第15話 保護者不在の安息日
「今日はアル君の家でお世話になってください」
その日、ハルの一日は、父のそんな言葉で始まった。
「………………はい?」
心臓が、たっぷり5回は脈打つだけけの時間を置いて。ようやく出てきたのは、そんな気の抜けるような反問だった。
「おや、聞こえませんでしたか? 今日はアル君の家で、」
「いや聞こえたからこそ訊き返しているんですが」ハルはほとんど無意識に、けれど意図的に呆れた声を出す「ツッコミどころが多すぎるので、ひとつずつ潰していきましょうか。まず、いつから『アル君』になったんですか?」
「あぁ。ルビアさんの家に魔石を売りに行く時に、色々話して打ち解けまして」
ルビアさん。そちらはハルですら使っていない呼び名だった。
どんな話をしたのか、今度アルに訊いておこう。そう胸に誓いつつ、
「では二つ目、アルの家でお世話になる、とは?」
「今日、私は月に一度の商談で家を空けるじゃないですか。なので、アル君のところに泊めてもらってください」
「うん。まぁ、それは予想通りなんですが……では最後に。
――何故?」
「だってウィル、私が居ないとまともに食事を摂らないじゃないですか」
ため息交じりに断言されて、ハルは白々しく視線を逸らす。
「いやだな、ちゃんと食べてますよ?」
「野菜を生のままかじるのは、ちゃんととは言いませんよ、ウィル」
「なんでバレたんですか!?」
驚愕のあまり、取り繕うことすらできなかった。
「鍋やフライパンなどの調理道具に、簡単に切れる細い糸を結んでおきました。それがどれひとつ切れていなかったので」
父は自慢げに胸を張るが、
「いや、息子のささやかな隠し事を見破るのに、どこまで本気なんですか」
息子はむしろ引き気味だ。
「そこに君の健康が関わっているのであれば、どこまでも、です」
大真面目に断言されて、ハルは一瞬、言葉に詰まる。
――いつからだろう。
「……降参です」
おどけるように両手を上げて、肩を竦める。
――父との会話で、『正解』を探すようになったのは。
謝罪の言葉は禁句。逆に父を哀しませることになる。
遠慮も良くない。父の望みはそこにはない。
だからハルは、父をぞんざいに扱っているふりをする。気の置けない、友達同士のような親子関係を演じてみせる。たぶん、それが『正解』だと思うから。
すっかり慣れてしまって、今では息をするように無意識に、最適解を導き出していて。だから二人だけでいると、余計なことを考えてしまう。
自分は、父が望む息子を、上手に演じられているだろうか、などと。
――アルたちと居た時は騒がしくて、こんなことを考えるヒマもなかったのに。
わだかまるあれこれを吐き出すため息を、呆れの演技に紛れさせる。
「でも、アルとお姉さんには迷惑じゃないですか?」
「いえ、二人ともむしろ喜んでいましたよ? アル君は単純に楽しみな様子で、ヴィオラさんは家に泊めるほど仲の良い友達が、弟にできたことが嬉しいようでした。食事についても、私のレシピを渡しておいたので心配ありませんよ」
――どうやら、そういうことになったらしい。
今日は家に行く約束があるし、此処には来ないかな、と思いつつハルが不入の森で水浴びをしていると、アルは今週もやって来た。そのことを『嬉しい』と思っている自分を意外に思いつつ、ハルは予定していたことを訊いてみた。
「先月、父さんと何を話したんですか?」
唐突すぎたのか、アルは「ん?」と首をひねり、
「あぁ、あの時の。えっと、なんだっけか。確か、自分が居ない時にハルを護ってくれるか、って訊かれて」右掌で剣の柄を軽く叩き「こいつをいつも持ち歩いてるのは、家族と友達を護るためなんだから、当たり前だ、って答えた」
ヒーローな回答に、ハルはぽかんと口を開けてしまう。
「アルは本当にカッコイイですね」
「……バカにしてんだろ、オマエ」などとアルは唇を尖らすが、
「心からの称賛ですよ。私にはできない考え方です」
こんなふうに、まっすぐにものを考えるには、少々、いや多分にひねくれすぎている。そう、ハル自身は思うのだが。
「そんなことねーだろ」
こともなげに、それこそ当たり前の口調でアルは言うのだ。
「アルが言うと、その通りなんじゃないかと思えてしまいます」
いつものように、意識して作った表情ではなかったから。この時、自分が泣きそうな顔で笑ったことを、ハルは知らない。
慌てたように言葉を継ぐアルに、ただ首をひねるだけだ。
「あ……あぁ、そういや、ルビアにもいろいろ訊いてたぜ? ハルのどこが好きなのか、とか」
ばしゃん、と大きな水音を立ててハルは沈んだ。想像もしない、というかするわけもない発言に、思考が完全に空白になり、水底に足を滑らせたのだ。
浮き上がり、げほげほとせき込む。水が入った鼻が痛い。
「珍しい反応だな」
笑いをこらえようとして、こらえきれていないアルに対して、何かを思う余裕は今のハルにはなかった。
「あっ……あのヒトは何を考えているんですか!?」
「いやそれをオレに訊かれても」
アルから至極当然のツッコミが入るが、それでも言わずにはいられない。
「息子と同年代の女の子に、相手が息子を好きなの前提で質問って、痛いっていうか、もう激痛のレベルじゃないですか! いっそ痛みで意識失いたいですよ!」
「でもそんなに間違ってないよな?」
「だからなおタチが悪いんですよ……」
ぐったりと脱力したハルは泉にぷかぷか浮かんだ。
「へぇ。好かれてる自覚あったんだ」
意外そうなアルの声に、ハルはため息を混ぜて答える。
「まぁ、視えてますから」
「――見えて?」
反問にハルは両目を閉じる。
「目が良いって話はしましたよね? 魂の色が視えるということは、感情の色が視えるということです。相手が何を『考えて』いるのかはわかりませんが、何を『想って』いるのかは色でわかります」
「……の、ワリにアイツの扱い雑じゃね? オマエはどう思ってんの?」
その疑問に、ハルはちょうどいいので目を閉じたままで答える。
「初恋の話をしましょうか」
いきなり話が飛んだように思えたのだろう、アルは「は?」と疑問符を飛ばす。
「私は子どもの頃から、男女問わず好意を向けられることが多かったです。きっと、君が言うように『無駄に美人』なこの容姿の所為でしょう」
「お、おぅ。事実なんだろうけど、微妙にイラッとするな」
正直なアルの反応に、ハルはクスリと笑った。
「でしょうね。当時の私は、誰も彼もに好かれるのが当然だと思っていた――思い上がっていた、バカな子どもでした。外見で寄せられた好意なんて、髪色であっさり反転して当然だと、気づくどころか考えもしなかったんですから、本当に、どうしようもないですよね」
少し、重量を増した沈黙が返されるが、ハルは気負うでもなく続けた。
「初恋、とは言いましたが、実際のところどうだったのかは良くわかりません。ただ、優しい朝日のような髪色をしたそのお姉さんのことが、私は他の人よりも好きだったのだと思います。
夏の、とても暑い日、その人は打ち水をしていて、私はうっかりそれを浴びてしまったんです。当時の髪染めは今ほど質の良いものではなかったので、あっさり流れ落ちてしまって――
悲鳴が、上がりました。
おぞましい怪物を見たような、生命の危険にさらされたような、そんな切実で悲痛な絶叫が人を呼び集めて……その先は、以前にも話しましたよね? 殺されかけて生き延びて、そして現在に至る、というわけです」
閉じていた目を開けて、横目にアルを見上げる。
「失うとわかっているモノに、手を伸ばすようは自虐趣味はないです」
口を開け、何かを言いかけて、でも何も言えずに奥歯を噛みしめる友人に、そのたった一人の存在に救われていると、当の本人は気付いてはいないのだろうが。
慰めを口にしようとし、気休めは言えず、悔しさを噛みしめる、その心の在りようの、なんと尊いことだろう。
「そんな顔しないでください。私は君に逢えた。それで充分だよ。
アルマンディン=ゲンティアン=グレン、君の存在は私にとって奇蹟そのものだ。奇蹟は、2度も3度も起きるものじゃない」
水面をたゆたいながら仰いだ空は、話題に上っていた少女の髪と同じ色をしていた。手を伸ばしても触れられないというところまで含めて、本当にそっくりだ。
「で、アルの方はどうなんですか?」
仕返し、というわけでもなかったが、泉から上がってなんとなく訊いてみる。
「蒼緋衣さん、男の子からは人気のようですが」
服を着ながら横目に見れば、アルは意外と真剣な顔で頭をひねっていた。
「あー、うーん、どうなんだろ? 一緒に居て楽しい、とは思う。から、嫌いじゃないのは間違いないんだけど……」
「へぇ。意外ですね。興味無い、の一言で切り捨てるかと思いました」
ハルは目を瞬いて、アルを正面から見つめた。
「オマエ、オレをなんだと思ってんだ。あー、まぁ、なんだ、初恋とかそーゆーの、オレには良くわかんねーや」
「あ。それはすごくアルらしいです」うんうん、と頷く。
「ハルも似たようなもんだよな!?」心外だ、とばかりに叫ばれて、
「あ。言われてみれば」ハルは妙に納得してしまった。
いつもは日が傾き始めるくらいまでは森で過ごすのだが、今日は少し早い時間に帰宅する。帰る先がアルの家なので、ハルにとっても帰宅と言って良いのかは少々微妙なところだが。
ただいま、とアルが扉を開くと、ヴィオラが掃除の手を止めて振り返った。
「あら? 今日は早いのね、アル」少しばかり驚いた様子で弟を見て、すぐに視線をその隣に転じる「いらっしゃい、ウィル君。自分の家だと思って、というわけにもいかないでしょうけど、ゆっくりしていってね」
「今日はお世話になります、ヴィオラさん。父さんが無理を言ったのではないと良いのですが……」
頭を下げて言うのに、アルの姉は人差し指で軽く額を押して、
「子どもがそんなに気を遣わないの。夕飯まではアルの部屋で遊んでなさい?」
家事を手伝うつもりで早く帰って来たハルの、先回りをしてそう言った。年齢は二つしか違わないのだが、こうも見透かされると、子ども扱いも否定し難い。
「オマエの負けだな、ハル。な、姉さんはこういうひとなんだよ」
だからせめて荒事からは自分が護ろうと、普段から帯剣しているのだと、ハルが手伝いについて話した時にアルは言っていた。
「真面目なのは良いことだけど、男の子は少しくらいやんちゃなぐらいが良いわよ? ウチの弟くらい、とまでは言わないけどね」
悪戯っぽく笑う姉と、大げさにむくれて見せる弟と。姉弟仲は良いようだった。我が家の道化芝居とは大違いだ、などと考えてしまったハルを、アルが気遣わし気に覗き込む。名を呼ばれ、ハルはとっさに話題を転じた。
「そういえば、お姉さんも『アル』なんですね? ずっと『アルム』って呼ばれてたんじゃあ……?」
「あぁ、それはこの子がそう呼んでほしい、って。何でも大事な友だ」「姉さん!」「別に照れなくてもいいのに」「あぁ、もう! ハル、オレの部屋行こうぜ!」
強引に腕を取り、歩き出すアルの耳が赤い。ハルは自然と頬が緩むのを感じた。大事な友達――アルも、そう思ってくれていることが、改めてわかって。
ノックの音が聞こえたのは、それからいくらも経たない内にだった。
誰が来たのかは、ハルには扉が開く前から視えている。
「こんばんは、にはまだ早いですかね。ヴィオラさん、今日はお世話になります」
少し前に自分がしたそれに似た挨拶をしている、蒼穹色の髪をした少女の声を、アルの部屋の扉越しに聞きながら、ハルは傍らの友人に問うた。
「……どういうことか、知ってます?」
「あれ? シディさんから聞いてない? 夕飯、ルビアが作ってくれるんだって。その後はそのまま姉さんの部屋に泊まってくらしいけど」
レシピを渡しておいた、と確かに父は言った。『誰に』とは明言せずに。
「……本当に、あのヒトは何を考えているんですか…………」
ハルはぐったりと脱力することしかできなかった。
暗躍=息子の女友達(?)との恋バナ。と、お泊り会のセッティング。
前回の引きはこういうことでした。まだほのぼの(?)です。
ブラウニング家の親子関係はちょっとアレですが。あの二人は考えすぎなんです。
恋愛至上主義なルビアちゃんに対して、ウチの男の子たちは「レンアイ、何それ、おいしーの?」な感じです。ルビアちゃんのヒロインへの道は長い。
次回のタイトルは未定ですが、恋バナ:ガールズサイドになる予定です。
やっと投稿できた。完成したのは23:20くらいです。システムトラブルはノーカンだと思うんです。




