第12話 遠出と狩りと……
「次の紫の日って、シディさんなんか予定ある?」
そうアルが訊いてきたのは、森で絶影の話をした翌日、授業の後のことだった。
「月一の商談はまだ先ですから、特に何もなかったと思いますが……剣の稽古ですか? 父さんの剣は本来の術理とは外れているので、もう教えられることはほとんどないって言ってましたよ?」
「いやそうじゃなく……って、なにそれ。それも気になる」
首を左右に振り、かけて、ぐっと身を乗り出してアルは訊いた。
「父さんの剣術は、精霊術との併用が前提にあるので、まっとうな剣術は基礎しか知らないのだそうですよ。黒と赤では、同じ戦い方はできないでしょう?」
剣の術理は敵を知るために学んだのだ、とは言わないでおいた。平和なこの村で暮らす者には、人と殺し合う前提の剣術など、物語の中にだけあれば良い。
「それで、剣の稽古でないのなら、父さんになんの用です?」
「昨日言ってたじゃん、馬に乗りたいならルビアに頼め、って」
「えぇ、確かに言いましたけど……?」
「あの後頼んでオッケーもらった。ハルも一緒に行こうぜ」
――それはまたアクティブなことで……って、
「――はい?」
話がまるで繋がらず、ハルは間の抜けた声を漏らす。
「いや、えっと、なんで私も?」
「なんでって、一緒のが楽しいじゃん」
何を当たり前のことを、とばかりに言われては、二の句が継げない。
ただその後に続いた「ルビアはオマエのこと、少なくとも嫌っちゃいないしさ。ハルでも食べれるお弁当作るんだ、って張り切ってたぜ?」というのは余計だ。どう考えても、煩わしい相手の煩わしい反応を呼びそうで。
その彼も『少なくとも嫌われてはいない』だろうが。好きでも嫌いでもない、どうでもいいにカテゴライズされているであろうから。ハルにとって、アル意外の全員がそうであるように。
「そういうことだから、週末はルビアも交えて遠乗りな」
どうやら、そういうことになったらしい。
それからの五日間は、予想通りハルにとって実に煩わしい日々となった。この間のバースディ・パーティーに続き、また蒼緋衣が絡んでいるせいだろう、少年たちからのやっかみの視線が常に付きまとうのだ。
そのほとんどはアルに向けられたものだったが、一緒に居ることが多いハルには誤差の範囲だったし、誰よりも凄い形相で睨みつけてくる緑翡翠の視線は、明確にハルに向けられていたので、無視するのも一苦労だった。
そして紫の日当日。夜明けとともにアルがやって来た。
「……また眠れなかったんですか?」
あくびをかみ殺しつつハルが問えば、
「いや、それもあるんだけど、こないだ聞き忘れたことあったから」
心当たりが何も無く、首をひねって「何でしょう?」とハルは問うた。
こんな時間に人目があるわけでもなかったが、一応家に上がってもらう。蒼緋衣の家と違って高級品の紅茶は出せないが、香草を浸け込んだ水をコップに注ぐ。今日はレモングラスだ。
「いや、再誕祭の余興の話。よくあさっさりオッケーしたなー、って。」
「意外ですか? ……あー、意外、ですね」
訊いたものの、即座に自分で納得する。確かに、らしくない反応と言える。
「そうですね、確かに誰かと関わるのも、お祭りに参加するのも、どちらもできれば避けたいというのが本音でしょうね」
自分のことなのに、なぜだか他人事のような口調になったが。
「でも、このあいだの余興、あれはちょっと楽しかったので」
続く言葉は、紛れもなく本心からのものだった。
そっか、と笑って、アルはコップを傾けて、予想外の味に驚いたりしていた。
簡単にできる作り方を説明している内に、朝食の準備が整ったらしい。
「アル君も食べますか?」
スープ鍋をテーブルに置いてシディが問うのを、アルは一応食べて来たからと断ったが、何も食べない人が食卓に居るのは落ち着かないからと、スープを少しだけ飲んでもらうことにする。
シディの料理は、アルにも好評だった。
「せっかくなので、東の湖に行きましょう」
目的地に関しては、アルは一切何も決めていなかったので、ハルの提案でそういうことになった。今日も暑いので水辺が良いだろうというのと、この村に来る前に立ち寄って景色が良かったというのと、それ以外に理由がないわけではなかったが、それは着いてからだ。
アルとは一度家の前で別れて、蒼緋衣の家から馬を引いてきてもらう。合流は東の街道だ。きちんとした門がある街とは違い、この小さな村には内外を明確に分ける印などはないので、だいたいそのあたり、ということになる。
シディはまずハルを持ち上げて絶影の背にまたがらせ、続いて自分はその後ろに飛び乗った。この高さの景色も久しぶりだとハルが感慨のようなものを感じていると、
「背、少し伸びましたね」
まさに感慨深げに背後の父が言った。
振り返ったハルはなるほど、と思う。絶影に乗って各地を転々としていた頃は、父の胸に背を預けるのにちょうど良いサイズだったのだが、今は少し窮屈かもしれない。
「もう少し大きくなったら、前には乗せられませんね」
嬉しそうに、けれど少し寂しそうにシディは笑った。
ハルはなんと答えたら良いのかわからず、無言で父に寄り掛かった。
だいたいの場所に着いて、暫くすると、馬の足音が聞こえてきた。ちなみに絶影は精獣であるが故か、動く時にほとんど足音を立てない。
少し背伸びをすると、父の肩越しに馬上の二人の姿が見えて、ハルは改めて自分が大きくなったのだな、と実感する。騎手として鞍に座るのはアルで、蒼緋衣はその前に横座りして、手綱を握るアルの腕の中に収まっている。馬に乗ったこと自体はあるようで、なかなか様になっていた。
「そうしていると、騎士とお姫様みたいですね」
割と本気でハルは言ったのだが、何故か二人からはげんなりとした視線を返された。
「どっちが」
だよ、ですか、と語尾こそ違ったが、馬上の二人の言葉は見事に重なっていた。
ん? とハルは首をひねり、
「あぁ、父さんは元本職ですものね」
隣に並んだ二人に笑顔を向けると、げんなりを通り越してもう面倒くさそうな視線を向けられた。
「そっちじゃない」
と、今度は完全にシンクロした答えが返されて、更にアルが「この無駄美人」と付け加える。どうやら父が『騎士みたい』ではなく、自分が『お姫様みたい』と言われていたのだと思い当たり、今度はハルの方が少々げんなりするのだった。
目的地に着くまでに、二度の休憩を挟んだ。さほど遠い場所ではないので、ハルとシディは途中休憩など不要だったのだが、馬に乗り慣れていない二人はその限りではなかった。そのことに気付いたハルが提案して――当人たちは意地を張っていたようで何も言わず、シディはそもそも気づきもしなかった――三分の一程の道程で休憩を取ることにしたのだ。
「ハルは平気そうだよな」
一度目の休憩を決めた時、アルは釈然としない様子でそう言った。
「まぁ、慣れてますから。あの村に落ち着くまでは、絶影に乗せてもらって各地を転々としていたので」最初の頃はこうはいきませんでしたよ、と付け加えるとアルは少し安心した様子だった。
「……あれ? 鞍と手綱、いつ外したんですか?」
体をほぐしていた蒼緋衣が絶影を見て訊いた。
「最初から付いていませんよ。精獣なので、乗れば吸い付くように体を固定してくれますし、手綱っぽく見えたアレは、鬣が変化したものです」
ハルの答えを聞いた二人にキラキラとした感嘆の眼差しを向けられて、絶影は煩わしそうに顔を背けたが、そのしぐさはどこかしら得意げにも見えた。
「さて。ではせっかくなので、魔霊について少しおさらいしておきましょうか」
二度目の休憩の時、ハルはそう言って蒼緋衣に視線を向けた。
「堕ちた精霊、堕霊とも呼ばれる存在で、人にとって有害な精霊に似て非なるもの、でしたか?」
意をくんで即座に答えてくれたのはありがたかったが、以前の授業でのハルの言い回しまで真似てくれたのは、あまりありがたくなかった。
それはそれとして、ハルは補足を加える。
「ちなみに『魔霊』という呼び名は精霊がかつて『聖霊』とも呼ばれていた名残のようですね。聖なるものの対極、という意味で『魔』と冠されたようですよ」
本質的にはどちらも同じものなんですが、とは第三者の目があるので言わないでおいた。教会の教えに逆らうような発言はすべきではない。
「あ、じゃあ魔獣は精獣の逆?」
察しの良いアルが正鵠を射た。
もっと正確に言うのなら、ヒトに対する立ち位置が逆となる同じ存在、なのだが。
「戦い方に関しては、アルは良く知っていますね?」
「まぁ、実戦経験あるからな。弓矢みたいな遠距離武器は効果が薄くて、正面から剣で斬るのが一番効果的なんだけど……この理由も、ハルは知ってんのか?」
問われてハルは頷いた。
「霧や鬼火に目がついたような形の魔霊は実体がありません。なので『斬られた』『殺された』と相手に自覚させることで初めて倒せるんです。だから背後からでは効果が薄くなる。剣が最も効果的なのは、『剣』というものが武器の象徴でもあるからですね」
何故こんな話をしたのかと言うと……
目的地で昼食を摂り、くつろいでいると、湖上に霧のようなモノが集まり始めた。揺らぎ、蠢くソレは、やがていびつな三本指の腕のようなモノを二本形成し、遂には両の目を開く。
「魔霊……」
掠れた声で蒼緋衣が呟いた。
まぁ、つまりは、そういうことだ。
次は時間かからない、そう思っていた頃が私にもありました……
今回は正直に認めます。週一ペースが崩れそうだったので無理やりぶった切りました。倒すところまでやる予定だったんですが、そこまでいかなかったのでサブタイも変更してます。
しかも後半部分は見直す余裕すらなかったという体たらく。誤字報告は歓迎します。
ちなみに今回時間かかったのは、絶影のディテールです。
そんなわけで次回「魔霊」です。