第113話 魔王の殺し方
「あぁ、そうだ。最初にこれを訊いておかないと。」
ハルがアビス・ブルーにそう問いかけたのは、彼に頼みごとをした直後のことだった。何も言わず、視線で先を促す深淵に、彼の王は続きを告げた。
「精霊――或いは輝煌と呼ばれるものの本質について」
返答に少し間があったのは、問いがそれで終わりだとは思わなかったからか。
「……本質も何も、威、だろう? それ自体では何の益も害もない――あぁいや、濃度によっては害があるか――とにかく、ひとの意思に反応しない限りはどうということはない、純粋な威そのものだ」
「――なんだ。貴方もそういう認識なんですね」
返された一般論に、思わずそうこぼしてしまう。が、これは失敗だった。
「――どういう意味だ」
不満そう、というのであればまだしもあしらいやすかっただろう。けれどその深淵色の滄い瞳は、もっと純粋な欲求を湛えている。
知悉したい、と。
彼がこうなってはごまかしの類は通用しないだろうと、その色彩から理解する。だからハルは、正直に答えた。
「教えられません」
「――オイ我が王」
アビス・ブルーは今度こそ不満げな顔をするが、答えは変わらない。
「私の推測が間違いだった場合、悪影響しかありませんから。なので、私からこの可能性を伝えることは決してしません。貴方が同じ考えであれば、もっと掘り下げることもできたでしょうが……それは仕方ないですね」
精霊がひとに宿るのではなく、ひとの成れの果てが精霊である可能性。それをハルはほぼ確信していたが、この世界に絶対と呼べるものなどなにひとつとして無いこともまた知っていた。だからアビス・ブルーと議論したいと考えたのだが、彼の理解が一般論と同等ならばそれまでだ。
他者に知識の毒を盛る趣味はハルには無い。
「……あぁ、良いな。実に良い。我が王がいれば、退屈とは無縁でいられそうだ」
「盛り上がってるとこ悪いですが、私の殺害方法を最優先で考えてくださいね?」
「む? あぁ、勿論、わかっているとも」
「わかってても忘れてたでしょ、貴方。」
「――何故わかった?」
「いやそこで驚かれても。」
わからないわけがない。あぁもわざとらしく、単語ごとに区切って話したのでは。言葉を選んでいた、もしくは考える時間を稼いでいたと丸わかりだ。
「ひょっとして深淵さん、駆け引きの類は苦手ですか」
「冗長さを好まんだけだ」
――どうしよう、このヒト意外とポンコツかもしれない。
考えてみれば当然か、とハルは嘆息する。彼の色彩、その本質は智の蒐集――興味がある……いや、欲しているのは集めるところまでだ。
「それで、私の殺し方についてですが……」
とりあえず、ということで、少量の血液と数本の髪をサンプルとして提供した。
けれどこれはあまり意味が無かった。術具や触媒としては優れているそれらではあるが、当人の本質に直結しているわけではない。
研究のし甲斐がある素材ではあるものの、攻略方法を探る役には立たないだろう――それが、約一日でアビス・ブルーの出した結論だった。
「そもそも、だ。魔法の領域に在る者を殺す方法など……」
「――無い、と言い切れますか?」
失望、というほどではないが、落胆はしていた。見込んだ知恵者が、こうも簡単に諦めるなど……
「――? いいや、考えるまでも無くひとつはあるだろう」
一瞬、ハルは言葉を失った。
「――ッ! あるんですか!?」
思わずテーブルの上に身を乗り出すと、ハルを我が王と呼ぶ男は、ぞんざいにその顔面を押し返した。王とは、いったい。
「簡単だ。魔法を使わせ続け、輝煌を使い尽くさせれば良い」
「……それ、世界滅びません?」
あまりの暴論に目が点になる。この世界からいくらでも威を汲みだせる者を殺すには、世界ごと殺せば良いなどと。
「転移さえさせなければ街ひとつ分くらいで済むだろう」
暴論は暴論のまま、暴論として其処に在ったが、言っていること自体には一理もないとも言い切れない。けれど。
「いや、だからそれをどうやって……」
「方法くらいいくらでもあるだろう。転移そのものを阻害する、もしくは心情的に転移したくない……では不足か、できない状況を作り出せば良い。あぁ、具体策については訊いてくれるな、前者はともかく、後者は相手がわからんことには始まらんからな」
「……貴方に頼んで正解でした、アビス・ブルー。」
少し吟味した後で、ハルが知恵袋――本当にそれ以上ではない気がしてきた――に告げたのはそんな言葉であった。
まず考えるべきは実行可能かどうかではなく、理論上可能かどうかだ。それがハルにとっては論外と言える方法でも、立場が逆ならどうか。どこかの宗教家がそれを実行しないと本当に言い切れるのか。
悪魔を滅ぼすためならば、人類は皆殉教して然るべき、などと考える輩がいるなどとは思いたくもないが、宗教というのは精神に作用する劇物だ。毒にも薬にもなるが、世界を汚染するほどの猛毒となった場合も考えておくべきだろう。
とはいえ、敵がそのような愚行に出た場合、対処はさほど難しくはない。敵を殺すのは、たぶん、得意だ。好き嫌いはこの際措いておく。飽和攻撃では魔王の命には届かない。
「では転移阻害についてだけ考えてみましょうか」
心因性のものはひとまず捨て置く。大切な場所、というものが無いわけではないが、それは人命に優先するようなモノではない。そして護る対象がひとであるのならば、ハルにとっては難しいことなど何も無い。全員まとめて敵の手が届かない場所まで転移すれば良いのだから。効率を考えなければいくらでも可能だ。
……転移元が、草も生えない死の大地になるかもしれないが。
世界そのものの命数を支払う、泥沼の消耗戦だ。いくらなんでも、とは思うが、仮に敵がそこまでの愚者だったとしても、世界が滅びるよりは早く届くだろう。
ハルの手が、愚者の命に。
ともあれ、愚者の愚考を想定するほど不毛なこともあるまい。ハルは建設的な案件に思考を切り替えた。
「そもそも、転移とは何か。」
ハルの問題提起に、打てば響くようにアビス・ブルーが応じる。
「彼方と此方を繋ぎ、瞬時に移動する術式のことだな」
「では、どのような方法論でそれを為すのか」
「それに関しては貴様の方が詳しいだろう」
……二度目は打っても響かなかった。
ごまかすように咳払いひとつ、ハルは言葉を継ぐ。
「――とりあえず、私が城で組んだものだと、指定した同じ容積のふたつの空間を切り取り、まるごと入れ替える術式、ですかね」
「……そんなことをやっていたのか…………」
「……あれ? 言ってませんでしたっけ?」
「聞いていないし、私は転移先の座標指定と術式補助のための刻印とだけ認識していたぞ? その手法ではかえって効率が落ちるのではないか?」
「あぁ。どちらかというと、重視したのは安全面ですね。転移事故防止の」
精霊の消耗抑制に関しては、既に語ったことなので今回は省略する。
指定座標がズレて床や地面と重なってしまった場合、何が起こるのかは想像もできないが、身体の一部が土や石と融合してしまったとしたら、少なくとも今のハルの知識では元に戻せる気がしない。
だからハルは転移先にいつも、地面の少し上の空中を設定している。
嘘か真か、転移失敗で爆発四散した、などという話もあるくらいだ。長らく周辺地域に呪いをばらまいた、などというのだから眉唾物である。
「魔法陣中央で手をつくように言ったのもその一環ですね。切り取るのは半球状の空間なので、背の高いひとだとはみ出す可能性もありますから。
一応そのあたりは安全装置を組み込んではいますが、首だけこちら側に残ったりしたらまずいですからね」
「……いや、まずいというか、死ぬのではないか、それは?」
「首が胴体と切り離されて生きてるヒトは、私の知る限りいませんね」
「…………我が王?」
少し長い沈黙を挟み、ため息交じりにアビス・ブルーが言った。
「はい? なんでしょうか?」
「明日。全員に。説明。」
みっつの言葉が返される。
「え、でも小さな子とか、怖がらせるのもどうかと」
「――事故死させる方がどうかと思うが?」
「や、だからそうならないための手順を説明……」
「不足だ馬鹿者。危険性も知らず、子どもが雑な使い方をしたらどうする」
――この後めちゃくちゃ説教された。
結局。転移事故が起これば命に係わる可能性があることと、それを防止するための所作として魔法陣中央で手をつくことが必要とだけ説明することになった。
身体の一部が範囲外に出ていた場合などについては、怯えさせるだけだろうと判断されたためだ。そちらに関しては安全装置を組み込んであるし、怖がり過ぎて避難時に術式自体発動しなければ本末転倒である。
転移阻害に関しては、ハルがそれを行う限りほぼ不可能だろうという結論が出た。転移先の魔法陣を破壊しても、効率が悪くなる以上の影響は無い。
そして、世界から無制限に威を汲み上げることができるのが魔王である。
魔王は、魔王でなければ殺せない。
それに代わる答えは出ないまま、時は過ぎ……
平穏な時は終わり、鋼の色彩が帰還する。
頭の良いバカふたり。
融合爆発、という単語はSFになるので自重しました。
次こそ新キャラです。
次回「鋼の帰還」(仮)お楽しみに。