第109話 招かれた先に
前回のあらすじ
王子のお兄ちゃんがヤベー奴だった。
そちらの交渉は手伝わないとルビアが告げると、アクアマリン王子は苛立ちを隠そうともせずに「無論だ」と返した。
「本来の目的を果たすのに、偶然行き会った他人の手を借りようなどとは思わん。私がお前たちに頼みたいのは、イレギュラーへの対処だ。
――まさかあのような手段で私の命を狙ってくる者がいるとは想像もしていなかったのでな」
「失礼を」意図せず侮辱する形になってしまったようなので、ルビアは素直に謝罪した「お詫びの代わりにひとつ助言を。人間の悪意には限りがありません。その事実を、心の隅にでも留めておけば不測の事態での対応力が上がりますよ」
ためになることを言ったつもりなのに、何故か王子には微妙な顔をされた。解せぬ、と内心首をひねるルビアに、少年はため息交じりに吐き出す。
「……お前はその若さで、いったいどんな経験をしてきたのだ?」
ん、と指先で軽く唇に触れて考える。
「そうですね……命を狙われたり、奴隷商に狙われたり、叛乱に巻き込まれそうになったり、あとはあの血色の道化の計画をひとつ潰したり――いや、物騒な世の中ですね」
改めて考えると、何事も無かった国の方が稀な気がする。どこの国も安定とは程遠いらしいと、ルビアが世界情勢を憂えていると、なにやら湿り気の強い視線を感じた。
「……いや、物騒なのはお前の周辺だけではないのか?」
「いやそんなまさか。命を狙われたのは貴方と同じでメアリーの立場によるものですし、奴隷商に関しては血筋が原因で、叛乱は主にアル君が騒動を見過ごせなかったからで、件の血色の道化の件はルッチが異変に気付いて……」
「――血筋は百歩譲って仕方ないにしても、他は個人が原因の気がするのだが?」
――言っている途中で自分でも気づいたことをわざわざ言わないでほしい。
人災ではないので除外した禍炎の国でのあれこれはアルの色彩に端を発しているし、余人に聞かせられない聖炎騎士団との対立は言うまでもなくウィルムハルトの無彩色が原因だ。
「……いやぁ、尖った才能の持ち主には、トラブルが付いて回るんですねぇ」
「うん。ルビア、鏡見よ?」メアリーが失礼なことを言う。
「いやいやいや、私はそこまで尖っては……」
言いさして思い出すのは、アルしか知らない聖炎騎士団との一件。教会の騎士相手に『ふざけるな』と咆えるのは、どう考えても尖っている。才能ではなく、生き方が。それはもう、刺さればひとが死ぬレベルで。
ルビアにできたのは、ごまかすように笑うことだけだった。
報酬に関する話がまとまると、何故か王子の随員が例外なく渋い顔をしていた。
「娘、お主、容赦がないな」
全員を代表するようにうなったのは、赤銅色の鬣の獅子だ。
「なんでです? 良心的を通り越して、もう奉仕価格だと思いますが……」
そう、基本報酬は一般的な護衛の最低ラインを下回るほどなのだ。これはあの血色の道化がまだ何か仕掛けているであろう可能性が極めて低いと考えられたからであり、もしルビアたちも王子たちも知らない別の要因があった場合に備えるという、ただの保険に過ぎないからである。
「なにもなければ、そうだな」
王子までもが苦笑する。
「私たちの助力が必要になるくらいの『なにか』があった場合は、あれくらいもらわないと割に合いません。太初の火を安売りはできませんよ」
仕事をすることになった場合の追加報酬に関しては……まぁ。容赦がないと言われても否定できないかもしれないという気がしないでもない。
「太初の火……」
眉を顰めた随員のひとりを、王子が一瞥で黙らせる。その視線には、隠す気も無いのであろう侮蔑が込められていた。
水を燃やし、風を燃やした火を侮るのなら、その者は無能と言わざるを得ない。
「ほほぅ、その坊主はそこまでの者なのか!」
この中ではアルの仕事を唯一目にしていないのに、素直に関心できるリオンとは大違いである。
「そうだ、訊こうと思ってたんですよ。どうして貴方は、良く知りもしないアル君を信じて託すような行動を取れたんですか?」
ルビアにはそれがずっと疑問だったのだ。自身が水に呑まれることも厭わずに、全員をアルに託したのは何故か。
「うん? 決まっているだろう。その坊主が唯一、迷わず行動を起こしたからだ。一瞬の躊躇も無くこちらに駆けてくるのは、何か打つ手があるのだろうと、手が届きさえすれば護れるのだろうと思った。だから任せた。それだけのことだが?」
実際護ってくれたようだしな、と大男は歯を見せて笑った。
その気持ちの良い笑顔は、なるほどアルの同類だと納得させる。
そこで、迎えの者がやって来た。着いて早々で悪いのだが、早速元第二王子に関する話がしたい、と。戦闘特化であろうリオンとダリア以外は、例外なくこれを訝しんだが、先の事件にも関係する話だ、と言われてしまっては拒絶は困難だ。
王子に視線を向けられたルビアは頷き、アルを目で示した。即座に意図を察し、リオンに彼を背負わせると、全員で移動を開始する。随員の増員について問われるのには、不測の事態があったので臨時で雇ったと、王子が短く説明する。
「そう言えば、なんとお呼びすれば?」ふと思いついてルビアが問えば、
「王子で良い」水色の少年が答えて言う「アクアマリンという名は嫌いではないのだが、前後どちらを切り取っても女の名前のようになるからな。呼ぶならば全て、長ければ王子とだけ呼べば良い」
「なら彼に渾名を考えてもらいますか?」
言ってルビアが視線を向けると、ちょうどアルが大あくびをして目を開けたところだった。ぱちぱちと目を瞬く彼におはようを言えば、おあよう、と返される。
「……なんでオレ運ばれてんの?」
「おぉ、坊主、起きたのか」
リオンが嬉しそうに笑い、アルを降ろす。肩に乗っていた赤い仔犬がすり寄ってくるのをくすぐったそうにしながら、ルビアたちの最大戦力はまだ寝ぼけている様子で周囲に視線を廻らせる。
「うおっ、アレ馬車か!? ここって海の中だよな?」
「まぁ、七層ともなるとそれなりに広さがありますからね。徒歩だけじゃ移動が大変なんでしょう。一応引いてるのは普通の馬みたいですが、ウチのみたく半ば眷属化してますね。こっちは水馬の、ですが」
宿の部分は既に抜け、今は市街地に出ている。建造物の大半が天井と繋がっており、都市自体の柱も兼ねているようだ。案内人によると、此処にあるのは全て公共の施設なのだという。
ちなみに目的地まではさほど距離が無いとのことで、ルビア達は歩きである。
「ところでアル君、アクアマリン君に渾名をつけるとしたら?」
「うん? アクアでもマリンでも女っぽいな……リンとか?」
脈絡無い問いにも、疑問を返さずにまず返答するところがアルの良いところだ。ルビアやアビーではこうはいかない。
「多少はマシになったが、それでも女の名だな」王子が言い、
「じゃあアークで」アルが返した。
くっ、と王子が吹き出した。
「なんだそれは、ほとんど原型をとどめていないではないか」
言葉だけは否定的だが、言う王子は実に楽し気だ。
「お前がアクアマリン? 気に入ったか?」
アルの言動にルッチが顔を青くしていたりしたが。
「あぁ、そうだな。若君、などと呼ばれるよりはずっと良い。
お前たち、今後非公式の場では私はアークだ」
当人は無礼な物言いを気にした様子も無く、随伴の者たちに告げていた。先程王子が見せた冷たい視線効いたのか、アルに敵意を向ける者は居なかった。
「あ、アル君、その子王子様ですよ」ルビアが一応指摘すると、
「ぅえぃ!?」アルがおかしな声で鳴いた。
さすがの彼も、王族には多少気後れするらしい。
ルビアたちが案内されたのは、物置小屋のような極めて小さな建造物だった。当然というべきか、天井には接していない。大半の者が不可解や不快をその表情に表す中、ルビアとアーク王子は視線を交わし、緊張を共有していた。
「リオン」「アル君、スピネル君」
ふたりが呼んだ名で、他の者からも弛緩は消えた。状況は理解できないまでも、警戒すべきことだけはわかったのだろう。
ルビアの、そして王子の想像が正しければ、コレは入り口だ。
「どうぞ、お入りください」
案内の者が扉を開くと、その先にはひとりの少女が待っていた。波打つ濃い緑の髪をした、アーク王子と同程度の年齢に見える幼い少女だ。
「ここから先は私が案内致しますわ」
舌足らずな声で、妙に丁寧に言った少女に続き、まずリオンを従えたアーク王子が、そして他の者たちを先に行かせ、最後にアルを伴ったルビアが扉をくぐると、それはすぐに閉ざされた。
「落ち着け」
ざわざわと動揺の声を上げる随員たちを、アーク王子の冷静な声が窘める。
「別に閉じ込められたわけではなく、この先にあるものを隠しただけでしょう」
ルビアがそう補足した。
先頭を行く少女が古びた鉄の扉を開ければ、その先にある階段がランタンの光に浮かび上がる。
――噂、だ。
全七層の海中都市には、実は隠された第八層があるという、噂。
ランタンが照らす下に、隠されているものは、なんだ?
予定してたところまで行かなかったので次回に続きます。移動だけで……って、これ一章の時にも言った気がしますね。
次は王子兄のお話です。