第117話 薔薇鉄鉱
前回までのあらすじ
ちっちゃい子にディアと命名
アイアンローズ。赤鉄鉱のうち、薔薇の花弁のような形状を持つものを特にそう呼ぶのだと、彼にこの石名を与えてくれた魔女は教えてくれた。
家名は捨てても、ローレルの花名を捨てられずにいるのは……未練、なのだろうか。知恵の回る方ではない――自分でもそう思っている――ロージーにはよくわからない。
少なくとも、恨みはなかった。自分を使い捨てた生家に対しての。
生まれ持った鋼の色彩から、彼は戦士として育てられた。その判断は間違っていなかったのだろう、剣と共に在る日々は、実に性に合うものだった。
剣に生き、剣に死ぬ。自身の生とはそういうものだと思っていたから、戦って死ぬこと、それ自体はむしろ望むところであった。
不満があるとすれば、それはその戦いに何の大義もなかったことと、与えられた役割に何ら重みがなかったこと、くらいだろうか。
死ぬことを恐れはしないが、無為な死は嫌だな、と。今際の際にそんなことを思えば、応えるように、声がした。
「なんと勿体ない」
声がして、次の瞬間には景色が変わっていた。戦塵溢れる荒野の戦場から、静謐な魔境の森の中へと、まさに瞬きひとつの間の転変。
強制転移。それが可能だったのは、他ならないロージーが――この時はまだその名ではなかったが――自身の死を受け入れていて、魔法に抗うことがなかったからだとは、後になって聞かされた事情だが。
「これほどの色彩を使い捨てとはの。要らぬのならば、儂がもらおうかのう?」
そう嘯く魔女を、初見で死神と思ったのは仕方のないことではないだろうか。なにしろ次の言葉が、「主は此処で一度死んだ」と、これである。ロージーの勘違いも当然だろう。
けれど次の言葉で、その老女が何者であるかなど、どうでも良くなった。
「のうお主、次は意味と価値のある戦いをしてみたくはないかの?」
否やのあろうはずもなかった。それこそが、ロージーの望みであったから。
そして遠見の魔女は、一度死んだのだからと、彼に新しい名を与える。
薔薇鉄鉱。
枯れない薔薇。決して朽ちない鉄の花。戦いに身を置く戦士に、これほど相応しいものもないだろう。そう言って不敵に笑んでみせた老女だが、ロージーに「貴女は死神ではなかったのか」と言われて、なんとも言えない表情になったものだ。
存外表情の良く動くあの魔女がもうこの世にいないという事実に、ロージーは未だ実感を持てずにいた。
事実、であることは疑う余地が無い。あのサラやシグが、冗談にでもそんなことを言うはずがなかったし、魔女自身、王を迎えるのは自分の命と引き換えになるだろうとの予見を皆に伝えていた。
それでも。
自らの目で死を見届けたサラとシグ以外は時間がかかることだろう。
それくらい、かの魔女は死と縁遠く思えたのだ。遥か彼方を見通す遠見の魔女――数多の同胞の命を救ってきた彼女であれば、自身の死ですら目視して、回避してのけそうにさえ思われた。
後継たる魔王にはそれがない。
むしろ目を離したら散ってしまいそうな、雨天の花のような危うさを感じる。
――そんな者に、皆の命運は委ねられない。
だからロージーは立ち上がり、魔王に言った。
「御身の威を見せて頂きたい」
これに対する返答が「お断りします」という即答だった。
昼食を終えた食卓で、立ち上がることも無く。
「何故!?」と問えば、
「何故もなにも。」魔王は雰囲気だけにしか苦みを感じない笑みで答えた「魔境で魔法なんか使えるわけないでしょう。フロルさんに迷惑がかかります」
緑髪の少年がこくこくと頷いている。
そういえば双子が暴れたのだったかと、ロージーは聞いた話を思い出す。
「御身は……御身は自身が王に相応しいと、本気でお考えか?」
苦いものを吐き出すように、重く問えば、
「いや冗談にも思ってませんよそんなこと」
ため息の重さすらない軽い答えが返る。
『陛下』と、サラとシグが異口同音に窘めるが。
「だってどう考えてもガラじゃないですって。私が王様なんて。ホント、誰か代わってくれませんかねぇ?」
この発言に愕然としたロージーは、続くシグとのやりとりをほとんど聞いていなかった。
「心にも無いことを言うものじゃないよ」
「いや全身全霊で本心なんですが」
「陛下よりも巧くやることが絶対条件なんでしょ? そんなひと居ないよ」
「居ませんか。」
「居ないねぇ」
「居ませんかぁ……」
「だから、仕方なくでもやるんでしょ?」
「仕方ないです。魔女に託されましたから」
耳に入って来たのは、仕方なく、といった否定的な言葉ばかりで。
「それならばなぜ、進退が問われているような状況で敵を増やすようなことを言ったのですか」
呆れた口調でサラは言うが、そこには諦めのような感情も見て取れた。
「進もうが退こうがやることは変わりませんから」
「立場には拘らない、と?」
「だってそれで何か変わります?」
――こればかりは、聞き捨てならなかった。
「御身は配下を、我を不要とおっしゃるか」
彼が能力の足りない王を許容できないように、ロージーは自身が侮られることを許容できない。戦士としての矜持が、それを許さない。
「戦争……いえ、大戦を起こすつもりはありませんから。」
それは迂遠な、けれど確かな肯定で。
ロージーは剣に手をかけ……大きく飛び退って、抜いた。
退いたのは剣を抜く手を押さえられそうになったからで、ロージーに対してそんなことができるのはこの場にはシグしかいない。
精神的な意味合いでなら何人もいるが、身体能力的にはひとりだけだ。
「ロージー」
たしなめるように、シグに名を呼ばれても、引くことはできなかった。
「あのような侮辱、黙っていられるものか!」吼えるのにも、
「侮辱?」と、当の魔王は小首を傾げるばかり。
斬りかかる刃は、シグの鉤爪に阻まれた。
「退け!」
「退けないよ」
口調に厳しさは無いものの、目が真剣なだけ魔王よりはマシだった。
シグとロージー、楽園を護るふた振りの剣の実力は拮抗している。そしてどちらも命まで取ろうとするような性格ではないことを、此処に住む皆は理解していたから、このような状況でも落ち着いたものである。
困っている者、冷めている者、明らかに楽しんでいる者と反応に違いはあるものの、慌てている者だけはいなかった。
ただひとり、此処へ来たばかりの幼子を除いては。
さすがに、脚にしがみついた子どもを乱暴に振り払うことは、怒りに我を忘れたロージーにもできなかった。
そうしてできた膠着状態に、サラの落ち着いた、それでいて呆れを含んだ声が流れる。
「その言葉足らず、どうにかなりませんか、陛下?」
「え、何か足りませんでしたか?」
はぁ、と聞こえよがしなため息をサラはついてみせた。
「あれではロージーの戦士としての力を侮っているように聞こえます」
「え? だって隠れ潜むのに剣は要りませんよね?」
もう一度。深く深くため息をついて。
サラはロージーに向き直った。
「こういう方なんです。用途の問題だと言いたかったようです。アレで。」
彼女もいろいろと思うところがあるのか、口調も言葉も棘だらけだった。薔薇でもここまでではないだろう。
「とりあえず剣を収めてください」
同情のこもった眼差しでそう言われては、ロージーも従わざるを得なかった。
終始座ったまま、笑みも崩すことがなかったことだけは魔王を評価できたが。
その女顔の男を王として仰げるとは、ロージーには到底思えなかった。
身体能力的に止められるヒト、実は他にもふたりほどいたりしますが、まぁ彼はそれを知らないので。
次どうしよう……サイドを変えるか、もうちょいこっちをやるか。
あ、前者なら閑話を挟みます。ヘイト集めまくりの双子か、人斬り脳なおとーさんか、どっちかの。