第114話 鋼の帰還
前回までのあらすじ
こっちサイドは本当に平穏な2か月だった。(物騒な頼まれごとしたアビス・ブルーはちょっとだけ除く)
それは森の北方、城の方角より来たる。森の木の頂をかすめるように低空を滑り、悠然と広場に舞い降りるのは、猛々しくも優美な獣だ。
……いや、彼の者を『獣』と呼ぶのはいささか礼を失しているかもしれない。人の身では決して従えることの叶わぬ精獣、魔獣の頂点――それ自体には及ばぬものの、それに準ずる存在として『亜』の一字を冠されたもの。
空を征く亜龍種、飛龍。
少し前から飼っている牛ですらひと呑みにできそうな巨躯は、人里に現れようものなら、狂騒必至の威容であった。
それをちからずくでどうにかできてしまうハルのことは措いておいて、楽園の住民に大騒ぎをする者がひとりとしていないということは……そういうことなのだろう。今は夕食を終えたところであり、全員が揃うこの野外食堂からは、夕暮れの朱に染まりゆく飛龍の姿が良く見える。
ハルは飛龍の背からひらりと身を躍らせた人物に目を遣った。
表情こそいつも通りであるものの、これでもハルは驚いていた。
いくら魔法の域に達しているといえども、まさか亜龍を従えられようとは。
先の鷲獅子とは違い、アレは侍獣だ。ハルの眼に視える騎手との繋がりが無くとも、亜龍がその背を許している時点で、それ以外には考えられない。
地に降り立った飛龍の主が、片膝をつき、腕に抱えていた小さな人影を優しく降ろした。恭しく、とすら言えるような扱いを、旅塵に汚れた子どもに対して行う鎧姿の人物は、物語の中の騎士のようであった。
少なくとも、ハルが実際に見知っている、乾きかけの血の色をした自称聖なる炎よりも、もっとずっと神聖な存在に思えた。
「ロージー、お帰り。助けられたんだ」
真っ先に彼に駆け寄ったのはフロストだった。アビス・ブルーにも憧れていたようだし、騎士然とした人物に懐くのも納得できる。
言葉では答えずに、飛龍の騎士は大きな掌を霜蒼色の少年の頭に乗せた。嬉しそうに微笑むフロストの視線から、自身の複雑な表情を隠すように。
騎士にぴったりと引っ付いて離れようとしない子どもの様子を見るに、助けられた、という言葉には『命だけは』といった類のものを頭につける必要がありそうだが、まずは新たな帰還者についてだ。
「ロージー……」
フロストが呼んだその名を、舌先で転がす。ロージー。ローズ? 薔薇の名を冠した石はいくつかある。その中で、艶を消した刃のようなその騎士の色彩に当てはまるものは……
「――薔薇鉄鉱?」
先のそれよりもいくらか大きい呟きが耳に届いたのか、騎士の視線がハルへ向く。この森に留まる者たちに比べれば大人と呼べはするだろうが、それでもせいぜい20歳をいくらか越えたくらいの若さだ。
「如何にも。貴殿とは会ったことがなかったと思うが、察しが良いのだな」
「ウィルムハルト=オブシディアン=エキザカム=ブラウニングといいます……まぁ、端的に言うと新顔です」
と、そのような雑な自己紹介に、傍らでため息をついたのはアビス・ブルーだ。
「――端的に言うのならば魔王だろうが」
「えー。それ自称するのってどうなんですか?」
「まずは自覚するところから始めろ、我が王。」「まったくですね。もう少しそれらしい振る舞いはできませんか」「えぇと……うーん、ふたりの意見も否定しきれない、かな……?」
自称臣下の容赦ないツッコミに、サラとシグルヴェインというふたりの護衛役も追随するという、まぁいつも通りと言えばいつも通りのやりとりをしていると。
「……おぉ…………」
なにやら感極まったような吐息が聞こえ、気が付くとハルの眼前で臣下の礼を取るアイアンローズが居た。
……背中にぴたりと引っ付く子どもがいるせいで、いささか締まらない感じではあったが。
「ついに……! ついに、秋は来たということですな。長きにわたる雌伏を終え、起つべき秋が! このアイアンローズ=ローレル、御身の剣となりて御身の敵を討つと誓約致しましょう」
などと熱っぽい視線を向けられたハルは。
「――あ。間に合ってます。」
思わず答えていた。
時間が止まったように凍り付く空気の中、ひとり爆笑しているのが誰かはハルでなくともわかるだろう。陽光の色をした悪戯者だ。
『――陛下っ!?』
ハルをこう呼ぶのは、基本的にふたりだけだ。彼らの氷が真っ先に溶けたのは、なんだかんだ共に過ごす時間が一番長いからだろうか。最近ではアビス・ブルーもそこに並びつつあるが、彼の思考はどちらかと言えば戦闘組よりもハル寄りだ。
「臣従を有無を言わさず断る王が何処に居ますか!?」
「即座に受け入れないにしても、もうちょっと言い方考えよ?」
口々に苦言を呈するふたりに、ハルは「えー」と不満を漏らす。
「だってそんな秋なんて来てませんし、そもそも来ない方が良いじゃないですか」
あくまで軽い口調でそう言うと、鋼色の騎士はゆらりと立ち上がった。隠そうともしない赫怒をその瞳に宿して。
直立すると目線はハルよりもかなり上になる。ハルは平均に届くかどうかくらいの背丈だが、騎士ははっきりと長身である。肉厚でこそないが、鍛え上げられた体躯に頼りなさは微塵も無い。運動嫌いの魔王とは随分な違いだ。
「……御身は……っ! 御身はこのままで良いとおっしゃるのか!? 異質な色彩に生まれたという、それだけで同胞が蔑まれ、虐げられる今のままで!」
燃え上がるような言葉に、ハルは良くはないですがね、と苦笑した。それは相変わらず、苦みが隠し味程度にも感じられない笑みだったが。
「――それで?」いっそ冴え冴えとした口調で続ける「世界の総てと敵対し、此処に居る皆を危険にさらせと?」
「……そ、そこまでは…………」
飛龍の騎士は戸惑ったようにたじろぐが。
「――そこまでのこと、なんですよ。魔王が国を興すということは。私にはそれが、現状維持よりもマシなものだとは思えません」
少なくとも、現時点でのハルの結論はこうだ。伸るか反るかの賭けをするような段階ではない。そう、ハルは考えている。
「で、ですが、いつまでも濁色どもをのさばらせておくというのは……!」
濁色、という言葉に反感を覚えなかったと言えば嘘になるだろう。なにしろアルはともかく、ルビアは確実にそこに含まれる。異なる色彩をひとくくりにして蔑むというやり方は、いったい、教会と何が違うというのか。
「反論は論理的にお願いします。
貴方は。敵を殺すことと、仲間を守護すること、どちらが大事なんですか?」
ハルが視線で示したのは、ぎゅっと目を閉じ、騎士にしがみつく幼子だ。きっとハルが魔女にそうされたように、アイアンローズが救ったのであろう命。
その色彩は、ハルやアニーのそれと良く似ていた。
確実に10歳にも届いていないであろうが、それでもこの色彩で生き永らえているのは尋常ではない。次の誕生日で成人年齢となるハルが言えたことではないだろうが……ハルの場合、庇護者があまりに規格外であったから。
「同胞の命が最優先に決まっている」
そう、即答できるところは好ましく思うのだが。それでもこのままで良いはずがない、と言う騎士とハルとは相容れない。
――総てを救える、などと考えるべきではない。ひとは神にはなれないし、なろうとすること自体間違いだ。七彩教会という失敗例がそこにあるのだから、同じ轍を踏むことは無いだろう。
「身の丈に合わない大望は身を滅ぼしますよ?」
そしてその時滅びるのは、己が身ひとつでは済まないだろう。
「――それを摑み取るのが王ではないのか!?」
夕日の朱が、殊更そう思わせるのか、それは血を吐くような叫びだった。
だから、ハルにもわかってしまった。それが、それこそが彼の騎士が希求した魔王という存在なのだと。世界を変え、総ての同胞を救う、魔と蔑まれた者たちの救世主――そんなものに、ハルはなれない。
――そこまで傲慢には、なれない。
「それは王様ではなく、神様の領分ですよ」
魔王と呼ばれることには一応の納得はしていても、魔神とまで呼ばれるのはさすがに無理だと、きっぱりハルは拒絶した。
「……我は、御身を認められない……」
拒絶は、まるで泣いているようであったが、それでもハルは、彼の期待に応えてはやれなかった。そうまでするだけの理由を、この時のハルは持ち得なかった。
また一週間以上かかってしまい申し訳ないです。一応一週間以上空いた時はあらすじをつけるようにしてます。あと、サイドチェンジの時と。
サイドと言えば章タイトルをちょっと変更……というか追記してるので、良かったら見てみてください。
次は今回ほとんど触れられなかったちびっ子の話です。
次回「無彩色の幼子」(仮)お楽しみに。