第111話 元王族の研究員
連日更新なので読み飛ばし注意。一応、念のため。
「あ、あー、えぇと、そう! 心配が要らないというのは!?」
ルビアの助手と思しき女がとってつけたように言うが、緑髪の少女は頬を膨らませてそっぽを向いている。
くだらない、とアークは口の中で呟いた。
「おいお前、案内だというのなら役目を果たせ。子守りをしにきた覚えは無い」
促しても動こうとしないので、押しのけて先へ進む。ちょっと! と叫ぶのが聞こえたが、アークはそれを聞き流した。
精霊錠の先にあったのは海中都市第八層の街並み……ではなく、閉ざされた一室だった。本来はそれほど狭いわけでもないのだろうが、資料や何に使うのかわからない器具が棚や机の上だけでなく、床にまで散らばっているせいで、ひどく手狭に感じる空間だ。
「……研究室?」
呟いたのは誰だったか。アークには馴染みの無い声だったので、ルビアの連れの誰かだろう。少年王子が認識しているのはルビアくらいのものだった。
「あー! またこんなに散らかして! ……まったく、私がついていないとすぐこうなのですから」
甲高い声で叫んだあとで取り繕っても無駄だ、という指摘は、してやる義理もないので思うだけにする。それよりも役割をまっとうしろ、という意思を籠めた視線を送るも、無視しているのか鈍感なのか、アークのことは放置して、研究室(?)の整理を始めている。
――この子どもには期待するだけ無駄だ。
同い年くらいの少女にはさっさと見切りをつけて、リオンを伴い奥へと進む。
足の置き場を探すのもひと苦労だった。
入口の精霊錠に関しては心配していない。あそこをおさえておく判断ができないような無能に近衛は務まらない。随員の内訳は近衛4、文官2、侍従2だ。交渉事でありながら文官が少ないのは、アークだけでほぼ事足りているからだ。
「なんだいなんだい騒がしい。今月のノルマならもう終わっただろう? ボクは弟をびっくりさせるようなおもちゃを創るのに忙しい……」
奥から出て来た男の目が点になった。
おそらく、アーク自身も、似たような間抜け面をさらしていることだろう。
「おや? おやおやおやおやおや? その色彩はもしかしてあっくんかい?」
足元の書類をばっさばっさと蹴散らして、にじり寄ってくるぼさぼさの青色髪をぞんざいに押し返す。
「その鬱陶しさはもしかしなくても兄上ですね。あと『あっくん』はやめてください。もう子どもではないので」
――今吹き出した3人、顔は覚えたからな。
「わかったよあっくん。いやー、いやいやいや、大きくなったねー」
まったくわかっていないが、まぁこういうひとなのはわかっている。
「それで? 兄上は此処で何を?」
「いやぁ、研究用に水中馬車の欠片を持って帰ろうとしたのがバレちゃってねー」
「それは知っています。」
「あれ、そうなの? じゃあその脆弱性を指摘して改善策を考えて、成果が上がったご褒美に研究室をもらったのは?」
「――それは知りようが無いです。」
兄の変わらぬ無軌道ぶりに、知らず笑みがこぼれていた。国家機密に手を出して収監されたというのに、自らの才を示し客室研究員の地位に納まったというわけだ。存外戦争にならなかったのには、このあたりも関係しているのかもしれない。それでもさすがに外出の自由は無いようだが……
なるほど、兄の才能が浪費される心配だけは無用だ。「あの……」
「そう? あっくんの頭の良さならなんとかできそな気もするケド……」
謎の信頼感を否定しようとして……けれど、思うところがあった。
「……そういえば、兄上作と思しき玩具が次々に追加されていましたね。てっきり作り置きを小出しに贈られているものだと思っていましたが」
この国におけるラピスの扱いは秘匿されていたのだから、あれらの製作者について察していたのはアークだけだったのだろう。両親は兄の誕生祝いの代替品のつもりで、本物をアークに渡していたということだ。とはいえそれだけで兄の置かれた状況に気づけというのはムチャだとも思うが。「えっと……」
「いやいやいや、いくらボクでもあっくんが驚くようなおもちゃはそうそう創れないよ。毎年、研究ノルマ達成のための時間を捻出するのが大変で大変で……」
「……兄上、本末転倒という言葉はご存知ですか?」
「もちろん知ってるとも。この国に与えられた研究ノルマにかまけていて、あっくんの誕生日プレゼントが間に合わなかったら本末転倒だよね?」「だから……」
「……もう良いです」
いろいろ呑み込み、ため息ひとつ。背後のルビアを仰ぎ見たアークは、ぼさぼさ青髪の研究バカを指差した。
「頭の良いバカだぞ。」
「あ。こーゆー方向性はちょっと。ごめんなさい。」
恐ろしく平坦な低音に、思わず吹き出してしまいそうになるのをどうにか呑み下し、苦労して平静な声を出す。
「だろうな。」
――若干声が震えてしまったのはご愛敬、ということにしておいてほしい。
「ん? なになになに? ひょっとしてボク今フられた? フられたのかー。ま、ボクの恋人は研究だしねー」
などと当人は楽し気に笑っていたが。
「ちょぉっとぉ! ラピス様!?」
先ほどからきゃいきゃいと喧しかった子どもが割って入って来た。
「おやマリン、君があっくんを連れてきてくれたのかい?」
「おやマリン、ではございません! なんです、なんなのですかさっきから。久しぶりに会った婚約者を放っておいて、言うに事欠いて、研究が恋人ですか!?」
「いやいやごめんごめん、けど君とは毎月会ってるけど、あっくんとは10年? だったかな、それくらいぶりなんだ、許してよ」
たぶんより重要なのはそれよりも後の部分だろう思うが、アークも敢えてそこには触れずに――犬も食わないそうだし――別の部分を訂正した。
「10年と3か月です、兄上。というか、毎年誕生祝いを創っているのに、何故うろ覚えなのですか……」
「だから貴方! 未来の夫婦の語らいに割って入るなんて無粋ですよ!」
聞き流そうとした内容を再度ねじ込まれて、アークはため息をついた。普通の外交の場ではこのような隙は見せないが、相手が隙だらけなので気が緩んでしまっていた。
「10年3か月ぶりに再会した兄弟の語らいに割って入るのは無粋ではないのか?」
それから、ひとを指差すのも。
こんなのを押し付けられた兄に、アークは心から同情した。
「今夫婦とか言った?」「言いましたね。ま、元とはいえ王族ですし、政略結婚の相手が早々に決まっていても驚くことではないのでは?」
ルビアと同行者のひとりがそんなことを言い合っていた。
どうやら彼女の方でも入口にひとり残してきたらしい。リオンが褒めていた剣士の方の少年だけ姿が無い。
コホン、と子どもがわざとらしい咳払いをした。
「申し遅れました。わたくしはロスマリヌス=サファイア=マーガレッツホープ――此処サファイア王国の第一王女にして、こちらのラピスラズリ=ローズマリー様の婚約者でございます」
「ろすまりぬす?」「ローズマリーの語源になった言葉ですね。意味は海の雫」「ほへー」ルビアたちがそんなやり取りをしていたけれど、問題はそこでは無いだろう、とアークは言いたくなった。
言わなかったのは、ルビアであればそれくらいはわかっているだろうと思ったからだ。
ロスマリヌスの名乗りで、アークの兄の家名が省略されたのは、表向き廃嫡されたことになっているからだろう。一応、度し難いバカではないようだと、評価を改めるまでは至らないものの、ひとまず保留にはしておく。
アークも応じて名乗り、同行者をざっくりと役割だけで紹介する。ルビアたちのことは謀殺未遂があったので対抗策として雇ったと説明した。
「あぁ、さっきの『揺らぎ』はそれか。君が無事だということは、ボクの提案はちゃんと通ってたのか。コストがー、とかって騒いでたけど、さすがに安全性を優先してくれたんだね。なによりなにより」
にこにこ笑っていたラピスだが、
「いえ、それが……お父様が採用されたのは次善の方でして……」
しゅん、としおれるロスマリヌスに、顔色を変えて摑みかかる。
「待て。待て待て待て。じゃあなにかい? 君の父は金をケチってボクの弟を死なせるところだったと? ボクがあれだけ危険を指摘し続けたのに?」
ひぅ、と怯えて言葉も出ない様子の子どもに、アークはため息をついて兄を止めた。摑んだ肩をポンポンと二度ほど叩いて、
「兄上、大人げない。御覧の通り私は無事です。かすり傷……は、負いましたが、既に治療済みでしす」
「ケガをしたのかい!? どこを? いったいどこを?」
「だからもう跡形も無く治っています。だから近い」
アークは兄の顔面を掌で押しのける。
「あれ、でも待って。二重防壁が採用されてなかったなら、あっくんはどうやって助かったんだい?」
小首を傾げるそのしぐさを見ていると、どちらが兄かわからなくなる。この兄は、本当に昔から変わらない。
アークは応えて、視線でアルを示した。
「彼の侍獣が水蒸気爆発で海水と鍵になった水中馬車を押し返してくれまして。こちらへ向かう爆風は彼自身が燃やしてくれましたよ。まったく、でたらめにもほどがありますね」
「うっわ。アルのでたらめを見ただけで理解できたんだ」
ルビアの連れの金髪がそんなことを言うが、アークとしては『理解しがたいことだがそうとしか考えられない』というだけだ。断じてあのでたらめを理解などはしていない。
ちなみにアルの「お前らヒトのことをでたらめでたらめって……」というぼやきは満場一致でスルーされた。黙れでたらめ。
ラピスだけは真正直にアルに感謝を告げて頭を下げて、逆に彼を慌てさせていたが。存外褒められ慣れていないのだろうか。
「……それで、結局、何がどうなって?」
金髪の治癒術師の問いに、小首を傾げていたルビアがひとつ頷いた。
「んー……なんとなくですが、想像はつきましたよ」
あくまで想像なので、間違っていたら訂正してくださいね、そう前置いて、ルビアの想像が語られる。
国家機密盗難からの流れは、だいたいアークの考えと一致していた。
それから、第一王女との婚約が決まったのがいつかはわからないが、ふたりのやり取りを見るに、昨日今日のことではないと思われること。
ここまではアークにも推察できたことだが。
「失礼ながら、ロスマリヌス姫殿下のお立場はこの国では極めて低いのでしょうね。髪色が理由でしょうか?」
言われた王女は弾かれたようにルビアに視線を向け、言葉を失くして立ち尽くしていた。彼女の代わりに、というわけではないが、アークが問う。
「何故、そう思うのだ?」
「彼女が第一王女だからです」
「……なるほど。」
少し考えて、アークは納得したのだが、他の者はそうではなかったらしい。「何がなるほど……?」と首をひねっている者も居るし、傍らに立つリオンなどは、なんとも情けない顔を向けて来ていた。
「第一王女という地位にありながら、護衛のひとりもついていないこと。優秀で、王族の出だとはいえ、廃嫡扱いとなっている上に重犯罪者である兄の婚約者にあてがわれたこと。
ルビアが予測した髪色というのは、国号の色彩と大きく異なる、という意味だ。おそらく更に下の子や、男兄弟にはより青玉に近い色彩の者が居るのだろう」
「……えぇ。まさしくその通りですわ。3年前に生まれた弟が、それは見事な青を生まれ持っており、その日の内にわたくしの婚約が決定されました。
ずっと海藻みたいな色だと、皆から陰口を叩かれていることは知っておりましたので、王位継承権が移ったのにはむしろホッとしたものですが。何よりラピス様は、この髪を綺麗だと言ってくださいましたし」
疲れたような笑みは、言い終える頃には幸せそうなものに変わっていた。未来の旦那がキョトンとした顔をしているのが、なんとも残念な感じだが。
……きっと、他意など一切なかったのだろう。あの研究バカは、本当に言葉のままの意味で言ったのだ。
まぁそれでも、綺麗だ、と思ったのは紛れもない事実であるわけだし、彼女にはせいぜい今の恋人からの略奪愛に励んでもらいたい。アークとしても、兄の婚姻が幸せなものであるのに越したことはない。
「けれどその立場もまた変化しますね」ルビアが言い、
「そうなるだろうな」アークが応じる。
「……あの、意味がわからないのはわたくしだけなのでしょうか?」
「あー、だいじょーぶだいじょーぶ、ボクも意味わかんないから」
このふたりが夫婦になって大丈夫なのか、と思わないでもなかったが。
「今回の謀殺未遂で、事前にそれを予見し、且つ対策も立てていた兄上の価値は更に高くなったということです」
「アーク王子が此処に通された、この事実が証拠ですね。国家単位でより密接な付き合いを望んでいるのでしょう。そうなれば、両国の王族同士の夫妻は重要な位置を占めるでしょうから」
自分が適当な王族と婚姻関係を結んででも、などと考えていたアークだったが、それは無用のこととなったらしい。
幸い、と言って良いのだろう。このふたりを見るに。
濃ゆいキャラ、してるだろ。嘘みたいだろ、モブだったんだぜ、コレ。
そんなわけでやったら濃厚になった第二王子のラピスラズリさんです。本人濃い上にロリの婚約者居るとかヤベーなコイツ。
不穏さを積み上げておいて、実はもう終わってました、ってオチ、前にもやりましたね。飽きられて「いつもの」とか言われないように気を付けないとですね。
とりあえずこれで一段落です。海中都市感が薄かったので、後でお買い物回もやるとは思いますが、一旦サイドチェンジ……の、前に、ルビアママ&パパの閑話でも挟もうかと思ってます。