第116話 選ばれたのは……
前回のあらすじ
保護した子どものいろいろあった過去
シグルヴェインは困惑していた。
己の異形は理解している。右腕は左腕の三割増しくらいに肥大して、その先端には猛禽を思わせる鉤爪が生えており、頭には左側頭部から背後に向けて二本の角が伸びるという歪なフォルムに加え、肌はうっすらと青みがかった色をしている。
明らかに、あからさまに人外の容貌……で、あるが故に。
初めての経験だった。
――子どもに懐かれる、というのは。
ロージー以外の人間で、その子が初めて触れたのが、なんとシグであった。
人間以外も含めて良いのであれば、最初は皆の愛玩動物たる飼い兎なのだが。
ちなみにロージーたちが帰ってきた日は、動物たちが飛龍の存在に怯え切ってしまい、一晩中アニーが歌うことになった。もしもアビス・ブルーがその可能性に思い至らなければ、貴重な家畜を失うことになっていたかもしれない。
突発的に徹夜をする破目になったアニーは気の毒ではあるが、うかつに森を出られなくなった現状で、卵とミルクの安定供給は重要だ。
翌日の朝食の席に彼女の姿はなかったが、さすがにカレンも何も言わず、起きた時用にスープだけ用意して、フロストに時間を固定させていた。
その小さな男の子がディアと名付けられたのは、その席でのことだ。
「ディア?」魔王に問い返したのはアビス・ブルーで、
「ディアマントでディアです。良い名前でしょう?」
返答に深淵の色彩が頷くのだが。
「……わかった?」シグが他の者を見回して問えば、
「説明求むっす!」
代表してサニーがはいはい、と立ち上がって手を上げた。けれど案外、彼女ならば理解できていたかもしれない。皆のため、或いは面白がって道化を演じることの多い彼女だが、実は聡明であることを知る者は少ない。
亡き魔女を別にすれば、シグ以外には魔王と、あとアビス・ブルーくらいだろうか。ユウガオ……は、シグでは判別不能だが。生真面目なサラはほぼ確実に騙されているだろう。
「金剛石の読みを変えたものです」
「ディア、の方が石より先なのではないのか?」
「おや、さすが深淵さん。わかりますか」
「親愛なる、新しき我らが同胞、ということだろう?」
と、今度はこのふたりも皆にわかるように説明してくれたのだった。
それから数日、どうにかしてディアの心を開かせようと、カレンがなにくれとなく声をかけてはいたが、反応はかんばしくなかった。
どう声をかけようと、幼子はロージーにしがみついて、目も合わせようとはしない。これは時間がかかりそうだと、カレンと同じくらいロージーも困った顔をしていた。
そんなある日、ふと気が付くと、その子がすぐ隣に居て、シグへと手を伸ばしていた。それもよりにもよって異形の右手に。
シグが驚き、びくりと身を震わせると、その子は大きく飛び退って泣きそうな顔で口をぱくぱくさせた。伝えたいのは謝意、だろうか。
「びっくりさせてごめんね、ディア。触ってみたい?」
しゃがんで膝をつき、右手を差し出すと、小さな男の子はおずおずと左手を伸ばしてきた。左利きなのだろうか。そんなどうでも良いことを考えながらも、「爪の部分は刃物と同じだから気を付けて」と注意を促すことは忘れない。
硬い鉤爪の背の部分に触れ、何が嬉しいのか、ディアは目を輝かせる。そのキラキラした視線が次に向くのは、左側頭部の角である。
内心苦笑しつつも、頭を傾けるシグ。
「先端――先の部分は尖ってるから触っちゃダメだよ?」
その後。なぜか全身を小さな手でぺちぺちと触られて。
――気が付くと、いつも隣にいるようになっていた。
シグの左隣がすっかりディアの定位置となっており、今も小さな掌でシグの小指をきゅっと握っている。サイズ差の問題で、普通に手をつなぐのはキツイからだ。
このようにシグにはよく懐いたのだが、何故か他の皆のことは未だ怖いようで、誰かが近づいてくるとシグの後に隠れてしまう。
これではロージーがシグに代わっただけだ。
ロージーは少しばかり安堵した様子だったが、果たしてそれは少しは進歩があったが故か、それとも自身が開放されたからか。
それでもこの地に留まっているのは、彼も自分が連れて来た幼子のことが心配だからだろう。鍛錬は静かな城の方がはかどると言っていたので、なんの憂いもなければ城に帰りたいはずだ。
ちなみにシグが体を動かしている時は、ロージーがディアの隣についている。
「――なんでボクなのかな?」
ある日の夕食時、ぽつりと呟いたシグに「予測で良ければ」と答えたのは魔王だった。返答があったこと自体が予想外ではあったが、答えた人物についてはまぁ予想通りと言える。
意味不明な状況に仮説を立てられるとするならば、彼かアビス・ブルーのどちらかだろう。
「この中で一番アイアンローズさんに近いからでは?」
それが魔王の想像だった。
「……近いかな?」
シグとしてはあまり似ているとは思えなかった。ロージーのような苛烈さは、シグルヴェインには無い。
「戦闘形態と、戦闘能力に関しては。」
そう言われれば、そのこと自体には納得ができたが、自分が懐かれた理由に関してはやはり理解できない。そう言えば、魔王は続けた。
「自分を救ってくれた強さに対する安心感、ではないでしょうか。同質の強さを持ち、内面はより穏やかなシグルヴェインさんに、彼が気を許さない理由の方が無い気がします」
なるほど、とシグが納得していると、彼は言わなくて良いことまで口にした。
「サラさんは強さの質が違いますし、何より多少丸くなったものの、まだまだ尖ってますから」
応じるように視線を尖らすサラに、シグはため息をついた。
「……陛下? サラのことつついて遊んでない?」
こうも度重なると、わざとなのではないかと思えてくる。
これにシグたちの王はきょとんと首を傾げるのであった。
――天然とか嘘でしょ。
特に進展のないまま、ロージーも城へ帰れまいままで一週間が過ぎ……その日のお茶請けは胡桃のタルトだった。ディアがいつも以上に上機嫌でかぶりついているところを見るに、カレンはもうこの子の好みを把握したらしい。
得意満面、というのはこの顔のことを言うのだろう。シグがそう確信できるほどの良い表情で、カレンが今日のおやつについてディアに説明しようとするが……
「――なんでぇっ!?」
いつも通り、シグの後に隠れられて涙する。
よほど自信があったのだろう、比喩表現ではなく、ぼろぼろ涙をこぼしている。それはもう、成人女性としてどうなのかと、シグですら思ってしまうくらいの勢いで。それを見ても態度を変えないのは、魔王とアビス・ブルー、サラにサニーにユウガオ……結構いたことに驚くシグだった。最後につけるつもりだった『くらい』のひと言がどこかへ飛んで行っていた。
「うぅ……頑張ったのに……自信作だったのに……」
さめざめ、というよりえぐえぐと泣いている20歳児の頭をそっと撫でたのは、この場で一番の子どもだった。
「押してダメなら……ってことですかねぇ?」
そう魔王がこぼす。
おずおずと、けれど気づかわしげに髪に触れるディアに、
「ディーアー!」
感極まって抱き着こうとしたカレンは本格的に怯えられてしまい、心を許してもらえるようになるのが一番最後になるのだった。
なんとアビス・ブルーよりも後である。
以降一ヶ月、この大きな子どもが泣いたときに慰めるのは魔王の役割となった。
〇鷹ではなかったです。影が薄いからスポット当てたわけじゃナイヨー。ホントダヨー。
しかしおかしいな、どんどんポンコツが増えてる気が……
次回はまだ未定です。こっちサイドがもうちょい続くこと以外は。