第115話 無彩色の幼子
「嬢はこれで良いのか……!」
「……陛下がそう決められたのであれば、私はそれを支持します」
僅かに反応が遅れたことに、サラは内心苦笑する。すっかり、サラと呼ばれることに慣れてしまった。ずっとずっと長い間『嬢』で通してきたというのに。
口惜しそうに唇を噛む、ロージーの気持ちもサラにはわかるのだ。神の名の下に同胞を殺戮する愚物どもを、心情的には皆殺しにしてやりたいと思っている。
けれどそれは、彼女の王が告げたように、戦えない仲間たちを危険にさらしてまでやるべきことではない。その優先順位は揺るがないから、サラは王の決断を支持するのだ。
いざ戦いとなれば、この飛龍の騎士と共に最前線に立つのは確実だが。
ぱん、と手を打ったのはカレンだ。
「そんなことよりも、まずはその子のことでしょ、ロージー」
皆の姉が視線で示す新たな同胞は、未だロージーにしがみついたままだ。優しく微笑むカレンにすら怯えるようなその態度は、その子がどのように扱われてきたかを雄弁に物語っていた。
「今はゆっくり休んだ方が良いでしょう。ニクス?」
サラが声をかけると、このあたりは心得たもので、黒髪の青年が音も無く子どもの背後に現れ、おやすみ、のひと言と共に優しく髪を撫でた。
それが術式の起句。落ちるように眠った幼子を、ロージーがそっと抱き留める。夜の闇に関連付けられる色彩であるニクスにとっては、このくらいは手足を動かすのと大差ない。
その子の事情を聞かねばならないが、どう見ても重苦しいものになりそうな話を本人の前でするわけにもいかず、かといって唯一心を許している様子のロージーから引き離すこともできなかったからで、白の双子を迎えた時にも使った手段だ。
話を聞くため、全員で食卓へと引き返す。自堕落なユウガオも奔放なサニーも、さすがにこの状況でかき回すようなことはしないし、サクラが自分の時間が奪われることに文句を言うこともなかった。
世界に拒絶された皆の仲間意識は強固だ。
徐々に暗くなりつつあるので、先んじてサニーが明かりを浮かべた。満月であれば食卓周りに月光が咲くので必要無かったのだが。
「ロージー、お腹は空いてない? 何か用意しようか?」
「……では今は何か軽くつまめるものを。ちゃんとした食事はこの子が起きた時に一緒に摂ってやりたいのでな、消化に良いものをふたり分頼む」
ロージーの答えに、カレンがお茶の準備をする。料理を煮込んだりする場合は相応の時間を必要とするが、お湯を沸かすだけならば彼女にかかれば一瞬だ。
温度を操る、というのは戦闘にも応用できそうなのだが、カレンの才は料理の温度管理にのみ用いられている。以前はそのことをもどかしく思ったりもしたものだが、彼女はこれで良いと、サラも今では思えるようになっていた。
……話し合いの席でスープを煮込み始めたのには苦笑が漏れたが。
カレンの料理に火は不要だし、煮込み料理には時間がかかるし、加えて彼女抜きで話を始めるというわけにもいかないので、合理的なのはわかるのだが……これから重たい話をしようというのに、トマトスープの美味しそうな香りが漂っているというのはいかがなものか。
ロージーも何とも言えない表情をしている。
気持ちを切り替えるようにひとつ咳払いをし、用意されたビスケットをかじり、紅茶で軽く喉を潤して。
アイアンローズは、告げた。
「まず最初に。この子には名が無い」
想像をはるかに超えた、そんなおぞましい事実を。
「――なるほど。」呟いたのは魔王で。
今のだけでわかったのか、とサラが視線を向ければ、彼女の王は無理解を示すのがほとんどの一同をぐるりと見回した上で続けた。
「名が無い、ということは、道具として育てられた、ということですね。そのような扱いを『育てる』などとは言いたくないですが」
笑顔というものが、時に恐ろしくもあるのだと、サラは彼と出会って知った。
……いや、より正確に言えば、彼の父と出遭った時、だろうか。基本的には正反対の性格だと思っていたが、やはり親子なのだな、と場違いな感慨を抱く。
「飼育、と呼ぶのも生ぬるいものであったよ。あれならばまだ、家畜の方が大事にされてる。道具、という魔王殿の言葉を借りるのならば、まさしく『製作』でしかなかった。この子は名を持たぬだけではなく、言葉を話すこともできぬ。
――話を戻そう。この子が居たのは反教会主義とは名ばかりの、ならず者たちの集落であった。そこでこの子は教会に対抗するための武力となることを期待されていたが……魔法など、そうそう都合よく使えるものではない。
失望され、最低限の食事だけを与えられて、日常的に暴力を振るわれていたようだ。此処でも怯えていたのはそのためだな」
――あぁ。それはなんとも。
「皆殺しにしてしまいたいですね」
意図せず漏れた呟きに、年少組は少し怯えた表情を見せ、甘いところのあるカレンとシグは窘めるような視線を向けてきた。ただ魔王だけが、ちらりと視線を投げただけで、否定も肯定もしなかったのが印象的だった。
きっと彼は、必要となればやらせてくれるのだろう。そんな、奇妙な信頼感のようなものをサラはいつの間にか抱いていた。
なんにせよ、濁色への殺意が高まるのも納得の内容だ。
おそらく、彼が目にしたものはもっと悲惨なものだったことだろう。必要な情報は共有しても、陰惨な現実の全てを語ることはしない。これでそういう配慮ができる男である。あの双子と違って。
「我は命までは取っておらぬぞ」
「――それはまた、甘いことですね」
らしくない、などとは思わない。この男はこういうところがあるとサラは知っている。破壊力過多な同胞たちの中で、彼は最も手加減を巧くこなす。
「ひとの死なぞ、子どもに見せるものではない故な」
これにサラは肩を竦めるだけで応じた。
「……嬢、少し変わったか?」
「――そうでしょうか?」
「うむ。以前であれば、敵は弱くとも確実に仕留めておくべきだ、などと言っていたのではないか?」
そんなことは、とは言えなかった。むしろサラは納得してしまっていた。
「陛下に毒されたのかもしれませんね」
おかげで余裕ができた、とは言いたくなかったので、サラはそんな軽口をたたく。これに彼女の陛下は怒るでも呆れるでもなく、ただクスクスとさえずるように笑っていた。
その笑い方が、不快ではなくなったのはいつからだろうか。
「あと、私のことはサラと。純銀、という意味の名を陛下にいただきましたので」
「――サラ、か。承知した。では以後そのように。
それで、この子のことだが、ある程度の判断力が備わるようになるまでは、こちらに置いておきたい。構わぬだろうか」
「ま、妥当っすね。城にゃ教育によろしくない白がいるわけっすから」
サニーがまぜっかえすと、ロージーは眉を顰めた。
当然と言えば当然だが、道化者と騎士の相性は良いとは言えない。それでも反論が上がらなかったのは、発言内容自体は頷けるものだったからか。
「じゃあロージーも暫くはこっち?」
シグが訊けばロージーが頷く。
「あれ? でもどこに泊まるんですか?」
「……あぁ。陛下はまだ知りませんでしたね。此処には一応、全員分の家がありますよ。ロージーのものだけでなく、アビス・ブルーも……あの双子の分も。
今日来たその子の分はさすがにまだありませんので、暫くはロージーのところ、でしょうか」
「うむ。できるだけ早くカレンデュラに任せたいところではあるがな」
子どもは少し苦手だ、とロージーは苦笑するが、カレンと比べたら大抵の者はそうだろう。彼女以上となると、サラには魔女ぐらいしか思いつけない。
……いや、存外魔王であれば上手くこなしてみせるかもしれないか。それか誰よりもひどいことになるか、どちらかだろう。なんとなくだが、彼は全てにおいて極端な気がしているサラだった。
年少組(精神的なものも含む)がこういう時に聞くだけになるのはいつものことだし、サニーやユウガオが自重しているのも頷ける。サクラは特別な意見がなければ自分からは口を開かないし、アニーはそもそも歌以外で口を開くこと自体稀だ。
アビス・ブルーの無反応だけが少し意外だ、そう思って視線を向けて。
――思わず、笑みが零れてしまいそうだった。
アビス・ブルーは掌で口許を覆うようにして、一心に思索に耽っている。
なんのことはない、ただ思考に没頭していただけのようだ。
何を考えているのか。詳細はサラではわからないが、会話の流れと眉間の皺から察するに、同胞に関することではないかと思える。
この男も、存外仲間には甘いところがあるのだと。これもまた、魔王が来るまでは気づけなかったことだった。
次は子育て(?)回です。たぶん。タイトルはまだ未定。