第103話 海中を駆ける
『船』の外観に変更があります。丸くなかったひとは再読推奨。
「うわわっ! 溺れる!」
完全に『船』が没すると、ダリアが悲鳴を上げた。その影響を受けてか、火の鳥がばっさばっさと狭い空間を飛び回る。
一応、『船』から飛び出さないだけの冷静さは残っているようだったが。
今、ルビアたちは海の中に居る。より正確に言うならば、更にその中の、術的に閉鎖された空間の中に。精霊術で構築された空気の膜を含めて完全な球形となった『船』は、水馬種の精獣に引かれて海の中を走っている。
――あー、最低限は説明しとくべきでしたか。
などと、ルビアが呑気に構えていられるのは、アルが居るからだ。
ダリアと同じ火の色彩を持つ彼は、『船』が潜行を初めても一切慌てることなく、初めての景色を見た少年のように――いやそのままそれか――目を輝かせていたのである。
全周を水に取り囲まれた火でありながら。
一切危険の無い状況だと証明するように、アルの方の侍獣である紅蓮は、中央の座席に積み上げられた荷箱の上に寝そべってゆったりと尻尾を振っていた。
「落ち着けって」
恐慌をきたしているダリアの肩を、アルは気軽にぽんぽんと叩いていたりする。
「落ち着く!? 落ち着くってどうやって!? だって水が! 水がこんな!」
胸に飛び込んできた侍獣を抱きしめて叫ぶのに、アルはこともなげに返す。
「水だろうが何だろうが、最悪燃やせばいいんだろ?」
とんでもない暴論である。
とんでもない暴論なのだが、彼の場合、それを押し通せるだけの威があったりするのである。困ったことに。
いや、ダリアが少し落ち着いたのだから、別に困りはしないのか。
「……あのさ、アル。水蒸気爆発、って知ってる?」
意外なことに、と言っては失礼だろうか、反論は操車中のルッチから上がった。
呆れたふうでありながらどこか楽しげなのは、毛色の違う『馬車』のおかげか。
「知らね。なんだそれ?」
正直すぎるアルの反応に、ルッチはため息ひとつで前置いて答える。
「水の瞬間的な蒸発による体積の増大によって起こる爆発のこと」
……答えた、のだが。
アルが視線で助けを求めてくるのに、今度はルビアがため息をつく番だった。
「熱々のフライパンに水滴を垂らすと激しく弾け飛びますよね。あれと同じことが大量の水で起こると大爆発になるってことです」
体積が約1700倍だとかは言っても伝わらない気がしたので、要点だけを雑にまとめる。アルにはこれくらい雑な方がわかり易いだろう。
「つまりこっちに来る分の爆風も燃やさないと、ってことか」
――そうだけどそうじゃない。
ルッチが開きかけた口を閉じて苦い顔をしているのは、ルビアと同じことを思ったからだろう。つまり、この男ならやりかねない、と。
押し寄せる水と爆ぜ広がる爆風……燃やす難易度はどちらの方が高いのだろう。
「だからダリア、なんも怖がる必要は無ぇぞ? そこに確かに存在するのなら、オレの火は幽霊だって燃やせるさ」
自慢げですらなく、当たり前のことを語るようにアルが言うので、ダリアもいくらか落ち着いた様子だった。それでも『火』という存在として周囲を満たす水は怖いのか、ぎゅっとアルの腕にしがみついていたが。
「なんとも、頼もしい限りですね。このメンバーなら、特にルビアさんとアルがいれば、できないことなんて何もないのではないかと思えてしまいます」
荷物と紅蓮を挟んだ向こうから、アビーが気楽なことを言うが。
一瞬、アルの表情が苦し気に歪んだことにルビアは気づいた。なぜなら、彼女自身も同じ思いを抱えていたからだ。
それでも、ルビアはそれを呑み下すことはしなかった。
「私とアル君は、本当に大事な場面では何もできませんでした。だからこそ、こうして旅をしているんですよ」
改めて、自分自身に宣言するようにそう告げた。
――もう二度と、誰にも『彼』を怪物だなんて言わせない。
その場に居て何もできなかった自分と、その場に居ることすらできなかったアルと、より辛いのはどちらだろうか、などと考えかけた自分をルビアは嗤った。
不幸比べなど無意味だ。そんなくだらないことをやっている暇は無い。
確かに、アルは最強の剣と最強の盾を持っているのかもしれないが、それでも相手が世界そのものでは充分だとは言えない。海を干上がらせることはできないし、空気を焼き尽くすことだって不可能だ。
――そして、空に架かる虹を焼くことも。
彼の火だけでは足りないのだから、ルビアも微力を尽くすのみである。
「――すみません。失言でした」
叱られた仔犬のように――どうして親子そろって犬気質なのか――小さくなるアビーの謝罪を、ルビアは受け入れるのではなく否定した。
牙を剥くように、笑う。
「いえ。過去は過去として知っておいてもらうとして、これから先は、どんなことでもなんとかしていくつもりですよ。
ね、アル君?」
「おう。力ずくでどうにかなる部分は任せろ」
同じ最終目標を持つ友人は、獰猛な笑みで請け負った。
「ま、避けて通れるものからは逃げますが」
しれっととぼけるように付け足したルビアの言葉に、彼は「お前ね……」と肩をこけさせたのだった。
「あの危ないヒトを試金石に、なんて考えてもいないので安心してください」
ルビアの発言にピリピリしていたスピネルに告げて、視線を外側に戻す。
ちょうどすぐ近くを魚群が通り過ぎるところだった。魚鱗が光を反射して、宝石のように煌めく。おぉ、と感嘆の声を上げたのは誰だっただろうか。
「……なぁ、ルビア? これ、魚が中に飛び込んできたりしねぇ?」
潜水艇をかすめるように泳ぎ去った魚の群れを目で追って、アルが問う。
どう説明したものか、と短い思案の時間を挟んで、ルビアは見えない外壁に手を伸ばした。柔らかく、弾力のある不思議な感触が掌に伝わる。
「アル君も触ってみてください。あ、そっとですよ。思い切り力を籠めると突き抜けちゃうんで」
付け足した言葉に、おっかなびっくりという感じでアルが潜水艇を覆う空気の膜に手を伸ばす。
「見えないけど壁、ありますよね? それ、力入れたら突き抜けられるのは、精霊を多く宿した人間だからこそで、普通の魚なら精霊術の壁は避けて通りますし、仮にぶつかったとしても弾かれます。
まぁ、偶然ぶつかった上、たまたま進入角度が最適だったせいで飛び込んでくる、という事故も皆無ではないそうですが、馬車で野生動物を撥ねる可能性よりも低いんじゃないですかね」
普通じゃない魚に関する説明を、ルビアは意図的に省いている。精霊を多く宿した魚について言及すれば、精霊を多く宿した獣、いつぞやの水色熊のことをこの優しい乱暴者は思い出さずにはいられないだろうから。
そもそもその手合いはこのあたりには居ないだろう、というのもあった。この『海道』の安全はサファイア王国の海中騎士団が確保しているという話だから。
精石により空気を作り続け、水中での呼吸を可能にした兜――これも国家機密だ――を被り、水馬で海中を駆けるかの騎士団は海においては無敵と名高い。
豊かなサファイア王国を狙って船で攻め入ろうとした隣国は、船底に海中からの攻撃を喰らってまともに戦うことなく敗走。水中戦力を揃えて再度挑むも、練度・装備の差でまるで相手にならずに完敗。
かくて海はサファイア王国の領域となった。
領土欲を持たない――水中で無敗の騎士団で陸上に上がる愚を犯さない、だろうか――サファイア王国は、周辺の海といくつかの小島のみを領地とし、戦争(?)相手とも和解し現在に至る。
ちなみにこの和平の仲立ちをしたのが他でもない『教会』であると、教会史に詳しいメアリーは語った。
……実はルビアも本で読んで知っていたのだが、空気を読んで黙っておいた。
「それとさ、今更なこと聞いていいか?」
「なんでしょうか?」
「――あの馬、ナニ?」
アルが指差したのは、この船――或いは馬車?――を引く馬の姿をしたものだ。
「水馬ですね……って、ほんとに今更ですね」
「いや聞くタイミングがなくて……」
「まぁわからないでもないですが」と、ルビアは苦笑する「精獣の姿や能力は個体ごとに固有のものですが、ある程度の分類わけはされてますよね」
「……そうだっけ?」
アルが首をひねるので、ルビアは一番わかり易い例を挙げてやることにする。
「例えば龍」
種々様々な固有能力を有する龍種だが、その姿形によってひとまとめに『龍』と呼ばれている。あそこまで多様なのは龍種だけだで、或いは各属性の頂点こそが『龍』と呼ばれる存在なのかもしれない。
「細かな能力は各個体によって様々でしょうが、ひとまず馬の形をしていて、水中を走る精獣のことを総称して水馬と呼んでいます。他には鷲獅子種、天馬種なんかが有名でしょうか。どれもがひとに友好的で、侍獣の契約を介さずに寄り添ってくれる希少な精獣ですよ」
そんな話をしていると、街明かりが近づいてきた。御者の腕の違いだろうか、先行していたはずの例の貴族らしき少年の乗った『馬車』といつの間にか並走していた。このまま行くと追い抜いてしまいそうだ。
「なんだ、アレ……」
呆然とアルが呟く。期待通りの反応に、『アレ』を知っていた者たちが笑みを浮かべる。この驚きは、何も知らない者でなければ味わえない。
進行方向に、『街明かり』が見える。海中を往く『馬車』の、進行方向に。
「街ですね。サファイア王国王都サファイア・シティ――通称、水底の青玉。精霊術なくしては成立し得ない、世界唯一の海中都市です」
形状がわかりにくいと言われたのと、あと単純に地味だったので、よりファンタジーな感じにリニューアル。
もうちょい先まで進めて引きをつくるつもりだったんですが、最近執筆ペースが落ちてるので引きはやめときました。
次回(今度こそ)「海の都」(仮)お楽しみに。