第110話 封印
前回のあらすじ
王子一行に加わったルビア達は、幻の第八層へ……
緑髪の少女が掲げるランタンの明かりは充分とは言い難かったが、ふたり並ぶのがやっとの狭い空間では、最低限と言う程でもなかった。
付け加えると、今は二体の侍獣も光源になってくれている。
「第八層……」「本当にあったのか」「しかし、何故……」
口々に呟いたのは王子の随員たちだったが、アビーも同じ気持ちだった。
かつん、と足音を響かせて一歩を踏み出したアーク王子は違ったようだが。
隣で窮屈そうにしている赤髪の大男は、きっと何も考えていないだけだろうが。
振り仰げば、こちらの頭脳も何事も無い顔をしていた。
……ついでに言うと、隣に立つ太初の炎も。
「王子とルビアさんにとっては予想通り、ということですか?」
アビーが問えば、先頭と最後尾のふたりは軽く視線を……交わそうとしたのだろうが、間に12人もいたせいで叶わず、苦笑していった。
「上に繋がっている様子はなかったからな」
「だったら下しかないですよね?」
――うん。その理屈はわからない。
表情に出てしまったのか、ルビアがため息をついた。
「物置小屋のような場所に、王子が率いる使節団を連れて来るわけがないじゃないですか。なら、此処はただの入口だとしか考えられない。
で、上に繋がっていないのだから――」
「下、というわけですか。だから戦闘要員に警戒を促した、と。」
「ついでに言うと、閉じ込められたり襲撃を受ける可能性も、限りなくゼロに近いとはいえ、皆無ではなかったので。不意を突かれなければ、彼らなら対応可能でしょうし……ただの鉄の扉くらい、アル君なら軽く熔かせますしね」
言われてみれば納得はできるのだが、ここを見ただけでその結論にたどり着くことは、アビーでは到底不可能だ。
成人したてのルビアといい、12、3にしか見えない王子といい、天才というのは居るところには居るものだ。そんなアビーの考えが伝わったわけでもないだろうが、階段を下り始めた王子がこんなことを言った。
「ところでルビア、お前は自分以外の他人のことを、救い難いほどに愚かだと思ったことは無いか?」
ひどい言い草ではあったが、少なくともアビーなら、このふたりにそう言われれば強く否定することはできない、というのが正直なところだ。
ルビアの返答には、少し間があった。
「……ヤなこと思い出させますねぇ。
はい。ありますよ。ひとから指摘されるまで、まるで自覚していませんでしたけど……昔――というほど昔でも無いですね、少し前……『彼』と関わるようになる前の私には、そういう無自覚に傲慢なところがあったと思いますよ」
少し、意外な答えだった。
もし仮に、アビーにルビアほどの才覚があれば、こんなふうに言えただろうか。いいや、きっと才に驕り、他人を見下していたはずだ。
或いは、それだけ『彼』というのが優れた人物だということか。
「――今は違うのか?」
「今は……そうですね、自分もたいがいだと思っているので」
内容だけなら自嘲めいた言葉を紡いだ唇は、しかし誇らしげな笑みを刻んでいた。彼女が何を以て自身を愚かと言うのかはアビーにはわからないが、そこに想い人が関わるのだろうことだけは想像に難くなかった。
それに、とルビアが続ける。
「今一緒に旅をしている皆はそれぞれの専門分野においては優秀なひとばかりですからね。アル君は言うまでもないでしょうし、ダリアだって侍獣持ちです」
「いやいや、戦士としてはもうひとりの坊主も相当なものだろう」
リオンがスピネルを振り仰ぐのに――飛び抜けて大きい彼の視線はしっかり通った――ルビアは肩を竦めて応じた。
「さすが、良くおわかりで。
メアリーの治癒術は体験済みですね。あと、展望ラウンジで使った術具はルッチが作ったもの、と言えば彼女の優秀さもわかるでしょう。
……それと、そこで他人事みたいな顔してるアビーも、まっとうな商取引なら私よりもよっぽど巧くやりますし」
思わず体ごと振り向いてしまい、隣を歩くダリアに腕がぶつかった。すぐ後ろを歩いていたルッチには体ごと激突する。そんなふたりの抗議の声も、今のアビーの耳には入らなかった。
「なんて顔してるんですか」ルビアが優しく苦笑する。
「だって……私がルビアさんより上、なんてことはないでしょう」
「状況によりけりですよ。所詮私は悪知恵が働くだけですので、イレギュラーさえなければ、経験を積んだ貴女の方が上ですよ」
苦笑交じりではあったが、彼女に認められていたという事実に目が潤む。
「ルビア先生……」
「だから先生はやめなさい。」
旅の仲間たちの視線は生暖かかったりしたが、王子一行には何故かウケていた。
「自慢か、結局のところ。」王子がため息をつけば、
「自慢です。徹頭徹尾。」ルビアが良い笑顔で答える。
「足元。お気をつけくださいませ」
案内を引き継いだ少女が、少しばかり尖った声で言うのに、王子が肩を竦めて正面に向き直る。そのまま、背中越しに言った。
「では私からも兄の話をしよう。
この国でやらかしてくれた兄だが、昔から突飛な行動ばかりでな。兄と居る時だけは退屈しなかった。そういえば、私に与えられた玩具は全てが兄の手作りだったかな」
気をつけろと言った当の少女が、背後を振り向いて足を滑らせ、リオンの太い腕に支えられたりしていたが。
どうやら王子は、最初からこの話がしたかったらしい。
……とはいえ。
「――待ってください。その方が虜囚となったのは、10年は前の話では……?」
「なんだ知っていたのか。そうだ、10年とちょうど3か月になる」
「……遊んでもらったというのは、お幾つの頃の話なのでしょう?」
「2歳5か月と12日が最後だな」
……とりあえず、王子の御年が12歳だということはわかった。
天才にとっては普通のことなのだろうか、とルビアに視線を転じれば、苦笑と共にかぶりを振られた。
「さすがに2歳当時の記憶なんて無いですよ」
「なんだ、ルビアでもそうなのか」少し驚いたふうに、王子が言う。
「私をなんだと思っているんでしょう。結局のところ一般人ですよ、私は。友人のように、生まれながらの特別なんて持ってないです」
「……え、オレ?」
直前まで他人事だと思っていたのだろう、アルが目を丸くして自分を指差す。
「アル君は生まれつきでしょう、その色。」
なるほど、天賦の才、ということであれば、彼こそがそうだった。改めてアビーは、とんでもない面々と旅をしているのだと自覚する。
「――あぁ、そゆこと。だけどオレには2歳とかの記憶は無ぇぞ?」
「そりゃ、アル君は火ですから。水のアーク王子とじゃあ、できることが違って当然でしょう?
で、その天才王子が誇る、自慢のお兄さんが今回の目的だと。」
「手放しに誇れるだけの存在で無いのが困りものだがな」王子が声に苦笑をにじませ、直後には強い意志を籠めて宣言する「が、必ず連れ戻す。兄の才は無為に腐らせて良いものではない」
「それでしたらご心配には及びません」
案内役の少女が振り向いて言った。
その傍ら、階段を降り切った先にはまた扉があった。いや、また、というのは語弊があるか。これこそが『扉』であり、これと比較すれば上にあったものなどはただの蓋に過ぎない。
少女が取り出した小さな鍵をはめ込むと、錠が外れたのが視て取れた。
「精霊錠!? うわぁ、実物は初めて見た……」
興奮して錠の部分に顔を近づけた技術屋が誰なのかは言うまでも無いだろう。
背後から視線を感じて振り向くと、アルが首を傾げていた。
「精石を鍵の形に削り出し、基部と一対で『鍵』として用いる、世界で最も強固な封印です。凶悪な犯罪者の収監施設や、王族の私室などに使われているようです」
ここ最近、解説役が板についてきた感のあるアビーである。
削りだしてはめ込むだけなら別に鍵の形でなくても、と思う者もいるかもしれないが、『鍵』として使用するにはこの形こそが最適なのだ。ひとがそれを目視して『鍵』であると認識する形状こそが、それを『鍵』であると定義し、それがはまっていなければ施錠状態にあると確定される。
元がひとつの精石であるので、鍵の複製は不可能。同じ色の精石を同じ形に削ったとしても、開錠は不可能であることが確認されている。
「アルなら壊せるかもしれませんけどね」
「ま、可能不可能で言えば可能でしょうね。まずさせませんけど」
冗談のつもりで言った言葉に、まさかの即答がルビアから返る。
「……可能、なんですか?」
「そもそも緊急時には破壊することが想定されているでしょう。だから、別にアル君でなくても壊せますよ。そうですね、壊すこと自体は、少し腕の立つ戦闘職ならできるはずですよ。
――ただ、強引に力ずくで壊すことしかできないので、目立ちますし消耗も激しいです。そこへ人海戦術でも仕掛けられると厄介ですから、私がアル君に頼むことはまずないですね」
目の付け所が違う、とアビーが感心していると。
扉の横では、思わせぶりなセリフを思いっきりスルーされた少女が全力でむくれていた。
――なんかごめんなさい。
なんか身内自慢してたら一話終わってた。えぇと……い、一応、王子兄の話は出ましたし? よ、予告詐欺じゃないですし?(言い訳)
でも真面目な話、ルビアちゃんが仲間をどう評価してるのか、って話はどっかでやりたいとは思ってたんですよ。自己評価が低いとか、どっかのハル君に似てますね。低さの方向性はかなり違いますが。
ちなみに。精霊錠ってルビ振ってたんですが、逆にダサい気がしてやめました。
次はいよいよ扉の先に進みます。次回(こそ)「元王族の研究員」お楽しみに。