浮かぶような口調に、ルビアはちょっと笑ってしまう。実際にはウィルは目の見えない人なのだが。
「まさか。ハルにだって知らないことくらいはあるだろ。ただ、オマエが知らないことは、あのエラそーな神父サマだって知らないだろう、とは思ってる」
いくらなんでも、と思うのと同じくらい、ルビアはあり得るかも、とも思ってしまった。この年下の先生が、神父様に教えを乞う姿がどうしても想像できない。
「――教会の鐘が神聖で特別なものだから、というのが教会の教えですよ」
――なんだろう、なにか引っかかる言い方だった。
「ふーん、そっか」
アルはそれに気付かなかったのか、それとも単にルビアの考えすぎか、さらりと流してしまう。
「それに音に色がないとも限りませんよ? 音色、という言葉もありますし、視える人には視えるのかもしれません」
「ハルは?」
「濁った音は黒っぽく、澄んだ音は白系に視えますが、細かな違いはわかりません。耳はそこまで良くはないので」
「……それ、充分凄いと思うのはお姉ちゃんだけ?」
隣で苦笑いを浮かべるヴィオラに、ルビアは全力で同意したのだった。
そんな話をする内に、鍋の中身も良い感じに仕上がった。食卓へ運び、配膳を終えて席に着く。男女に分かれて横に並び、姉弟が向かい合う席順だ。大人が誰もいないのが、少しだけ変な感じだった。
「いただきますっ」
待ちきれない、とばかりにアルがスプーンを口に運ぶ。今日のメインはキノコたっぷりのクリームシチューだ。鶏肉はウィルが食べられないので、食感が似ている大ぶりなキノコを使ってみた。勿論、食感うんぬんはウィルには伝えないが。
「なにこれ、肉使ってねーのにめちゃくちゃ美味い!」
「ホント、すごく美味しいわ」
姉弟には好評のようで、ルビアはひとまず安堵した。食材が限定されていると、美味しい料理を作るのは難しい。
そしてウィルが、驚くほど上品に、シチューを一匙口に含んだ。ゆっくりと味わい、飲み下し、先ほどまでの上品さはどこへやら、ぽかんと口を開けた。
「ウィル君はいつもこんなに美味しいものを食べてるの?」
とのヴィオラの問いに、
「いえ……父さんの料理とは、まったく違う味です」
――ここまでは予想通り。
レシピにはだいぶアレンジを加えたのだから、まるで違うのは当然だ。ルビアは息を詰めて続く言葉を待つ。
「――いつも食べているものよりも、美味しいです」
――やったっ……!
皆には見えないテーブルの下で、ルビアはきゅっ、と拳を握った。隣に座るヴィオラからは見えていたようで、ほほえまし気な視線を向けられたが。
「そっか。でもこれなら毎日でも食いたいな」
「――っ!?」嬉しそうなアルの言葉に声を上げそうになった。
――ん?
さっきもこんなことが、と思っていると、再度ウィルの追撃が。
「サルビアさんはきっと良いお嫁さんになれますね」
「っんなぁっ!?」
変な声が出た。裏返って、なんだか猫の鳴き声みたいな。
慌てて咳払いしてごまかす……ごまかそうとするが、ごまかせるはずがないのはルビア自身にもわかる。どうしてこのひとはこう、無自覚に致命傷を負わせにくるのか。それでいて、全くその気が無さそうなのだからタチが悪い。今もキョトンとした表情で、ルビアの方に顔を向けている。
「……ホント、ズルイなぁ…………」
小声で呟くと、ヴィオラが慰めるようにルビアの肩を叩いた。
――今夜はグチを聞いてもらおう。
きっとこのお姉さんは、甘えられるのを喜ぶタイプだろう。ルビアにはそんなふうに思えた。
「あれ? 今日のパンって、こないだのと違う?」
最初にパンをかじったアルが言った。
「はい。前回と違って、今日のメインはシチューですから。あまり主張しすぎないように、プレーンのものにしました。と言っても、セージは入ってますが」
ウィルが気に入っていた木苺のものとギリギリまで悩んだ、というのは伏せてルビアが答えると、アルは「あぁ、あの」と、頷いたのだが。
「あの?」姉に問われて、
「……なんだっけ?」はっきりとは覚えていないようで、隣の友人に助けを求めた。
「薬用サルビア、とも呼ばれるハーブですね。逆にサルビアには、スカーレット・セージという別名があります」
「へぇー。さすが私たちの先生。物知りだねー」
ヴィオラにそう感心されても、ウィルは肩を竦めて「本ばかり読んでいたので」と答えただけだ。むしろ隣のアルが何故か誇らしげに胸を張っている。
ウィルもパンをちぎって一口食べて、納得したように頷いた。
「なるほど、確かにこの料理にはシンプルな味が良く合う。
……ちょっと行儀が悪くなっても良いですか?」
訊かれて、ルビアは良くわからなくて小首を傾げつつも「えぇ、今日は子どもだけですし」と了承する。
何をするのかと思っていると、ウィルは一口サイズにちぎったパンを、シチューに浸して食べた。
「うん。やっぱり、すごく美味しい」
アルとヴィオラの姉弟は言うまでもなく、ルビアも行儀に厳しい母に心の中で謝りつつ、ウィルの真似をして食べる。
――作った本人が驚くほど美味しかった。
パンをシチューに浸して食べるのって美味しいですよね。
いや、今回はホント予想外です。まさかご飯作って食べるだけで一話終わるとは思わんかった……
メシテロは無理だと言いながら、食事で一話使った作者が此処に居ます。いやぁ、ついちゃっかり。
まぁ実際、料理そのものよりも作った人がメインですからね。
次こそ、次こそルビアちゃんたちの恋バナです。(グチとも言う、かも。)




