第106話 暗躍するのは……
前回のあらすじ
海に呑まれかけた。
抗った。
なんか気が付いたら解決してた。←イマココ
「結局のところ、何がどうなったんです?」
その場に居た全員の疑問を代弁したのはスピネルだった。
視ることにのみ集中していたルビアと、周辺警戒を優先していたスピネルを除けば、ほぼ全員が疲労困憊だった、というのもある。『ほぼ』の例外であるダリアはまだ委縮しているし、そもそも難しい話をするときに彼女は使い物にならない。
答えを持つであろうルビアは、指先で軽く唇に触れて、僅かな思案の間を置いた。考えているのが答えそのものではなく、何から答えるかであることがスピネルにもなんとなくだがわかった。
本当に難しい問題を思案する時、彼女はいつからか唇ではなく髪飾りに手を遣る癖がついていた。先ほどもそうだったように、編み込みに添えるように飾られた、紅姫竜胆の髪飾りに。
「結局のところ、最初に紅蓮君が起こした爆発で問題は解決していた、ということですね」
「――はぁ!?」
と、声を裏返らせたのはアルだ。荒い息をついていたところだったので、声を上げた直後盛大に咳き込んでいる。
……まぁ、気持ちはわからないでもない。解決までの時間を繋ぐために打った一手目で、事態の全てが解決していた、などと言われては、思わず頓狂な声も出ようというものだ。
「荒っぽい手を取ったおかげで、偶然起こった結果ではあるのでしょうが。まぁ、そのせいでありもしない綻びを探して皆の消耗が酷くなったとも言えますが……死者が出なかったので結果オーライとしておきましょう」
「オイ待てよ、ルビア」アルが珍しく、険しい目をルビアに向けた「死者は……」
「――出てませんよ」
言葉を遮り、ルビアはアルの傍らを通って水際に立ち、そこでくるりと振り返る。まるでそれが合図だったかのように、すぐ隣の境海面を割って水馬がが現れた。地上と水中、双方に属する水馬の体は、地上にあっては湿り気すら帯びてはいない。
ただ、その背に在る人間だけが、海水を滴らせていた。
跨っているわけではなく、ぐったりと横たわっており、獅子の鬣を思わせる赤銅色の髪もしおれてしまっている。意識すらも無いようではあったが、生きていることだけは少し眼を凝らせば明白だった。
死体に精霊は宿らない。
「……はは、なんだよおっさん、無事、だったのか……」
安心して気が抜けたのだろうか、言い終えるとアルは意識を失った。
彼に縋りついていた女が、慌ててのその身を支える。
「この子が彼を咥えて下へと潜って行くのは視えていました。アル君が衝撃を上に逃がそうとしているのがわかったんでしょう、賢い子です」水馬の首をそっと撫でてルビアが言う「既に海の中だった他の海中馬車も、他の水馬が巧く衝撃をやり過ごしてますよ。派手に揺さぶられて、乗り物酔いくらいしたひとは居るかもしれませんが、今回は随分水馬に助けられましたね」
床に顔をぶつけて鼻血を出していた少年を治療する手を止めて――実際のところ既にほぼ完了していたが――メアリーはアルと水馬の背の男とを見比べた。
治療に関して、彼女が迷うとは珍しい。
「アルは暫く休ませておけば大丈夫ですよ。久しぶりですが、今までにも何度かあった霊力の枯渇ですから。それよりも、溺れていた彼を診てあげましょう」
そもそも枯渇するほどに全力を振り絞れること自体が稀有な才ではあるのだが……色彩そのものが稀有どころではないアルだと当たり前に思えてしまう。
メアリーの手を取って立たせる。
スピネルはずっと彼女の傍らに居た。おかしな動きがあれば、いつでも少年の首を刎ねられる位置に。それがどれほど低い可能性だったとしても、味方だと確定していない存在が敵であった場合に備えるのはスピネルの役割だ。
火力においてはアルに劣り、ダリアにも劣り。
知力においてはルビアに劣り、アビーにも劣る。
ならばせめて、対応力くらいは勝らなくては立つ瀬が無い。
アルが聞けば、考え過ぎだと笑うだろうか。けれどルビアであれば、一分の理は認めてくれるはずだ。
――だからこそ、ふたりに知られることがあってはならない。
どこまでも真っ直ぐなアルは知るべきではないし、ルビアの思考力はもっと自由であるべきだ。適材適所、というやつである。
水馬の背から意識の無い男を降ろし、容体を診始めたメアリーを視界からは外さずに、スピネルは全体を見る。
ダリア、アビー、ルッチはひとかたまりになっている……というか、ダリアがふたりに引っ付いている。あんな様子ではあるが、攻撃を受ければ少なくとも侍獣が反撃するだろう。単純な戦力としてならば、彼女らはスピネルよりも上である。
気絶したアルには紅蓮がついているし、ルビアの傍らには何故か彼女に懐いている様子の水馬が居る。
――とりあえず、動きは無い。
警戒し過ぎだ、と笑うならば、その者は能天気に過ぎる。今回の事態を、悪意を以て引き起こした何者かが存在することは確実なのだ。それなのにどうして、悪意がこれで終わりだなどと言えよう。
「あの、ルビアさん? それで、いったいどうして解決したんです?」
重ねて問うたのはアビー。彼女は知識に関してはスピネルよりも貪欲だ。
ちなみに例の水色の少年は、顔面で着地した時の鼻血がまだ止まらないようで、ふくれっ面でハンカチを押し当てている。
「事態が起こった契機を考えれば明白ですよ。こんなに時間がかかった私はまだまだ未熟です」
などと、この場で唯一真相を理解しているであろう少女がのたまう。
「そうか、海中馬車!」
声を上げたのは宿の従業員のひとりだった。
「そういうことです。本来水馬が勝手にやってくれるはずの海中馬車を着ける作業がもたついたのは何故か――それは馬車自体に異変があったから、なのでしょう。
けれど御者の腕が良かったのが災いして海中馬車は到着してしまい……あの事態が起こった。解決したのは最初の爆発で差し込まれた鍵が抜けてしまったから、そう考えるのが妥当なのではないかと」
鍵――即ち、術式の起動キーとして用いられた、貴族たちの乗った海中馬車だ。
ここから先は私の推測を多分に含みますが、そう前置いてルビアは続けた。
「海中都市は其処が大地の領域であると精霊術的に定義することで海との隔たりを造っているのではないでしょうか。そして海中馬車は、馬車を海の一部だと定義づけ、搭乗部分を空気の膜で覆うことで海中航行を可能にしている……
では、馬車を着けた時は? 馬車を海中都市の一部と規定することで、文字通り接続しているのではないかと私は思うのですが……この時、馬車の水中航行術式が解除されていなかったら? 元々此処は海の中です、本来地の領域であることの方が不自然ですから、馬車を触媒として使えば境界面を消すことも難しくないのではないでしょうか」
理屈としては、納得できる。術的に不自然を創り出すよりも、自然な形に戻す方が容易だ、ということだろう。
「……ですが、そんな細工をされて気づかないものでしょうか?」
アビーが反駁する。都市と海を隔てることは、海中都市の命脈そのものだ。当然、海中馬車もその整備には細心の注意を払っていることだろう。
「気づくでしょうね。それが出航前にされた細工なら。」
「――待ってください。自分の乗った海中馬車に細工したと……? そんなの、自殺行為じゃないですか!」
アビーが悲鳴じみた声を上げた。確かに、ルビアの言う通りだとすれば、それはひとつの都市を対象とした無理心中だ。
「――その通りですね。実行犯が、全てをわかった上でやっていたのだとしたら」
――実行犯は、こうなることを知らなかった……?
はっ、とスピネルは息を呑んだ。情報の一部をわざと誤解を招くような形で伝え、自身にとってのみ都合良い実行犯を仕立て上げる――そのやりくちに、何処かで見覚えが無かったか。
目が合ったルビアが頷く。
「はい。私もスピネル君と同意見です」
一歩、二歩。靴音を鳴らして前へ進み、ルビアはその人物の肩に手を置いた。
「ねぇ、貴女を唆したのは、血のように赤い髪をした男ではありませんか?」
身を屈め、その耳元に囁きを。
それはさながら、毒の懐剣をそっと突き立てるかのようだった。
また引いてしまったので更新頑張ります。
次回「動乱に幕引きを」(仮)お楽しみに。